博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『ギリシアの古代』

2012年01月31日 | 世界史書籍
ロビン・オズボン著、佐藤昇訳『ギリシアの古代 歴史はどのように創られるか?』(刀水書房、2011年6月)

英国の古代ギリシア史研究者による入門書。古代ギリシアでは、体育訓練場(ギュムナシオン)が成年男性と少年の出会いの場になっていたという「アッー!」な話題を取っかかりとして、いわゆる「暗黒時代」からアレクサンドロスの時代まで、古代ギリシア史がどのようにして創られたかを追っています。読み応えがあるのも古代ギリシア史の史料について述べた部分です。以下にそれを二、三拾い出してみます。

実際、ギリシア考古学は大方のところ、文献によって突き動かされてきました。シュリーマンをトロイアに導いたのは『イリアス』でしたし、主要なギリシア遺跡の発掘とその解釈に決定的な影響を及ぼしてきたのは、多くの場合、文字史料だったのです。(本書62~63頁)

……どこの世界の考古学もそこだけは一緒なんですなorz

ところが前古典期の考古遺物を読み解こうにも、同時代の文字史料を参照できないこともしばしばあるのです。そうすると、どんなに早くとも前五世紀以降の文献史料を対照して読まねばなりません。モーゼス・フィンリーはそうしたものを「一次」史料と呼ぶ人たちを見ると、軽蔑しながら、ガミガミののしったものです。そうした史料は実際、歴史を反映しているというよりは、むしろ歴史を「創り出して」いるわけですから。ですがその一方で、私たち自身が初期ギリシアの歴史を「創り出す」ときだって(それこそが初期ギリシアの歴史なのですから)、それら後代の記述を無視する余裕はないのです。(本書65頁)

……古代史を専攻するうえでのジレンマですな(´・ω・`) これは中国史で言うと、西周史を『尚書』・『逸周書』や『詩経』、『史記』周本紀を用いずに叙述する、あるいは春秋史を『春秋左氏伝』や『国語』を用いずに叙述しようとするような行為であると例えられるでしょう。ただ実を言うと、私個人としてはモーゼス・フィンリーの態度に非常にシンパシーを感じるですが……

その他にも、口承による伝承も文字による伝承と同じく、自分たちの利害や関心に合わせて話が取捨選択されていくとか、文字による記述は口承伝統に対する批判から始まったとか、史料に対する見方や考え方として色々と面白いトピックが取り上げられています。

本書を読みつつ、考古学の発掘の成果を文献資料の内容にあてはめて解釈しようとする手法が世界的に見て一般的であるのに対し、戦前の反動もあってか考古学の成果をなるたけ文献をまじえずに解釈しようとする日本の考古学のあり方はもっと評価されてしかるべきではないかと考えた次第です。

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