博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大明王朝1566』その5

2008年08月01日 | 中国歴史ドラマ
『大明王朝1566』第30~37話まで見ました。

鄭泌昌・何茂才の案件も無事に片が付き、というか大人の事情で片が付いたことにされてしまい、我らが海瑞はその功績によって淳安県知県から曹州知州への栄転を打診されますが、この話を断って厳崇のお膝元である江西興国県知県への転任を志望します。

一方、都では厳世蕃は何かとうるさい海瑞を黙らせるため、海瑞の領民で現在は戚継光の配下となっている斉大柱を倭寇と通謀しているという容疑で連行させ、海瑞にも罪を及ぼそうとします。厳崇はこれについて事前に嘉靖帝に根回ししていましたが、その後嘉靖帝は厳一家が多額の税収の横領に関与していたと知り、激怒。「おのれ、朕の金をよくも!これだけの金があれば万寿宮の修築も出来ように!」とお怒りになる皇上ですが、そんなことに何百万両の金を使おうと思っているのかYO!とツッコまずにはおれません(^^;)

嘉靖帝は斉大柱の件の裏事情も既にお見通しで、海瑞に罪を及ぶすのは良いとしても、最終的には海瑞を推薦した裕王の責任も問われることになります。で、「おのれ、朕の息子を陥れようとするとは!」とまたもや激怒(^^;) 厳父子を牽制するために江西興国県の知県になりたいという海瑞の要望を認可し、そして遂に厳世蕃の逮捕と処刑を下命。その父親の厳崇も引退を迫られ、朝政から厳党が一掃されることになるのでありました。

それから3年後の嘉靖44年。海瑞は中央の戸部主事に栄転し、一家揃って北京へとやって来ますが、早速嘉靖帝の命で扁額が掲げられた「六必居」という漬物屋の店名(この店は現在でも存続しているようですが)にケチをつけ、錦衣衛に睨まれる始末。おまけに前の任地で一人娘を事故で失い、その死体を見た当時妊娠中の妻がショックで流産してしまい、以来病に伏せっているという、絵に描いたように不幸に見舞われております……

コメント (2)
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