旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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おきなわの春・さんしんの春

2008-01-31 17:48:07 | ノンジャンル
★連載NO.325

 「さんしんの日まで、あと○×日」
 RBCiラジオは、連日カウントダウンをしている。
 平成20年3月4日は、第16回「ゆかる日まさる日さんしんの日」。正午の時報を初回として、午後8時の時報まで都合9回、沖縄中のさんしんが代用的な祝儀歌「かじゃでぃ風節」を奏でる。主会場は読谷村文化センター「鳳ホール」。例年、多くの人が自慢のさんしんを持参して一斉演奏に参加、季節的に北から南へ変わろうとする初春の風が、さんしん色に染まる一日になる。

 ♪嬉しさや今年 世果報ぬしるし 道歩む人ん 歌ゆうたてぃ
 〈うりしさや くとぅし ゆがふうぬ しるし みちあゆむ ふぃとぅん うたてぃ〉
 歌意=今年も豊作に違いない。その兆しはすでに表れている。心豊かに働いている人が皆、歌をうたい晴れやか。なんとも喜ばしいことだ。
 琉球王府時代の詠歌である。いつの世も平和でなければ、人は歌なぞうたわない。うたえる状況ではないからだ。ある民俗学者は言う。
 「人間の間で歌が盛んにうたわれるのは、その国がよく治まっている証拠である。時の政治家は、このことを見極めなければならない。人民は、音楽を日常的に楽しんでいるかどうかを知らなければならない。人民の腹が減っていては、歌声は聞こえなくなる」
 わが国はどうか。
 確かに平和である。音楽も盛んだ。しかし、音楽文化は「音楽産業化」してしまい、芸能界だけがお祭り騒ぎをしているように思えてならない。
 「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、かつてそうであったように「暮らしのための音楽を、すべての人で共有したい」。その想いがあって生まれた〈日〉である。幸いにして沖縄には、悠久の歴史の中で誰もが親しんできた(さんしん)がある。人口130万。県内さんしん保有数約25万丁〈平成18年調べ〉。
 「突っ拍子もないッ」と当初、周囲から危惧された企画も、いまや全国的いや、世界的になってきた。そのことは、世界中が平和を願望している証とするのは、提唱者の自惚れだろうか。

 余話。
 午前11時45分放送開始は、学校現場に影響した。その日は火曜日。授業中のため3時、4時ごろまではラジオに付き合うわけにはいかないのである。しかし、選択音楽で(さんしん)を学んでいる沖縄市立宮里中学校〈生徒数776人〉では、独自に演奏時間を設定している。2年生38人は、当日は早めに登校。担当の根間秀雄教諭の指揮の下、午前8時15分の全体朝会で「かじゃでぃ風」の演奏をする。
 「生徒たちもこの日を特別の日ととらえている。また、高校受験を目前にした3年生に対するエールの心情が込められているのですよ」
 根間教諭は、そう語っている。
 生徒たちもまた「あなたの特技はなんですか?」と聞かれたら、迷わず「さんしんッ」と答えられるように稽古しているとサラリ言う。主催側としては感涙ものである。

 番組は、3時間区切りの3部構成。今年は、第2部の1時間を他県出身者の出演にしてある。最近「さんしん留学」なる言葉を耳にすることができる。学術的にさんしん音楽を研究しにくる人もあるが、多くは全国的に発売されている沖縄音楽のCDに感じ入ったか、または公的な演奏会や個人的民謡ライブに魅せられたかしてやってくる若者が多くなってきた。これが「さんしん留学」だ。
 「自分で弾くさんしんに、自分の歌声を乗せてみたい」
 この想いがある。3年、5年。中には、沖縄人と結婚して定住する例も多く、沖縄音楽団体に所属して、新人賞・優秀賞・最優秀賞を受賞。さらには、資格試験に合格して教師や師範の資格を得た人も少なくない。
 このことは、思わぬ効果をもたらした。
 「大和人〈他府県人〉がここまでやる。われわれ沖縄人も、真剣にさんしんと向かい合わなければならない」
 これである。さんしん留学生は、目的意識があって沖縄に来る。地元は「身近にある楽器、いつでも弾ける意識」がある。この差が上達度にも表れているように思える。
 さんしんは、ものを言わない。向き合い、愛してくれる人に(沖縄)を語ってくれるのである。
 ♪さんしんぬ音色 情染みなすゐ 諸人ぬ肝や 一ちさらみ
 〈さんしんぬ にいる なさき すみなすゐ むるびとぅぬ ちむや 
ふぃとぅち さらみ〉
 歌意=さんしんの音色は、情けで染め上がる。そのとき、人びとの心は本当にひとつになる。

 沖縄の春は「さんしんの日」が連れてくる。


次号は2008年2月7日発刊です!

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続・ガラサーばなし

2008-01-24 13:58:11 | ノンジャンル
★連載NO.324

 「ゆんたーガラサー」なる俗語がある。
 ゆんたく=おしゃべり。ゆんたー=おしゃべり者。ガラサー=鳥・カラス。
 したがって「ゆんたーガラサー」は「おしゃべりカラス」だが、擬人化して「カラスのように、よくしゃべる人」を言い当てている。
 地域の人びとの気質を表す言葉にも適用。「金武ガラサー」「山原ガラサー」「黒島ガラサー」があって、この地域の人たちは総じて「おしゃべり」としている。金武〈きん・チン・現金武町〉。山原〈やんばる。沖縄本島北部の総称〉。黒島は八重山・竹富町の離島。土地の言葉では「フスマ」という。
 一般的におしゃべりを「ゆんたく・ふぃんたく」と重ね言葉にして「多弁を労する・無駄ばなし」と解釈するせいか金武、山原、黒島の人たちは「ガラサー」呼ばわりを快しとはしていない。見た目にきれいな鳥に例えられるならばそうでもなかろうが、なにしろ全身が黒色。その上に「不吉な鳥」のレッテルを貼られている。そのカラスに例えられては、容認するわけにはいかないのも無理はない。
 「ゆんたく・おしゃべりを無駄と考えるのは短絡である。人間にとって会話は重要。ガラサーに例えられても、ワシは山原ガラサーの呼称をコミニュケーションの取り上手としているから、別に反論しない。言葉は人類の財産だ。どこの言葉でも」
 そう言って胸を張るのは現在、神奈川県川崎市に在住し琉球民謡絃友会主宰・歌者名渡山兼一〈琉球古典音楽野村流師範〉。山原は本部町伊豆味の出身である。

 かつては「霊鳥」とされたカラスは、琉歌に数多く詠まれている。
 ♪鳴かんガラシぬ声聞きば 生りらん先からぬ縁がやゆら
 〈なかんガラシぬ くぃーちきば んまりらん さちからぬ ゐんがやゆら〉
 歌意=鳴かないカラスの声を聞けば、[ふたりの仲は]前世からの縁と思われてならない。
 節名「あやぐ」に乗せて歌われ、お盆のエイサー歌にも取り入れられている。
 人間、雑念を払い心頭を滅却れば、通常では聞こえない音・声を聞き取り、見えないものを見ることが出来るとする仏教の[悟り]を思わせる1首である。
 件の名渡山兼一は言う。
 「両の瞼を閉じて黙念すれば、30余年前に離れた故郷のここかしこや親しい人たちの顔がはっきりと見える。
 彼も歌道を通して[悟り]に達したようだ。

 いま1首。
 ♪鳴かん夜ぬガラシ闇ぬ夜ぬ恨み 聞かん思無蔵が忍ぶ山路
 〈なかんゆぬガラシ やみぬゆぬうらみ ちかん うみんぞが しぬぶくいじ〉
 語意・闇ぬ夜ぬ恨み=黒色のカラスが闇夜のどこにいるのか判然としないのが恨めしい。思無蔵=思い合った女性。
 歌意=彼を慕って独り寝の彼女。声もなく姿も見えない闇夜のカラスのような彼が恨めしい。しかし、心頭で彼の愛の言葉を聞いた。たまらず、山路を駆けて彼のもとへ行く。恋心もまた悟りの心境。
 
恋すものは、形のないものに姿を見、声なきを聞くことができる。霊妙の感覚がはたらくようだ。白隠禅師の詠歌に同様な歌がある。
 *闇の世に鳴かぬ鳥の声聞けば 生まれる先の父ぞ恋しき
 こうした詠歌を「道歌」と称するそうな。心眼をもってすれば、すべての真実を感受することが出来、天の声も聞き取ることが出来るということか。
 白隠禅師=〈1685―1768〉。
 江戸中期・臨済宗の僧。駿河の人で妙心寺の高位にありながら諸国を行脚。禅の民衆化に尽くしたと、ものの本にある。

 カラスはチエに長けている。
 山原での話。
 ミカンやパインナップルが熟するころ、カラスは人間さまより先に味見をしにやってくる。農家の人たちは、村の集会所で会議を開き「空砲を撃って退散」させることを決議した。翌日、早速実施したのだがカラスは一瞬、発射音に反応は示すものの退散にはいたらない。仕掛けた人たちはギッブアップの態で言った。
 「会議を開いたとき、集会所の屋根にカラスがたむろしていた。実弾ではなく空砲であることを盗み聞いたのだよ。人間の言葉を聞き分けるからなぁ」

 地球温暖化に伴い、自然との共存が難しくなった。カラスに「地球の未来」について教えを乞いたいが、私にはまだ「鳴かんガラシぬ声」が聞き取れない。未熟。


次号は2008年1月31日発刊です!

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カラス・ガラサー異聞

2008-01-17 15:00:59 | ノンジャンル
★連載NO.323

 「髪はカラスの濡れ羽色」
 殊に女性の髪は、若いカラスの羽のように(黒)をよしとしたものだが、昨今はそうでもない。茶髪を主流に思い思いの色に染め、カラスの濡れ羽色どころか、孔雀のようなヘアカラーも街を闊歩、見ているだけで楽しくなる。

 普通、われわれが「鳥・カラス」と言っているのは、スズメ目カラス科のハシブトガラスとハシボソガラスの総称。一見、全身は黒色だが部分的に紫や緑の美しい光沢のある羽を有している。奄美大島・沖縄・宮古の各諸島には、リュウキュウハシブトガラス、八重山諸島にはオサハシブトガラスが生息しているそうな。
 ふだん見かける野鳥たちは、我々に癒しをもたらし、好感をもって親しまれているが、カラスはどうだ。全身(黒)に生まれついたばかりに、忌み嫌われているのは誠にもって遺憾としか言いようがない。古くは(霊鳥)とされた時代もあり、農作物につく害虫を補食する(益鳥)の地位にあったが、近年なって、田畑を荒らす(害鳥)に成り下がろうとしている。東京などでは、表に出したゴミを食い散らす(極悪鳥)と目されて駆除の対象になっているのも気の毒だ。
 沖縄でもカラスは、不吉な鳥・縁起の悪い鳥とされてはいる。例えば、民家の上でカラスが鳴くと、その家に不幸ごとが起きると言われた。しかし、そのカラスを追い払うようなことはしない。逆に「いい事、語りよう、ガラサー(縁起悪いことは告げず)いいことだけ語っておくれ」と唱えて合掌するのである。
 カラスの沖縄方言はガラサー。もしくはガラシ。
 身近にいるせいか、古くから歌の主人公になっている。那覇のわらべ唄にいわく。
 ♪がらさーホーや見ゆん見ゆん 1升がヤンムチ買うてぃ たっちきり!たっちきり!
 歌意=カラスの陰部は見えるぞッ見えるぞッ。米1升ほどの鳥モチを買ってきて、くっつけろッ。隠せッ隠せッ、くっつけろッ。
 「子ども。なかでも女の子に対する行儀を教えた歌だ。カラスさえ陰部は見せてはいけないのに、女の子は隠すべきところは隠さなければいけませんと諭したんだね」
 沖縄風俗史研究家崎間麗進氏は、そう解説している。
 また、大宜味村喜如嘉〈おおぎみそん きじょか〉には、次のような歌がある。
 ♪いぇーガラサー 汝ぁ後から 大和人ぬティップー持っち 射っ殺すんどぉ 前見りよー 後見りよー パーッ!
 歌意=お~いカラスよ。お前の後ろから大和人が鉄砲持って攻めてくるぞ。射、殺されるぞッ。前を見、後ろもよく見て逃げろッ。パーッ!(このパーッは鉄砲の発射音)
 慶長14年〈1609〉。薩摩藩は領土拡張を目的に樺山久高、平田増宗率いる3000余人の軍勢で琉球を侵略した。薩摩入り、島津侵入、慶長の役、島津の琉球入りなどと言われる琉球歴史に特筆される事件である。同年3月4日。島津軍は山川港を出陣。奄美大島・徳之島を攻伐した後、3月25日には今帰仁村運天〈なきじんそん うんてん〉に上陸した。なにしろ「棒の先から火玉が出るモノ=鉄砲」を武器に島津兵が攻めてくる。国頭〈くにがみ〉、今帰仁、大宜味の人たちは着のみ着のまま命ひとつを引っさげて逃げまどう以外、術を知らなかったであろう。しかし、自分の命さえどうなるか予測できない中でも、人びとはガラサーに呼びかけることを忘れなかった。
 「お~いカラスよ。逃げろッ。ひたすら逃げろッ。殺されてはいけない。死んではいけないッ」
 この古歌にならったのではなかろうが沖縄戦の最中、那覇からヤンバル〈
沖縄本島北部の総称〉に戦火を逃れた人の中には、地理不案内もあって「とにかく、カラスが飛び逃げて行く方向へ避難行動をとった」集団もあったと聞く。

このところ、八重山竹富町小浜では、牛舎内の牛がカラスに襲われ、臀部などの肉を喰い千切られる被害が続出しているという報道があった。
 「ヒッチコックの映画[鳥]だ」なぞと楽観している場合ではない。カラスの世界に何が起きているのか。起きようとしているのか考えなければなるまい。カラスを不吉な鳥とするか。いいことを予知して語る霊鳥とするか。それは、人間側にあることだけは確かである。
 ♪・・・・こんなカラスに誰がした・・・・
 (待てッ。こうした安易な話の落とし方が一番いけない。反省)。


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正月雑感・サクラ

2008-01-10 13:36:19 | ノンジャンル
★連載NO.322

 「ちょっと、早く着きすぎたな」
 那覇空港発8時04分。福岡空港に着くや地下鉄で博多駅へ。腹ごしらえはラーメンと決めていたのだが、急く気を抑えられず特急ハウステンボス7号に乗り込み、一路佐賀県武雄温泉駅へ。正月1日、旅の初日である。
 「バスにしようか。タクシーにしようか」
 初めての土地だから、タクシーを選択。約30分、3800円ほどの時間と予算をかけて着いたのは嬉野温泉・和多屋ホテル。チェックインして、すぐに温まりたかったのが、受付は3時からという。そこで(ちょっと、早くつきすぎたな)になったのである。部屋に入れるまでには2時間はある。体が温もるもので飲食して時間を作ろうとしていたところ、目に入ったのはロビーに貼られたポスター。
 「筑紫桃太郎一座・新春特別公演」。しかも、これから2泊する和多屋ホテル内の大広間が舞台。これ幸いと妻女・娘合わせて3枚6000円で入場した。出し物は第1部が正月らしく三番叟。第2部時代劇。第3部歌謡舞踊ショー。第3部にいたっては座長はじめ若手男優が坂東玉三郎になりきって舞い、女以上の色気をふりまく。すると、客席後方から中年女性が舞台に駆け上がり、なんと万円札4、5枚を役者の着物の胸元に差し込む。お祝儀、ハナである。これが誘い水になって何人かの観客も同じ行動に出た。大衆演劇では見慣れた光景だ。
 「よほどのファンなのねッ」
 感嘆の声を発する妻女・娘に反応したのは隣の座席の初老の女性。いかにも芝居通らしい面持ちで解説してくれた。
 「ひとり目の人はね。劇団の人なのよ。サクラなのよッ」
 そう言われてみればその女性、木戸でモギリをしていたような気がする。さらに、歌謡舞踊ショーの中ごろには座長の口上があり、ご来場感謝とこれからの公演日程を述べた後に、筑紫桃太郎一座の文字入り包装紙に包まれた(御手焼き・せんべい)と御当地名産(みどり薫る・うれしの茶)の販売を始めた。売上金はすべて福祉施設に寄付するという。話術に長けたセールスは、実に説得力がある。ここでも隣の席からひと言。
 「実は、売上げも一座の収入の内なのよッ」
 それでも妻女・娘は、1000円を出してせんべいとお茶を1個づつ買った。モノを売るあの弁舌は立派な芸。売上金の行方はどうであれ、買わずにいられないのである。

 沖縄芝居では(ハナ)と称するおひねりや物品を舞台に投げるそれはあるが(サクラ)の例はない。
 (サクラ)なる言葉は、大道商人・大道芸人などが仲間に客のふりをさせて客寄せをしたり、モノを売る場合、その仲間が「これは上物だッ。重宝するぞッ」なぞと大声で呼ばわり真先に買い、他の客を釣って買わせるという段取りをとる。その仲間をサクラという隠語なのだ。
 語源としては昔、大阪は瑞竜寺の鉄眼なる禅師が、文字や図画などを彫って刷る板木・版木〈はんぎ〉用の桜材が不足したため、桜の生木を枯木と偽って切らせたことから、知っていて知らんぷりをしたり、それを承知で陰から援助することを「桜を切る」と言い、これが香具師用語・大衆演劇用語になったとする説。いまひとつ、明治末期の隠語で、それなりのモノを売りつける場合、売手は桜のようにパッと咲いて賑やかに振る舞い、パッと散る。つまり、その場を退散することによるとも言われているそうな。

 沖縄には「見しクーガ=見本の卵」という言葉がある。鶏を飼って卵を産ませ食卓に乗せたり、売って生活の糧にしたものだが、産んだ卵を全部取ると鶏は卵を産まなくなるとして、1個だけは残しておく。これが「見しクーガ」であり、人間の鶏に対するサクラと言えそうだ。

 もう、しばらく前の話になるが、東京・浅草寺境内で(ガマの油)ならぬ(ハブの油売り)をしている大道芸人にでくわした。小ぶりの貝殻に入った軟膏風のモノを切り傷、かぶれ、あかぎれなどに(よく効く)と向上している。その人、眉が濃く貝殻を観衆の目の前に出した手の甲から上に生えた毛がまた濃い。紛れもなくウチナーンチュ〈沖縄人〉であることが本能的にわかった。長い東京生活なのだろう、流暢な大和口〈やまとぅぐち=標準語〉を駆使しているが、能書きがあまりにも過剰なので私は、
 「まぁーぬ いゃーや=まさかッお前さん」と、沖縄口を発した。すると、取り巻いている観衆の中から、ひとりの男がすり寄ってきて私にだけ聞こえるように言った。
 「知らんふうなーし、呉みそぉーりよぉ=知らんぷりして下さいねッ」
 意気に、いや、粋に感じた。この浮世、小賢しい正論ばかりでは「イーチんアクビんならん=息も欠伸もできない」。窮屈に過ぎる。
 (サクラ)と分かっていても(知らんふうなー)する場面があってもいいではないか。人は皆、ジンブン〈知恵〉をめぐらして一生懸命暮らしているのだから。

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子年の始めに・ウェンチュ考

2008-01-03 15:39:45 | ノンジャンル
★連載NO.321

 冬至は、年を越す前の12月22日だった。
 沖縄では冬至を「トゥンジー」と言い(寒さを覚えるころ)の代名詞になっている。この日は、青ものや細切れにした肉を具にジューシー<雑炊>を作り、フウフウいいながら食する。「トゥンジー・ジューシー」がそれだ。結構、体も温まり消化もよく何杯でもいける。それでも気温は20度を切ることはなかったが、季節感を味わうには十分だ。
 冬至を辞書で引いてみる。
 *24節季の一つ。太陽が横道上で、黄経270度(冬至点)に達したとき。また、その日太陽は最も南に寄り、南緯23、4度の地点の真上にくる。北半球では昼間が年間で最短となる。12月21日、22日ごろ。
 とある。言い換えると、夏至からだんだん昼間が短くなり冬至がその最短。したがって翌日からは昼間が長くなり始め、夜が短くなっていくことになる。では、どの程度ずつ昼間が長くなるのか。「畳の目一つだけ長くなる」。これは大和の場合。沖縄では例になるのは畳ではなく、ネズミである。
 冬至の翌日から沖縄の昼は「ウェンチュぬジューんたきなぁ長くないん=ネズミの尾ほどずつ長くなる」としている。
 畳の目はごく細かくミリ単位だが、ネズミの尾っぽはそう短くない。ここに沖縄と大和の気候差・気象の異なりを覚える。夏の日没は7時近く。冬でも5時を過ぎる。雪はふらず、紅葉もそうそうないにひとしい。つまり、冬至から日が長くなるのも畳の目一つではなく、ネズミの尾の長さほどの速さをもって、あたりが明るくなるということになる。

 ネズミは「なぞなぞ・謎々」いまで言うクイズにも登場した。
 問い=ハルぬ早馬、何うやが<ハルぬハインマ、ヌーやが=野原や畑を走る早馬は何んだ。
 答え=ウェンチュ<鼠>。
 これは、ハル・ウェンチュ=野鼠をさしている。
 ハル・ウェンチュに対して家鼠をヤー・ウェンチュと言い、気配りをしなければならない。なにしろ、人間の言葉を解し、こやつの悪口でも言おうものなら、家ぬクビー<家屋の壁>やケー<箪笥>の中の衣類などをかじって意趣返しをするとされる。そこで人間は、ティンジョー<天井。ここでは屋根裏>でネズミが運動会並みの騒ぎをすると「ティンジョーぬウスメー<屋根裏の長老。主。あるじ>と敬称し、目配せでもってウェンチュヤーマ=鼠取り=の配置を気付かれないように仕掛けた。因みに、ヤーマは仕掛け物全般の総称。糸車などもヤーマである。
 はたまた、悪巧みの男、泥棒風の男、怪しい男、間男を「チブルクルーぬウェンチュ=頭の黒いネズミ」と言い、一方、厚化粧をして男をたぶらかす女を「クビ・シルーウェンチュ=白首ネズミ」と称して、大いに警戒している。
 このように、ネズミは生活の中の言葉に多く用いられている。
 鼠色。鼠算。鼠返し。鼠いらず。鼠花火。鼠取りなどなど。

 十二支の子。
 昔の時刻子の刻は、いまの午前零時およびその前後2時間。怪盗ねずみ小僧次郎吉は、子の刻に江戸市中を駆けめぐったから、その名があるのか。それとも、義賊とは言っても賊は賊。つまりは(鼠賊)扱いの名がついたのか。恵みを受けた側からは義賊。盗まれた大名側からは鼠賊だろう。物事の価値判断は、立場によって異なるようだ。
 子の方角は北。
 夜、子の方角に輝く星は北斗七星。その星を沖縄では「子ぬ方星=ニぬファブシ」と言う。島うたの「てぃんさぐぬ花」にも歌われている。
 「てぃんさぐ」は鳳仙花のこと。紅白2種ある。昔の乙女たちはそれで爪先を染めておしゃれをした。「てぃんさぐの花は爪先に染めて。親の言葉は心に染めよう」と歌いだすので、この節名がついている。いわゆる「裂開果=れっかいか」で熟すると果皮が乾いて裂け、種子を散らす果実がある。「つまくれない」の名もあるが、繁殖のためあたりに種を飛ばすことから九州地方では「飛びしゃご」「てんしゃご」の名もあるそうな。

 ♪夜走らす船や子ぬ方星目当てぃ 我ん産ちぇる親や我んどぅ目当てぃ
 <ゆる はらす ふにや にぬふぁぶし みあてぃ わん なちぇる うやや わんどぅ みあてぃ>
 歌意=夜、暗い大海を行く船は、北斗七星の位置を羅針盤代わりにし、航路を違わず航行する。同様、私を生んでくれた親は私の成長を見守り、健全な成長を最大の希望として生きている。
 沖縄人なら誰もが親に教わり、また子や孫に教えている県民歌のひとつだ。

 かくのごとく(子)は、ちょっと悪さをするネズミだけでなく、人生を説く(子)でもあるのだ。
 今年子年をネズミのようにちょこまか動き回るだけにするか、子ぬ方星を仰いで行動するか。十二支を5回と9年回した私としては、考えどころの年の始めである。




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