旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・遊女編

2009-02-26 14:19:37 | ノンジャンル
★連載NO.381

 遊郭には、士農工商の身分を問わず登楼できた。遊女たちもまた、芸を磨き接待につとめる。その中で生まれた彼女たちの喜怒哀楽を映し出した詠歌。

 琉歌百景⑱
 ♪朝夕焦がりとぉてぃ 思ゆしが我身ぬ 里や片思ゐ 磯ぬ鮑
 <あさゆ くがりとぉてぃ うむゆしが わみぬ さとぅや かたうむゐ いすぬあわび>
 歌意=あなたが馴染み客になって以来、わたしは朝夕あなたを思い、身を焦がす毎日。でも、思いは届かず片思い。鮑の恋・・・・。
 詠みびとは「香々小チル=さんさんぐぁチルー」。香々小は、かつての那覇・辻<ちーじ>遊郭の妓楼名。因みに「さんぴん茶・ジャスミン茶」の漢字は「香片茶」である。
 チルーは、かなり有名な遊女で辻ばなしの中に再々登場する。思う相手は、遊び慣れた御仁だったと見えて所詮、本気ではなかったようだ。したがって遊女チルーは、磯の鮑の片思いを囲うことになる。およそ貝類は、殻が2枚合わさっているものだが〔鮑〕は片貝で、海底の岩にくっついて生きている。そのさまを「片思い」ななぞらえて都々逸や流行歌の文句に用いられてきたが、昨今世代からは忘れられた言葉になっているらしい。


 琉歌百景⑲
 ♪枝出じゃちあゆむ 朝夕さんいもち うち笑らてぃ花ん 咲かち給ぼり
 <ゐだ んじゃち あゆむ あさゆさん いもち うちわらてぃ はなん さかちたぼり>
 香々小なる妓楼には、詠歌の巧みな遊女が多々いたようだ。この1首も遊女ウシーが詠んでいる。このことからしても、遊郭は単なる色街ではなく文人あるいは、枠筋の出入りがあり、彼らから詠歌の作法を習い取ったものと思われる。
 歌意=遊女の身は、堂々と街中を出歩くことを禁止されています。花を咲かせる木に譬えるならば、わたしは妓楼の中から枝を出しているだけの木。それも、あなたを待って待って、ただ待つのみの木の枝。どうぞ朝と言わず夕と言わずお出でになって、この枝に情けの花を咲かせて下さい。
 これを遊女の手練手管の誘客甘言と解するか、花の身の真実の情念と受けとめるか。それは、男の考えどころにまかさなければなるまい。
 「色や拔じ刀 酒や毒薬=いるや ぬじがたな さきや どぅくぐすい」と言う戒めの俗語がある。言葉通り、色恋は鞘をはなれた抜き身の刀のようなもの。下手をすると大怪我をする。酒もまた、百薬の長にもなるが得てして、身を滅ぼす毒薬にもなる。いつの時代も酒色は、命がけで立ち向かわなければならない。しかし、辻の遊女は出処進退をわきまえていた。どんなに深い中になったとしても、男が結婚するとなっても恋々とは決してしない。すっぱりと切れる。それどころか「別れ散会=わかり さんくぇ」と称する最後の夜を設けて祝杯をあげ縁を絶ち、以後は赤の他人で通す。中には、男のニービチ祝儀<すうじ。結婚式・披露宴>に出向き、もちろん表立ちはせず、馳走作りの台所仕事を手伝ったという例もある。また戦時中、徴兵を受けた男の別り散会に親兄弟、友人知人が出席「出征祝い」にした話もある。お国のためにも戦いやすかったのではなかろうか。

 琉歌百景⑳
 ♪ジュリ小身や哀り 糸柳心 風ぬ押すままに 馴りてぃ行ちゃさ
 <ジュリぐぁ みや あわり いとぅやなじ ぐくる かじぬ うすままに なりてぃ いちゅさ>
 歌意=ああ、ジュリ<遊女>の身は、なんと哀れのことか。意思を持たない糸柳のようになびかなければならない。特定できない金銭という風まかせに押し流されて行くこの辛さ・・・・。
 俗語「豆腐や豆 ジュリや銭=とうふや まあみ ジュリや じん」なのだ。つまり、豆腐の出来は豆しだい。遊女の身は銭しだいと言い切った時代があったのだ。総じて女性を花として詠まれた恋歌は多いが、ジュリ花の字句になると恋歌を通り越して、身を裂く哀歌にかわる。好んで苦界に身を沈めた女性はひとりもいないからだ。

 琉歌百景○21
 ♪親ぬ産し口や ジュリんちや産さん 苦りさ銭金ぬ浮世やてぃどぅ
 <うやぬ なしくちや ジュリんちや なさん くりさ じんかにぬ うちゆ やてぃどぅ>
 歌意=親はわたしをジュリにするために産んだのではない。貧困のあまり、苦難を承知の身売り。すべてが金銭に支配されるこの世を恨みます。
 昭和初期まで、女子は「ジュリ売い」、男子は漁業の労働力としての「糸満売い」あるいは、口減らしのための「坊主売い」があった。いずれも貧困のなせる業。まさに貧困は犯罪である。



次号は2009年3月5日発刊です!

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琉歌百景・掛き歌編

2009-02-19 12:49:08 | ノンジャンル
★連載NO.380

 掛き歌【かきうた】。主に男女の会話を詠歌もしくは、節歌<ふしうた=三線に乗せた形体>で成す。

 琉歌百景⑬
 女=“くんなげぬ離り 里やいちゃやたが”
 男=“我んね奥山ぬ 炭ぬ焦がり”
   <くんなげぬ はなり さとぅや いちゃやたが>
   <わんね うくやまぬ たんぬ くがり>
 語意:くんなげー=ここしばらく。年月の時間。
 かつて馴染んだ仲の男と女が、久しぶりに出会い女は言った。
 歌意=ここしばらく、離れていた日々。あなたは、どう過ごしていたの。
 男は答える。
 歌意=1日たりとキミのことを忘れたことはなかったよ。オレの胸中は奥山で焼く木炭のように、キミへの思いで焦がれていたのだ。
 その言葉をすんなりとは受け入れかねたのか、女はさらに言う。

 琉歌百景⑭
 “奥山の炭や 焼ちどぅ焦がらする 哀りくぬ我身や 思い焦がり”
 <うくやまぬ たんや やちどぅ くがらする あわり くぬわみや たんぬくがり>
 歌意=炭が焦げるようになぞとうまいことを言うけれど、焼く炭は火をつければ放っておいても木炭になる。けれども、1度火をつけられて
    放って置かれたわたしは、哀れ・切なさで思い焦がれていたのよッ。薄情者!
 この後、ふたりはどうなったのか。いかなる行動に移ったのか。それは読者の感性に委ねるが、次の歌詞を連歌としてみると、どうやら焼けぼっくりに火がついたようだ。

琉歌百景⑮
 “思むてぃ呉てぃ果報志 他所知らち呉るな たんでぃ胸内に 止みてぃ給ぼり”
 <うむてぃくぃてぃ かふうし ゆすしらち くぃるな たんでぃ んにうちに とぅみてぃ たぼり>
 語意:果報志。ありがとうにあたる感謝語。*たんでぃ=どうぞの嘆願語。
 炭焼きまで持ち出して“思い焦がれ”を表明した男女ではあるが所詮、ひとつ家には暮らせないふたり。ふたたび別れる際に男は歌掛きをしている。
 歌意=これほどまでの“愛”をありがとう。だが、ふたりが深い中であることは、キミひとりの胸に納めて決して他人には、いや、親兄弟にも覚られてはならないよ。知られないようにしておくれ。
 女はそれを納得したかどうか。“忍ぶれど色に出にけり我が恋は ものや思うと人の問ふまで”=百人一首・平兼盛=の詠歌をこの男は知らなかったとみえる。色恋は隠せば隠すほど、問わず語りで世間の知るところとなるというのに。

 琉歌百景⑯
“照る月ん清か 一人寝んだりみ 起きぃ来は遊ば かなし無蔵よ”
 <てぃるちちん さやか ふぃちゅい にんだりみ うきてぃくは あしば かなしんぞよ>
 琉歌百景⑰
 “出じてぃ来よ やりば 出じらりや すしが 出じてぃ後 科や 里がはちゅみ”
 <んじてぃくよ やりば んじらりや すしが んじてぃあとぅ とぅがや さとぅが はちゅみ>
 語意:無蔵・んぞ。心を寄せる女性に対する呼称。*里・さとぅ。無蔵の対語。*はちゅみ・はちゅん。弁償する・<責任を>負う。
 夏。恋を語るには絶好の夜。男は愛女を待っているが来ない。どうやら親に足止めされて早寝したらしい。そこで、彼女の寝屋の戸越しに歌掛きをする。
 歌意=月はいつになく清らかに照っているのに彼女よ。一人寝ができるのか。こっそり出ておいで。語り遊ぼう!愛しい人よ。
 彼女も悶々と「目ふらちゃー寝んじ=みーふらちゃー にんじ。目をあけて横になっているさま」をしていたらしく返事をする。
 歌意=出て来いと言うならば、親の目を盗んで出られないこともない。でも、そのことがバレて、親にひどく叱られる羽目になったら、その責任はあなたが取ってくれますか。
 “揺れる乙女ごころ”がそこにはある。想像するに彼女は、親にとがめられたらその時はその時と覚悟を決めて、寝屋を抜け出したに違いない。青春の血は、そうであらねばならない。
 娘が夜遊びすると親は、嫁のもらい手がないぞッと戒め、厳格な男親なぞは「出歩く足がいけないのだ。夜、外出するヤツは脛<すね>を折ってやるッ!」と、凄まじい言葉を掛けた。その制裁に遭った女童も少なくない。過酷のようだが、男親の娘に対する気持ち、分からないでもない。

昭和初期まで、男女の夜遊びは風紀を乱し、生産力を低下させるとして、各地に夜間外出禁止令の内法があった。若者組という青年団組織があって、殊に女性の夜間在宅を確かめる夜回りがなされた。違反者は勿論、罰金。これを「女童改み=みやらび あらたみ」と称した。しかし、それは建前で実際にはごく形式的なものだったと、かつてそれを経験した古老たちは述懐している。



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琉歌百景 分句編

2009-02-12 11:19:05 | ノンジャンル
★連載NO.379

 琉歌に〔分句〕がある。
 風流人が集い詠歌会を催す。ある時代には、正月と秋の名月のころの2回を恒例とし、随時なされたという。いくつかの歌題を決め、ふたり1組になって、ひとりが上句の八八を詠み、他方が八六の下句をつけるという趣向。
 王府時代のある年。心得のある士族が集まり分句を楽しむことになった。まず、第1の歌題は「出逢い」。金城親雲上<かなぐしく ぺーちん>と瑞慶覧親雲上<じきらん>が向かい合った。親雲上とは、高官役職名。短冊に墨黒々と筆を走らせたのは金城親雲上。

 琉歌百景⑧
 ♪初みてぃどやしが いちゃしがな肝や
 <はじみてぃどぅ やしが いちゃしがな ちむや>
 これを受けた瑞慶覧親雲上は、しばし沈思黙考・・・・。そして下句を繋げた。
 ♪昔語らたる 友の心
 <んかし かたらたる どぅしぬ くくる>

 「出逢い」の題に金城親雲上は「貴殿とは初対面だが、どうしたことか気持ちの上ではそうは思えない」と上句を出した。これに対して瑞慶覧親雲上は「拙者も同様だ。腹蔵なく何でも語り合ってきた古馴染みの友に逢った心地だ」としたのである。すぐに三線を取り出し「御縁節」で歌いたい1首だ。

 琉歌百景⑨
 遊び唄は〔分句〕の宝庫だ。
 日没を持って、近くの森かげや浜辺でする毛遊び<もう あしび。野遊び>では、得てして男女が理無い仲<わりないなか>になりがちだし、ましてや花ぬ島<花街>が舞台の色恋は濃密さを増す。既婚者の男と深い仲となった女が言う。男もすぐさま返事をする。

 琉歌百景⑩
 ♪我身ゆ取ゐみしぇみ 刀自ゆ捨てぃみしぇみ
 <わみゆ とぅゐみしぇみ とぅじゆ してぃみしぇみ>
 ♪刀自や雨降ゐぬ 傘どぅやゆる
 <とぅじや あみふゐぬ かさどぅ やゆる>
 女=もう、ここまで染まっては別れるのはイヤです。最終的には、わたし
   を取るのですか。それとも妻を捨ててわたしと一緒になりますか。
 男=お前を捨てるものか。別れるものか。このままの関係を断つことはな
   い。言ってみれば妻とは、雨降りに必要な傘みたいなもの。家に置い
   ておけばよい。
 この男、本物の粋人というべきか。

 琉歌百景⑪
 ♪男=芋掘ゐみ姉小 芋や何月が
 <んむ ふゐみ あばぐぁ んむや なんぐぁちゃが>
 ♪女=芋や七月小 我んね十八
 <んむや しちぐぁちゃぐぁ わんね じゅうはち>
 畑道を行くとひとり黙々と芋を掘っている女童がいる。色男はナンパを仕掛けてくる。
 「芋堀り中だねネーチャン。何月植えの収穫だい」
 そう声を掛けられて女童、好みの男振りに即答した。
 「芋は七月植えなの。そして、わたしは18歳よ」
 問いもしない年齢を明かすとは、誘いに応えても“いいわヨ”である。さあ、このふたり、このあといかなる行動をとったか。それぞれ考えてみよう。

 琉歌百景⑫
 ♪宵ん暁ん馴りし面影ぬ 立たん日や無さみ塩屋ぬ煙
 <ゆゐん あかちちん なりし うむかじぬ たたんひや ねさみ すやぬ ちむり>
 歌意=朝に夕に側にいた人の面影が立たない日はない。それは、塩焚き小屋から終日、煙が立っているようなもの。あの人は、どうしているだろうか。
 背景を説明しなければならない。
 この1首は、高宮城親雲上作・組踊「花売ゐぬ縁=はなうゐぬ ゐん」の劇中、首里を離れて遠く大宜味間切塩屋村に隠れ住んでいる夫・森川ぬ子<むるかぁぬしー>を、その妻子が尋ねていく場面で「仲間節」に乗せて歌われている。詠み人は、与那原親方良矩<ゆなばる うぇかた りょうく>であるが、敢えて“分句”としてみたのは、いい挿話があるからだ。

 高宮城親雲上は、組踊「花売ゐぬ縁」の執筆中、件の場面になった際、上句は詠んだものの下句がどうしても出てこない。そのことを与那原親方に話すと、彼は言った。
 「ううん。下の句か。差し向かいの酒席を設けてくれるならば、考えないでもない」
 高宮城に否があるはずがない。その通りにして、この1首は成った。
 高宮城=宵ん暁ん馴りし面影ぬ
 与那原=立たん日や無さみ塩屋ぬ煙
 だがこの話。王府時代の文人を讃えて、後世の粋人たちが語り上げたもののようだ。

 与那原親方良矩=1718.6.29~1797.10.23。三司官<さんしかん。最高位の役職名>。歌人。君子親方の敬称がある。「琉球科律」の編纂などの他に多くの琉歌、和歌を残している。
 高宮城親雲上=生没年不詳。「故事集」に組踊「花売ゐぬ縁」の記録があるのみ。



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琉歌百景・歌さんしん編

2009-02-05 12:14:49 | ノンジャンル
★連載NO.378

 先週から始めた「琉歌百景」。今週は三線に心情を託した琉歌に登場願った。

 〔琉歌百景〕④
 ✾寂しさにまかち知らん歌すりば 余所ぬ物笑ぇん伽になゆさ
 <さびしさに まかち しらんうた すりば ゆすぬ むぬわれぇん とぅじに なゆさ> *詠み人・脱身和尚
 歌意=ひとり居の寂しさを紛らわせるために、ほとんど口から出るままの
    即興歌を唄っている自分。それを垣間聞いた近所の人たちは「ホラ!和尚はまた、訳の分からない歌を唄っているヨ」と失笑している。そのしのび笑いの声も、いまの自分にはいい慰めになる。
 脱身和尚<1632~1697>は、臨済宗の僧。首里の名家小波津家の出。早くから出家。25才から15年間、本土を行脚して修行。帰省後、首里円覚寺の住持になった。
 朝夕、神仏と向かい合っている和尚でも、経文だけでは心の安まりは得られなかったのか“歌”のそれを求めたように察しられる。やはり、沖縄人の心の癒しは歌ということなのだろうか。

 〔琉歌百景〕⑤
 ✾三線ぬ音声聞ち欲さどぅしちゃる 何故でぃ肝までぃん取やい弾ちゅが
 <さんしんぬ うとぅぐぃ ちちぶさどぅ しちゃる ぬゆでぃ ちむまでぃん とぅやい ふぃちゅが> *詠み人しらず
 歌意=【私は貴女の】三線の音・歌を聞きに来ただけなのに、どうして貴女は私の心まで虜にしてしまうのですか。
 三線を弾くと心を引くを掛けている。古典音楽家の故宮城嗣周師にこんな
話を聞いた。「花の島仲島遊郭に三線はもちろん、歌のうまい遊女がいる。今宵は一緒に行って耳薬<みみ ぐすい=目の保養ならぬ耳の保養>をしてこようではないか」
 そう友人に誘われて仲島入りした首里の身分ある御仁。所詮、ジュリ<遊女>の芸、どれほどのことがあろうかと、高を括って登楼したが、いざ彼女の歌三線を聞いてみると、なんと聞きしに勝る義倆である。ひと節聞いただけで心を奪われ、この1首を詠んで称賛したという。
 王府時代の話とは言え、よくできている。だが、ちょっと羨望もあって推察すると、この詠み人はずいぶん遊び慣れていて、称賛と同時に口説き落とすための1首ではなかったろうか。考え過ぎかも知れないが・・・・ともかく、歌三線は言うに及ばず、その気にさせる美形のジュリだったに違いない。

 〔琉歌百景〕⑥
 ✾三線小取てぃくぁ でぃひゃでぃ弾ち遊ば 無らんだれしむさ 手打てぃ遊ば
 <さんしんぐぁ とぅてぃくぁ でぃひゃでぃ ふぃちあしば ねらんだれ しむさ てぃうてぇ あしば>
 歌意=【仲間が集まった】三線を取り出せ。持って来いよ。さあさあ、弾いて歌遊びをしよう。なに?三線がない!それならそれでよい。手拍子をとれ!歌を乗せて遊ぼう。
 この1首は、島うたの名手・風狂の歌者故嘉手苅林昌の詠歌と思われる。
〔思われる〕としたのは嘉手苅林昌。即興歌の名人だったが、決して自分が詠んだなぞとは言わず「昔からあった」と片づけていた。現在歌われている島うたの中にも、彼が詠んだに違いないとされるそれは数々ある。その辺が嘉手苅林昌らしいところで、誰もあえて調べようともしない。
 三線があれば、それに越したことはない。なければないで「手打てぇ遊ば」で島人は暮らしの中に、常に歌を置いている。野良仕事の合間に歌われた伊江島民謡「木―ぷうじょう」も三線なし。手拍子と木製の野外用煙草盆を叩いて歌われる。また、旧暦3月3日に行われる女だけの行事「三月=さんぐぁちー。浜下り遊び=はまうり」の歌も、小鼓や手拍子に乗せて唄い、即興で踊る。手拍子は最高のパーカションなのだ。さらに、メロディーをはっきりさせるには〔口三線=くちじゃんしん〕をすればよい。これならば、三線を弾けない人でも節さえ知っていれば容易に出来る。♪トゥントゥン テンと声で三線の音を奏でればいいのだから。ただこれは1人では都合が悪い。歌を加えることが出来ないという難点がある。〔三線小取てぃくぁ・・・・〕の場合は、数人がいて2人ほどは口三線と手拍子、残りは歌と手拍子と即興舞をする様を詠んでいる。家庭で幼児を踊らせたり、酒の座でもよくするし、私なぞは「口三線の名人」を自称している。



 〔琉歌百景〕⑦
 ✾里や幾花ん咲ちみしぇらやしが 我身やくり一花咲ちゅるびけい
 <さとぅや いくはなん さちみしぇら やしが わみや くりちゅはな
  さちゅるびけい>
歌三線上手の男に口説かれた女童の返事としての心情が読み込まれている。
 歌意=あなたはモテる男。これから幾つもの恋の花を咲かせることができるでしょう。でも、わたしはあなたと咲かせるこの花だけがすべてなのですよ。ただの遊びならイヤです。心から愛して、きれいな花をさかせて下さるなら、あなたの言葉に染まりましょう。
 この歌詞は40年ほど前、島うたの探し歩きをしていたころ、今帰仁村天底の老夫婦が「今帰仁なーくにー」に乗せて老女が唄っていた。茅葺きの家に住むおふたりの幸せそうな笑顔をいまでも忘れないでいる。

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