旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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老人たちの残日録

2017-09-20 00:10:00 | ノンジャンル
 ♪齢や他所からどぅ 無理に寄らしみる 肝や今二十歳 花どぅやしが
  <とぅしや ゆすからどぅ むりに ゆらしみる ちむや なまはたち はなどぅやしが

 歌意=(60歳をこえても)心はまだ二十歳の花を咲かせているのに、他人は「へえー!そんなになりますか!長い人生でしたね。御苦労様でした」なぞと無理やり年寄りにしてしまう。心の花が萎みそう・・・・。いや!朝夕、自ら水をかけて、二十歳花ごころを持ち続けよう。

 「その歳には見えませんよ。お若い!」
 小生もよく言われる。
 「そうかね。ありがとう」と礼は述べるが、礼を述べる自体が(老人)を容認したことになるのである。また(お若い)の台詞は、若い者同士は交わさないし、やはり(僕は老人なんだ)と、実感せざるを得ない。そして、ひがみっぽくなったことを自覚する。それでも一方では(お若い)に対して(羨ましいかい)と胸を張ってみせる。

 友人Jの話(74歳)。
 「スポーツジム通い20数年。おかげで老け込まないでいる。しかし、健康自慢を吹聴するものではないね、今年の旧盆、地域のエイサーに駆り出された。いやいや、演じたのではない。エイサージュネ―(行列)をする道路の交通整理を頼まれた。青年会幹部の弁はこうだ。「Jさんは高齢だが健康。人出も足りないから手伝ってもらおう」。健康自慢をしてきた手前、断るわけにもいかず、道路に立った。それも午前1時までだ。エイサーを目の前で楽しんだのはいいが、睡眠不足はするし、アマヤミ クマヤミ(体のあちこちが痛い)して、いまもって老妻に毎晩、マッサージしてもらっている。もちろん、青年たちに悪意はない。現役の仲間に入れてもらったことは嬉しかった」。

 ♪幾ちユチャなてぃん 遊び忘らりみ サミシナや片手アバ小片手
  <いくち ユチャなてぃん あしびわしらりみ サミシナやかたでぃ アバぐぁ かたでぃ

 語意*ユチャ=年寄りの意。*サミシナ=三線の別称。
 歌意=いくつになっても(遊び)は忘れられない。得意の三線を片手にし、もう片手ではアバ小(姉小・女性)を抱く。
 片手では「三線は弾けない」なぞと言いっこなし。(毛遊び、裏座遊び)を総合的に表現した1首なのだから。意気軒昴でよろしい。小生もそうありたい。

 男という生きものはいくつになっても3人寄れば色ばなしになる。老人たちの会話を聞いてみよう。
 「日本の政界は浮気ブーム、不倫流行りだね。羨ましい限りだ」
 「肖りたいね。しかし、いま‟いかがっ?”と寄ってくる女性がいたら、一線を越えられるか」
 「一線でも2戦で越えられるさっ。昔は鶯に成り切ったこともあるし、花も嵐も踏み越えてきたツワモノも、実のところ(昔暴れん坊将軍、いま水戸黄門)になっているのではないかい?」
 「それを言うなよ。叶わぬ夢だけでも持とうよお互い。‟老いぬれば頭は禿げて目は窪み、腰は曲がりて足はひょろひょろ”が見えてきているのだから・・・・」。
 結局、話は現実的な悲哀に辿りつくのである。そして、こんな琉歌を共有する。

 ♪さらい夜ながたん はまてぃさる技ん 好かち起すんでぃ 暇ぬかかてぃ

 語意*さらい夜ながたん=一晩中。夜っ引いて。
 歌意=(若いころは)夜っ引いてでも奮闘した男性自身も、いまは起きろ!立て!とエールを送っても、好かしても反応を見せない。暇を掛けても、男としての力はただ、沈黙を守るだけ。齢は取りたくないと嘆く。

 老人たちは嘆きだけの日々ではない。孫の存在。
 「敬老の日はどうだった?」
 「気付いていないのか。いま着けているポロシャツ、靴下は孫からのプレゼントだ。選んだのは息子、娘だろうがね」
 「キミは表ばかりか!オレはカラーのパンツ3枚だぜ。それも、いま流行りらしいふんどしパンツだ。見るかい?」。
 所かまわず本気でズボンを脱ごうとするのだから他愛ない。
 「若さだけが人生ではない。爺婆と呼ばれるようにならないと孫は見れない道理だから、老人になるのもオツなものだぜ」。
 このとき、老人たちの顔は崩れんばかりの笑みになる。つまるところ、次の琉歌に落ち着く。

 ♪白髪御年寄りや床ぬ前に飾てぃ 産子歌しみてぃ 孫舞方
 <しらぎ うとぅすいや とぅくぬめに かじゃてぃ なしぐぁ うたしみてぃ んまが めぇかた

 歌意=白髪の老人(親)は、1番座の床の前にゆうゆうと鎮座。息子や娘に歌三線をやらせて、孫たちの舞いを見る。

 風まかせで時を過ごしている小生はどうか。
 少しのことを考え、少しのことを成しながら「なんくないさ」を座右の銘らしきものにして、夢を喰って生きている。9月下旬。日没が早くなったようだ。


字のない島・渡名喜村

2017-09-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「何?引っ越ししたんだって?」
 「引っ越し先を知らせてなかったけ?40年住居した西原町翁長から、豊見城市金良に移った。道路拡張のあおりでね。字名は「金良」と書いて「かねら」と称する。NHKラジオの電波塔の近くだ」。
 友人とボクの会話で、引っ越したのはボク。
 字名まで答えたのは「豊見城市の何処だ?」と、問い返されるのが分かっていたからだ。市町村には字がある。その人の在所をより明確にするためだ。豊見城市にしても、?字からなる市。同市には(保栄茂)と書いて(びん)、田頭(たがみ)、渡橋名(とばしな)、根差部(ねさぶ)などの字があり、金良も初めての人は(かねよし・きんりょう・きんら)?と、小首をかしげる。が、静かな農業地の字である。
 字のない村もある。那覇の西に位置する慶良間列島の渡名喜村がそのひとつだ。沖縄タイムス・又吉健次南部報道記者のレポートを転載させていただく。

 渡名喜村役場は(渡名喜村1317番地の3)など、同村の住所は字名がつかない。村民に不都合はないが、役場には時折「字名はつかないのか」と問い合わせがある。国土地理院によると「全国で10カ所以上あるとみられるが、やはり珍しい」と話している。
 渡名喜村は221世帯、380人が住む、県内でも最も人口が少ない自治体だ。住民の住所も「渡名喜村○×番地で表され、字名はつかない。村史にも理由は書かれておらず、島のお年寄りも経緯は分からない。
 渡名喜郵便局の長嶺忠昌局長(52)によると「字名がなくても困ったことはない。番地を書けば、郵便物はちゃんと届けられる」と話す。むしろ「比嘉」「又吉」など特定の姓が多く、同姓同名もいるため、誤記防止にはそちらの方が気にかかるという。
 本部町から同村に嫁いで40年という女性(65)は、本島の病院を受診する際に字名がないために質問され、友人から「珍しいネ」と言われるという。「字名がつかないのは村の歴史、なくておかしいと言われると、ムッとすることもある」と語る。他の村民も違和感はないようだ。
 住民の98%は字名がない所に住んでいるが、実は字名のつく住所が村にはある。計4世帯9人が住む西兼久(にしかねく)、西ノ底(にしぬすく)粟刈(あわかり)。もともとは畑だった場所だ。なぜ3字だけ字名を盛り込んでいるのかも不明だ。(注・これは行政区ではなく同村だけの通称)。
 国土地理院によると、住所は字名がつかない地域は、長野県の山間部など人口の少ない地域にあるが、2万572人が住む同県下諏訪町の例もある。同院は「住所に字名をつける必要性がなく設定したのではないかと推測している。

 時代を遠い過去に巻き戻さなければならないが、琉球音楽の採譜本(教則本とも言われる)「工工四」上巻には渡名喜島を発祥地とする「出砂節=いでぃしなぶし」と称する一節がある。

 ♪出砂ぬイビや 泉抱ちむてる 思み子抱ちむてる 渡名喜里之子
 <いでぃしなぬ イビや いずみだち むてる なしぐぁち むてる とぅぬち さとぅぬし

 語意=出砂・渡名喜島の地名。イビ=ここでは拝所。里之子=この島を治めた役人。または島の長。
 歌意=出砂にある拝所は湧水をいただいて、霊験あらたかな所。島の長渡名喜里之子は子孫繁栄、大いに栄えている。
 このひと節については語源に諸説があり、現在でも関係者の間で議論され、格好の教材になっている。穏やかないい節。CDなどにも収められているので是非、1度は聴いていただきたい。

 ところで。
 県内の人にも他府県の人にも、初対面には姓名を名乗ったあと「里はどこ?」と訊くのは沖縄人だけだろうか。例えばこうだ。
 「ふるさとは?」
 「具志川市です」。
 「具志川市のどこ?」
 「兼箇段(かねかだん)です」。
 他府県人なら、
 「里はどこ?」
 「熊本県です」
 「熊本はどこ?」
 「人吉です」。
 地方名、字名まで知ることになると、その地との距離感が一気に縮んで親しみが倍増する。身元を明らかにするなぞという猜疑心はさらさらない。ただただ親しくなりたいだけであることを、殊に沖縄の旅を楽しむ他府県からの来沖者には、敢えて強調しておきたい。
 那覇市字垣花に生まれ戦後、美里村字石川(現うるま市字石川)に10年寄留後、那覇市字大道を経て西原町字翁長に40年。そしていま、豊見城市字金良を終の住処と決めたボク。金良の成り立ちを遅まきながら勉強して「字かねら」を誇りたい。
 同じ市町村でも、各字毎に言語、風俗、習慣、季節の祭祀、儀式が濃密にある。そして時代に沿って歴史がある。
 さて。今日、この拙文を読んでいただいているあなた。現住所はどこ?そして(字)はどこですか。


歌謡曲の中に・自分

2017-09-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「歌謡曲と流行歌は、どう異なるのか?」。
 妙な性格で、分からなくてもいいことにこだわったりする。そんな時には暇つぶしに「日本語大辞典」のお世話になる。
 *歌謡曲=演歌を中心とする日本独自の大衆的な歌曲。多くは西洋音階によるが、日本の音楽感覚が折衷されている。
 *流行歌=ある一時期に多くの人々のあいだに伝わり、好んで歌われた歌。
 とある。
 なるほど。同じようでありながら、微妙な異なりがあることに気付く。演歌に分類され、日本独自の大衆的歌曲でも、人々に受け入れられないと流行歌にはなれない理屈だ。
 ボクの中にある歌謡曲は流行歌になり得たか・・・・。大ヒットとは言わないまでも、過ぎた日々が鮮やかに刻み込まれていて、いまによみがえる。

 ◇「こんなベッピン見たことない」唄/神楽坂はん子。
 ♪こんなベッピン見たことない!とかなんとかおっしゃって その手は桑名の蛤よ だけど何だかそわそわするの アラ どうしましょう ホニホニ浮いてきた~
 
 世にいう芸者ソングのひとつである。日本は敗戦国ながら、それからの立ち直りは早かった。流行歌がそれを反映している。戦地からの復員者を待つ「岸壁の母」や夜の女を歌った「星の流れに」が国民の唇に乗る一方、東京では、いち早く料亭が復活。お座敷が華やかになった。進駐軍高官の「お・も・て・な・し」もここでなされ、芸者ガールが注目された。米国に帰還した米兵は、日本という国を「フジヤマ」と「ゲイシャガール」をもって米国中に紹介?したと聞く。この歌は神楽坂はん子も出演して映画化され、沖縄でも昭和27、8年ごろ上映された。が、父兄同伴でなければ劇場、映画館は入場禁止の時代。それゆえ中学生だったボクは同名の映画を鑑賞?仕損ねている。けれども、映画館の屋根に取り付けられたスピーカーから流れる(呼び込み)の同曲から「ベッピン」なる言葉を教わった。美しい女性をそう称するということを・・・・。漢字では{別嬪}と書くことは後で知った。しかも{別嬪}とは、普通のモノではなく、特別誂えの別モノ、別の品・別品が転じた言葉ということを知るのは、さらに後のことである。
 いまでもベッピンは、いないことはないが、アチラ誂えに統一されたベッピンばかりで、個性や素地を活かした美しい女性・別嬪には、滅多にお目にかかれない。これも時代の流れなのだろう。いや、ボクの「美しいないが女性・別嬪」を見る目が鈍っているのだろう。
 歌の文句にある「見たこともないベッピン」を見たいとは思わないか!口説いてみたいとは思わないか!芸者遊びをしたことはないが、1度は酔わせてみたい。

 ◇「テネシーワルツ」唄/江利チエミ。
 アチラのポピュラーが、いわゆる流行歌になったハシリではなかろうか。
 かつて、進んで学習した外国語も国が戦争態勢にはいると、殊に英語は敵国語として使用禁止になった時代がある。それは戦後になっても大人たちの意識に刷り込まれていたらしい。けれども戦後の若者たちは、自由と平和を標榜する(アメリカ世)をすんなり受け入れ、アメリカへの憧れをふくらませていた。それをさらに増加させたのは、アチラの映画や音楽ではなかっただろうか。
 テネシーワルツもそのひとつ。
 テネシーの「シー」を意識的に「スィー」。ワルツを「ウォルツ」なぞと、妙な発音をして、強国アメリカ文化を手に入れたような気になっていた。
 映画を見ればション・デルク、ランドルフ・スコット、ジェームス・キャグニー。そして若手のジョン・ウェインらが、二丁拳銃を腰に、ライフルを片手に荒馬を乗りこなし、アメリカ西部や南部の大草原を駆け、インディアンをやっつける!スクリーンに見るあのスケールの大きさは青少年の血を騒がせるに余りあるものだった。
 現実的には、学校の行き帰りに通る歓楽街のAサインバー(米兵専用)やキャバレーのジュークボックスらは(いまにして思えば)パティー・ペイジが歌うオリジナルの「テネシーワルツ」やアチラもの音楽が昼間から聞こえていた。
 ボクなぞ通学路をいいことに、わざわざ下校時を遅らせ、自由と平和のアメリカを感じ取りに行ったものだ。バー、キャバレーのドアの隙間から中をのぞき、GIたちが口走る英語、それに応えるホステスたちの嬌声に(大人の世界)を実地見学した。
 「ここはアナタたちの来るところではないよ」。
 そう言ってチューインガムをくれた厚化粧のオネーサンもいた。
 テネシーワルツも江利チエミが1枚加わり、いよいよ大開拓地テネシー州は豊かな大地として上原少年の心を憧れが揺すぶってやまなかった。いまでもアメリカと言えばワシントンやニューヨークなぞよりも、テネシーへ馬に乗って行きたい。
 が・・・・。ヨーロッパは幾度か旅しているが、ハワイを除くアメリカへは未だ渡っていない。アメリカは真実「自由と平和」の国でいるだろうか。
 9月。蝉もまだおとなしくしてはくれない。もうちょっと暑さがやわらいだら馴染みのスナックへ行って「こんなペッピンみたことない」と「テネスィーウォルツ」を口づさんでこよう。歌謡曲、流行歌の中にはボク自身がいる。