本土でもそうだろうか。
沖縄の年輩者は「キミいくつ?」なぞとずばり年齢は聞かない。「ナニ年生まれか」と、問いかける。答えると即座に「何歳だね」と、年齢を言い当てるのである。。私も戦前の生まれでいい歳になっているが、2桁以上の数字に極端に弱く、十二支で他人の年齢を言い当てる術を知らない。どうサンミン〈計算〉しているのだろう。このことに長けている役者北村三郎に教えを乞うた。
「僕の算出法は、まず自分の干支と年齢を基本にした上、家族のそれもきっちり記憶して、さらにつき合いのある親しい人の干支を頭に入れておく。この基本さえ把握しておけば、相手の年齢は干支が導き出してくれる。言い換えると、初対面の人でも年格好からして干支が分かれば、足し算引き算することによって年齢を知れる。12進法だよ。分かったかい?」それでも分からないのである。読者諸君はいかが。
※い【亥。猪。イノシシ】十二支の第12。昔の時刻、亥の刻は現在の午後9時から11時の2時間。方角はほぼ北北西。
辞書の[いのしし]の項をみると、イノシシ科の哺乳動物。ブタの原種。体長1.1~1.5m。体重45~300㎏。犬歯は発達してキバになる。夜行性で雑食性。子には縦ジマがあり「うり坊」と呼ばれる。肉は「山鯨」「牡丹」と呼ばれる美味。本州、四国、九州。ヨーロッパに分布。単にシシ、イ、イノコ、ヤチョとも称するとある。
沖縄口では肉のことを「シシ」と言い、これは大和口の殊に九州に残っている言葉だ。猪肉を食していた名残りと思われる。また、慣用句にも「シシ」はあって、池波正太郎の「鬼平犯科帳」には「シシ置きのいい女」「シシ太り」「シシの細い女」などなどが、女っぷりのさまを表現している。
いまではすっかり死語になっているが、沖縄では動物の肉・シシを「アッタミ」と称した時代がある。中でも牛肉は、牛にツノがあることから「チヌ アッタミ」と言い、猪の肉を「山アッタミ」と称して珍重した。猪の沖縄名は「ヤマシシ=山猪」。山林に生息しているため、豚肉と区別するために付いた名称である。
干支は、その人の性格を表すと言う。それは当たりかもしれない。私ごとから考察するに、ウチの「妻女」というイノシシは、まさに猪突猛進型。男ならば猪武者、猪侍を生きざまとしていたのだろう。なにしろ、ふたつの事柄を同時に考えることが出来ず、状況判断はそこそこに即、行動する。これには虎〈寅〉の亭主も翻弄されて、後始末に手を焼く。もっとも、猪突猛進型を「集中抜群」と解釈してあきらめてはいるが・・・・。
琉歌を1つ。
多幸山ぬ山シシ 驚くな山シシ 喜名ぬ高波平 山田戻ゐ
〈たこうやまぬ やまシシ うどぅるくな やまシシ ちなぬ たかはんじゃ やまだ むどぅゐ〉
これは遊び歌「多幸山」の1節。
意訳すると「読谷村と恩納村の境にある多幸山山中の山シシどもよ!読谷村喜名の豪傑高波平のお通りだ。ビクつくことはない。驚き逃げるに及ばない。高波平は、恩納村山田での所用を済ませて帰路についたところだ」と、こうなるが歌意には裏がある。
その昔、多幸山はフェーレー〈徘徊者〉と恐れられた追い剥ぎが隠れ住んでいて、通行人に悪さをしたそうな。フェーレーとは言っても彼らは、いわゆる勤労を好まないはみ出し者の小心者。強そうな通行人には仕掛けない。むしろ姿を隠すほどの輩だ。そこで、この1節は、おっかなびっくり多幸山越えをする近隣の村の者が、フェーレーを山シシになぞらえ「オレは高波平ほどに強いぞ!」と、威嚇を込めて詠んだものと言われる。
「多幸山のフェーレーども!我こそはこの辺りで名高い豪の者喜名村の高波平だ。下手に手出しをすると怪我をするぞ!泣きを見るぞ!」と、精一杯の虚勢を張りながらも「難なく通れますように」と、願ったとするのも面白い。その裏づけにはならないまでも、この曲節は〈フェーレー遭遇〉の血生臭さは微塵もなく、それどころかあくまでもどこまでも明るく軽快なテンポで歌われている。
山アッタミは、確かに美味だ。豚肉とは異なり、先入観が思わせるのか野性的な味がする。本土では牡丹鍋と言い、具沢山の鍋物として食するようだが、沖縄では角切りにして味噌煮にするか、デークニ〈大根〉、チデークニー〈黄大根。にんじん〉を入れた汁物で食べる。側に泡盛があれば、旨さが倍増するのは言を待たない。現在でも、本島北部の農家ではパインの収穫前に、猪被害防止のためにヤーマ〈罠〉を仕掛けて山シシ狩りをする。これは八重山石垣島でも同様だが、西表島でもウムザ〈八重山語の猪の意〉狩りは犬が主役である。狩猟用に訓練された数匹の雑犬が、実にチームワークよろしくウムザを追い込み、捕獲する。このことを日本の動物作家戸川幸夫は実際に西表島で体験取材して「白い牙」と題する小説に克明に描いている。
さて。
十二支シリーズも今回で打ち止め。十分なことは書けなかったが、仲間内の歓談の場での話のネタに成り得たら、私としては花札打ちの最中、鹿と蝶の札を揃え、次に「猪」札を引き当てたような気分になるだろう。
沖縄の年輩者は「キミいくつ?」なぞとずばり年齢は聞かない。「ナニ年生まれか」と、問いかける。答えると即座に「何歳だね」と、年齢を言い当てるのである。。私も戦前の生まれでいい歳になっているが、2桁以上の数字に極端に弱く、十二支で他人の年齢を言い当てる術を知らない。どうサンミン〈計算〉しているのだろう。このことに長けている役者北村三郎に教えを乞うた。
「僕の算出法は、まず自分の干支と年齢を基本にした上、家族のそれもきっちり記憶して、さらにつき合いのある親しい人の干支を頭に入れておく。この基本さえ把握しておけば、相手の年齢は干支が導き出してくれる。言い換えると、初対面の人でも年格好からして干支が分かれば、足し算引き算することによって年齢を知れる。12進法だよ。分かったかい?」それでも分からないのである。読者諸君はいかが。
※い【亥。猪。イノシシ】十二支の第12。昔の時刻、亥の刻は現在の午後9時から11時の2時間。方角はほぼ北北西。
辞書の[いのしし]の項をみると、イノシシ科の哺乳動物。ブタの原種。体長1.1~1.5m。体重45~300㎏。犬歯は発達してキバになる。夜行性で雑食性。子には縦ジマがあり「うり坊」と呼ばれる。肉は「山鯨」「牡丹」と呼ばれる美味。本州、四国、九州。ヨーロッパに分布。単にシシ、イ、イノコ、ヤチョとも称するとある。
沖縄口では肉のことを「シシ」と言い、これは大和口の殊に九州に残っている言葉だ。猪肉を食していた名残りと思われる。また、慣用句にも「シシ」はあって、池波正太郎の「鬼平犯科帳」には「シシ置きのいい女」「シシ太り」「シシの細い女」などなどが、女っぷりのさまを表現している。
いまではすっかり死語になっているが、沖縄では動物の肉・シシを「アッタミ」と称した時代がある。中でも牛肉は、牛にツノがあることから「チヌ アッタミ」と言い、猪の肉を「山アッタミ」と称して珍重した。猪の沖縄名は「ヤマシシ=山猪」。山林に生息しているため、豚肉と区別するために付いた名称である。
干支は、その人の性格を表すと言う。それは当たりかもしれない。私ごとから考察するに、ウチの「妻女」というイノシシは、まさに猪突猛進型。男ならば猪武者、猪侍を生きざまとしていたのだろう。なにしろ、ふたつの事柄を同時に考えることが出来ず、状況判断はそこそこに即、行動する。これには虎〈寅〉の亭主も翻弄されて、後始末に手を焼く。もっとも、猪突猛進型を「集中抜群」と解釈してあきらめてはいるが・・・・。
琉歌を1つ。
多幸山ぬ山シシ 驚くな山シシ 喜名ぬ高波平 山田戻ゐ
〈たこうやまぬ やまシシ うどぅるくな やまシシ ちなぬ たかはんじゃ やまだ むどぅゐ〉
これは遊び歌「多幸山」の1節。
意訳すると「読谷村と恩納村の境にある多幸山山中の山シシどもよ!読谷村喜名の豪傑高波平のお通りだ。ビクつくことはない。驚き逃げるに及ばない。高波平は、恩納村山田での所用を済ませて帰路についたところだ」と、こうなるが歌意には裏がある。
その昔、多幸山はフェーレー〈徘徊者〉と恐れられた追い剥ぎが隠れ住んでいて、通行人に悪さをしたそうな。フェーレーとは言っても彼らは、いわゆる勤労を好まないはみ出し者の小心者。強そうな通行人には仕掛けない。むしろ姿を隠すほどの輩だ。そこで、この1節は、おっかなびっくり多幸山越えをする近隣の村の者が、フェーレーを山シシになぞらえ「オレは高波平ほどに強いぞ!」と、威嚇を込めて詠んだものと言われる。
「多幸山のフェーレーども!我こそはこの辺りで名高い豪の者喜名村の高波平だ。下手に手出しをすると怪我をするぞ!泣きを見るぞ!」と、精一杯の虚勢を張りながらも「難なく通れますように」と、願ったとするのも面白い。その裏づけにはならないまでも、この曲節は〈フェーレー遭遇〉の血生臭さは微塵もなく、それどころかあくまでもどこまでも明るく軽快なテンポで歌われている。
山アッタミは、確かに美味だ。豚肉とは異なり、先入観が思わせるのか野性的な味がする。本土では牡丹鍋と言い、具沢山の鍋物として食するようだが、沖縄では角切りにして味噌煮にするか、デークニ〈大根〉、チデークニー〈黄大根。にんじん〉を入れた汁物で食べる。側に泡盛があれば、旨さが倍増するのは言を待たない。現在でも、本島北部の農家ではパインの収穫前に、猪被害防止のためにヤーマ〈罠〉を仕掛けて山シシ狩りをする。これは八重山石垣島でも同様だが、西表島でもウムザ〈八重山語の猪の意〉狩りは犬が主役である。狩猟用に訓練された数匹の雑犬が、実にチームワークよろしくウムザを追い込み、捕獲する。このことを日本の動物作家戸川幸夫は実際に西表島で体験取材して「白い牙」と題する小説に克明に描いている。
さて。
十二支シリーズも今回で打ち止め。十分なことは書けなかったが、仲間内の歓談の場での話のネタに成り得たら、私としては花札打ちの最中、鹿と蝶の札を揃え、次に「猪」札を引き当てたような気分になるだろう。