旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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畳語・重ねことばをたのしもう。パート10

2017-01-20 00:10:00 | ノンジャンル
 社内の50代2名。30代後半から40代4名、20代から30代前半の人に聞いてみた。
 「火鉢を知っているか。または、実際に使用したことがあるか」。答えはこうだ。
 *20代後半~30代=見たことがない。火鉢という言葉も使ったことはない。
 *30代後半~40代=祖父母や両親の話には聞いたことはある。大小さまざまな形。用途などは、風俗図鑑などで見たことはあるが、我が家にはない。
 *50代=かすかな記憶はある。寒い日、ムーチーや鏡餅を祖母が焼いてくれた。
 ことについでに、社外で会う70代以上の方々にもさりげなく聞いてみた。
 *火鉢は暖をとるだけでなく、一家団欒のシンボル。「火鉢」と聞くだけで心が温まる。*世間ばなしや昔ばなしなどを聞いたのも火鉢を囲んでのこと。家庭教育の場でもあった。それから・・・。
年齢が高くなるにつれて、火鉢ばなしは尽きることを知らなくなってくる。気がつけば筆者も聞き手の立場をすっかり忘却して「股火鉢」の話をしていた。
 「旧暦2月は極寒である。その中で1日の勤めを終えて帰宅した男たちは、寒さにこわばった顔をなでるなり、火鉢に跨って股間を温めた。女性は知るまいが、男の股間の袋は寒暖に至極敏感。暑い日には伸び、寒い日は縮小する。股火鉢をして袋を伸ばすことによって、ひと心地を復活させるのである。ボクも早く大人になって、堂々と股火鉢をしたかったのだが、大人に近づくにつれて火鉢そのものが姿を消し、夢を果たせず、寒暖に敏感な股間になってしまった」。
 火鉢の琉歌を。

 ♪降ゆる雪霜ん 他所になち語る 埋ん火ぬ傍や 春ぬ心
 〈ふゆる ゆちしむん ゆすになち かたる うじゅんびぬ すばや はるぬくくる
 
 沖縄は霜はひと冬に1、2度霜は降りても雪は降らないけれど、極寒を表現するのに(雪霜)なる言葉はよく用いられる。
 歌意=外は雪霜が降るほどの寒さ。けれども我が家の居間は、火鉢の埋れ火に炭をくべて暖をとり、外の寒さを他所ごとのようにして、家人と語り合う。心の中は、すでに春。「春の心地・気分」にせず「春の心」としたところがいい。火鉢の傍の語らいは、炭火にもまして心を温めるものであったに違いない。
 さてさて。
 八重山の歌者大工哲弘採取による石垣、登野城、新川、大川方面の「畳語・重ねことば」を拾うことにする。

 ◇まざーり かざーり
 *本モノか贋モノか。見分けがつかない。あるいは真偽が交錯して、正体、実態が分からないさま。
 「あの政治家の言うことは、まざーりかざーりして、信憑性がない」「一流ぶってブランド志向を吹聴しているが、どこまでが本モノか。その実、まざーりかざーりファッションよっ」などと使う。人の世、真偽を見極めるのは難しい。

 ◇やりきぃん むしきぃん
 *無理やり承知で漢字を当てると「破れ着物、虫食い着物、ボロ着物」になるか。
 昔、貧しいながらも、正直一筋に暮らしている老夫婦がいた。今夜は大晦日というのに何の支度もできず、火鉢に手をかざして年の明けるのをまっていた。すると、貧家の表戸を叩く者がある。婆さんが出てみると、質素な着物をまとった白鬚の老人が立っている。
 「旅の者だが、一夜の宿を貸してはくれまいか」と言う。
 「我が家もごらんの通りのあばら家。食するものもなく、あるのは火鉢の火と温かい薄茶だけ。それでよかったら温まっておいでなさい」。
 火鉢を囲んだ老人3人は、ただ黙って夜を過ごした。
 「いやいや。寒い夜は火が何よりの馳走。世話をかける」。
 やがて就寝したことだが、夜が明けてみると、火鉢の傍に横になったはずの旅の老人の姿がない。それどころかそこには、老夫婦が余生を過ごすに余るほどの金銀が入った布袋が置いてあった。
 「あの旅の老人は神様だったのだ。ワシらを哀れんで恵んで下さったのだ。ありがたや!ありがたや!」。
 以来、老夫婦は大晦日には火鉢を起こし「火馳走・火正月=ヒーくぁっちー・ひーそーぐぁち」を恒例とするようになった。
 「正直の頭に神宿る」「ボロを着てても心は錦」を教訓した昔ばなし。

 ◇ゆたべー かたべー
 *心の動揺。またはそのさま。沖縄本島ではそのさまを「ゆたみち」と言い「ゆたべー かたべー」に当たる畳語を筆者は知り得てないが「ゆたみち はたみち」はあると、友人に教えてもらっている。常に冷静、平常心を保持するのは難しい。何の根拠もなく、その都度思い付き、衝動だけの言動をしている筆者なぞ、酉年も「ゆたべー かたべー」しながら春夏秋冬を送ることになるだろう。
 沖縄正月前の空は、灰色の空が島中を抱きすくめ時折、小雨を降らしている。遂にマフラーとダウンジャケットの世話になった。これを着用するのもひと月ほどか。せいぜい、きっぱりとした短い冬を楽しむことにする。


畳語・重ねことばをたのしもう。パート9

2017-01-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「今年も桜をみることができたよ。しばらく前までは同年の者と‟日本一早い桜まつり”に出かけ、桜も酒も楽しんだものだが、今年はそれも叶わなかった。一人ひとり彼の岸に逝ってね。こっちは彼らを送る一方・・・・。実は昨日も70年来の友人に、別れを告げたきた。残っている者の数は少なく、ちょいと切なくなって、後輩のキミに電話したしだいだ。年明け早々(ブカリー・不嘉例・不吉)なっ!と、ご機嫌を損ねないでくれ。老境を語れるのはキミを筆頭に幾人しかいない」。
 電話をしてきたのはかつての職場の上司K氏89歳。受けたのは、筆者が‟兄貴”と呼び、敬愛している沖縄市呉屋在上間久雄氏82歳。
 上間兄は、K先輩の電話を快く受け、こう会話を繋いだ。
 「後先は世の慣らい。急ぐこともありますまい。この世にいて、先に逝く人を送るのはいかにも無念ですが、その代り、僕たちが逝く際には、向こうに大勢の親しい迎えびとがいるではありませんか。僕たちはこの世のアンカーを務めましょう。来年の桜も見れるように、しばらくはこの世に憚っていましょうよ」。
 symbol7正月や冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし(一休宗純)

 八重山石垣地域の(畳語・重ねことば)続編。

 ◇ぴとぅ にんぎん
 *人・人間。沖縄本島風には「ふぃとぅ にんじん。ちゅ にんじん」。
 慣用句に「恥ぬあくとぅどぅ ちゅ、にんじん」がある。
 イチムシ(動物・獣)には恥はない。恥を知っているのは人・人間だけ。厚顔無恥になってはいけない。殊に世間に対してのそれは身を滅ぼす基。そう書きながら赤面している。つい先日のことだ。さるパーティーの会場でのこと。ひとりの女性が近付いてきた。それだけならまだしも、帰りは私が送りますなぞという。いい気になって、そっと手などを握ったりしていたら、交わす言葉の端々で、彼女の正体がわかった。ポン友の娘だった。筆者はまだ「ぴとぅ にんぎん」に成り得ていない。

 ◇みるみん しぃくみん
 *世間の耳目「見る目・聞く耳」。どの角度から、あるいは立場から物ごとを見るか聞くかによって真実が歪曲されるのが世間の耳目。目と耳を口に言い替えると「世間口舌=しきん くちしば」になろう。他人の悪しき事柄は口や舌に乗り易く、また、乗せ易いものだ。と言って、それを避けて身を慎み、結果、筆者にも棒にも掛からない生き方もつまらない。「ふぃっちゃる屁ぬかじゃ=放屁のにおい」くらいは他人にさとられ「みるみん しぃくみん」「世間口舌」に掛かってもいいのではないか。
 琉球王府時代の大政治家具志頭親方蔡温(ぐしちゃん うぇーかた さいおん(1682~1761)は、独裁的な行政を批判された折り、次の1首に己の政治姿勢を託している。

 ♪誉り誹しらりや世ぬ中ぬ習い 沙汰ん無ん者ぬ 何役立ちゅが
 〈ふまり すしらりや ゆぬなかぬ ならい さたんねん むんぬ ぬやく たちゅが

 歌意=(上に立つ者)褒められたり誹しられたりするのが世の中というもの。善し悪し、清濁問わず、何の沙汰(みるみん しぃくみん)にも掛らない者が、琉球国のために、どれほどの役に立つものか!
 小さい(みるみん しぃくみん)なぞ、放っとけ!放っとけ!とは豪気と言える。
 一方、同時代の政治家山田親方なる人物は、こう詠んだ。

 ♪褒みらりん好かん誹しらりん好かん 浮世なだやしく渡ゐ欲しゃぬ
 〈褒みらりん しかん すしらりん しかん うちゆ なだやしく わたゐ ぶしゃぬ

 歌意=褒められるのも好まない。誹られるのも、また好まない。ただただ穏便に平穏に世間を渡りたい。
 この2首いずれを善しとし、いずれを悪しとするか。人それぞれが選択するところだろう。

 ◇みーぐー しきぐとぅ
 *見もの聞きもの。一歩外へ出れば、見たり聞いたりするモノ多々。出不精は、いささか損する。眼には眼の保養を。耳には耳の保養。心を開いて行動すれば、そこには多くの「みーぐー しきぐとぅ」がある。
 「みーぐー しきぐー」という畳語もあるそうで、見方聞き方を言い当てているそうな。

 ◇みじぃらさ ぴるまさ
 *珍しいこと、不思議なこと。それらを解明してみる努力は楽しい。読書よし、旅行よし。周辺には「みじぃらさ ぴるまさ」がいっぱいだ。沖縄本島にも「みじらしむん ふぃるましむん」があって、意を同じくして使う。好奇心は知識の入口。
 筆者の周辺の人は皆、やさしい人ばかりで年明けこの方、歓談のお誘いがない。放送屋は忙しかろうという気遣いらしい。そんなことはないのだが・・・・。
 しからば、まずは敬愛する上間久雄兄に電話して「ふたりの新年会」を催そう。あなたの同席歓迎。


畳語・重ねことばをたのしもう。パート8

2017-01-01 00:10:00 | ノンジャンル
 謹賀新年
 ちょっといい話で酉年を始めよう。
 その人の祖母は食事の度に「クァッチーでーむんなぁー=馳走だね=と言ってから箸をつけた。それは余所様の家、レストランであれ変わらない。他所ではその家の主人に。レストランでは料理を運んできたウェイトレスには言葉をあらため、眼を輝かせて「(大層な)クァッチーやいびんやー=大層な馳走ですこと」と言う。
 ある時、婆さんは体調を崩し、1週間の入院を余儀なくされた。そこでも病院食を出される度に「クァッチーやいびんやー」は、変わらなかった。
 筆者にも経験があって、病院食なぞはカロリー計算等々が成されていて、健康上は問題なかろうが、薄味で世辞にも(クァッチー)とは言い難い。それを婆さんは(馳走ですね)と病院の賄さんに声掛けして完食に努めた。ちょいと驚いたのは賄さんと同室の人たち。
 「病院食を馳走とは、お宅のお婆さんは日頃、どんなモノを召し上がっているの?」
 そう問われた付添いの家人は答えた。
 「ばあちゃんの信条なのです。食事をいただけるということは有難いこと。それを美味しく作って下さった人に感謝しないでどうするの。その気持ちを(クァッチーでーむんなぁー)(クァッチーやいびんや)で表しているのです」。

 さて、歌者大工哲弘に採集してもらった八重山・石垣地域の畳語・重ねことばを記してみる。

 ◇んぞーさ かのうさ
 *「んぞーさ」も「かのうさ」も愛しい、可愛いを意味する。同意語を重ねることによって(愛しい)の深さは増幅する。八重山の名曲「とぅばらーま」の殊に恋歌の囃し・返しに用いられる♪んぞーさヨ かのうさ~は、これである。島うたには所を問わず多用されている。琉歌を1首。

 ♪無蔵一人カナさ 村までぃんカナさ 無蔵一人退きば 村ん退ちゅさ
 〈ンゾふぃちゅさ カナさ むらまでぃん カナさ ンゾふぃちゅい ぬきば むらん ぬちゅさ

 歌意=愛しい人ひとりがいるから、その村のすべてを愛することができる。彼女ひとりがいなくなったら、そんな村なぞ、どうなってもいい。さっさと身を退く。
 いささか乱暴な表現だが、分からないことでもない。恋愛はすべてを明るくする。失恋はすべてを暗闇にする。

 ◇かくしー なーしー
 *隠しごとをすること。またはそのまま。お年玉は子どもの全財産。自分のそれを親にも兄弟にも取られないように(かくしー なーしー)したのはいつの日だったか。隠しごとは、すればするほど現れるもので、持ちなれない大枚のお年玉は結局、おふくろに預けて安心したものだ。
 ‟忍ぶれど色に出にけり我が恋は ものや思ふと人の問うまで”(平兼盛)も「かくしー なーしー」のうちだろう。沖縄本島では「かくしーまーしー」という。

 ◇がーりー はーりー
 *多弁を労して我を張ること。またはそのまま。転じて無駄口の多いさま。
 信念による自己主張は大いに結構だが、理屈に合わない(がーりー はーりー)は如何なものか。性格なのだろうが、周辺には一人二人はそうした御仁がいる。己の理屈が誤っていることに食付いても、言い放った手前「白」を「黒」とする。愛嬌ではすまされない場合がある。
 男二人。向き合って坐っている畳の上に黒いモノがある。
 A=これは何だ?
 B=黒豆だ。
 A=いやいや、蠅だよ。
 B=黒豆だよ!
 A=蠅だってばっ!
 とAが手で払うと、その黒いモノは飛んで行った。
 A=それ見ろ!。蠅だろう。
 するとBは言い放った。
 B=飛んでも黒豆だっ。
 ここまでくると「がーりー はーりー」も立派なものだ。

 ◇うまーざ はらーざ
 *思いもよらず。思案のそと。取っ掛かりもなく。突然になどなど、よく口にする畳語。沖縄本島風には「うまーじ ふらーじ」。
 新年会などで「うまーざ はらーざ」挨拶を指名されて「とぅぬー まーとぅ=戸惑うさま」することがある。日頃「寡黙の人」と称される筆者。こうした突然のフリに幾度、動揺したことか。

 年の暮れにカンヒサクラがほころびはじめ近々「日本一早い桜まつり」が開催される。今年の目標。特別にこれという思い立ちもない。申年の延長上に酉年を繋げて「あんないかんない=ああしーこーしー」過ごして行くことになる。相も変わらない「おきなわ日々記」になろうが、斜め読みでもしていただければ、筆者にとっては、これ以上の「いい年」はない。