旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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色は匂へと・健康かるた その2

2017-06-20 00:10:00 | ノンジャンル
 琉球歴史の中にその名を残す程順則(てい じゅんそく)は、1663年那覇久米村に生まれ、後に名護間切の総地頭に就き、名を名護親方寵文(なぐ うぇーかた ちょうぶん)を名乗ります。
 「琉球国を興すには、まず教育」。
 この信念をもとに(いろは47文字)を追って「琉球いろは歌」を詠み、普及に勤めました。これは自らも中国留学をして修めた中国の道徳本「六諭衍義」を平面な琉歌にしたものです。
 その「いろは歌」による教育振興策は、中国でも高く評価され、中国からの使者・冊封使を迎える首里城の表門には「守禮之門」の篇額を常設するにいたりました。

 「いろは」は、すべての物ごとの始め、第1歩を意味して、さまざまな標語、言葉を生んできました。それは現在でも継続されていて、教育者で作家の高橋和男は「めざせ長寿・健康かるた」をつくり、長寿社会に提供しています。今回はその2。

 (れ)礼状を すぐ書く筆マメ まめ老人

 「色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ」の「そ」を紹介します。なお、*印の短文は小生の蛇足。

 (そ)その煙草 やめよう孫がむせている。
 *喫煙歴50年余。優良喫煙家を自認してきた小生だが、古女房には「臭い!臭い!」を連発され、外では殊に女性に顔をそむかれ、たまにやってくる孫たちは、爺の部屋を避ける。小生が小学校高学年のころ書いた作文「タバコは父親の匂い」は、優秀賞を得たものだが・・・とかくこの世は住みにくくなった。

 (つ)伝えよう 昔のことを子や孫に。

 (ね)寝たきりと 着たきりすずめはいけません。

 (な)なにごとも 笑顔で返せば げんこつ引っこむ。

 (ら)落語聞き リラックスして休みましょう。
 *身を横にする。電話とメール機能のみのガラ携帯を開き、着信メールを読み返す。1日の終わりを実感。安心して眠りに入る小生。

 (む)無理通す じいさん 仲間が減っていく。

 (う)海の幸 たくさん食べよう 魚やこんぶ。

 (ゐ)いい日和 来年も見よう この桜。

 (の)上り下り 駅の階段 ゆっくりと。
 *ある老人はこう詠んだ。
 ‟老いぬれば頭は禿げて目はくぼみ 腰はまがりて足はひょろひょろ

 (お)お年寄り やがて行く道 粗末にするな。
 *励まし?と解釈しよう。生きていることは死に向かって歩んでいることだという。けれども都度「やがて行く道」と念押しされるとへこんでしまうのも老人心理だ。

 (く)薬より よく効く くよくよせぬ心。

 (や)山の神 いたからここまで 生きられた。
 *連れ合いに「にふぇーどー・ありがとう」と言えるかどうか。そこを考える暇はまだない。

 (ま)孫たちとやりましょ しりとりかるたとり。

 (け)怪我の元 無理なジョギングやめましょう。

 (ふ)風呂好きは よくなる体の血のめぐり。

 (こ)転びやすい 朝の起きがけ 日暮れどき。

 (え)栄養たっぷり 大豆は畑のお肉です。

 (て)できること 自分でやって体力アップ。
 *琉歌にいわく。

 ‟齢寄たんてぃやゐ 徒に居るな  一事どぅんすりば 為どぅなゆる
 <とぅし ゆたんてぃやゐ いたじらに WUるな ちゅくとぅん すりば たみどぅなゆる

 歌意=高齢を自認して、徒に時を過ごしてはならない。高齢者は高齢者なりに、いま自分ができることを一つでもやれば則、周囲の人、そして自分のためにもなる存在価値がある。

 雨の日。会社入口の3段ほどの階段を上がろうとすると、若い女性社員が「足元に気をつけてください」と、肩を貸してくれた。「長生きはしたいが年寄り扱いはされるのはごめん!」と思いながらも断らず、彼女の肩に手を置いた。
 沖縄の梅雨は、もうすぐ明ける。


色は匂へと・健康かるた

2017-06-10 00:10:00 | ノンジャンル
 ものごとすべて「いろは」の「い」から始まる。
 階段を上がるのも、まず一段目の踏み出しが肝要で、いきなり三段目に足を掛けても、まあ、登れないことはないが、踏み外す恐れがある。そうなると十段先の目的の場所には行けない。「千里の道も一歩から」の道理。そこいらから「いろは」は、いろんな心得を説く言葉、標語に用いられている。

 「めざせ長寿・健康かるた」。
 作者は高橋和男(ペンネーム・たかしま風太)1943年生まれ。日本児童文芸家協会会員。レクリェーションインストラクター。東京都公立小学校教師退任後、作家活動に入る。著書多数。盲老人ホーム。特別養護ホームらで歌と話しの活動を続けている」と、紹介されている。

 *(い)一年の健康祈る初日の出
     琉歌にも「一年ぬ事や元旦に定み 一日ぬ事や朝ぬ内に」とある。

 *(ろ)老化は足から病は気から

 *(は)はい!みかん 老化防止にビタミンC。
     小生もあわてて通販のビタミンCを取り寄せた。

 *(に)日本のお米のおかげで 米寿の祝い。  
     言うまでもなく米と八十八歳・米寿を掛けたところが面白い。

 *(ほ)惚れたハレたも若さの秘訣
    「男も女も色気を失ったらおしまいよっ」。「体力は衰えても、色気は保持したい」。

 *(へ)勉強はいくつになってもいいもんだ
     学ぶ、考えるは脳の活性化に繋がる。生涯学習。
     先日乗ったタクシーの乗務員いわく。「お客さんの前に乗った女性は七十余りの方。
     行き先は那覇市の定時制泊高校。爽やかな気持でハンドルを握れます」。

 ここで注釈を。「いろは句」のあとに書き加えている文句は、作者の言葉にあらず。小生の独白である。乞う容赦。

 *(と)年寄りの笑い声には福が来る

 *(ち)痴呆の予防 ひきこもりにならずにウォ―キング
     生活道路を40分ほどかけて歩く。行き交う人に挨拶をする。確実に笑顔と声がかえってくる。それが楽しみで足も軽くなる。

 *(り)料理する姑と嫁の笑い声

 *(ぬ)縫い物や編物をして指運動

 *(る)留守番はしっかり戸締まり火の用心
     電話の対応は慎重に。年齢を重ねるとアクが抜け皆「いい人」になる。
     会話を欲しているのだろうが、その「いい人」の隙につけ込む「わるい人」がいる。

 *(を)お薬は飲み忘れない飲み過ぎない

 *(わ)若者にも好かれる頭のやわらかさ
     カタカナ言葉が日常化している昨今、サプリメントをサプライズと言い間違えて若者に訂正された。以来、カタカナ言葉は、周囲の若者に使い方を教えてもらっている。新語は大いに吸収しよう。

 *(か)肩こりによく効くひ孫の小さな手
     私事ながら小生にも、上は大学二年次、下は3歳児の孫がいる。上の孫が結婚し、出産するまでは元気でいたい。

 *(よ)よく学びよく笑う脳元気

 *(た)大好きな孫にも愛のカミナリを
     孫は可愛がってばかりではいけないということか。けれども、孫に敬遠されたくなくてついつい目じりの下がった物言いをしてしまう。カミナリなぞ落とせないのである。「そう甘やかしてほしくないっ!」と、孫の親のカミナリを喰う。爺商売は難しい。

 子が巣立ち、いまは古女房とふたり。「新婚当時みたいね」と、気休めの顔マッサージをしながら片割れはのたまうが、逆らうとこちらが損。「うん」と生返事をして、その場を凌いでいる。戻ったようでも、そこは「元のまま」の「元」ではないからだ。
 「めざせ長寿・健康かるた」は次号につづく。


夏の琉歌

2017-06-01 00:10:00 | ノンジャンル
 天が割れるほどだった。
 朝から豪雨。その上、身体を貫くような稲妻を合図に、手の届くところを雷が走り抜ける。本能的に頭を抱えざるを得なかった。案の定、沖縄気象台は正午前「沖縄、奄美地方が梅雨に入った模様」と、梅雨入り宣言をした。5月13日のことである。
 草木が一応の高さに達するという語の「雨ぬ節=あみぬしち」といい、6月5日の「芒種=ぼうしゅ・ぼうすー」と合わせ読みをし「すーまんぼうすー」は、梅雨の季節「雨ぬ節」としている。稲の穂、豆を包む皮、麦の穂などに生える針状のそれを「芒・のぎ」といい、穀物が育つころをさす二十四節季のひとつが「芒種」であることはご存知の通り。そして、その雨ぬ節・梅雨が明けるのは6月23日ごろだそうな。
 湿度が高く、蒸し暑さは避けられない。この蒸し暑さを、ジメジメと湿っぽい暑さを言葉通り「湿ぷたい暑さ=しぷたいあちさ」という。語感からして異を得て妙。沖縄の雨ぬ節を実感できるのではなかろうか。
 そこで登場するのが植物のクバ・シュロの葉で作った「クバ扇=おおじ」である。除湿機付クーラーが普及したいまでは、クバ扇を見掛けることも少なくなったが、民芸品ではお土産用に見られるし、風流人は自前のそれを使い、長い夏を楽しんでいる。

 ◇クバぬ葉どぅやしが かにん頼ぬまさみ 暑さ涼ましゅる  風ぬ根元
 <クバぬファどぅやしが かにん たぬまさみ あちさ しだましゅる かじぬ にむとぅ

 歌意=たかがクバの葉なのだが、こうも頼もしいことか。この暑さを涼しくさせてくれる風の源になっている。重宝!重宝!

 陽がすっかり暮れても地熱が残っていてなかなか眠りにはいれない。まどろみながらもクバ扇の手は動いてい、また、真昼間であっても暇な爺婆は庭の九年母木(くぬぶんぎー。ミカンの木。柑橘類の1種)の下や通りに立っているガジュマル木の下にゴザを敷いて坐ったり、寝転んだりしている風景があちこちに見られた。中にはマイ枕、それも木枕を持参。傍には茶菓を置き、もちろん、クバ扇は忘れない。屋外のことだから爺婆の薄い?血を嗅ぎつけたかしてガジャン(蚊)がやってくる。それを追い払うのもクバ扇の役割だ。着物の裾を堂々とからげ、そこへパタパタと風を送っている爺婆もいた。股間を扇げば涼しくなることを知ったのは、大分あとのことだ。人間の身体で冷やしていいのは頭だけという俗説を聞かされて、股間に風を送るかどうか迷っている。

 ◇蚊遣火ぬ煙寝屋に立ち込みてぃ あいち居らりらん共に出じてぃ
 <かやりびぬ ちむり にやに たちくみてぃ あいちWUらりらん とぅむに んじてぃ

 *あいちWUらりらん=息ができない。じっとして居られない。
 歌意=蚊帳を吊った上に蚊取線香を点けて枕をかけたことだが、息もできないほどの煙に苛まれ、たまらず庭戸を開けて、追い出したつもりの蚊と共に外へ出る羽目になった。
 いささか狂歌風ではあるが、夏の夜の情景を描くことができる。
 私は煙草を切らしたことがない。もう60年近く嗜んでいる。チェーンスモーカーのお褒めの言葉をいただくこともある。外ではともかく最近は孫たちの出入りが頻繁につれ、家人に禁煙を強いられ、ニコチンの誘惑にかられた折りは小さな2階に逃げ込み、まず、窓を全開しクーラーを点け、扇風機を回し、紫煙を追い出す工夫をこらして欲求を満たしている。冬はジャンパーを着用してでも窓は開け、扇風機の首を振らしている。さあ、この夏はどうか。
 習慣通り窓を開け放すと蚊や小さな虫が灯りを慕ってやってくる。そこでクーラー、扇風機と共に蚊取線香の世話になる。が、この努力は誰も評価してくれない。世界禁煙デーも日取りされている昨今、禁煙に背を向けてまで喫煙を続けている私に対して煙草会社は、表彰状のひとつも出すべきだが、そんな沙汰はまるでない。
 話が横にずれた容赦。

 ◇しだしだとぅ吹ちゅる若夏ぬ風や 何時ん我が袖に宿てぃ呉らな
 <しだしだとぅ ふちゅる わかなちぬ かじや いちん わがすでぃに やどぅてぃ くぃらな

 歌意=時折、涼感をもって清々しく吹く若夏の風よ!そのまま我が着物の袖に宿ってくれまいか。
 若夏という季節用語は沖縄だけのものだろうか。辞書にも見当たらない。しかも四季に「若」が付くのは「夏」だけで、若春、若秋、若冬とは決して言わない。1年をうるじん・うりじん。春・若夏・夏・下夏(しむなち)・秋・冬と6つに区分。夏が一番長いところから、この期間を「若夏」「夏」の二つにして呼称したのもと考えられている。

 屋根の直ぐそこまで灰色の雲が抱きすくめ、飽きもせずシトシトと降ったと思えば、一変して襲う雷雨。笑顔でいる人はひとりもいない。30度越えの気温にまだ、ついていけないからだ。その内、季節だから「仕方がない」と諦めもつくだろう。
 どこをどうはい上がってきたのか、小さなチンナン(蝸牛)が窓のガラスに白い腹部を見せてくっついている。