博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『三国』その12

2010年07月27日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第71~77話まで見ました。

関羽に攻められた樊城への援軍として于禁・龐徳が出兵しますが、龐徳は一騎打ちの最中に毒矢を関羽に放ったということで、特に見せ場の無いまま卑怯物呼ばわりされて関羽側に処刑されることに。そんな設定では無かったはずだが(^^;)

その関羽も呉の呂蒙によって討ち取られますが、最後まで髭をさする動作をやめない関羽。そして呂蒙はその直後に謎の死を遂げますが、真相は「一方的に劉備の恨みを買うのは御免だから関羽は絶対殺すな」という命令に背いたことで孫権の怒りを買い、密かに毒殺されたというもの。えっなにそれこわい…… 普通に関羽に祟り殺された方が安心するレベルです(-_-;) 真相を知った陸遜もドン引きして大都督の就任要請を断り、軍務からの隠居を申し出る始末。

一方、許昌では一代の奸雄曹操が病没。亡くなる直前に曹丕を呼びつけ、「曹沖を殺したのはやっぱりお前とちゃうんけ!」と責めてます。やっぱり曹丕を信用してなかったのね…… 

何とか後を継いだ曹丕ですが、「先王は実力があったからわざわざ帝位を簒奪する必要はありませんでした。が、あなたは違います。ひとつ聞きますが、ご自分で先王並みかそれ以上の力量があるとお思いですか?」という司馬懿の提言を承け、献帝を廃して自ら帝位に即くことに。ここで史実通り姉妹の曹皇后が激しく反発してます。しかし旦那の献帝は反発する気概もなく、曹操の葬儀で棺に土下座させられたりなど様々な辱めを受けつつ曹丕に禅譲し、最期は隠居地に向かう船を細工して曹皇后とともに溺死する道を選びます。

献帝の死を知った劉備は漢の皇族として皇帝即位を決意。当然の如く劉禅が後継ぎとなりますが、期待を裏切らないおデブ&おバカっぷり(^^;) 劉備も『史記』高祖本紀を一行目から暗記できないバカさ加減に呆れてますが、あんたが今まで育児放棄してたんだからそれはしゃーない……

そして劉備は即位と同時に関羽の仇を討つべく呉討伐を宣言。孔明・趙雲ら荊州時代からの臣は猛反対しますが、李厳・黄権ら益州閥の臣下は「荊州閥が反対してる時は取り敢えず賛成しておくもんなんだよっ!」と、ここぞとばかりに劉備におもねる始末。李厳の息子李豊は「賛成はいいけど、呉討伐が失敗したらどうなんの?」と父親にツッコンでますが、「失敗などない!」(キリッ!と反論される始末……

コメント (2)
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