旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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馳走・クァッチーの季節

2016-01-20 00:10:00 | ノンジャンル
 「暮れからの正月、昨日今日にかけて、来店客は並みでしたが、出前、持ち帰りが例年より多く、包丁を置く間がなかったですね。外食より、一家団欒型だったような気がしますよ。今年の正月は」。
 ビールで寿司をつまみながら、店の大将と正月景気を話題にする。その間も大将は厨房の職人に指示の声を飛ばし、出前用の握りの手をせわしく、小気味よく動かしている。
 「二、三人で来た客でも近頃は、残った料理を折詰にして持ち帰る。傍らから見れば、どう思うか知れませんが、私としては嬉しい。美味しく食べたモノを家の人にも味見をさせたい気持ちが感じられますからね。若い女性でも、明日の弁当にすると言って折に詰めさせる。料理人にとっては、店で食べても持ち帰っても(完食していただく)これが冥利というもので、作り甲斐がある。飽食なぞと言われたひと頃まえは、人数分以上に注文して、各器に料理を残して帰る客が多少いましたね。(残すくらいなら、そう多く注文するなよ)と、心の中で舌打ちしたことも、正直ありますね。追加注文はいくらでも出来ますから、お腹とも相談して(完食)してほしい。残す人に限って勘定するときに出す財布は分厚い。いやいや、余計な観察でした」。
 ボクは慌てて、ひとつだけ残ったエビの握りを口に放り込み、ガリも残さずビールで胃袋に納めた。
 「残りモノはどうするかって?廃棄処分以外にない。その前に(箸がつけられないほど不味かったのかなあ)と、そっとひと箸ふた箸味見することもありますよ。職人は腕一本が誇りですから」。
 ネタを並べた白木の卓の向こう側には、割烹着に搾り鉢巻の自信と誇りが立っている。

 「秤飯めー=はかゐ はんめー」という言葉を思い出した。
 「秤」はものの分量を計るハカリ。「計・はかる」の文字を当ててもいい。「飯めー」は、間食を除く三度々々の食べ物の総称。
 「食事はその日のうちに完食する分、秤で計ったように仕込め。余してはいけない」と、諭している。かつての食糧事情が覗える言葉。
 また「余ゐや不足=あまゐや ふすく」と言い、食べ物の場合、食べ余してしまうと、その次のそれが不足することになるという例えだ。
 食べ物ではなく、他のものでも余してしまうと「帯に短し襷に長し」になりかねない事例は多々あるものだ。
 食べ物はすべて「天からぬウェームン=天の神様からの恵み・いただき物」とも言う。青年になるまで、決して豊かではなかったボクなぞも、飯粒ひとつでも残そうものなら、
 「天の神様は、米一粒は米俵一俵として下さるのだから、残してはいけない!」。
 親はそう言って、その一粒を飲み込むのを見届けるまで、食卓を離れることを許さなかった。それが身についたのか、いまでもご飯が少々残るとお茶か汁をかけて食している。したがってボクが使った食器は(舐めたように)きれいで、食器洗いの役に立っている。

 食べ物はすべてに優先する。こんな狂歌はどうだろう。
 ◇ヤーサ・アンマサとぅ 恋とぅ比びりば 御恥かさあしが 芋どぅ取ゆる
 〈ヤーサ・アンマサとぅ クイとぅ くらびりば うはじかさ あしが ンムどぅ とぅゆる
 *ヤーサ=ひもじい・空腹。*アンマサ=病い・体調不良。
 歌意=空腹・頭痛などと恋を比べた場合、あなたならいずれを優先させるか。恋はしばし先送りすることができる。しかし、空腹、病いの鬱陶しさは我慢できない。ボクならば、恥ずかしながらまず芋を選択する。腹が減っては恋はできぬ。
 本音のところ、誰しも食べ物優先ではなかろうか。それとも、恋を至上のものとして、空腹、不機嫌を乗り越えて(恋を成就)させるか。胸に手を当て、マジで考えてみるのも一興。ヤーサVS恋。人間一生の、いや、永遠のテーマである。

 奄美大島にはズバリ!「飯米知り節」という島うたがある。
 村はずれの道で出逢った若い男女の会話がそのまま歌になっている。
 男=おやおや姉ちゃん。笊なぞ持ってどこへ行くのサ。しばし此処でお話ししようよ。
 女=だめよ!だめだめ!アタシはこれから夕食用の山菜を採りに行くのだから、おしゃべりしているヒマはないの!邪魔しないで!
 男=そうかい!そうかい。そんなことなら案ずることはない。山菜採りはオレが手伝ってあげよう。何ならオレんちの畑の野菜でも芋でも、キミに上げてもいい。だからさぁ~、夕刻までここで、いいことしようよ。
 さあ、そう言われて彼女は山菜採りを優先させたか、恋をそうしたか。それとも両方手に入れたか。そこまでは歌われていないのが、何とも気になってならない。

 陰暦の正月「うちなぁそうぐゎち」。今年は来月2月8日にあたる。
 それまで諸々の沖縄風年中行事があり、ひとつひとつ旬のものを使った馳走を作り、1年の息災を祈願して仏壇に供えた後、一家で食する。したがって沖縄は「クァッチーの季節」がつづく。わが家の女主人は「食べる行事が多くて、困った困った!ああ、忙しい忙しい!」を連発。それでも苦にしている様子はなく、かえって愉快そうに、寒さを厭わず、まるまるとした身体をゆすりながら食材の買い出しに出かける。何かで見た川柳を思い出す。
 ‟皮下脂肪 資源に代えたら ノーベル賞”


柳は緑 花は紅 人はただ情

2016-01-10 00:10:00 | ノンジャンル
 柳は緑花は紅=自然のままの姿。また、物事に自然の理が備わっていることを例えた慣用句である。
 柳は、ヤナギ科ヤナギ属落葉高木・低木の総称。北半球の温帯に広く分布。日本に30種以上産するそうな。
 詠歌や節歌にも登場する。2首ほど拾ってみよう。

 ◇青柳ぬ糸に かりゆしゆ結でぃ 嬉し事聞くぬ 月どぅ待ちゅる
 〈あWUやじぬ いとぅに かりゆしゆ むしでぃ うりしぐとぅ ちくぬ ちちどぅ まちゅる

 歌意=(青柳の枝を糸になぞらえて)その糸に嘉例吉(縁起のいいこと。めでたいこと。沖縄独特の熟語)を結んで置いて、この1年の来る月々を待とう。
 詠み人は、第二尚氏18代目の琉球国王尚育。首里・那覇・泊村に(村学校)と称する教育施設を建て、教育振興を始めた人物。国王の立場からすると琉球万人、教養を身に付け、自然の理を心得、琉球国の安寧を願った1首とも読み取れる。また、「嬉し事聞くぬ」の「チク」は、花の「菊」に掛けた言葉と言われる。薩摩や中国に旅する人には、柳の枝を持たせて(柳に枝折れ無し)の譬えのように、旅先でも何事もなく過ごし、無事の帰還を願ったとする(風習)があり、琉球国内だけでなく、遠国に派遣された人びとにまで思いを馳せた尚育王の治政のほどが覗える。

 ◇柳は緑花は紅 人はただ情梅は匂い
 宮廷音楽の中のひと節「柳節・やなじぶし」の歌詞である。漢詩「柳緑花紅」そのままである。特異なのは、琉歌が8886の30音で詠まれるのに対して、この1首は7786音の28音であること。
 歌意=柳の緑、花の紅、梅の匂い。これは不変である。では、人は何を不変とすべきか。それは(ただ情)に尽きる。
 そのことを全うして逝った先人を供養するために、新しく建てたお墓の落成儀式には、この歌を「祈祷替わり・ちとぅーがわい」として、新墓地の前で演奏するならわしは、今日でも成されている。もっとも、よほど先祖崇拝を重んじる一族の場合だが・・・。
 けれども、舞踊になると様子は一変して「緑葉花紅」そのものを表現し、紅型衣装に髪飾り、手には柳の枝を持って、それは優美に踊られる。
 琉球宮廷舞踊には「七踊・ななWUどぅゐ」と称する七演目がある。すなわち「諸屯節・しゅどぅんぶし」「かしかき」「伊野波節・ぬふぁぶし」「作田節・ちくてんぶし」「柳節・やなじぶし」「天川節・あまかわぶし」「本貫花節・むとぅぬちばなぶし」を指す。
 この「七踊」を特に「女七踊・ゐなぐななWUどぅい」と称している。あえて「女踊」としているのは、かつての宮廷芸能人は、すべて男性で「女踊」もその例外ではなかったためだ。したがって、宮廷舞踊の伝承者は明治期まで男性だったが、宮廷舞踊が大衆化されるにしたがって、女性の踊り手が登場。「男性によってなされた女踊り」の枠が広がり、本来のそれをあえて「女」の文字を被せたと言われる。もちろん、現在でも男性舞踊家の「女踊」は舞台にのるが、戦後この方、女性舞踊家が圧倒的に増加。「女」の文字を取り、単に「七踊」というようになった。さらに前記の「七踊」に加えて「瓦屋節・からやーぶし」「本貫花節・むとぅぬちばなぶし」「苧引・WUびち」の3演目を加えて「女踊りの代表演目」としている。
 「20年、30年かけてこれらを修得してはじめて、自らを‟舞踊家”と公言出来よう」。
 大御所の舞踊家の言である。
 七踊は原則的に「出羽・んじゃふぁ・出の踊り」「中羽・なかふぁ、もしくは本踊」「入羽・いりふぁ。入りの踊り」の3部構成で、中羽の節名が、その踊りの演目名になっている。内容はほとんど首里士族の婦女子の喜怒哀楽を主としている。それだけに心理的表現がポイント。明治以降、地方の歌謡に振付をした雑踊・ぞうWUどぅゐ」と異なり、静的優雅をモットーとしている。

 さてさて。
 「柳緑花紅」に戻し、辞書を頼りに「柳に関する慣用句」を拾ってみる。
 ◇柳に風と受け流す=少しも逆らわず、穏やかにあしらうさま。
 ◇柳に雪折れ無し=しなやかなものは、かたいものよりもかえって、よく事に耐えられるたとえ。逆の意味を持つ沖縄の俗語に「硬ぁ木や折りー易っさん・くふぁぎーや WUりーやっさん・硬い木は折れやすい」がある。
 ◇柳の下に何時も泥鰌は居ない=柳の木の下の水辺で、たまたま泥鰌を捕まえたからと言って、そこに行けば何時でも泥鰌が得られるとは限らないことから、1度成功したからと言って、同じ方法で幸運が得られるとは限らない。と言う戒め。
 ◇柳の眉=美人の眉を指す。が、その表現は昔のことで昨今に通用するかどうか。なよなよした女性の腰のさまを「柳腰」と言うそうだが、和服着用ならいざ知らず、最近は「柳腰」の女性に出逢ったことが、とんとない。
 ◇柳を折る=柳の枝はしなやかで、曲げてもすぐに元に(返る)ため、帰還の意味の(帰る)に掛けた言葉。惜別する人に、また逢えるように、その人が返る・帰る)逢えるようにの願いを込めて、別れ際に柳の小枝を贈る風習が中国にはあったそうな。

 これと言った意気込みもなく申年を歩み始めた。それではあまりにも不粋すぎる。そこで‟柳は緑花は紅 人はただ情梅は匂い”の(ただ情)を心に秘めて、人との出逢いを大切に楽しみことにする。


琉歌で寿ぐ・申年

2016-01-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「キャッ!キャッ!」
 いやいや、猿の声ではない。2歳になる男児・孫が年始にやってきた。猿の縫いぐるみ相手に騒いでいる。キャッ!キャッキャッは猿の鳴き真似をしているのである。本人は「サル」をまだ「シャル」としか言えない。75歳年上の爺は、それだけで「いい正月」を享受するのである。

 ◇朝夕我が願えや くとぅぐとぅやあらん 命果報強さ あらち給り
 <あさゆ わがにげや くとぅぐとぅや あらん ぬちがふう ぢゅうさ あらちたぼり
 
 長命は、命の果報あってのこと。‟1年の計は元旦にあり”の慣用句で捉えるとこの1年、朝夕願うことは、あれこれ多くのことではない。願望はただひとつ。胴頑強(どぅ がんじゅう・健康)それのみです。(そうあらせ給え)と、年頭の祈願を昔びとを詠んでいる。十二支を6周り余り経過させた爺にとっては‟正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし”の1句がちらつかないでもないが、キャッキャッ!の声を聞くと、いましばらくは「命果報」を願いたくなる。もちろん、それは己一人のそれではなく、一族郎党、友人知人のそれも同時に願うのは言を待たない。

 申=十二支の第9。昔の時刻で、今の午後3時から5時までの2時間。方角は西南西。
 猿は沖縄には生息しない。けれども、桃太郎のはなしに親しんだせいか、幼少のころから(身近な愛嬌者)として傍らにいる。往年の空手の達人本部朝基(もとぶ ちょうき=1871~1944)は、身のこなしが猿のように敏捷だったことから(本部猿・むとぅぶサールー)と、愛称・・・・というよりも尊称されている。また、歌三線にのせて即興で舞う「カチャーシー舞い」でも、ひょうきんな手ぶりを随所にいれて成すのを「サールー舞うい・猿舞い」と称し、祝座を沸かせる。

 ◇今日ぬ佳かる日に 昔友逢ちゃてぃ 嬉しさや互げに 語てぃ遊ば
 <きゆぬ ゆかるひに んかしドゥシ いちゃてぃ うりしさや たげに かたてぃ あしば

 正月祝い、長寿祝い、誕生日などなど、すべて佳日。
 聖人孔子は‟友、遠方より来る、また楽しからずや”と詠じている。必ずしても、公的なそれではなくても、友・旧友・古馴染みの来訪は(佳日)に違いない。正月はそのいい機会である。日頃訪ねたくても果たせない旧友訪問も、年の始めには諸事厭わずできる。その歓びを「今日の佳き日に古馴染み相集い、一献かたむけながら語り合う」。至福のときになる。
 多くのことを教示して下さった教育者・芸能研究家の与那覇政牛翁(1895~1972)宅には、正月のたびに昔友、教え子たちが参集。組踊の台詞を唱え合ったり、三線の音を楽しんでおられた。風雅な佳日のありようで(いい年齢になったら、ボクもそうしよう)と決心したことだが、いまだに実践していない。

 猿・申・サル。
 猿は呼び名もさまざま。エテ、エテ公、ましら、モンキーなど。辞書には、ヒトを除く霊長類の総称。南アメリカ産で樹上生活の広鼻猿類のほかにツバイ、キツネザルなどの原始的な源猿類も含まれるとある。

 慣用句にみる猿。
 *犬と猿=(人間の)相性がよくないさま。犬猿の仲。
 沖縄には猿がいないため「猿」は「猫」にその座をゆずり「犬と猫・インとぅマヤー」と言う。
 *猿がラッキョウを剥く=猿にラッキョウを与えると、食べる部分を残さず、しまいまで全部皮を剥いてしまうことから、無駄な努力をして、効果がまったく現れないさま。
 そのせいか「猿は人間に毛が三本足らぬ」という。人間によく似てはいるが、知恵は及ばないことを言い当てた俗語。

 ◇根ぬ張ゐや巌 身は龍ぬ如とぅ 寿や千歳 子孫揃るてぃ
 <にぬはゐや いわう みやタチぬぐとぅ くとぅぶちや ちとぅし しすんするてぃ

 歌意=松の大木。老木が巌を抱き、四方に根を張るような生命力、精神力。身体は天駆ける龍のような頑強さであり、歓びごと・寿は千歳に続く。もちろんそれは子孫揃ってのことでありたい。
 たいそう欲張りすぎる1首ではあるが。しかし「願いらーいい事からまぎまぎーとぅ願り」ともいう。願い事をするならば、いい願いを大きく大きく願いなさい昔びとは奨励している。
 さあ、開幕した申年、何がどう待ち受けているか予断はできないが、身も心も健全であって(大望)をもって行動したいものだ。

 孫が置き忘れた猿の縫いぐるみが、遊んでほしいのかこっちを向いている。キャッキャ!と小声で言い、指で鼻先をつついたら、キャッキャ!と返事をしたような気がした。それなりの(正月日和)である。