旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

畳語・重ねことばを楽しもう

2016-10-20 00:10:00 | ノンジャンル
 「いそいそとどこへ行くの?」
 この場合の「いそいそ」。それ自体には意味はないようだが、どういう状態で(歩行)しているのかが分かる。駆け足でもなく(のらりくらり)でもなく(いそいそ)には、目的地に何かいいことがありそうな、その人の心理状態が表れていているものだ。その「いそいそ」が畳語・重ねことば。沖縄口では「いっすい かっすい」という。
 およそ日常会話に「畳語=じょうご」がなかったら、お互いの会話は味気ないものになるだろう。沖縄口のそれらを拾って見ることにする。
 
 ◇あいめー くさめー
 *大人が相談ごとをしているとする。すると、それを利き耳を立て、関係もないのに傍から余計な口をいれたり、すり寄ったりする好奇心旺盛なさま。若者に多い。「でしゃばり」にも通じるそれは「前ぇ寄ゐ寄ゐ=めー ゆゐゆゐ」という。未成年者は「あいめー くさめー」「めーゆゐゆゐ」もしながら知識を得て大人になっていく。

 ◇あーぬーかーぬー
 *しどろもどろの物言いざま。大したことでななくても、自分の非を隠すために人はつい「あーぬーかーぬー」物言いになってしまう場面が少なくない。筆者なぞも、夜遅くご帰還なさる場合、別に悪いことをしたでもないのに、その言い訳が「あーぬーかーぬー」物言いざまになっているのに、自分で気付く。正直者の常が。また、口角泡を飛ばし論戦は張るが、論旨が(あやふや)な場合も「あの人の話は、あーぬーかーぬーで、意味が分からない」と言うふうに使う。
 
 ◇いひーあはー
 *笑うさまにもいろいろあるが「いひーあはー」は、誰はばかることなく、声を出して笑うさまのこと。気の置けない仲間が集まっての会話は、開放的で、何ということでも「いひーあはー」になって話がはずむ。殊に酒の座は「いひーあはー」の雰囲気に始終するに限る。

 ◇うっちぇー ふぃっちぇー(ひっちぇー)
 *同じことを幾度も繰り返すこと。または言うこと。または言うこと。酔っぱらいの「管巻く」状態にも通じる。「ふぃちー ゆっちー」も同意。年寄りは、逢えば同じ話をいかにも初めてのように言い聞かせる。けれども、をれは幾度話されても「そうですか。いい話ですね。勉強になります」と、聞いて差し上げるのが「敬い」というものではないだろうか。もっとも、いい年齢の者が「うっちぇー ふいっちぇー」「ふぃっちーゆっちー」同じ話題を持ち出すのは頂けない。下世話なことでも、話題は常々仕入れておきたい。

 ◇あびやーてぃーやー
 *冷静さを失い場所柄も考えず、がなり合うさま。夫婦喧嘩のさまを想像すればよい。悪口雑言の渡り合い。子どものいる前では慎んだ方がいい。家庭教育的にはよくない。これは自己反省。もっとも、仲間内での「あびやーてぃーやー」は、親しさの行き過ぎのあまり大目に許し合えるが、名誉、人権を侵害してはならないだろう。
 諺にもこうある。
 「ムヌ余ゐや 使かぁりーしが 言葉ぬ余ゐや使かーらん=ムヌあまゐや ちかぁりーしが クトゥバぬあまゐや ちかーらん
 (棒切れや布切れなど、大したものではないモノでも、工夫すれば使い道はあるが、言い過ぎる言葉の余りは使い道がない。口は災いの基)。
 八重山の「でんさ節」の1節にもある。
 ‟ムヌ言ざば 慎み 口ぬ外 出だすな 出だしから またや 飲みぬ ならんムヌいざば ちちしみ くちぬふか いだすな いだしから またん ぬみぬならん
 (モノいい様は、慎みをもってなせ。一度発した言葉は、二度と飲み込むことはできない)。

 ◇あーさ むーさ
 *手の施しようのないさま。本棚の整理をするつもりが、部屋いっぱいに広げた結果。元には戻せず余計散らかすことが筆者にはよくある。「あーさ」は「麻」と思われる。戦乱の世、麻の如く乱れ・・・・の「あさ」。「あさむさ」では、重ねことばとして、なめらかではない。沖縄語の特徴である「引音・長音を用いて「あーさ」にしたと考えられる。「むーさ」には特別意味はない。
 先日、電話とメールしか操作できない自分をしりながらスナップ、動画、着信音などをいじっているうちに、、元に戻せず「あーさむーさ」にしてしまった。結局、嫁いでいる娘を呼んで直してもらった。
 「お父さんは学習能力がないのだから、余計な機能セットはさわらないでっ!」と軽蔑された。

 前々から「欲しい」と思っているモノがある。
 いま持っているガラケイをスマホに替えて、指先を器用に動かしてみたいのである。が、取扱店にひとりで行っても、機種を選択する自信がないし、選んでもらっても、操作方法の説明が横文字オンリーで、理解できない自信が先になる。「あーさむーさ」にするのは目に見えている。このままガラケイの世話になろう。これ以上、娘に軽蔑されたくないから・・・・。
 

沖縄語・練習帳

2016-10-10 00:10:00 | ノンジャンル
 昔々。首里金城村に仲村渠という親雲上の位にある方がいました。
 ある夏の夜。勤めを終えた仲村渠親雲上が馬に乗って下城していると、その馬の尻尾にキジムナーがぶら下がりました。驚いた馬はヒヒーンと鳴いて一目散に駆け出しました。キジムナーは、悪戯のつもりだったのですが、馬の暴走が急だったため、手綱を手にからめていた仲村渠は、馬の立て髪にすがり、大事にはいたりませんでした。そこは武士仲村渠。すぐにキジムナーを捕らえて荒縄で縛って家に引き連れ、庭のガジマル木の根元に繋ぎ置きました。が、朝になってみると、キジムナーがいません。
 「どうしたことか?」
 家人に訊いてみると仲村渠の母親は答えました。
 「夜中にキジムナーが鳴くので、可愛そうになって、解き放してやった」
 さて、次の夜から仲村渠が厠(かわや)へ行くたびに、下から手が伸びてきて、仲村渠の尻をなでるものがいる。
 「さては悪戯者のキジムナー奴!助けてやったのに、まだ懲りないのかッ」と、次の夜、仲村渠は厠へ行きキジムナーが現れるのを待ち構え、例によって伸びてきたキジムナーの片手を刀でバッサリ斬り落としました。
 「ギャーッ!」悲鳴一声!キジムナーは逃げましたが、以来、キジムナーは夜になると仲村渠家の庭にやってきては、懇願します。
 「私が悪うございました。切り落とされた腕を返して下さい」
 「返してやってもいいが、1度切り落とされた腕は、もとには戻るまい」
 するとキジムナーは言いました。
 「キジムナーの世界には、腕でも足でも、直ぐに元通りにする膏薬があります。どうぞ、私の腕を・・・・」
 「ならば」と、心やさしい仲村渠は、切り落とした腕を返してやりました。
 「ありがとうございます。お礼にいいことを教えましょう」
 どんな切り傷でも、たちまちにして治す膏薬のつくり方を修得仲村渠家では早速、万能膏薬を世に出して、多くの怪我人を救い、感謝されて、ますます仲村渠家は栄えたということです。

 〔意訳〕
 んかしんかし。スヰ・カナグシクむらなかい、ナカンダカリ(仲村渠)するペーチン(官位)ぬ
 めんしぇーいびたん。
 あるナチぬユル。チトゥミしまちゃる仲村渠親雲上。ンマぬてぃ、シルウチからムドゥヰるミチナカ(道中)、ンマぬジュー(尾)なかい、キジムナー大樹に棲む妖精)ぬ しがとー!んち、まちゅしとーニーブク(同時)、イッサンばーえーすん。キジムナーのー、ガンマリぬちムイどぅやたしが、ンマぬ、あったにアバリバイそーしが、ナカンダカリぇ ンマぬカンジかちむてぃ、ウーグトゥ(おおごと)ねぇーならん。んまーなぁ ナカンダカリんブシ。しぐにキジムナー、からみとぅてぃ、アラナーし、たばてぃくんち、ヤシチぬナー(庭)ぬ、ガジマルギーぬ、ニムトゥんかい、ちなじさびたん。やしが、なーちゃぬフィティミティ、うきてぃ みーどぅんしぇー、キジムナーぬシガタぬみーらん。
 「ちゃーしたくとぅが?」
 ヤーニンジュんかい、チチみーどぅんしぇー、ヰナグぬウヤぬイイブン。
 「ユナガートゥ、キジムナーぬなちゲーゲーすくとぅ、チヌドゥク(気の毒)にうむてぃ、とぅちなはち、やらちゃん」。
 さてぃ。うぬナーチャぬユルから、ムユーシすんでぃ フール(便所)んかい いちゅるたびぐとぅに、シチャからティーぬばち ナカンダカリぬチビ さーいしぬうん。
 「さてぃむ、ガンマラーキジムナー。たしきてぃやらちゃしん わからん、なま、うみしらんばすいッ」んち、ナーチャぬユル、ナカンダカリぇー、フールんかいんじ、キジムナーぬ あらわりーし、まちうきてぃ、りーぬゆってぃ ねーてぃちゃる、キジムナーぬカタティー、カタナし、ちりうとぅさびたん。
 「ギャーッ!」キジムナーや、フィンギてぃ いちゃびたん。やしが、キジムナーや、ユルないでぅんしぇー、ナカンダカリぬナーんかい あらわりてぃ、ニゲーぐとぅさびーん。
 「ワーがわっさいびーたん。ちりうとぅさったるウディ けーち くぃみそぉーり」。
 「けーちやらちん しむしが、イチドゥ ちりうとぅさったるウデー ムトゥねぇー むどぅらんどぉや」
 さくとぅ、キジムナーや、いやびたん。
 「キジムナーぬユーなかいや、ウディやてぃんフィサやてぃん、しぐにムトゥーいんかいする、コーヤクぬあいびーん。どーでぃん わーウディ・・・・」。
 「やるむんどぅんやれー けーすん」ち、ちりうとぅちゃるウディ けーさびたん。
 「にふぇーでーびる。うぬウンゲーシ(恩返し)に、コーヤクぬチュクイかた あかさびら」。
 んち、ちゃぬようなキジやてぃん、たちどぅくるに、のーするコーヤクぬチュクイかた うきとぅたる、ナカンダカリぬチネーんじぇー、さっすく、コーヤクちゅくてぃ、ユぬなかんかい いぢゃち、シキンウマンチュすくてぃ アガミ(崇め)らってぃ、ナカンダカリぬチネーや、いゆいゆ さかてぃんじゃんでぃぬくとぅ。

 いやいや、話しことばを文字にするのは難しい。一般的ウチナーグチで書いてみた。1人で読むのではなく、2,3人で幾度も、声にして読み合っていただきたい。意、自ら通ず。



秋・月・菊

2016-10-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「そろそろ北海道のKから電話なりメールが入るころだ」
 その予感は的中した。卓上の携帯音が震えた。案の定Kからだ。
 「寒くならないうちに遊びに来ないか。大雪山の頂上は色づきはじめる」
 有難い誘いだが、空の直行便に乗っても約4時間。北へ2497.79キロは遠く、おいそれと出掛ける約束はできない。しかし、ボクの返事は分かっていても、Kは年に2,3度は季節の誘いをしてくれるのが嬉しい。
 日本列島の紅葉は大雪山の頂上に位置する旭岳に生まれるそうな。それが一気に里に下りて南下、津軽海峡を渡って東北、関東、関西、中部地方、九州と、錦の織物を綾なすことになる。しかしながら残念なことに紅葉は、鹿児島から先の海を渡ることができない。
 沖縄の樹木にも、秋は色づきを見せるそれもあるが(紅葉狩り)をするには、ほど遠い。沖縄の(秋)は、月、菊で楽しむことになる。

 まずは月に関する昔ばなしで涼を呼ぼう。
 王府時代。首里城下の公館の新築・改築は、近郷の14,5歳から20歳過ぎの若い夫役・賦役(ふやく)を出させてなされた。
 ある年。首里城下(龍潭)の西向かいにある中城御殿(なかぐすく うどぅん)の改修工事の際は西原間切、浦添間切、南風原間切、中城間切などから夫役を招集。座喜味親方の総指揮のもと、改築工事は順調に進められていたことだがある日。座喜味親方が現場に出てみると、頭役の者がひとりの女童(みやらび・若い女性)を他の夫役の取り囲む中、声を荒げて𠮟りつけている。
 「これこれ。どうしたことか」と、座喜味親方。
 「ははっ!この女。南風原村の者ですが、現場入りは1番鶏の鳴くころと決まっているにもかかわらず、このところ、太陽も上がり切った昼前にしか出てきません。その訳を訊いても、口を貝にして、一向に答えません」と頭役。
 「他の者の前で責めては、答えようにも言葉が出まい。私が問い質そう」
 座喜味親方は、女童を人目のつかない場所に連れて行き(遅刻の訳)をやんわりと訊いた。親方のやさしい声音に気が楽になったかして、うっすら顔を赤らめながら、それでもしっかりと琉歌で返事をした。

 〝かなし手枕や 明きる夜ん知らん 庭に射す太陽や御月思むてぃ″

 「夫役を拒否しているのではありません。わたしには末を誓った人がいます。この中城御殿の改築工事に出てからというもの、彼に逢うのは、何時も夜中になってしまいます。夫役の疲れも厭わず、彼に逢って抱かれていると、時の過ぎるのも忘れ、夜が明けて庭に射す太陽の光も、真夜中のお月さまに思えて愛し合うのです。それで・・・・それで遅刻してしまうのです」。
 座喜味親方は決して木石ではなかった。
 「左様か。わしにも青春の日々はあった。恋する者の気持ちが分からないではない。しかし、共同作業はひとり欠けても統制がとれない。公事の仕事とはそうしたものだ。まあ、このたびのことは大目にみてやるほどに、愛の語らい時間の後に夫役にも精出してくれよ」と、許してやったそうな。いい上役に恵まれてよかった。

 秋の花・菊。
 ある一家の本家の庭には、四季折おり花が咲いた。時は長月。庭には丹精込めて育てた小菊が見ごろである。
 長兄は、それぞれ分家した弟や妹を招集して(菊見の宴)を催した。弟妹と言えども、何時でも呼び出すわけにはいかない。小菊の満開は弟妹たちとの語らいのいい口実になる。
 小菊を愛でながら、それぞれの近況を語り合い、盃を交わし合う。長兄たる者、至福のときだろう。そこで長兄は1首詠んだ。

 〝秋毎にウトゥジャ今日ぬぐとぅ揃るてぃ 共に眺みらな庭ぬ小菊

 *ウトゥジャ=本来は弟を指すが、この場合、妹も含む。
 「弟よ妹よ。来年も再来年も、今日のように皆して花を愛でよう」
 ただそれだけの内容だが奥は深い。
 花だけではなく、月もしかり。ひとりで眺めては味気ない。兄弟姉妹もよし。親しい友人よし。恋人同士、元カレ、元カノでもいいではないか!秋を楽しむよう心がけよう。この歌を詠んだ長兄は、自分の年齢を秋に重ねている。
 「わしも、急ぎはしないが、あと幾度秋を迎え過ごすことができるか、知れたものではない。都度、顔を見せてくれ。菊もバラもわしが育てておくほどに」。
 そんな心情が三十一文字に、にじみ出ている。

 齢を数えることを放棄してからしばらくなるが、10月23日は誕生日だ。
 えっ?何回目の?
 終戦の年の7年前・寅年だから・・・・実年はあなたで勘定してはくれまいか。50歳を過ぎてから久しくなることだけは確かだ。
 「禿ぎん白髪んエヘンどぅやる=はぎん しらぎん
 禿がなんじゃい!白髪がなんじゃい!エヘンと鼻息で吹き飛ばして突っ張ってきた。突っ張りついでに、あと数回小菊の咲く秋を皆でできるよう、世に憚っているつもりだ。
 Kの誘いを素直に受けて〝北国の短い秋″に出かけてみようかな。ボクという紅葉は北国のそれに違和感なく、紛れ込むことができるだろう。
 我が家の庭のみどりの枝の辺りを、初秋の蝶がたゆうている。