極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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満州国皇帝溥儀と東京裁判

2015-08-11 19:30:08 | 戦後
    
 満州国は・・・最後はソ連の侵攻により崩壊しました。その際、何十万人もの多くの日本人が虐殺、暴行等々されたり、シベリアへ強制連行されて日本に帰ることなく多くの日本人が亡くなっています。
 
満州は現在は中国東北部とされ、中国に編入されています。満州は元々中国の領土ではありません。歴史的には満州人が住んできた土地です。
満州国を文献等々で調べると、巨額の利権を得た一部の人達、強権力で支配等々も事実でしょう、現代の基準から見たら理不尽さが散見されるでしょう。
多くの日本人は満州国の未来を信じていたことも間違いない事実だと思います。
 
当事、満州の地は、匪賊(ひぞく)といって強盗ばかり出る荒れ果てた所と言われており、多くの住民は苦しんでいました。国家としての体をなしていなかったようです。日本はその匪賊を追い出して、そこに大陸で初めての近代的国家を建国しました、それが満州国と言うことが出来ると言えます。

満州国皇帝は、溥儀ですが日本の天皇と同じく、政治の大権は保持していませんでした。 国家の最高権威としてのみ存在、政治権力は内閣に委ねるという形がとられていました。満州国の住民は、満州国皇帝によって「おおみたから」とされました。満州国は日本と同じ統治の方法を取り入れたと言われています。これによって満州に住む全ての民衆は、政治権力者と人として対等な存在となりました。人間としての尊厳を誰もが認められるという体制になったのです。

高いレベルの教育、高度に成長した経済によって、人々は、家に鍵などかけなくても、誰も泥棒になんて入らない、日本と同じように安心し、安全に暮らせる国家を築いていました。

溥儀は中国の清朝の皇帝でしたが、清朝が滅亡したので、その後、満州国の皇帝として迎えられました。溥儀自身も、心から満州国の皇帝となることを望んでいました。

溥儀の家庭教師としていつも溥儀のそばにいたのは側近中の側近イギリス人、レジナルド・F・ジョンストンと言う人です。溥儀の厚い信頼を受けた人です。
ジョンストンは後に、紫禁城の黄昏という名著を書きました。この本には、満州国がいかにして成立したか、ということが詳しく書かれています。
皇帝・溥儀が満州に行ったのは日本に強制されたものではなく、自由意志であったことが書かれております。本当に心から喜んで満州国の皇帝になったということが書かれています。日本人の中には、溥儀は強制的に満州に連れて行かれたと言う方が多いように思います。
 
満州国は、日本が膨大な資金等を投じて国造りを指導した国です、五族協和のスローガンをかかげて、五つの民族、日本人、満州人、朝鮮人、蒙古人、支那人が協力しながら、国造りをしていました・・・勿論日本の国益を最優先に考えていたでしょう。中には共産主義がいやでソ連を抜け出したロシア人たちもいたと言われています。満州国には満州鉄道というのがあって、有名な特急アジア号というのが走っていましたが、そこではロシア人女性のウェイトレスなどが働いていたそうで当事の写真に載っています。
 
満州国は毎年大発展して、年間100万人もの人々が周辺諸国からなだれ込んできました。満州国がひどい国であったなら、そんなにたくさんの人々が先を争って入ってくるはずがないでしょう。
周辺の国々よりもはるかにいい国であったから、沢山の人々が人種差別が比較的少ない、新天地と豊かな生活を求めてなだれ込んで来たと思います。
もし満州国が今日残っていたら、大発展していたでしょう。

日本の敗戦と同時に、満州国はソ連の侵攻を受け、つぶされてしまいました。その時皇帝、溥儀は日本に亡命しようと計画しましたが、日本行きの飛行機に乗る寸前、つかまってしまい、ソ連に連行されました。溥儀は、ソ連でかなりの脅迫を受けたといわれています。
 戦後、日本を裁くための東京裁判が開かれて、そこに溥儀も証人として出廷させられました。
溥儀は、自分は日本軍(関東軍)に無理矢理強制されて皇帝にかつぎあげられたのだと嘘の証言・・・しかも、在任中は自由な手も口もないロボット同然だった証言・・・このために、関係する日本側の被告人たちの多くが有罪になってしまいました。

溥儀のこの東京裁判証言は後世の日本に大きな影響を与えたと思います。日本人の自虐史観を助長する結果にもなったと思います。
東京裁判から18年後、北京で出版された自伝、わが前半生の中で、溥儀は、私は戦争犯罪人になるのを恐れて偽証したと告白しています。命が惜しくてウソをついた。彼はソ連に脅迫され、また中国からは国賊として追求されることを恐れての偽証でした。一般人が命が惜しくてウソを言う気持ちは解らないでもないですが・・・勇気を持って正直に証言していたら、後世溥儀、身内等々に対する見方は大きく変わっていたと思います。

日本にとって大きな問題は、そのために日本が満州国をつくったのは全て悪だったという主張が、戦後まかり通ってしまって、現在も多くの国、日本人等々に信じられています。これらの事実は現在も国内で報じられることは少ないようです。
旧満州国皇帝、溥儀が東京裁判で真実の証言をしていたら満州国に対する世界、日本の見方は違っていたでしょう。溥儀の18年後の真相告白では余りに遅すぎます・・・

レジナルド・F・ジョンストン著「紫禁城の黄昏」、正しい日本の歴史(プログ)等々を参考にしています、一部意味不明の文があるかもしれませんが、プログと言うことで・・・





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