折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

思い出 神戸

2006年04月27日 21時36分17秒 | 穀雨
    
一応人間を何十年もやってますと、当然積み重ねた年月、歳月というものがあります。
時に重くのしかかるものであったり、時に優しく励ましてくれるものであったり・・・・。
まだ、そんなに重みのなかった頃(つまり体重60キロくらい?)と歌のお話。


        (ハナミズキ)

18歳、九州の田舎の高校を卒業後、神戸で4年間過ごしました。
少し高台にある大学で、私の在籍した経済学部のキャンパスもそんなに広くはなかったのですが、緑の芝生が一面にしきつめられ、ヒマラヤスギの尖がった濃い緑色とともに、くすんだクリーム色の本館学舎が、今も心に焼き付いています。


        (ジャスミン)

キャンパスからの眺め、神戸の街の景色の素晴らしさは、絶対に忘れられません。
目の前、真下には神戸の街並みに神戸港、東は大阪方面、遠く生駒山系がかすみ、
大阪湾が細長く和歌山方面へ伸びて、南に向かっては紀伊水道の水面がきらきらと光に映えていました。やや西に目をやると、淡路島、明石海峡、そして四国山地がこれまた遠くにかすんでいました。

この頃は、まだ見ぬその四国の地で、人生のほとんどが決せられるとは知る由もなかったのです。


        (グリーンアイス)

そうそう、冬の日の夕方の講義ともなりますと、日が暮れてしまうこともあるわけです。
ドイツ語は好きで結構勉強しましたが、さすがにドイツ語の経済学原書は苦痛でした。
そんな講義に限って、4次元目とかに設定されていて、終了時刻なんか超過したりで、
ですから、日も勝手に暮れてしまって・・・・何を言おうとしてたんだろう・・・・。


        (アンジェリケ)

あぁ、日が暮れるということは、街の灯がともるわけです。
神戸の夜景、光の量そのものは今より少なかったでしょうが、遠くの大阪からこちら神戸にかけての暗闇の中に映える光の美しさはたとえようもなかったと記憶しています。


        (アズーロ・コンパクト)

残念ながら、この頃は、私の魅力(?)は、脚の短さにすっかり隠れてました。
つまり短い脚に隠れるほどの魅力すらありませんでしたので、いつもフリー(!)でした。
いや、ドイツ語が恋人だった分、ドイツも恋人でなかったのです(?)。



もっとも240名いた在学生のうち、5名いましたでしょうか、女子学生は・・・・経営学部も同様。仕方ないから、文学部や教育学部に出張した記憶がありますが、戦果は一向にあがらず仕舞い。その教育学部の女子学生に誘われて(ボクの主観?)、混声合唱団にもついふらふら加わってました。

でも結局、浮いたうわさは私だけ皆無(ウラギリモノーッ!)・・・・冗談一つ言えないから、試験の前だけ重宝されて(まっ、最後の4回生のときだけは・・・・)。


        (フィノーラ)

どういうわけか、あの頃の合唱曲って、ちっとも憶えてなくて・・・・。
一つだけ、「太海にて」とかいう合唱曲集を断片的に・・・・私はセカンドテナー。
千葉の外房の海辺の町。

  海は一日 青かった 
  海は一日 歌ってた
  その歌に 目が覚めて
  すっと立つ 春の女神 ♪ (春のうた) でしたか・・・・?


        (ヨハン・シュトラウス)

3年間、まあまあ勉強して、まあまあ遊んで、それに京都には高校時代の友達、後輩も多くて、入りびたりの状態になったりしました。みんな、なつかしい思い出・・・・。

あっ、そうそう、そのドイツ語と数学だけは、結構勉強しました。
経済学の理論って、応用数学みたいなことが多いのです。
だから、高校生の数学の家庭教師をよくやってました(エヘン)。
経済学部は文系ですけど、数学だったら高校生に教えられます・・・・もう無理か(ショボン)。


        (フィノーラ)

3回生までにすっかり単位を取ってしまって、4回生の頃は、週に一度のゼミだけ。
これは厳しい卒論のことがありましたので、私の顔と同じく真面目に研究しました。
週に一回、午後からくらいだったら、誰だって真面目にできますよね。


        (オダマキ)

もうそれから×0年、神戸の街は先の大震災を経験しました。
顔も知らない私の後輩たちが、なんと四十数名も、無念にもその若い命を絶たれたと聞いています。

私が住んでいた下宿(阪神御影)も壊滅的な被害をうけました。
おじさん、おばさんは8時間後、奇跡的に助けられたんです。
私はほんの数十年かの違い、たったのそれだけで被災をまぬがれたわけです。
それは、人の罪がどうとか、そういうものではなく、もう運命としか言いようのないように思います。


        (においすみれ)

ちょうど、卒業を控えた頃でしたか、少し前に「なごり雪」のことを触れましたが、一つの歌に出会いました。

小椋佳さんの「彷徨」というLP(レコードのことや!)です。

 ☆ 彷 徨

 ① しおさいの詩
 ② 春の雨はやさしいはずなのに
 ③ 雨が降り時が流れて
 ④ 木戸をあけて-家出をする少年がその母親に捧げる歌-
 ⑤ 小さな街のプラタナス
 ⑥ 六月の雨
 ⑦ この汽車は
 ⑧ 白い浜辺に
 ⑨ あの人がいってしまう
 ⑩ 少しは私に愛を下さい
 ⑪ あいつが死んだ
 ⑫ 屋根のない車
 ⑬ この空の青さは
 ⑭ さらば青春

この⑩⑭辺りは、今でもカラオケに行って、気が向いたら歌います。
(とにかく、よう歌うやっちゃ!)

でも、私は、②⑤⑬がなぜか好きでした。
⑬「この空の青さは」はこんな歌です。
歌詞カードがないから、憶えてるままです。
(漢字のまちがいあるかも・・・・)


        (ジューンベリー)



(due poesie di oggi)

    この空の青さは  ♪

  帰ると決めた 夜が明ける
  独りよがりの 冬が終わる
  ああ それにしても
  この空の青さはどうだ
  この雲の白さはどうだ
  僕はもう逃げない
  君が待ってる

  初めてのように 夜が明ける
  独りよがりの 旅が終わる
  ああ それにしても
  この朝の光はどうだ
  この木々の緑はどうだ
  僕はもう逃げない
  君が待ってる


        (エグランタイン ER(Masako))

もう一つ印象に残るLP(ロング・プレイ=ゆっくり回転するレコードのことやで!)があります。
もしかしたら、就職してから1年目に出会ったのかもしれません。

 ☆ 帰っちゃおうかな

 ① 想い出して下さい
 ② 帰っちゃおうかな
 ③ 走らないで下さい
 ④ 風の足跡
 ⑤ 公園に来て
 ⑥ 大いなる旅路
 ⑦ うす紅色の
 ⑧ 名もない魚
 ⑨ この胸の高なりを
 ⑩ 陽だまりの仲間達
 ⑪ 風車まわれ
 ⑫ 愛がこわれそう

こういう曲を、ギターをポロンで弾いて歌ってました。
この中では①②⑩あたりでしょうか、好きでしたのは・・・・。
でもとりわけ⑥ですが、いまはこの曲はカラオケにはありません。
ですけど、小椋さんの歌で好きな曲を上げなさいと言われたら、
真っ先にこれを上げるかもしれません。


        (キンギョソウ)



(due poesie di oggi)

   大いなる旅路  ♪

  旅は長く遠く 肩の荷重く
  時に堪えかねて 涙をふけば
  胸の奥に熱く 何かがさわいだ
  あの日とめどなく あふれた夢さ
  なつかしい人が はるかな日々が
  時の流れこえて ほら めぐる旅路さ

  風がふと運んだ 汽笛の音に
  時の谷間きて 歩みを止めれば
  夕日 空をこがし 心に沈んだ
  明日もたえまなく 燃える力さ
  なつかしい人が はるかな日々が
  時の流れこえて ほら めぐる旅路さ

  なつかしい人が はるかな日々が
  時の流れこえて ほら めぐる旅路さ

私の中では、遠い神戸の頃をなつかしむだけのものとなってしまいました・・・・。


          (ビオラ)

            家 路 ♪

 遠き山に日は落ちて   星は空をちりばめぬ
 今日の業をなしおえて  心軽く安らえば
 風はすずしこの夕べ いざや楽しまどいせん


        (イズミ)
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラリネットのこと

2006年04月25日 21時35分11秒 | 穀雨

クラリネット、私にときおりささやいてくれる楽器の話です。

それに加えて、春爛漫の私のうちの庭の花々・・・・チューリップなど、画像ふんだんに。


     (Angelique)

むしょうにクラリネットを弾いてみたいときがあります。
クラリネットの音色そのものもさることながら、一つの夢がありました。


     (Lilac Perfection)

中学1年の時に友達に誘われてブラスバンドに入ったことがあります。
私は、そのときクラリネットを弾きたくてたまりませんでした。
おそらく、リコーダーの連想で、弾きやすいと思ったのか、
さすがに昔過ぎて憶えていませんが・・・・。
だけど、渡されたのは、トロンボーン。
クラリネットは、女子専用だったのです。
一週間で辞めました。


     (Finola)

何かの印象、もしかしたら、みんなの歌「クラリネットをこわしちゃった」?

  ♪ ぼくの大すきな クラリネット パパから もらった クラリネット
   とっても大事に してたのに こわれて出ない 音がある どうしよう・・・・

そんなところかもしれません。


     (Pink Star)

さて、大学生の頃、もう週1回のゼミしか出なくて(単位なんて友達に上げてもよかった!)
家庭教師のバイトか、三ノ宮でパチンコか、友達の学生寮で徹夜マージャンか、
その合間のデートか、そんな頃、この曲に出会った気がします。


     (Johann Strauss)

モーツァルト「クラリネット協奏曲」




それまでも、クラシックファンの私には、交響曲でも協奏曲でもクラリネットのパートを
好んで聴き取ろうとしていました。
ベートーヴェンなんか、クラリネットの活躍する曲が多いような気がして、
田園交響曲とかを好んで聞いていました。


     (Johann Strauss)

当然、クラリネットが活躍するといったら、このクラリネット・コンチェルトか、
クラリネット・カルテットみたいな
「クラリネット+オーケストラ」か「クラリネット+ストリングス」でなわけで、
それは数少ないのですが・・・・。


     (China Town)

こんな中で、NHK-FMだったと思います、最初に聴いたのは・・・・。
この曲の第一印象・・・・それがまた(あははなんです!)失恋した頃で・・・・
印象どころの騒ぎでは・・・・。



ここまで人生が進んできますと、協奏曲一つがどこでどう私に影響したかなんて、
思い出すのは不可能でした。



今の話をしましょう。

去年の暮れにかけて、クラリネットをまた弾きたくなってしまいました。
理由は単純、このモーツァルトのこの協奏曲を弾いてみたいからです。
この想いが、年に数回押し寄せてきます。


     (Finola)

一方で、イングリッシュローズへの強い思いもあったものですから、
いつしか記憶の向こうに追いやっていました。
さて、またこうして思い出して、強く思い出しまして、どうしましょう・・・・。


     (Angelique)               (Johann Strauss)

どこまでもまあるい、あたたかい音色にもう何十年も惹かれてしまっている私が、
我慢する必要などないとも思うのですが、悩ましいのは、やはり練習のための
時間の確保、練習そのものは、本人だけは苦にはならないと思います。


     (Pink Star)

サラリーマンを続けながら、趣味の園芸に染まっている私が、さすがに・・・・。
でも、あっさりとはあきらめきれない私も確かにいるわけです。

どうするんでしょうね、って三人称の私につぶやいています・・・・。

◇◇◇

日曜日の朝、雨が残ってしとしと降る中を、自分のお気に入りの庭の光景を
カメラにおさめてました。
その夜、記事のアップをできませんでしたので、ここで・・・・。



上の写真は、いま、最も気に入っているところです。



アイビーも好きです。紫色の花は、別の花です。



ミニバラの盆栽、いただきものです。5月には、白い小さい小さい花をつけるはずです。



別段、たいしたことないのですが、好みってそんなものでしょう。



雲間草もずっと咲きつづけています。



ペチュニア・スターキッズは、花が終わったら3分の1くらいに切り戻します。



イングリッシュローズ・エグランタイン(Masako)の蕾、花の色を想像させてくれます。



私がこの春待ちに待った、ジューンベリーの堅い蕾がやっとほどけてきました。
うれしくてなりません。

◇◇◇


そして、今日、人間ドックで別府の健康管理センターに行って来ました。
帰り道、別府・大分道路(国道10号線)を大分に走行中、胸ポケットの携帯電話が、
かすかに揺れてました。

すぐに近くの海浜公園に車を止めて、メールを確認して、ふと目の前に広がる海の様子を
眺めていました。



海をぼんやり眺めるなんて、いつの頃からだろう。
そんなことを思いながら、黄砂でかすむ別府湾を前に、しばらくたたずんでいました。


(一握の砂!)

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い花 一番のお気に入り?

2006年04月22日 22時44分35秒 | 穀雨

 
もう何度かアップしましたが、残りのチューリップや薔薇さんが咲いてくれなくては、
あぁ、クレマチスも咲いて欲しいのですが、趣味の園芸もワンパターンで閉店寸前・・・・。
文字通りの種切れ状態です。
明日のチューリップに期待しています。

全部、雨に打たれた写真です(上はシラーです)。



今日は、雨の中、背中がずぶぬれになりながら撮った写真をただならべるだけ・・・・。
そういえば、白い花ばかりを撮っていました。
余程、好きなんです、緑と白のコンビネーション。



花が他にもたくさん咲いているのに、アップするのが全部これまでの再放送ですが、
どうぞご覧になって下さい・・・・ませ。



それで、私の節目の第100回記念にしたいと思います。



これでは、何となくこの先が思いやられる感じもしないでもないです。
歌を忘れたカナリヤにならないとも限らない・・・・そんなことないか。
咲く花に何の落ち度もないのですから、
ひとえに、この折節にしっかりしてもらうしかありませんが・・・・。


     (クレマチス カートマニー・ジョー)
 
 
 
日中、冷たい春の雨にあたったからか、柄にもなくメランコリックな趣きでした。
どうも気合の入らないブログで、私らしくないようです、失礼ですね、すみません。
お読みいただいて、ありがとうございました。


    (ハナミズキ 樹高40㎝ やっと咲きました)

これから先のこと、心機一転、少し考えようっと(どうしよう・・・・どうにかなるさ)!

コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出 東京 そして想い

2006年04月20日 21時07分24秒 | 穀雨
  
今回は、とりとめもない思い出話です。
東京の思い出、そしてまだ見ぬイタリア・アッシジにまつわる想いを。

  ※ またも長いので、チューリップの花だけでもどうぞ・・・・。




◇ 東京 ◇

九州の西海岸の田舎町(佐世保)で育った私には、東京と言いますと、これはもう「あこがれ」の地でした。
もう廃止になりましたが、ブルートレインで愛称「さくら」という、長崎・佐世保⇔東京間の寝台特急がありました。
亡き父は旧国鉄(現JR)の機関士で、特急「さくら」の佐世保・鳥栖間を乗務することがよくありました。
子ども心には、これに乗って夜が明けたら東京なんだと、夕方走る上り列車の姿をよく見送ってました。


          (LILAC PERFECTION)

東京といえば、え~と、その、私の得意な「歌」でいいますと、実はこんな歌。
おそらく小学生か中学生の頃の歌ですが、新川次郎という歌手が歌ってました。

1960年代をご存知の方、挙手をお願いいたします・・・・な~んて。
あれっ、そこの若者たちよ、’60年代を侮るなかれ! 
ビートルズなんて、まるでこの時代どっぶりなんですよ。

あまりに記憶の彼方過ぎるのですが、昔の歌は言葉数も少ないですし、何となくよく憶えていて、酔ったらカラオケで今でも歌います。
これも、東京への「あこがれ」に結びついているんです。
(歌詞は、まちがいがあるかも・・・・まあまあで)


            (Pink Star)



(una poesia di oggi)

  東京の灯よいつまでも ♪

 雨の外苑 夜霧の日比谷 
 今もこの目に やさしく浮かぶ
 君はどうして いるだろか  
 ああ 東京の灯よ いつまでも

 すぐに忘れる 昨日もあろう 
 あすを夢みる 昨日もあろう
 若い心の アルバムに   
 ああ 東京の灯よ いつまでも

 花の唇 涙の笑顔     
 淡い別れに ことさら泣けた
 いとし羽田の あのロビー
 ああ 東京の灯よ いつまでも

私が東京出張に飛行機をよく使うのは、この歌の印象から来るのだと思います。
別に、神宮外苑の雨までは経験してはいないし、日比谷ってどの辺でしたっけ?


            (China Town)

東京に初めて行ったのは、大学1年生の秋10月、まだ18歳、今でもよく覚えています。
遠距離恋愛(?)を見事失恋して、前期のテストが終了後、すぐに夜行列車で信州に向かいました。
松本、そして霧が峰・・・・秋、私の最初で最後(?)の傷心の旅です。

信州をあとに、文京区・根津に下宿していた高校時代の親友のところを訪ねましたが、これが最初の東京です。
茅野から中央線で甲府へ行って、富士山を初めてながめて、八王子を経て東京へ入りました。
子どもの頃にあこがれた、寝台特急「さくら」に乗って、東海道線を辿っての上京ではなかったんです。



その後、早稲田の友達のところを訪ねて、よく春と秋の早慶戦を観戦というか、早稲田の応援というか、
ただレフトスタンド(?)に、試合そっちのけの酔っ払うためだけに行きました。
試合終了後は、歌舞伎町に繰り出して、ドンチャン騒ぎで大変だったのをよく思い出します。
この頃は、なぜか、なぜか、結構、もてたのです、ではなくて、飲めた!のです。



大学2年から4年まで、毎年春と秋には、こうして東京で、大いに、他愛無く遊びました。
この頃に、私の好きなところが少しずつ確かになったような気がします。

  渋谷・恵比寿・代官山辺り 
              特にどこのポイントということはなく、単に好きでした。
  上野(国立博物館・西洋美術館・東京芸大) 
              芸術へのあこがれから、特に☆☆☆、また訪ねたいところ
  本郷(東大とか・・・・) 
  湯島(天満宮) 地味すぎ?
  早稲田(早大) 青春の思い出
  柴又(帝釈天) 寅さん、草団子
  ・・・・・・・・

というわけで、早慶戦のある5月と10月は、いまでもむしょうに東京に行きたくなります(野球以外で)。


          (SAXATILIS Johann Strauss)

卒業直前の冬、2月の雪の積もった日の記憶、鮮明な雪の夜の記憶。
つまり、私の「なごり雪」の記憶は、以前アップしたと思いますので、もう省きます。

その後、X0年、この地では様々な出会いを経験して行くことになります。
なかには、思いもよらないような、心に深く沁み入るような出会いもありました、ここ東京で・・・・。



◇ アッシジ ◇

さて、東京から飛んでイタリアのほぼ中央は、ウンブリア州の聖地アッシジ。
清貧の聖人、聖フランチェスコ(1181-1226)の地です。
世界遺産、聖フランチェスコ聖堂には、大好きなジョットのフレスコ画があります。
とりわけ小鳥への説教の場面が、私には印象的なんです。
・・・・って、まだ行ったことがないのですが、行きたい一心だから、イタリア語も頑張れるのです。

これも私の学生時代の映画なんですが、「ブラザーサン・シスタームーン」を
ご覧になった方もいらっしゃるでしょう(1972年イタリア・監督フランコ・ゼフィレッリ)。
聖フランチェスコと聖女クララの清らかな愛の物語・・・・。

辻邦生さんの随筆に、この聖フランチェスコのことを書いたのがあったと記憶していました。
ただ、これまでどの本に書いてあったのか、さっぱり思い出せませんでした。
それが先日「生きて愛するために」を読み直してまして、思いがけなく見つけたのです。

「生きて愛するために」のなかでも、それは一番好きな文章なんです。
いや辻さんの文章の中でもお気に入りの文章の一つが、「生きて愛するために」の中にあったと。

いまの私の心に最も結びつくような文章、私の「夢」そして「あこがれ」が、ここにもあるからです。

   聖フランシスの伝記のなかでは聖女クララとの愛の物語が一番好きだ。

   ある冬の寒い時節、二人はアッシジの近くまできた。
   人々は二人を胡散くさそうに眺めた。
   聖フランシスは言った。
   「どうやら私たちは別れるときのようだね」
   悲しみに打ちひしがれた聖女クララはたずねた。
   「では、こんどいつお会いできますの」
   「夏がきて薔薇が咲いた頃に」
   すると、その途端、雪に覆われた森にいちめんに薔薇が咲いた。
   クララはその一輪を聖フランシスに差し出し、
   二人は生涯離れることはなかったという。
                              (辻邦生「生きて愛するために」)


              (Green Ice)
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆ 一期一会で思ったこと ☆

2006年04月17日 21時03分30秒 | 清明
  
くちなしの花が開いてきました。
私は、この深みのある白が大好きです。

ちょうどハナニラの隣りに鉢を置いています。
これから、くちなしの季節、そしてすぐ初夏になるのでしょうか(シャレではないです)。

※ また、つぶやきが長いですので、まあ、庭の花の写真だけでも、どうぞ・・・・。


        (ハナニラ Spring Star Flower)

◇◇◇

誰だって、自分の歩んで来た道があると思います。
その道も実に多種多様、意識していようといまいと、自分で歩んできた、自分だけの道です。


          (ホスマリエンセ)

私だってそんな道があります。

それは、毎日歩きなれたアスファルトの道。
たまに散歩する自然公園の小道。
まれに迷い込んでしまう見知らぬ道。
自分が迷い込んだんじゃなくて、道の方がこちらへ迷ってきたと思ったら、気が楽?
そんなことないですか・・・・。

こういう、歩くという対象(?)としての実際の道は、とりあえず置いといて・・・・。
今日は、言わば人生(大きく出ました!)という「道」の途中のお話。


   (ラナンキュラス)

◇◇◇

そこでなんですが、「道」と名のつく映画、どんな映画を思い浮かべますか?
私は、この二つだけです。

  ◆ 道 LA STRADA 1954年イタリア 

          監督:フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini

          大力自慢の大道芸人ザンパノと女ジェルソミーナのお話

  ◆ インドへの道 A PASSAGE TO INDIA 1984年イギリス
  
          監督:デヴィッド・リーンDavid Lean

          E.M.フォースター E.M.Forster 原作の映画化です。

いずれも、人生を言わば「道」に見立てたような名画です(あっさりと、映画のお話ではないので・・・・)。


               (牡 丹)

◇◇◇

「道の途中」というと、人それぞれに想いはあろうかと・・・・。
私なら「一期一会」の連想で、「出会い」ということになるのでしょうか。

自分の出会った人は数々あれど、それぞれの人、一人ひとりに対しては、出会いって、たったの一回きりなんですね。
何を当たり前のことをとおっしゃいますな。
その当たり前のことが、私には何だかたいへんなことに思えるのです。

誰だって、生きてきたここまでの道のり、結局、人生ですか、たどってきた道ですね。
そこでは、意識してようと、無意識であろうと、人との出会いは必ずあります。
ある日突然、ばったり出会う、そういう出会いもあれば(ある日突然♪って、私のご幼少の頃の歌!)、そう言えば、もうあの時出会ってたんだと、これは最初は「無意識」⇒そしていつからか「意識しだして」、そういう出会い。
まあ、意識したときが「出会い」と言えなくもないですか・・・・。


     (ネメシア)

いずれにしろ、出会いはすべて、一生に一回切りなんですね。

そんなことない、彼とは(彼女とは)、最初の出会いがあって、一旦途切れて、忘れた頃に街でばったり倒れて×、彼に猛烈にアタックされて、だからもう一度出会いがあって・・・・。
これは、日本語の用法のまちがいでしかないのです。



だから、たった一回切りの「出会い」=「一期一会」
私は、この「一期一会」の精神を、できるだけ意識して、大切にしようと思っています。

私の人生、道の途中で、いつ、どこで、どんな人と出会うかわかりません。
その後の人生に「決定的な」影響を与える人になるかどうかも、わかりません。

たぶん、出会ったときは、そんな意識なんてないことが普通です。
あるいは、ファースト・インプレッションで、ピーンと来ることもありえます。
そのどちらか一方です。


          (チャイナ・タウン)

でも、私には、ここが一番大切なところですが・・・・。
そうして出会ったことで、自分の人生どころか、相手の人生にまで「決定的な」影響を与えることだってありうるということです。
出会いのあとで、どんな展開が待っているか、それは知る由もありません。

それは、たとえば、入学して友との出会い、先生との出会いもあれば、
職場の同僚との出会い、恋人、だんなさん、奥さんとの出会い・・・・。

もっと言えば、銀行窓口での女性行員との出会い(私は別に出会わないですよ)。

あのぉ、落とされましたよと、ポイと捨てたつもりのハンカチが(普通は捨てたりしないですが)、くずかごに入いりきれなくて、それをわざわざ拾ってくれた、脚が2メートルもあろうかというハンサムな若者との出会い。



その出会いが、自分だけでなく、出会った相手に決定的な影響を与えうるということ。
それを考えると、なんだか人生とまでもいかなくて、生活というレベルでさえも、見方によれば出会うことの「喜び」そして「重み」みたいなものを感じてしまいます。


        (ライラック・パーフェクション)

「出会いを大切に」とよく言いますが、私の場合は、次のようなことだと思います。

一度きりの人生で出会う様々な人たち、出会う場面一つひとつに対して、この人との出会いは、最初で最後かもしれない(そんなことがはるかに多いのです)。
ですから、何もむずかしいことはない。
心を尽くしてというか、真心を込めて相対(あいたい)しようと、そうできたら、それでもういいんだと・・・・。


               (フィノーラ)

一度きりの人生を、自分なりに自分らしく生きる。
それは、たとえば、私の場合は、出会いを大切にする姿勢。
そのことで自らが輝いているような、それを他人が認めてくれなくても、独りよがりと言われようと、そんな生き方の方が、よっぽどマシだなと私は思うわけです。
今からでも遅くない、私らしい生き方をして行くことなんだと、静かにそう思います。


  (ヨハン・シュトラウス)            (フィノーラ)

◇◇◇

さだまさしさんの歌に「天までとどけ」があります。

今は昔、身体の具合がよくなかった頃、彼の詩の理屈っぽさが、いやでした。

いまだから言えるのですが、何もさださんの歌が理屈っぽいというのではなくて、調子が悪いときには、どの歌もそう聞こえたんです。

ですけど、この歌はそうではなかった。
出会いの喜びを、感情そのままにすっきりとうたったこの歌、好きなんです。
好きですから、当然、マイクを持ったら・・・・レパートリーに入っています。
少々酔ってても、気分よく歌えます(最後の裏声は出ないので、キーを相当下げて歌い出します)。


       (クレマチス・カートマニー・ジョー)



(una poesia di oggi)

      天までとどけ

 出会いはいつでも 偶然の風の中
 きらめく君 ぼくの前に ゆるやかに立ち止まる
 なつかしい風景に ふたたびめぐり合えた
 そんな気がする 君の胸に はるかな故郷の風

 舞い上がれ 風船のあこがれのように
 二人の明日 天までとどけ
 ようこそ ようこそ 
 ようこそ ぼくの街へ ようこそ この愛へ

 ふれあいのかけらが 人生を変えてゆく
 言葉でなく ものでもない 一つの出会いから
 君さえ許せば ぼくの愛する街が
 胸ときめかせ 君のふるさとに なりたがっている

 舞い上がれ 風船のあこがれのように
 二人の明日 天までとどけ

 舞い上がれ 風船のあこがれのように
 二人の愛 天までとどけ
 ようこそ ありがとう
 ようこそ ぼくの街へ ようこそ この愛へ


          (クレマチス・オドラータ)
コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想い そして ここにあると

2006年04月16日 15時20分43秒 | 清明
 
昨日は、雨が一日降り続きました。
したがって、趣味の園芸はお休みでした。
金曜日の続きで、草むしり、そしてクレマチスの鉢替えの予定でした。

雨の土曜日、朝から切ないような雨の降りしきる様子を。


(クレマチス・モンタナ系「オドラータ」)

お昼過ぎまで歯科治療があって、それからは久しぶりに読書の時間。
昨日の本棚ではないですが、辻邦生「生きて愛するために」
歯科治療の待合時間で少しだけ読んで、あとの続きを読んで行きました。

□□□

私の好きな随筆です。
5、6年前に読んだ、その読み返しですが、私の心にいくつも響いていきます。 

 「この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で生きなければ、
 もうそれは二度と味わうことができないのだ」

いつも現実に日常に流され、まあいいかの毎日では、一回きりの生にやはり申し訳ない。
こんな私にも、一期一会の大切さを、諭すように教えていただいた気がします。

その実、自分の生き様は、そうした想いとは裏腹なことも多くて、泣き笑いの連続です。
いくら粋がっていても、想いが届けば力も抜けて、届かぬ想いにもどかしさも感じて・・・・。

  想いが届くようにと必死に頑張ったかどうか、
  自分のそんな一回きりの「生」でありたいと思います。
  届いてこその「想い」であろうとなかろうと、
  誰にも負けない「想い」を胸に抱きつづけたいのです。
  その「想い」にこそ、
  私の「夢見たもの」、夢、そして、あこがれは、ここにあるのですから・・・・。



(玄関前)

今日読んだところで、とりわけ心に残った部分。
前後のつながりは不要だと思います。
少し長いですが・・・・。

 ・・・・春ごとに桜も嬉しいが、季節とは別に、いつも咲く心の花がさらに美しい気がする
 からだ。禅語で「一花開イテ世界起ル」というが、その語を聞くと、この世が爛漫と咲く
 桜に包まれているのが見える。この世がなくなっても、花だけは咲きつづける。そんな
 感じさえする。

  われわれは日常生活のなかであくせくと生きているが、心の眼を澄ますと、こうした
 花盛りのなかにいるのが見えてくる。実は、この世にいるだけで、われわれは美しいも
 の、香わしいものに恵まれているのだ。何一つそこに付け加えるものはない。すべて
 は満たされている--そう思うと、急に、時計の音がゆっくりと聞こえてくる。万事が
 ゆったりと動きはじめる。何か幸せな充実感が心の奥のほうから沸きあがってくる。

  もう自分のことをくよくよ考えない。すべてが与えられているのだから、物質的にが
 つがつする必要はない。この世に太陽もある。月もある。魂の仲間のような星もある。
 信じられないようなよきものに満たされている。雲がある。風がある。夏がきて、秋が
 くる。友達がいる。よき妻や子がいる。たのもしい男がいる。優しい女がいる。うまい
 酒だってあるではないか。

  われわれの胸に時どきそんな充実した静かな幸福感が満ちてくることがある。
 「一花開イテ世界起ル」という心持ちが、ふっと胸のなかを横切ってゆく、といったらい
 いだろうか。
 「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」
 という西行の心は、まさしくこうして花や月に幸せな充実感を味わい、死をすら何か美
 しいものと受けとっている思いなのである・・・・  (辻邦生『生きて愛するために』)



◇◇◇ 雨の庭 

◆ ビオラから。


(道路側、階段)


(階段、踊り場)


(これも踊り場)


(北側石垣壁面・ジャスミンが10年でずいぶん増えました)

◆ チューリップ





 (これも原種系?)              (けさ4月16日開花)


 (チャイナ・タウン)              (ヨハン・シュトラウス)

◆ ほかの雨に濡れた植物たち


 (原種の薔薇、バラ大好きな方にいただきました)   (カンパニュラ)


 (クリスマスローズ)


 (ハナニラ)


(ペチュニア・スター・キッズ・・・・まだ摘心もできてないうちに)


 (牡丹)

◆ そして今日、日曜日の朝、原種のチューリップが咲きました。


(クルシアナ・レディジェーン)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の本棚

2006年04月14日 21時23分39秒 | 清明
 
4月半ばの金曜日にしては、やや肌寒い一日でした。
夕方から、ちょっとだけマイカーで出かけることがあって、先週日曜日以来の運転です。
運転前にCDボックスから、忘れていたビートルズのCDを発見!

ラバー・ソウル(Rubber Soul)。
その11番目のイン・マイ・ライフ(In My Life)を結局リピートでずっと聴いて・・・・いるわけないです、ずっといっしょに歌ってました。

(ビートルズで3番目に好きな歌 ⇒ 過去のブログ記事の最後に歌詞を・・・・)
http://blog.goo.ne.jp/worifushi/d/20060326

ところで、これも先日のアップ、眠れない夜の本棚の本のお話・・・・。
今日、少しだけ片づけしたりして・・・・。
でも、ほとんど本棚の内容は、先日と変わりません。
恥ずかしながら、よろしかったら、ご覧になってみて下さい。

本棚といっても、蔵書(?)は、きちんと別の書棚に並べてまして、
これはホームセンターで買った、安物ユニット棚です。
この中に、私が常に身近に置いていたい本だけを並べています。
眠れない夜のバラバラのためにも・・・・。




冗談、うん? 【上段】 辻邦生氏の小説が中心



  【中段】 辞書・語学中心



  【下段】 塩野七生さん中心



 【本棚の隣り】 TOEIC問題集・薔薇ほかの趣味の園芸・絵・モーツァルト

ところで、これは蔵書の中の辻邦生氏の自筆サイン本。



◇◇◇

さて、今月になって地植えの水仙がずいぶん咲き出しました。



少しばかり、落ち着いた華やかさ・・・・。



私の好きなホワイト系統、もう少し・・・・。

これは、くちなし、少し早い気がしますが、どうなんでしょう。



フクシア(アカバナ科)「ウィンターココ」



何となく、変わったかたちしています。



ホスマリエンセ(キク科ローダンテムム属)。
先月、チェルシーガーデンでも見かけました。
「あっ、これ、うちにもあるワ!」



これも、6月に白の大輪、カサブランカです。




もちろん、薔薇へのご挨拶は絶対に忘れません。


      Eglantyne(Masako) ER

そして、広島アンジェラさ~ん
どうなりました??????って、こうなってました!!!!!!



ブルー・デイジー、たった一輪だけ咲いていました。
蕾がたくさん控えてますので、これからなんでしょうか・・・・。



◆ 本日の作業     :ひたすら草引き、草むしりとも言う

◆ 本日のお買い上げ:素焼き鉢  6点 (クレマチス鉢替え用)
                クレマチス 2点 (コレクション充実用!?)



   (左) Jackmanii 'Hagkey Hybrid'
   (中) Vitalba 'Summer Snow'
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Ⅵ 朝に

2006年04月13日 06時50分26秒 | 清明
 
毎朝の日課、庭の植物のみなさんへのごあいさつ。

薔薇、チューリップがいまは主体で、好き勝手なごあいさつなんですが・・・・。

ふと、クレマチス、モンタナ系、オドラータ。



あまりに小さくて、まだ支柱もたててないのですが、

雨にうたれる可憐な花の姿に、そして、ふと、一つの詩が浮かんできました。






 (una poesia di oggi)

   Ⅵ 朝に                     立原道造

   おまへの心が 明るい花の
   ひとむれのやうに いつも
   眼ざめた僕の心に はなしかける
   《ひとときの朝の この澄んだ空 青い空

   傷ついた 僕の心から
   棘を抜いてくれたのは おまへの心の
   あどけない ほほゑみだ そして
   他愛もない おまへの心の おしやべりだ

   ああ 風が吹いてゐる 涼しい風だ
   草や 木の葉や ささらぎが
   こたへるやうに ざわめいてゐる

   あたらしく すべては 生れた!
   露がこぼれて かわいて行くとき
   小鳥が 蝶が 昼に高く舞ひあがる
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チューリップ 小雨の朝

2006年04月12日 07時51分29秒 | 清明
 
小雨の朝になりました。
一日晴れの天気予報。
もうすぐ上がるのでしょう。
今日も気温も上昇しそうです。

朝、雨に濡れたチューリップ、撮ってきました。
ほんの少しずつですが、開花が進んでいます。

数日前とあまり変わり映えしないですが、いかがでしょうか。
(いささか雑草が目立って恥ずかしいですが・・・・)

2,3年前のオレンジ色のチューリップ。
(もしかしたら、昨年秋のかも、忘れてます)
鉢の中、シラー・シベリカが、ひっそりと咲いています。



ライラック・パーフェクション、早咲き種です。
昨日と比べて少しばかり開きましたかね。


 (Lilac Perfection)

チャイナ・タウンも、少し進みました。


 (China Town)

これは、フィノーラのような気がするのですが、
もう少ししないとわからないですね。


 (Finola ?)

そして、原種「クルシアナ・レディジェーン」


(Tulipa clusiana 'Lady Jane')

こちらは、黄色いほうかもしれません。

 

'Lady Jane'が出てきたところで、ジョン・デンバーの歌にします。



(una poesia di oggi)

My Sweet Lady

Lady, are you crying, do the tears belong to me
Did you think our time together was all gone
Lady, you’ve been dreaming, I’m as close as I can be
I swear to you our time has just begun

Close your eyes and rest your weary mind
I promise I will stay right here beside you
Today our lives were joined, became entwined
I wish you could know how much I love you

Lady, are you happy, do you feel the way I do
Are there meanings that you’ve never seen before
Lady, my sweet lady, I just can’t believe it’s true
And it’s like I’ve never ever loved before

Close your eyes and rest your weary mind
I promise I will stay right here beside you
Today our lives were joined, became entwined
I wish you could know how much I love you

Lady, are you crying, do the tears belong to me
Did you think our time together was all gone
Lady, my sweet lady, I’m as close as I can be
I swear to you our time has just begun.







コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Time seems to pass by fast!

2006年04月10日 20時55分12秒 | 清明
  
昨夜半から雨が降り続いています。
春の雨に全部濡れて、花たちも少しうんざりしていますかね。 

【長編です。うんざりでしょうから、開花直前のチューリップの写真だけでもどうぞ】

うっかりしていたのですが、ブログを始めて(1月8日)、3か月が経っていました。
第一感、早い! もう、ですよ(牛ではないですが)、もう、もう・・・・。

時間の経つのが早く感じられます。

よく、3日、3月、3年と言います。
これにたとえられるのが、会社を辞めたいとき、あまり言いませんかね。
私が入った頃は、そう言われました。


 (ライラック・パーフェクション)


 (4月11日朝の様子を追加しました)


ブログは、どうなんでしょう。
3か月って、少しダレる頃かもしれないですね。
正直言いますと、気持ちが少し揺らいだこともあります。
これじゃあ、続かないかもしれないなって・・・・。

私は、最初始めたとき、しばらく続けることに意義を見出していました。
毎日、毎日、とにかく続けること、出張してこちらにいなくても続けました。
休日に、何日分かの下書きを貯めて置くことさえありました。
でも先月あたりから、毎日が苦痛とまでは言いませんが、
結構たいへんなことに気がつきました。

ですから、続けることを主眼に、無理せず自分らしく、
いまでは、休み休みやることにしています。
初心は、とにかく続けることだったから・・・・。
一番簡単で安易な「あぁ、やーめたっ!」という選択はしないつもりです。

  ※ 初心忘るるべからず!

ちょうど、そのブログ開設の頃、もうあと二つ、続けていることがありました。
そのお話です。


 (ライラック・パーフェクション)

◇◇◇

その一つは、減量、ダイエットです。

昨年9月、会社の定期健康診断で、それまで体重が10年近く、
右肩上がりの記録更新中だったのが、
なんと!その折線グラフが、ちょっとだ(1キロ?)けコトリと落ちたのです。
何にもせずに落ちたのだから、これを機会になんとか・・・・そう思いました。

その頃、湯に黒(第一変換、何ねこれは!ユニクロです)に、
ジーパン買いに行ったら、おっちゃんのそのサイズが表にないって!
田舎やなあここは、って問題ではなくて、もう無性に悲しかったのです。

ちょうどその時分(2005年9月29日)に宿泊した大阪のホテルで朝見た、
「NHK生活ホットモーニング」
(私は、キャスター黒崎めぐみのお姉さんに当時ぞっこんだったのです。
 今は別れました・・・・)

その番組で、京都かどっかのお医者さんの健康講演会をやってましてね。
だまされたと思って、チャレンジしてはどうですって・・・・。
もう、清水の舞台から飛び降りて骨折の重傷を負ってまで、だまされることにしました。
ユニクロで相当ショックを受けてたから(ほんと、素直やなあ、私は・・・・)。


 (チャイナ・タウン)

その内容は、間食を一切やめること!
これから3か月は絶対にお菓子を食べないこと!
基本的に、おかずは毎日80グラム(?)で抑えて、バランスよく。
それから、朝昼夜3食をだいたい決まった時間に・・・・こういう内容でした。

たとえばお肉80グラムまで、魚も牛乳も炭水化物もそこまで、確かそういうもの。
お芋類を食べたら、それだけごはんを減らすこと、とかもあったと記憶しています。

それに、食事前に、キャベツを4分の1かな、千切りにして食べなさいって。
それだけでお腹がいっぱいになって、それ以上あまり食べられなくなる・・・・。
初日の10月1日にやりましたが、あまりにもみじめで、涙が出そうになって、
それだけは断念しました。



私は、当初、こんなダイエットが続けられるなんて思っていませんでした。

だって、お菓子ですよ、お菓子!

花より団子、せんべいよりもまんじゅう!虎屋の最中!どらえもんのどら焼き!
この甘いものとタイガースに以外には、好きなのがない!
こんなにクール過ぎて、オトコなのに冷え症になりそうな私がですよ!
なんで好き好んで、洋菓子、和菓子を、お正月までの3か月も、
我慢しなけらばならないのですか!
(自分で当時を怒ってる・・・・)

その頃は、まだこんな時代 
     「ぼたもち・さくらもち・だいふくもち」+「ヤマザキのミニあんぱん」
その前は、コメントで気にしてらっしゃる方がおられましたので白状しますが、
     「きんつば・ようかん・あまなっとう」

あのきんつばの薄皮が一段とうすーいの、あんがあまりあまくなくて、
それでもまんべんなく上品に甘~いの。
阪急百貨店のデパ地下のあのお店、阪神、大丸、高島屋、近鉄百貨店だったら・・・・。
(雨の御堂筋?)

これに、まだケーキとか、洋菓子が別路線で加わるわけですよ、
フルーツパフェにイチゴショートにチョコタルトに・・・・
もう言いませんが(言ったあと!)、お酒を飲「め」ないと、
これだけ軟弱路線になるのです。



でも、私は、食べなかったんです(急に静かな口調)。
一度も食べなかったわけではありません。
2005年10月1日午前0時をもって、目標8キロ減量を堅く心に誓ったわけですが、
2週間くらいして来客があって、おみやげのショートケーキをいただきました。
でも、ほぼ3か月、それだけ・・・・甘いものは。

これまで、お恥ずかしいことに、家族に隠れてでも食べていたのが、
ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんぶ止めたんですぞ!

そしたらですね。
1か月は重量(私は構築物?償却資産?)に何の変化もなかったのです。
(お相撲さんではないですが、自分ではそんな重い×思い◎でした)
これくらいじゃダメなんかなと、一瞬ちらっと頭を過ぎりました。
いつも明日の分も明後日の分も先取りして食べてたから、
こうなんだって、気持ちが揺らいだんです。



ところが、11月の上旬くらい、始めて1か月ちょっとくらいで、あらくまさん♪ 
減り出したんですよ、これが・・・・。

結局、暮れまでの3か月で、4キロですがまず減量できました。
ちょうど、目標の半分でした。
当然、正月2日と3日に、おはぎを1個ずつ、自分へのごほうびとしていただきました。

手帳を見ますと、8キロの目標達成したのが2月7日でした。
4ヶ月ちょっとで、2か月弱前倒しの目標達成でした。
それからも順調に体重は減って、3月14日に10キロ減量達成。
3月中に11キロ減まで行ったところで、今ではこのままの状態を保っています。

だから、たまには少しだけ、お菓子も食べています(余裕、よゆう、よう言うよ!)。
もう、反動を怖がるほど食べないし、そんなにそこまで食べたくもないですから・・・・。

たったの(なが~い)3か月+3か月=6か月、
お菓子類を一切、口に入れない、間食をしない。
それさえ守ったら、あの半年前のテレビの講演会のように、
10%減量なんてあっという間でした。
運動も、特に必要ありませんでした。

ダイエットは、食生活の見直しと実践、私の場合は、ほんとうにそうでした。



◇◇◇

これまで、えらいたくさん、つぶあんを焼いて、じゃなくて、つぶやいてしまいました。

もう一つ続けていること、それは・・・・もちろん、趣味の園芸です。
名前と違って、飽きっぽい私が、毎朝欠かさないのが、お花達、お友達へのごあいさつなんです。
当たり前のことかもしれませんが、私としては、よくぞここまで続いているものです。

あぁ、これだけつぶやいたら、急にケーキセットでも食べたくなったなあ・・・・。
あの日のザッハートルテ、結構甘かったけど、とてもおいしかった。
私にとって、まるでウィーンのような遠くのことを、こんな近くに思い出しながら、
一人でうなずいています。

これからもボチボチしかできないですが、ブログは続けてまいりたいと存じます。
開設3か月、節目ということで(?)、一大長編の特集(??)しました。

私には、細々とでもひたすら続けること、これが最も大切なことです。

もうすぐ開花する庭のチューリップ、雨に濡れた姿とともにお届けしました。

皆様におかれましては、こんなお調子者ですが、ご訪問、
これからもよろしくお願いします。
気が向かれましたら、おコメントなどもいただけますと、幸甚に存じます。

こんなに長く拙いものをお読み下さいまして、ありがとうございました。

(さ~ぁ、た~べよっ!)
コメント (27)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする