博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『シリーズ中国近現代史1 清朝と近代世界』

2010年07月02日 | 中国学書籍
吉澤誠一郎『シリーズ中国近現代史1 清朝と近代世界』(岩波新書、2010年6月)

岩波新書にて『シリーズ日本近現代史』に続く第二弾『シリーズ中国近現代史』が刊行開始。しかも第1巻のテーマは清朝ということで読んでみることに。個人的には当時の冊封体制に関する部分が面白かったですね。

日本については豊臣政権が朝鮮出兵時に明との和平交渉を折衝する際、あるいは徳川政権が朝鮮と国書をやりとりする際に、日本側と相手側の双方の顔が立つように適宜国書を書き換えていたことが知られていますが、実はビルマ・シャム・ベトナムといった東南アジア諸国も清に対して同様の態度を取っていた模様。すなわちこれらの国々では国内では自国と清は対等と認識していたのですが、清に差し出す漢文の国書ではその辺りを適宜修正していたというのです。

そしてそのうちシャムは近代化が進むと、漢文の国書でも清の属国と表明することを拒否。またビルマは19世紀末にイギリスによって併合され、インド帝国に編入されますが、清朝的にはイギリスに併合されようと何だろうと朝貢さえ続けてくれればオーケーという認識だったとのこと。

つまり冊封体制とは、少なくとも清代においては冊封される側がほとんど本気で付き合っていなかったという壮大なファンタジーだったんだよ!(ここで「なんだってーーーーー!!」とツッコんであげて下さい(^^;) )唯一本気で付き合ってたぽいのは朝鮮ですが、国土が清に直に接しているとは言え、その律儀さに泣けてくる…… しかしその朝鮮の「属国にして自主」という立場も、アメリカと条約を結ぶ際に「意味が分かんないんですけど」とツッコまれてしまう始末……

なお、日本の徳川政権は清と冊封の関係を有しておらず、単に長崎で民間の業者を通じての貿易を許可するのみでしたが、これについて本書では、英国の使節が清朝皇帝に謁見する際に三跪九叩頭を行うかどうかで揉めたのと同種の儀礼的問題が発生するのを日清双方が憂慮したため、正式の外交を持たなかったとしています。

朝鮮については正式な使節を受け入れていたわけですが、やはり日本側の将軍の称号で揉めたりしてますし、このような問題は確かに起こりえたのでしょう。とすると冊封体制で一番の勝ち組は、敢えて清に朝貢せず、明治維新以後は西洋式の外交に乗り換えた日本ということになりましょうか(^^;)
コメント (2)
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