極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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激動の戦前、日米文化交流、友好に生涯を掛けた杉本鉞子(すぎもと えつこ)

2015-08-12 11:21:51 | 日米
杉本 鉞子(すぎもと えつこ、明治6年~-昭和25年)英語による著書、A Daughter of the Samurai(武士の娘)により、アメリカでの日本人初のベストセラー作家、コロンビア大学初の日本人講師でもあります。戦前、戦中の激動の中、日米の真の文化交流、友好等々を目指した日本女性と言えると思います。

激動の明治維新期に越後の家老の家に生まれ、武士の家系で厳格な躾を受けて育った杉本鉞子(えつこ)は、文明開化の東京でのアメリカの異文化との出会い・・・渡米・・・英文の自伝、武士の娘(A daughter of bushi)を著し、真の日米文化交流、友好の懸け橋の役割を果たしました。
新渡戸稲造の武士道同様、大変なヒットとなり多くの欧米人に、武士の娘としての日本女性の生き方を分かり易く書き上げ、大変感銘を与えました。残念ながら日本ではあまり知られることは少なかったようです。

杉本鉞子(えつこ)・・・金太郎のかつぐ鉞(まさかり)の如(ごと)く強い娘になってほしい為につけられた名前です。在米の日本人と婚約、英語を学ぶため14歳で上京し、ミッション・スクールの海岸女学校(青山学院の前身)と英和女学院で4年間英語を学び、渡米前は浅草の小学校で准教員をしていました。明治31年結婚のため渡米しました。

運命の出会いは、日本滞在経験のあるウィルソン家の姪、フローレンス・・・
フローレンスは、鉞子(えつこ)が新婚時代、ニューヨークのウィルソン家に同居しており、鉞子のアメリカ生活等を影で支えた女性です。鉞子が娘たちと日本に一時帰国していた際も来日して同居していました。著書、武士の娘の執筆を影で支えた人ですが、彼女自身、表に出ることはありませんでした。

鉞子(えつこ)は武士の娘の共著者としてフローレンスの名を入れることを望んだが、排日運動等々の只中にあったことなどから、フローレンスの希望により名を伏せられたと言われています。(没後に鉞子が公表しました。)

1920年にはコロンビア大学から日本に関する講座を打診されました・・・日本領事館から領事官に譲るよう迫られたため、辞退しようとしたが、フローレンスのアドバイスで引き受けることにし、7年間日本語と日本文化の講座を持ち、日米文化、友好の橋渡しとなりました、着物姿の先生として多くの生徒達からも慕われました。

当事フローレンスの勧めでニューヨークで暮らしながら、原稿料を目当てに新聞・雑誌に投稿を続けていました。
作家のクリストファー・モーレー(Christopher Morley)の目に留まり、彼の勧めにより日本の生活を紹介したA Daughter of the Samuraiが雑誌Asiaに1923年12月から翌1924年12月まで連載されました。

著書武士の娘は、上記の集大成版と言うことが出来ると思います。日本という見知らぬ国の文化を知る異国趣味の分かり易い読み物として・・・簡単に言えば、キリスト教と西洋文化によって覚醒していくと言うアメリカ人好みのストーリーが受け、連載終了後の大正14年にダブルデー・ドーラン社から出版されて人気を博し、ドイツ語、フランス語など7か国語に翻訳出版されました。

繊細な日本文化等々を、武士の娘としての体験を通じた文構成・・・女の子は「きの字」の形に体を曲げて就寝することや、手習いの師の前では不動の正座であること、など幼少女期に受けたしつけや見聞を分かり易くつづった文です。
有名なアインシュタイン等々らは大変感動し、愛読していたと言われています。
日本文化論、菊と刀の著者ベネディクトは、本書に触発されて日本研究に励んだと言われています。わが国で知られるようになったのはごく近年です。

 日本語版、武士の娘が邦訳出版されたのは、戦時下の昭和18年です、特に序文の翻訳に大変気兼をして翻訳しています、当事は鬼畜米英ですから、序文はかなり原文と違っています・・・武士の娘は、当事の敵国である米国に大変称賛され、終戦直後、多くの米国人、軍人等が本人を訪ねたと言われております。

心から日米の文化交流、友好を願った、杉本鉞子(えつこ)、フローレンス・・・フローレンスも日本で没しました、永遠の日米の文化交流、友好を信じて・・・

8月11日、NHK・BSのドキュメンタリーで「武士の娘」が放映されました、大変分かり易く感動する内容です。再放送があるかも知れません。

書店でも、武士の娘は容易に購入できます。是非一読を!

Japan On the Globe(618) 、 国際派日本人養成講座
ウィキペデア等々を参考にしています。

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