折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

高校の東京同窓会と旅歩き (その4)

2007年11月20日 22時34分56秒 | 立冬
                  □ 真白き富士の嶺 緑の江の島

◇ もう一週間以上も前のお話になりました。
  これからは、11月12日の月曜日。
  いつもの上京時と変わらずに、鎌倉行きと相成りました。

             

     
          □ 鎌倉・江ノ島フリー切符 (1,970)

◇ 九州にいるのに、なぜかJR東日本の「大人の休日倶楽部」 の会員です。
  JR東日本の鎌倉・江ノ島フリー切符で、ゆったりと短足に合わせました。
  発達している座高では、さすがに歩くことができないのです。
  まあ、それに似たようなものですが、短足も・・・嘆息(フ~ッ)。

             
              □ 江ノ電鎌倉駅前の時計台

◇ いつもは北鎌倉で下車するのが、この日は小さなこだわりがありました。
  七里ヶ浜から富士山を見てみたいなあ・・・。
  鎌倉でJRを降りて、江ノ電に乗り換えました。
  このところ、毎年江ノ電に乗っているような気がします。

     
         □ 江ノ電鎌倉駅ホーム(月曜で空いてます)

◇ 鎌倉、和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺、稲村ヶ崎、七里ヶ浜。。。
  すぐに忘れる、ちっとも思い出せない私も、駅名まで憶えてしまいました。
  いつも下車していた長谷駅(鎌倉文学館・長谷寺・成就院・大仏さん)。

     
          □ これはNHKテレビの画面を撮ったもの

◇ この日は知らん振りでバイバイ。
  午後から曇り予報で、午前中の方が富士山も眺めやすいと思ったからです。

     

     
              □ 七里ヶ浜駅で下車

◇ 駅から浜への道すがら…。

     
        □ さすが、湘南を走るバスからして違います。 

     
        □ 川辺の石垣には「ヒメツルソバ」の群生。    

     
              □ トンビがピーヒョロー♪

◇ ほら、写真のように望みが叶いまして、こんなことを思い知りました。

     

      のぞみは、何も東京・博多間を疾走するだけのものじゃないと・・・。

     
            □ 真ん中が雪を頂いた富士山です。


◇ 小春日和の湘南の風に吹かれて、サーフィンに興じる若者を眺めながら、
  雲に隠れたり、雲を払いのけたりする富士山にじっと見入っていました。

     

  オレがサーフィンしたら、トドのつまりか、トドのつもりか、波乗りか・・・。

     

◇ ただ、憧れの景勝地に足を入れた喜びとは、まったくかけ離れた、
  こんな歌で心の中が溢れそうになりました。

                   
                           □ 富士山の雪の頂 (NHKTVより)
                             鎌倉高校前辺りからの望遠でしょう。


(una poesia di oggi)

           真白き富士の嶺
                                三角錫子 (1872-1921)
       真白き富士の嶺 緑の江の島
       仰ぎ見るも 今は涙
       帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
       捧げまつる 胸と心

       ボートは沈みぬ 千尋の海原
       風も浪も 小さき腕に
       力もつきては 呼ぶ名は父母
       恨は深し 七里が浜辺

       み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて
       月も星も 影をひそめ
       みたまよいずこに 迷いておわすか
       帰れ早く 母の胸に

       みそらにかがやく 朝日のみ光
       暗にしずむ 親の心
       黄金も宝も 何しに集めん
       神よ早く 我も召せよ

  1910年1月23日、逗子開成中学のボートが転覆、生徒12名全員が死亡 
   傷ましい遭難事故に鎌倉女学園の教師、三角錫子さんが詩を捧げました 
     七里ヶ浜に散った、若き御魂に寄せる鎮魂歌として歌い継がれています  

                   
                           ☆ ヘリテージ (Heritage ER)

◇ ところで私が初めて富士山を見たのは、学生時代のとき、甲府の街からでした。
  その少し前に歩いた、霧が峰高原からも見えたのかもしれないのですが、
  はっきり記憶しているのは、十八歳の時の「裏富士」と呼ばれていた富士。
  当時、天気が下り坂で、うっすらと、でもでっかく霞んで・・・鮮明な記憶。

          

◇ そして、生まれて初めて、東京に向かったのです(1971年10月)。
  高尾、八王子、日野、立川、三鷹・・・新宿。。。
  つまり私は、中央線から山手線内に入いりました。  
  九州の人はたいてい羽田空港か、横浜、品川、東京の経路で入るんですけが・・・。
  高校時代の友達が、文京区根津(地下鉄千代田線)にいました。
  根津で寝たのは、私が最初かも・・・。
  みんなが起きて、おすましている街、根津

               
                     □ 江ノ島、湘南にはヨットが似合います。

◇ こうして富士山を飽かず眺めていますと、様々なことが思い出されました。

  思へば遠く来たもんだ ・・・これは中原中也の「頑是ない歌」
  思えば遠くに来たもんだ・・・これは海援隊の歌♪でしたっけね。
  
  足跡を残した場所といい、年月といい、幾山河越えて来たんでしょう。。。

          
                   □ 稲村ケ崎方面

◇ 同窓会で、僕は除夜の鐘まで生きるから酔って、宣言しました。
  まあ、これは酒の勢い、相馬の野馬追い!
  笈の小文(おいのこぶみ)は、松尾芭蕉!有楽町で逢いましょう♪
  みんな達者で長生きし魔性。

    止めど流る 清か水よ 消せど燃ゆる 魔性の火よ
    あんなに好きな女性に 出会う夏は二度とない ♪

  誰か、止めて下さいな!
  いつの間にか、マイクを握ってます

          
           □ 鎌倉行きの江ノ電が、七里ヶ浜駅を発車したところ。

                   
                    ☆ ジュード・ジ・オブスキュア(Jude the Obscure ER)

◇ 立ち去りがたい七里ヶ浜を後にして、江ノ電で鎌倉に戻りました。
  お腹も出てきた、ではなくて、空いてきたんです。
  三度の食事だけは、もう絶対に忘れません。

          

◇ これは今日20日の、ほんの数時間前のこと…。

                   
                      □ 「ずんだんきんつば」が夕食後のデザート!?
                         盛岡の枝豆あんのきんつばです。

                   
                      ☆ けさのスカボロフェア (Scarborough Fair ER)  


 
コメント (18)
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