溝口睦子『アマテラスの誕生 ―古代王権の源流を探る』(岩波新書、2009年1月)
日本の国家神・皇祖神は元来アマテラスではなく、『古事記』の冒頭で天地誕生の際に生まれたとされる3柱の神の1、タカミムスヒであったということで、本書は倭国での国家神の概念の導入と、タカミムスヒからアマテラスへの国家神の交替の過程を描いていきます。
著者の主張をまとめると、まず大和王権は5世紀初頭に好太王率いる高句麗軍に大敗したことをきっかけに、敵国高句麗の体制や思想を取り入れて抜本的な改革に乗り出し、その一環として、王権の強化を目的として高句麗など北方ユーラシア系の天孫降臨神話を取り入れ、天神かつ太陽神であるタカミムスヒを国家神・皇祖神に据えたとします。つまり倭国の大王は天神タカミムスヒの子孫、すなわち天孫であると称して自らの権威の強化をはかったというわけです。
それから時は流れて天武天皇の時代となり、今度は中国唐王朝を手本とした律令国家体制ーと移行する際にに、同じ北方由来の王権神話を持つ新羅などとの対抗姿勢を明確にするため、タカミムスヒから、より土着の豪族や民衆が親しみやすく、キャラクターを物語化(神話化)しやすい日本由来の太陽神アマテラスへの国家神・皇祖神の交替を進めることになったとします。
本書では、国家神の概念の導入と交替はいずれも高句麗との戦いや白村江の戦いでの敗北といった、言わば「外圧」に影響されたものとしていますが、日本の古代史は日本一国のみではなく東北アジア史の枠組みの中で理解する必要があるということでしょうか。
一方、新たに導入された国家神アマテラスが女神であることについては、人々に親しみのある太陽神を選んだらたまたま女神だったということで片付けていますが、これは従来言われていたように、持統天皇が息子の草壁皇子を失い、孫の文武天皇を擁立したこととの関連で理解した方がわかりやすいのではないかなあと……
あと、印象に残ったのは著者のアマテラスへの思い入れの深さです。本文のあとがき231~232頁をそのまま引用します。
歴史の変化に翻弄されて、その時々に大きく性格を変えながら、しかし弥生以来二千年を越える時間を、日本の歴史とともにその先頭に立って歩んできた神は他にはいないだろう。私の願いはこの神が、今度こそ、誕生した時の素朴で大らかな太陽神に戻って、少し頼りないところはあるが、あくまで平和の女神として、偏狭なナショナリズムなどに振りまわされずに、彼女の好きなどこまでも続く広い海と広い空を住居に、豊かな生命の輝きを見守る神としてあり続けてほしいということである。
研究者でアマテラスに対してこういうリスペクトの仕方をするのは非常に珍しいんじゃないかと思われます。
日本の国家神・皇祖神は元来アマテラスではなく、『古事記』の冒頭で天地誕生の際に生まれたとされる3柱の神の1、タカミムスヒであったということで、本書は倭国での国家神の概念の導入と、タカミムスヒからアマテラスへの国家神の交替の過程を描いていきます。
著者の主張をまとめると、まず大和王権は5世紀初頭に好太王率いる高句麗軍に大敗したことをきっかけに、敵国高句麗の体制や思想を取り入れて抜本的な改革に乗り出し、その一環として、王権の強化を目的として高句麗など北方ユーラシア系の天孫降臨神話を取り入れ、天神かつ太陽神であるタカミムスヒを国家神・皇祖神に据えたとします。つまり倭国の大王は天神タカミムスヒの子孫、すなわち天孫であると称して自らの権威の強化をはかったというわけです。
それから時は流れて天武天皇の時代となり、今度は中国唐王朝を手本とした律令国家体制ーと移行する際にに、同じ北方由来の王権神話を持つ新羅などとの対抗姿勢を明確にするため、タカミムスヒから、より土着の豪族や民衆が親しみやすく、キャラクターを物語化(神話化)しやすい日本由来の太陽神アマテラスへの国家神・皇祖神の交替を進めることになったとします。
本書では、国家神の概念の導入と交替はいずれも高句麗との戦いや白村江の戦いでの敗北といった、言わば「外圧」に影響されたものとしていますが、日本の古代史は日本一国のみではなく東北アジア史の枠組みの中で理解する必要があるということでしょうか。
一方、新たに導入された国家神アマテラスが女神であることについては、人々に親しみのある太陽神を選んだらたまたま女神だったということで片付けていますが、これは従来言われていたように、持統天皇が息子の草壁皇子を失い、孫の文武天皇を擁立したこととの関連で理解した方がわかりやすいのではないかなあと……
あと、印象に残ったのは著者のアマテラスへの思い入れの深さです。本文のあとがき231~232頁をそのまま引用します。
歴史の変化に翻弄されて、その時々に大きく性格を変えながら、しかし弥生以来二千年を越える時間を、日本の歴史とともにその先頭に立って歩んできた神は他にはいないだろう。私の願いはこの神が、今度こそ、誕生した時の素朴で大らかな太陽神に戻って、少し頼りないところはあるが、あくまで平和の女神として、偏狭なナショナリズムなどに振りまわされずに、彼女の好きなどこまでも続く広い海と広い空を住居に、豊かな生命の輝きを見守る神としてあり続けてほしいということである。
研究者でアマテラスに対してこういうリスペクトの仕方をするのは非常に珍しいんじゃないかと思われます。