Willow's Island

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愚かなのはどっちか

2011年08月24日 06時13分40秒 | 韓国

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0823&f=national_0823_050.shtml
  東京・お台場で21日午後から行われたフジテレビへの抗議デモに対し、複数の韓国メディアが注目し、その背景について考察している。今回のデモは、俳優・高岡蒼甫さん(29)が7月末にツイッター上でフジテレビの韓流偏向報道を批判したことに端を発し、7日に続いて2度目となる。
  韓国メディアの各社は、この動きをさまざまな角度から分析している。ソウル新聞は、このような反韓流の流れが、茶わんの中の台風で終わるのか、それとも巨大な流れに拡散するか注目されると伝えている。海外の一部の反韓流の動きは、深刻な水準ではないものの、政治的に利用されたり、拡大する傾向がないか警戒しなければならないとしている。
  また国民日報は21日午後、フジテレビの本社前に集まり、デモを行った日本人の行動や言動を見ると、フジテレビの偏向的な編成を正すためとしながら、韓流に対する不満を越え、反韓感情まであらわになったと伝えた。しかし、商業主義に基盤を置いている日本の民放は、視聴者の反応がなければ、編成自体が難しい。フジテレビが韓流番組を編成するのは、韓流を支持しているからではなく、一定の視聴率を確保し、商業広告が付いてくるからであると指摘した。
  普遍的な価値を持つ文化は国境を容易に行き来し、古今東西を問わず水のように流れる。それを人為的に防ぐのは愚かなことだ。韓国が植民地という歴史的な傷や過度な商業性のために、かつて日本の大衆文化化を拒否し、徐々にオープンしたのも、こうした文化の属性を尊重したためであると述べている。
  日本も文化的な鎖国主義に突き進むのではなく、韓流を自然な交流の形として理解する必要がある。日の丸を前面に出し、君が代を歌い、天皇万歳まで叫んで民族感情を表出することは、偏狭なナショナリズムであるとの見方を示した。
  一方、ニュース専門のテレビ局・YTNは、日本で相次ぐ反韓流デモは、日本の少数右翼のいらだちと劣等感の表れだと報じた。日本は昨年9月、尖閣諸島問題では中国との対決から退き、今年になって大地震まで体験した。アジアを主導する国家だった日本がその地位を脅かされているいらだちと、劣等感が韓流に対するデモとして表れたと指摘。
  また、野党になった自民党が、鮮明性を強調するために右傾化し、反韓流デモを起こす土壌を作った。与党の民主党は明確な政治的影響力を発揮できなくなっており、日本はジレンマを抱えている。しかし、反韓流が政治化される可能性は大きくないと伝えた。(編集担当:李信恵・山口幸治)

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 なるほど確かに、外国文化の流入を防ぐのは愚かで、偏狭なナショナリズムであり、劣等感の表れである。その通りだ。
 それなら韓国は、スクリーンクオータ制を廃止してアメリカ映画を受け入れ、地上波テレビで日本の番組を放送してみろ。 
愚か、偏狭なナショナリズム、劣等感、という言葉はまさに韓国のためにある。
 ちなみに今回のフジテレビへのデモは、嫌韓感情が根っこにあるが、日本の巨大メディアが抱える問題を提示した、ともいえる。テレビ局が自らの商業的利益のために公共の電波を利用した、という側面は存在するからだ。わざとらしい韓流PRで多くの日本人がこのことに気づき、メディアのあり方を考えるきっかけになったのは良いことだと思う。