博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『ローマ人の物語 迷走する帝国』

2009年02月11日 | 世界史書籍
昨日はマイミクで後輩のかねたか氏を介して、マイミクのArcher氏と初めてお会いしました。氏も私と同じく学部時代に先秦史を専攻されていたとのことですが、この分野のことで話すとなると当然の如く 某H先生の話題が出てしまうわけです。一部ではこの分野を専攻してH先生の学説にハマるのは誰もが通る道だと言われているそうですが、そんなことは無いと思われ…… 私は初めてH先生の著書を読んだ時に普通にツッコミ入れてましたから!(^^;) で、本題です。

塩野七生『ローマ人の物語32~34 迷走する帝国』(新潮文庫、2008年9月)

ちょうどこれが出版された頃に中国に出発したということで、今になってやっとこさ読むことに。この巻では大浴場で有名なカラカラ帝などセヴェルス朝の皇帝たちと、おおよそ半世紀の間に20人前後の皇帝が乱立した軍人皇帝時代について扱っています。

本書で印象に残ったのは、十数年間にわたってローマ帝国から分離する形で成立したガリア帝国の成立と消滅に至るまでの経緯です。これをチャートでまとめてみますと、

ゲルマン人との戦闘の後、ライン川防衛戦担当の将軍ポストゥムスとシルヴァヌスがゲルマン人から奪い返した略奪品の処分の仕方をめぐって対立し、ポストゥムスがシルヴァヌスのいるケルンを襲撃。ケルンの住民は関わり合いになるのを恐れてシルヴァヌスとその側近をポストゥムスに引き渡す。

ポストゥムスは彼らを即刻処刑するが、うっかりその中に混じってた皇帝ガリエヌスの息子まで殺してしまう。(ガリエヌスがシルヴァヌスに養育を託していたとのこと)

これはどう言い訳しても皇帝に許してもらえないと判断したポストゥムスは反逆を決意し、ガリア帝国を創設。初代皇帝に就任。

当然ガリエヌスはガリア帝国の創設を認めず、2度に渡って攻め込んで兵を送って領土を奪還しようとするが、決着がつかず。

でもよく考えたらガリア帝国がゲルマン人のローマへの侵攻を防いでくれるんだから、ガリア帝国があったっていいじゃないかと発想を転換。で、ガリア帝国をそのまま放置することに。

十数年後、ローマ皇帝アウレリアヌスは東方のパルミラ王国を滅ぼした余勢を買ってガリア帝国征服を計画。しかしガリア皇帝テトリクスはローマ側との開戦直前にアウレリアヌスの陣幕を訪れ、帰順を申し出る。

ガリア帝国消滅。領土は当然ローマ帝国に再編入。なお、最後の皇帝テトリクスは元々ローマ帝国の元老院議員であったので、降伏後も元老院の議席を所持し続け、地方官に任命されたりローマの旧宅で安楽な余生を送ったりした。

帝国の成立から消滅(滅亡ですらない……)の経緯があまりにも適当すぎて泣けます(;´д⊂) ひょっとして我々は世界一アホな経緯で誕生・消滅した国家の歴史を目の当たりにしているのかもしれません…… もっともWikipediaの項目などを見ると、そもそも皇帝ガリエヌスの息子はポストゥムスの監視役も兼ねており、ポストゥムスはローマ帝国に反逆するに当たってすべて承知の上で彼を殺害したと受け取れるような説明になっていますが、無条件にこっちの説を信じたくなるほどの適当さです……

そのガリア帝国とパルミラ王国のお取り潰しという偉業を成し遂げた皇帝アウレリアヌスも、即位わずか5年にして、何かの事情で彼から叱責され、自分が近いうちに処刑されるものと思い込んだ秘書が、皇帝の側近の将官たちを死罪に処すという命令書を偽造し、彼らを焚き付け皇帝を殺させてしまいます。有能な為政者がこういうとてもくだらない理由で殺されてしまったわけですが、要するに軍人皇帝時代の雰囲気というのがそういうもんだったのでしょう。
コメント (3)
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