社内の50代2名。30代後半から40代4名、20代から30代前半の人に聞いてみた。
「火鉢を知っているか。または、実際に使用したことがあるか」。答えはこうだ。
*20代後半~30代=見たことがない。火鉢という言葉も使ったことはない。
*30代後半~40代=祖父母や両親の話には聞いたことはある。大小さまざまな形。用途などは、風俗図鑑などで見たことはあるが、我が家にはない。
*50代=かすかな記憶はある。寒い日、ムーチーや鏡餅を祖母が焼いてくれた。
ことについでに、社外で会う70代以上の方々にもさりげなく聞いてみた。
*火鉢は暖をとるだけでなく、一家団欒のシンボル。「火鉢」と聞くだけで心が温まる。*世間ばなしや昔ばなしなどを聞いたのも火鉢を囲んでのこと。家庭教育の場でもあった。それから・・・。
年齢が高くなるにつれて、火鉢ばなしは尽きることを知らなくなってくる。気がつけば筆者も聞き手の立場をすっかり忘却して「股火鉢」の話をしていた。
「旧暦2月は極寒である。その中で1日の勤めを終えて帰宅した男たちは、寒さにこわばった顔をなでるなり、火鉢に跨って股間を温めた。女性は知るまいが、男の股間の袋は寒暖に至極敏感。暑い日には伸び、寒い日は縮小する。股火鉢をして袋を伸ばすことによって、ひと心地を復活させるのである。ボクも早く大人になって、堂々と股火鉢をしたかったのだが、大人に近づくにつれて火鉢そのものが姿を消し、夢を果たせず、寒暖に敏感な股間になってしまった」。
火鉢の琉歌を。
♪降ゆる雪霜ん 他所になち語る 埋ん火ぬ傍や 春ぬ心
〈ふゆる ゆちしむん ゆすになち かたる うじゅんびぬ すばや はるぬくくる〉
沖縄は霜はひと冬に1、2度霜は降りても雪は降らないけれど、極寒を表現するのに(雪霜)なる言葉はよく用いられる。
歌意=外は雪霜が降るほどの寒さ。けれども我が家の居間は、火鉢の埋れ火に炭をくべて暖をとり、外の寒さを他所ごとのようにして、家人と語り合う。心の中は、すでに春。「春の心地・気分」にせず「春の心」としたところがいい。火鉢の傍の語らいは、炭火にもまして心を温めるものであったに違いない。
さてさて。
八重山の歌者大工哲弘採取による石垣、登野城、新川、大川方面の「畳語・重ねことば」を拾うことにする。
◇まざーり かざーり。
*本モノか贋モノか。見分けがつかない。あるいは真偽が交錯して、正体、実態が分からないさま。
「あの政治家の言うことは、まざーりかざーりして、信憑性がない」「一流ぶってブランド志向を吹聴しているが、どこまでが本モノか。その実、まざーりかざーりファッションよっ」などと使う。人の世、真偽を見極めるのは難しい。
◇やりきぃん むしきぃん。
*無理やり承知で漢字を当てると「破れ着物、虫食い着物、ボロ着物」になるか。
昔、貧しいながらも、正直一筋に暮らしている老夫婦がいた。今夜は大晦日というのに何の支度もできず、火鉢に手をかざして年の明けるのをまっていた。すると、貧家の表戸を叩く者がある。婆さんが出てみると、質素な着物をまとった白鬚の老人が立っている。
「旅の者だが、一夜の宿を貸してはくれまいか」と言う。
「我が家もごらんの通りのあばら家。食するものもなく、あるのは火鉢の火と温かい薄茶だけ。それでよかったら温まっておいでなさい」。
火鉢を囲んだ老人3人は、ただ黙って夜を過ごした。
「いやいや。寒い夜は火が何よりの馳走。世話をかける」。
やがて就寝したことだが、夜が明けてみると、火鉢の傍に横になったはずの旅の老人の姿がない。それどころかそこには、老夫婦が余生を過ごすに余るほどの金銀が入った布袋が置いてあった。
「あの旅の老人は神様だったのだ。ワシらを哀れんで恵んで下さったのだ。ありがたや!ありがたや!」。
以来、老夫婦は大晦日には火鉢を起こし「火馳走・火正月=ヒーくぁっちー・ひーそーぐぁち」を恒例とするようになった。
「正直の頭に神宿る」「ボロを着てても心は錦」を教訓した昔ばなし。
◇ゆたべー かたべー。
*心の動揺。またはそのさま。沖縄本島ではそのさまを「ゆたみち」と言い「ゆたべー かたべー」に当たる畳語を筆者は知り得てないが「ゆたみち はたみち」はあると、友人に教えてもらっている。常に冷静、平常心を保持するのは難しい。何の根拠もなく、その都度思い付き、衝動だけの言動をしている筆者なぞ、酉年も「ゆたべー かたべー」しながら春夏秋冬を送ることになるだろう。
沖縄正月前の空は、灰色の空が島中を抱きすくめ時折、小雨を降らしている。遂にマフラーとダウンジャケットの世話になった。これを着用するのもひと月ほどか。せいぜい、きっぱりとした短い冬を楽しむことにする。
「火鉢を知っているか。または、実際に使用したことがあるか」。答えはこうだ。
*20代後半~30代=見たことがない。火鉢という言葉も使ったことはない。
*30代後半~40代=祖父母や両親の話には聞いたことはある。大小さまざまな形。用途などは、風俗図鑑などで見たことはあるが、我が家にはない。
*50代=かすかな記憶はある。寒い日、ムーチーや鏡餅を祖母が焼いてくれた。
ことについでに、社外で会う70代以上の方々にもさりげなく聞いてみた。
*火鉢は暖をとるだけでなく、一家団欒のシンボル。「火鉢」と聞くだけで心が温まる。*世間ばなしや昔ばなしなどを聞いたのも火鉢を囲んでのこと。家庭教育の場でもあった。それから・・・。
年齢が高くなるにつれて、火鉢ばなしは尽きることを知らなくなってくる。気がつけば筆者も聞き手の立場をすっかり忘却して「股火鉢」の話をしていた。
「旧暦2月は極寒である。その中で1日の勤めを終えて帰宅した男たちは、寒さにこわばった顔をなでるなり、火鉢に跨って股間を温めた。女性は知るまいが、男の股間の袋は寒暖に至極敏感。暑い日には伸び、寒い日は縮小する。股火鉢をして袋を伸ばすことによって、ひと心地を復活させるのである。ボクも早く大人になって、堂々と股火鉢をしたかったのだが、大人に近づくにつれて火鉢そのものが姿を消し、夢を果たせず、寒暖に敏感な股間になってしまった」。
火鉢の琉歌を。
♪降ゆる雪霜ん 他所になち語る 埋ん火ぬ傍や 春ぬ心
〈ふゆる ゆちしむん ゆすになち かたる うじゅんびぬ すばや はるぬくくる〉
沖縄は霜はひと冬に1、2度霜は降りても雪は降らないけれど、極寒を表現するのに(雪霜)なる言葉はよく用いられる。
歌意=外は雪霜が降るほどの寒さ。けれども我が家の居間は、火鉢の埋れ火に炭をくべて暖をとり、外の寒さを他所ごとのようにして、家人と語り合う。心の中は、すでに春。「春の心地・気分」にせず「春の心」としたところがいい。火鉢の傍の語らいは、炭火にもまして心を温めるものであったに違いない。
さてさて。
八重山の歌者大工哲弘採取による石垣、登野城、新川、大川方面の「畳語・重ねことば」を拾うことにする。
◇まざーり かざーり。
*本モノか贋モノか。見分けがつかない。あるいは真偽が交錯して、正体、実態が分からないさま。
「あの政治家の言うことは、まざーりかざーりして、信憑性がない」「一流ぶってブランド志向を吹聴しているが、どこまでが本モノか。その実、まざーりかざーりファッションよっ」などと使う。人の世、真偽を見極めるのは難しい。
◇やりきぃん むしきぃん。
*無理やり承知で漢字を当てると「破れ着物、虫食い着物、ボロ着物」になるか。
昔、貧しいながらも、正直一筋に暮らしている老夫婦がいた。今夜は大晦日というのに何の支度もできず、火鉢に手をかざして年の明けるのをまっていた。すると、貧家の表戸を叩く者がある。婆さんが出てみると、質素な着物をまとった白鬚の老人が立っている。
「旅の者だが、一夜の宿を貸してはくれまいか」と言う。
「我が家もごらんの通りのあばら家。食するものもなく、あるのは火鉢の火と温かい薄茶だけ。それでよかったら温まっておいでなさい」。
火鉢を囲んだ老人3人は、ただ黙って夜を過ごした。
「いやいや。寒い夜は火が何よりの馳走。世話をかける」。
やがて就寝したことだが、夜が明けてみると、火鉢の傍に横になったはずの旅の老人の姿がない。それどころかそこには、老夫婦が余生を過ごすに余るほどの金銀が入った布袋が置いてあった。
「あの旅の老人は神様だったのだ。ワシらを哀れんで恵んで下さったのだ。ありがたや!ありがたや!」。
以来、老夫婦は大晦日には火鉢を起こし「火馳走・火正月=ヒーくぁっちー・ひーそーぐぁち」を恒例とするようになった。
「正直の頭に神宿る」「ボロを着てても心は錦」を教訓した昔ばなし。
◇ゆたべー かたべー。
*心の動揺。またはそのさま。沖縄本島ではそのさまを「ゆたみち」と言い「ゆたべー かたべー」に当たる畳語を筆者は知り得てないが「ゆたみち はたみち」はあると、友人に教えてもらっている。常に冷静、平常心を保持するのは難しい。何の根拠もなく、その都度思い付き、衝動だけの言動をしている筆者なぞ、酉年も「ゆたべー かたべー」しながら春夏秋冬を送ることになるだろう。
沖縄正月前の空は、灰色の空が島中を抱きすくめ時折、小雨を降らしている。遂にマフラーとダウンジャケットの世話になった。これを着用するのもひと月ほどか。せいぜい、きっぱりとした短い冬を楽しむことにする。