博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

歯医者続報&旧満州国建築

2009年07月02日 | 留学
歯医者の治療代払い戻しの件ですが、今日事務室に問い合わせに行ったら、「結局ダメだった。そもそも歯科・眼科・産婦人科での治療費は保険の対象にならないみたい」とのこと。ああ……(;´д⊂)  

で、今学期の講義も既に終了し、ビザの延長も無事完了したということでだいぶヒマになったので、旧満州国関係の建築を見に行ってみることにしました。本当は去年の夏ぐらいに見に行こうかと思っていたんですが、こちらに着いて早々に風邪で寝込んだり、そうこうしているうちに授業が始まったり、寒くなって遠出をする気がなくなったりで、延び延びになっていたんですよね(^^;)

今回は新民大街から文化広場までを散策してみました。



まずは旧満州国交通部跡。現在は吉林大学公共衛生学院となっています。(「学院」は日本でいう「学部」のこと。)



同じく司法部跡。現在は吉林大学白求恩(ベチューン)医学院。



経済部跡。現在は吉林大学第三医院(通称吉大三院)となっています。



軍事部跡。現在は吉林大学第一医院(通称吉大一院)。実は去年の夏に風邪をひいた時に連れて行ってもらった病院です。



国務院跡。日本の国会議事堂をベースに設計されたとのこと。ちなみに建物の前には下の写真のごとくベチューンの像が安置されています。



ノーマン・ベチューンはカナダ人の医師ですが、東洋医学を学ぶべく中国に到来。長白山に隠棲する名医のもとで修行に励みつつ、朝鮮人参などの薬材を収拾。彼と東北地方との縁はこれより始まります。「白求恩」という中国名もこの名医より授かったものです。で、満洲事変勃発後は東北を脱出して中国共産党に身を投じ、毛沢東の長征にも同行して多くの人命を救います。これにより彼は「神医」と呼ばれることに。しかし延安を目前にして毛沢東が国民党側に雇われた四川唐門の使い手の暗器によって重態となります。ベチューンは何とか毛沢東の体から毒を取り除いたものの、彼自身が毒に冒されて帰らぬ人に。毛沢東は感謝の意を込めて終生「神医白求恩」を顕彰することとなったのでありました。

彼は死後、延安周辺及び東北地方において神として祀られることになりましたが、不治の病に冒された者が一心に祈り続けたところ、一夜にして病が癒えたといった霊験が見られ、そのため解放後に東北地方の病院ではロビーにベチューン像が置かれたり、ベチューン廟が併設されるのが常となりました。現在では扁鵲・華陀とともに中国三大医神の1人とされています……

すんません、上の記述は真っ赤なウソです(^^;) ベチューンの本当の略歴はWikipediaの記述でも参照してください。ベチューンが長春とどういう縁があるのかもよく分かりません……



新民大街の北端文化広場にあるのが地質宮。溥儀の宮殿として建築が開始されたものの、太平洋戦争の勃発により建設が中断されてしまったとのこと。で、溥儀は結局街外れの不便な所にある偽皇宮に終戦まで住まわされることになったわけですね(^^;)



その地質宮の前にある変なモニュメント。観光地に行くたびに思うのですが、こういうモニュメントを作らないという選択は無いのでしょうか……

帰宅後に地図を見てみたら、新民広場に接する自由広場にも3つほど旧満州国関係の建築があることが判明(-_-;) こちらの方はまた今度ということにしますか。
コメント (2)
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