博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『隋唐英雄伝』その4

2009年02月12日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐英雄伝』第22~28話まで見ました。

煬帝は各地で反乱が勃発しているのを尻目に大運河建設工事を推し進め、江南への巡幸に出発。瓦崗寨を含めた反乱軍は煬帝の乗る龍舟を四明山で待ち伏せて襲撃しようとしますが、そこに立ちはだかったのが援軍として急遽呼び寄せられた李元覇。彼は李淵の4男ですが、幼い頃に家族とともに父の任地の太原へと移動する際に皇太子時代の煬帝らに襲撃され、刀剣で顔を傷つけられたのがトラウマとなり、以後知能の発達が止まったのは良いとしてなぜか天下無敵の怪力の持ち主となり、現在では鎖で繋いでおかないと何をしでかすか分からないという恐るべきバーサーカーへと成長したのであります(^^;)

お目付役として着いて来た次兄の李世民は恩人の秦叔宝を傷つけてはならじと懸命に弟を制御しようとしますが、瓦崗寨側からもう1人の少年バーサーカー裴元慶が空気を読まずに李元覇に挑戦したため、とうとう李元覇が次兄の制御を振り切って反乱軍の士兵を虐殺しまくるという事態に…… この裴元慶、もとは父とともに隋に仕え、年少ながら武勇の誉れが高かったのですが、瓦崗寨討伐に派遣されると総大将の宇文成龍(丞相宇文化及の息子)と諍いをおこしたり、瓦崗寨の軍師徐茂公の離間の計に引っ掛かったりして結局一族もろとも瓦崗寨に帰順したのであります。しかしここで李元覇に討ち取られ、あえない最期を遂げることに…… ちなみにこの裴元慶を演じていたのは元カンフー子役スターの釈小龍です。

結局煬帝は反乱軍を排して巡幸を継続。しかし大運河工事と巡幸の責任者の李密はうっかり煬帝の寵姫蕭妃に手を出してしまったことが露見してしまい、長安に強制送還されて処刑される所をたまたま通りかかった程咬金に救われます。実は程咬金、この頃になると堅苦しい皇帝としての生活にすっかり嫌気が指しており、李密の素性が賎しからぬを知って彼を瓦崗寨に連れ帰り、皇位を彼に譲ると宣言します。

まるで捨て犬を拾うかのように隋の高官を連れ帰って来た挙げ句にこいつに譲位したいと言い出した程咬金に、秦叔宝たちはもちろん当の李密自身も当惑を隠せません(^^;) しかし李密が文官としてかなりのやり手で、瓦崗寨に悪意が無いと知った彼らは李密への譲位を支持。かくして李密は瓦崗寨の主となったのでありました。

一方、美人局に引っ掛かって煬帝の寵姫に手を出してしまった李淵は、これはどうあがいても煬帝に許してもらえないと腹をくくり、自ら皇帝の地位に即いて唐王朝の建国と煬帝打倒を宣言したのであります。

今回のツッコミ所

李元覇の設定とか李密関係のエピソードとか、今回特にツッコミ所に事欠かない状態ですが、取り敢えず2つだけ。

○散々「隋朝第一の勇士」とか煽られながら、実際に一騎打ちしてみると少年バーサーカー李元覇はおろか裴元慶にすら良いようにあしらわれる宇文成都。

○ひたすら煬帝への仇討ちを主張する李蓉蓉。……日本の大河ドラマなんかだと、この手のヒロインは「戦争で傷つくのはいつも女」とか言いながら反戦を主張するもんですが、彼女は秦叔宝らの仇討ちを迫った挙げ句に暗器を仕込んだ琴を持って自ら煬帝のもとに乗り込んで行きます。ヒロインとしては珍しいパターンだなあと。
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『ローマ人の物語 迷走する帝国』

2009年02月11日 | 世界史書籍
昨日はマイミクで後輩のかねたか氏を介して、マイミクのArcher氏と初めてお会いしました。氏も私と同じく学部時代に先秦史を専攻されていたとのことですが、この分野のことで話すとなると当然の如く 某H先生の話題が出てしまうわけです。一部ではこの分野を専攻してH先生の学説にハマるのは誰もが通る道だと言われているそうですが、そんなことは無いと思われ…… 私は初めてH先生の著書を読んだ時に普通にツッコミ入れてましたから!(^^;) で、本題です。

塩野七生『ローマ人の物語32~34 迷走する帝国』(新潮文庫、2008年9月)

ちょうどこれが出版された頃に中国に出発したということで、今になってやっとこさ読むことに。この巻では大浴場で有名なカラカラ帝などセヴェルス朝の皇帝たちと、おおよそ半世紀の間に20人前後の皇帝が乱立した軍人皇帝時代について扱っています。

本書で印象に残ったのは、十数年間にわたってローマ帝国から分離する形で成立したガリア帝国の成立と消滅に至るまでの経緯です。これをチャートでまとめてみますと、

ゲルマン人との戦闘の後、ライン川防衛戦担当の将軍ポストゥムスとシルヴァヌスがゲルマン人から奪い返した略奪品の処分の仕方をめぐって対立し、ポストゥムスがシルヴァヌスのいるケルンを襲撃。ケルンの住民は関わり合いになるのを恐れてシルヴァヌスとその側近をポストゥムスに引き渡す。

ポストゥムスは彼らを即刻処刑するが、うっかりその中に混じってた皇帝ガリエヌスの息子まで殺してしまう。(ガリエヌスがシルヴァヌスに養育を託していたとのこと)

これはどう言い訳しても皇帝に許してもらえないと判断したポストゥムスは反逆を決意し、ガリア帝国を創設。初代皇帝に就任。

当然ガリエヌスはガリア帝国の創設を認めず、2度に渡って攻め込んで兵を送って領土を奪還しようとするが、決着がつかず。

でもよく考えたらガリア帝国がゲルマン人のローマへの侵攻を防いでくれるんだから、ガリア帝国があったっていいじゃないかと発想を転換。で、ガリア帝国をそのまま放置することに。

十数年後、ローマ皇帝アウレリアヌスは東方のパルミラ王国を滅ぼした余勢を買ってガリア帝国征服を計画。しかしガリア皇帝テトリクスはローマ側との開戦直前にアウレリアヌスの陣幕を訪れ、帰順を申し出る。

ガリア帝国消滅。領土は当然ローマ帝国に再編入。なお、最後の皇帝テトリクスは元々ローマ帝国の元老院議員であったので、降伏後も元老院の議席を所持し続け、地方官に任命されたりローマの旧宅で安楽な余生を送ったりした。

帝国の成立から消滅(滅亡ですらない……)の経緯があまりにも適当すぎて泣けます(;´д⊂) ひょっとして我々は世界一アホな経緯で誕生・消滅した国家の歴史を目の当たりにしているのかもしれません…… もっともWikipediaの項目などを見ると、そもそも皇帝ガリエヌスの息子はポストゥムスの監視役も兼ねており、ポストゥムスはローマ帝国に反逆するに当たってすべて承知の上で彼を殺害したと受け取れるような説明になっていますが、無条件にこっちの説を信じたくなるほどの適当さです……

そのガリア帝国とパルミラ王国のお取り潰しという偉業を成し遂げた皇帝アウレリアヌスも、即位わずか5年にして、何かの事情で彼から叱責され、自分が近いうちに処刑されるものと思い込んだ秘書が、皇帝の側近の将官たちを死罪に処すという命令書を偽造し、彼らを焚き付け皇帝を殺させてしまいます。有能な為政者がこういうとてもくだらない理由で殺されてしまったわけですが、要するに軍人皇帝時代の雰囲気というのがそういうもんだったのでしょう。
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彦根でひこにゃん見て来ました

2009年02月09日 | 旅行・オフ会・展覧会
昨日は朝から友人と2人で彦根に行ってました。

この友人というのは中学・高校時代のツレで、今までも1年に1度ぐらいのペースで2人、あるいはそれにもう1人ツレを加えて日帰り旅行をしたりしていたのですが、今回私が一時帰国するということで、今年も日帰り旅行を敢行することに。で、行き先は「ひこにゃんが見たいから」という私の希望で彦根に決定しました。

で、彦根駅に着いてからその友人が一言。「ニャンまげってさあ、飛びついたり蹴りを入れたりしても良かったやんねえ?」イヤイヤ、今日見に行くのはニャンまげとちゃうし、ほんで仮にニャンまげでも蹴りを入れるのはたぶんNGやから!とツッコミつつ彦根城へ。



ひこにゃんが出没するのは13時半からということで、(基本的に土・日・祝日の昼時を中心に1日3回天守閣前の広場などで出没するらしい。詳しくは公式サイトを参照のこと。)それまで天守閣(上段の写真)や、はたまた城の真ん前にある埋木舎(下の写真)やその他資料館などを見学。



埋木舎(うもれぎのや)は井伊直弼が彦根藩主になる前に暮らしていた屋敷。彼は藩主の14男として生まれたため、他家への養子縁組などもなかなか見つからず、(弟の方が先に別の大名家の養子に迎えられて悔しい思いをしたこともあったらしい。)ここで長らく捨て扶持を与えられながら暮らしていたとのこと。入り口に「大久保」という表札が掛かっていてびっくりしましたが、後にここが藩の重臣の大久保氏(大久保彦左衛門とか大久保忠世など幕臣大久保氏に連なる家柄らしい)に払い下げられたとのことです。

で、ひこにゃんであります。時間に合わせてもう一度天守閣へと戻って待ちかまえてますと、まずは係員からの説明が。「これから30分間ここでひこにゃんを放し飼いにします。」……ええっ、今放し飼いって言った!?(^^;) 「それでひこにゃんは時々皆さんの近くまで寄っていくと思いますが、その時に殴ったり蹴りを入れたりしないでくださいね。そんなことをするとひこなゃんはスネて家に帰っちゃいますよ~」……やっぱり蹴りを入れるのはNGのようです。

で、30分間のショータイムが始まりましたが……





こんな調子でひたすら向きを変えたり、羽子板とか刀といったアイテムを持ち替えて写真を撮りやすいようにポーズを決めるだけで、ぬいぐるみショーのようにダンスをしたりスタッフと寸劇をしたりというような芸は一切無しです。お馴染み「ひこにゃん音頭」などのBGMも一切無しで、本当に放し飼いというのがふさわしい状況です。それで30分の間をもたせるというのも凄いような気がしますが、最後にスタッフが「ひこにゃんはそろそろお腹が空いて、おやつを食べに帰りたいようです!」とか言い出し、観客に手を振りつつ櫓を渡って控え室へと引き返して行きます。



後で城内の彦根城博物館前で行われたショーの方にも行ってみましたが、こっちも同じような感じです(^^;)



彦根城を出た後は土産物屋街でお土産のお菓子などを物色しましたが、そこで便乗キャラいしだみつにゃんとしまさこにゃんのグッズを発見。こいつら、必要以上に目つきが悪いんですが…… (キャラデザインは「ひこね街の駅 戦国丸」のサイトを参照。)某店に飾られていた、しまさこにゃんが島左近のお墓に地酒「島左近」をお供えしてお参りしている写真には何だか頭がクラッときました……

いしだみつにゃんと言えば三成の城として知られる佐和山城跡が近辺にあるわけですが、石垣も満足に残ってないようだし、こんな寒い時期に山登りなんかしたくないし、(現在はハイキングコースとして整備されているらしい。)おまけに三成に(というか戦国~江戸初期の武将に)思い入れがあるわけではないしということで、壮大にスルー。しかし目当てのひこにゃんと埋木舎を見れて大満足の1日でありました(^^;)
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『隋唐英雄伝』その3

2009年02月07日 | 中国古典小説ドラマ
このドラマ、どうやらハナッから『隋唐演義』をスルーして『説唐』の方のみを元ネタにしているようなのですが、『説唐』の内容をわかりやすく解説したサイトは無いかなあと検索してたら、『百度百科』の記事に行き当たりました。各キャラごとに小説と史実との違いをまとめていたりと、なかなか読み応えがあります。なお、このサイトで『隋唐演義』とあるのはすべて『説唐』を指している模様。

で、『隋唐英雄伝』第15~21話まで見ました。

匪賊の一味として楊林に捉えられた程咬金を救出したことで、秦叔宝・単雄信・王伯当らは朝廷のお尋ね者となり、「じゃあ」ということで本当に隋王朝に対して造反することに。一党は金堤関、ついで難攻不落と言われた瓦崗寨を陥落させます。それで新皇帝を擁立して反煬帝の気運を盛り上げようとしますが、成り行きで目に一丁字も無い程咬金が皇帝の位に即くことに…… 朝廷は楊林、ついで楊林の義子魏文通に瓦崗寨討伐を命じます。

一方、隋王朝に鉄の如き忠誠を誓う羅芸は、甥の秦叔宝ばかりか息子の羅成をも造反に加わったと知って激怒し、精鋭の燕雲十八騎を率いて瓦崗寨を襲撃しようとしますが、肝心の魏文通から息子や甥に加勢するのではないかと疑われ、逆に味方のはずの官軍から襲撃を受け……

ということでようやく隋王朝打倒へと話が動き出した所で、今回のツッコミ所。

○たったの18騎で1万の遼兵を打ち破ったとか、女子供にも容赦しないとか、まるで『ロード・オブ・ザ・リング』の幽鬼兵のような最凶伝説を垂れ流しておきながら、さして活躍の場も無いまま退場した燕雲十八騎。……こういう展開にするんなら、あそこまでもったいぶった解説シーンはいらなかったんじゃないかと(^^;) 良くも悪くも行き当たりばったりなドラマですなあ。

○王伯当は実は北魏皇室の末裔だった!……本人曰く、北族出身なので隋の官吏に登用されなかったということですが、隋も鮮卑国家なのでその理屈はおかしい……というツッコミはこの際置いておきます(^^;) しかしいきなりこんな設定にしてどうするつもりなんでしょうか。『天龍八部』の蕭峰のように、後々彼の血筋が原因で昨日までの仲間達が彼と敵対するといった展開になったりするんでしょうか。

○うっかり李蓉蓉に惚れた王伯当。ここまでは良いのですが、彼女の絵を何枚も描いてはそれを自室に貼り付け、それを眺めながら物思いに沈むさまは見ているこっちがドン引きです…… このキャラ、早く誰か何とかした方がいいのかもしれません(^^;)
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『アマテラスの誕生』

2009年02月06日 | 日本史書籍
溝口睦子『アマテラスの誕生 ―古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年1月)

日本の国家神・皇祖神は元来アマテラスではなく、『古事記』の冒頭で天地誕生の際に生まれたとされる3柱の神の1、タカミムスヒであったということで、本書は倭国での国家神の概念の導入と、タカミムスヒからアマテラスへの国家神の交替の過程を描いていきます。

著者の主張をまとめると、まず大和王権は5世紀初頭に好太王率いる高句麗軍に大敗したことをきっかけに、敵国高句麗の体制や思想を取り入れて抜本的な改革に乗り出し、その一環として、王権の強化を目的として高句麗など北方ユーラシア系の天孫降臨神話を取り入れ、天神かつ太陽神であるタカミムスヒを国家神・皇祖神に据えたとします。つまり倭国の大王は天神タカミムスヒの子孫、すなわち天孫であると称して自らの権威の強化をはかったというわけです。

それから時は流れて天武天皇の時代となり、今度は中国唐王朝を手本とした律令国家体制ーと移行する際にに、同じ北方由来の王権神話を持つ新羅などとの対抗姿勢を明確にするため、タカミムスヒから、より土着の豪族や民衆が親しみやすく、キャラクターを物語化(神話化)しやすい日本由来の太陽神アマテラスへの国家神・皇祖神の交替を進めることになったとします。

本書では、国家神の概念の導入と交替はいずれも高句麗との戦いや白村江の戦いでの敗北といった、言わば「外圧」に影響されたものとしていますが、日本の古代史は日本一国のみではなく東北アジア史の枠組みの中で理解する必要があるということでしょうか。

一方、新たに導入された国家神アマテラスが女神であることについては、人々に親しみのある太陽神を選んだらたまたま女神だったということで片付けていますが、これは従来言われていたように、持統天皇が息子の草壁皇子を失い、孫の文武天皇を擁立したこととの関連で理解した方がわかりやすいのではないかなあと……

あと、印象に残ったのは著者のアマテラスへの思い入れの深さです。本文のあとがき231~232頁をそのまま引用します。

歴史の変化に翻弄されて、その時々に大きく性格を変えながら、しかし弥生以来二千年を越える時間を、日本の歴史とともにその先頭に立って歩んできた神は他にはいないだろう。私の願いはこの神が、今度こそ、誕生した時の素朴で大らかな太陽神に戻って、少し頼りないところはあるが、あくまで平和の女神として、偏狭なナショナリズムなどに振りまわされずに、彼女の好きなどこまでも続く広い海と広い空を住居に、豊かな生命の輝きを見守る神としてあり続けてほしいということである。

研究者でアマテラスに対してこういうリスペクトの仕方をするのは非常に珍しいんじゃないかと思われます。
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『隋唐英雄伝』その2

2009年02月03日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐英雄伝』第8~14話まで見ました。

冀州の羅芸のもとから故郷歴城に戻って軍務に就くことになった秦叔宝。任地への旅の途中で宇文智及に追われていた李渾の娘蓉蓉を救い出し、実家の母の元で匿うことにします。

この歴城に戻る途中で2人で黄山を眺めるシーンが挿入されるのですが、黄山と言えば南方の安徽省南部の名山(世界遺産にもなってます)。しかし蓉蓉のいた潞州付近は今の山西省東南部にあたり、ここから歴城のある山東省に向かうのに黄山に立ち寄るというのはかなり無理があるのですが、このドラマの地理感覚はどうなっておるんでしょうか(^^;) それとも華北にも黄山という名山があるのでしょうか……

それはともかく、歴城でも謹直な仕事ぶりが認められ、長安への出張を命じられることに。ここでかつて命を救った唐公李淵の一家や単雄信とも再会を果たしますが、清明節に湧く長安市街を見物している時に宇文智及の暴虐を見かねて殺害してしまい、宇文家の仇敵に……

当然殺人犯としてお尋ね者になってしまうわけですが、かねてから宇文氏の横暴を見かねていた楊林は秦叔宝を弁護し、彼を自分の任地である登州に引き取って義子にしてしまいます。この楊林という人物、隋の文帝の叔父にあたり、ドラマ中でも最強の武将として描かれてますが、実はかつて北周の武将として秦叔宝の父秦彝を倒したのもこの男なのであります。(しかし楊林自身は秦叔宝が秦彝の息子とは気付いていません。)父の仇でありながらも、義に厚く物の道理を心得た楊林に対して複雑な感情を抱く秦叔宝……

一方、都では楊広が父の文帝から皇位を簒奪。すなわち隋の煬帝の誕生であります。で、即位早々民に重税や労役を課して宮殿の建築を推し進めたり、各地から美女をかき集めて酒池肉林に耽ったりと、早速わかりやすい暴君ぶりを発揮しています(^^;)

楊林は多額の金を煬帝即位のお祝いとして輸送させますが、匪賊の仲間になっていた程咬金に強奪されます。秦叔宝は強奪の犯人を追っているうちに幼馴染みで生き別れとなっていた程咬金が犯人と気づき、程母子との再会を喜び合いますが、この件のカタを一体どうつけるつもりなんでしょうか(^^;)
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