博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『考史遊記』

2009年10月30日 | 中国学書籍
桑原隲藏『考史遊記』(岩波文庫、2001年)

日本から持参した桑原隲藏の『考史遊記』をちょびちょび読み進めてましたが、ようやく読了。この手の本は自分が実際にその土地を旅行してみないと興味が湧かないもんですなあ。

本書は明治40年(光緒33年、1907年)から41年にかけて、著者が中国留学中に行った長安、山東・河南、東蒙古への3度の旅行についてまとめたもの。当時の写真も豊富に収録されています。以下、本書で印象に残った所を挙げていきます。

○西安で地元の偉人を祀る郷賢祠を見学した著者は、日本でも郷賢祠を建て、「その地の出身の人にして、軍国に殉ぜしもの、国家に尽しし者、徳行ある者、学識ある者等」を祀るよう提案。これって後の護国神社につながる発想ですよね……

○西安の薦福寺(小雁塔)を訪問した著者。「破損して登るべからず」ということですが、その後改修が施されたのでしょうか。現在は中に階段があって頂上まで登れます。

○名所古蹟捜索の困難を訴える著者。その原因を1.精確な地図が存在しない、2.地方志を参照しても方向や距離などの記載が曖昧で、かつ書物によって内容が食い違っている、3.現地人が古蹟を知らない、の3点にまとめていますが、このあたりの事情は現在でもあんまり変わってません(-_-;) 

○霍去病墓(現茂陵博物館)を訪れた著者は、その後方約1里の所に高さ1丈ばかりの小墳を発見。こちらも霍去病の墓であることを示す石碑があり、どちらが本当の霍去病墓なのか分からないと結論。……な、なんだってーーーー!!茂陵博物館に行った時の感動を返せと言いたい(^^;)

○著者が旅行した当時はまだ清朝が健在していましたが、皇室の避暑地である避暑山荘は外務部を通して熱河都統から許可を得られれば見学出来たとのこと。あと、北京の天壇も皇室に関係する祭祀施設のはずですが、当時既に観光地化されており、誰でも見学出来た模様。そう言えば宇野哲人の『清国文明記』でも頤和園を見学する場面がありましたなあ。

○行く先々で著者一行が現地在住の邦人と接触してますが、現在の内蒙古とかかなり辺鄙な所にも邦人が在住していたのには驚きです。(ちなみに内蒙古では人類学者として有名な鳥居龍蔵夫妻が在住していた。)

○清末でもモンゴル人は漢族のことを「蛮子」と呼んでいたらしい。

これを読んで、著者と一部旅をともにした宇野哲人の『清国文明記』も読み返したくなってきました。これも日本から持って来れば良かったと後悔中。実は近所の書店で中文版が売っているのですが、さすがに日本語版を持っているのを買って読むというのもムダな気がするしなあ……
コメント
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