市街地と西の海を見下ろす丘陵銭ヶ森に光文字が浮かび上がった。
2010年1月10日の宵。名護市の成人式に地元の東江中学校の卒業生らでつくる実行委員会が、今年で15回催しているセレモニーである。縦横50メートルに約110個の電球を設置。それは、はっきりとした「恩」の1文字であった。これまでも「心」「花」「絆」などの文字に二十歳の思いを込めて、大人としての自覚と決意を表現してきた。
今年の光文字を「恩」にしたことについては、同実行委員長松田翔希君〈20〉は「親や友達、先輩や後輩。そして地域の人々など多くの人たちに支えられて成人した。お世話になったこれらの人たちに恩返しをしていく思いを“恩”の1文字に込めた」と語っている。
国が力づくで進めようとしている宜野湾市の普天間米軍ヘリ基地移設先・辺野古地域を有する名護市の若者たちが、自分たちの人生の出発点に立った日を「恩」にしたのには、どんな意義を持たせたのだろうか。ハードな姿勢ではアメリカ軍にも日本政府にも声を届けることが至難である。しからば、ソフトではあっても「恩」という人間的な連帯と精神力で現実を直視しようとする熱い思いを私は感じ取った。やはり若者たちは、前を向かざるを得ない今日を認識しているのだろう。
久しく忘れていた「恩」という言葉。
厚恩・謝恩・恩情・恩恵・恩愛・・・・。多くの言葉や文字を知りながら、また、それらを口にしながら「恩」の持つ意味を軽く流している自分がここにいる・・・・。それを名護市の若者たちに指摘されたようで、年甲斐抜きで彼らに頭を下げなければならない。
樹齢を誇る巨木も、かつてはひと粒の種に過ぎなかったように、どんな立派な人物でも生まれたときは裸の身ひとつだった。したがって、どんなエライと目される人も、どんな物知りの古老でも、かつては何も知らない若い時期があったことを思い出すべきだし、逆に若者は、いまは多くのことは知らなくても、これからの経験によって大きくなれる可能性があることを認識すべきだろう。
銭ヶ森
二葉から出じてぃ 幾歳が経たら 巌抱ち松ぬ むてい栄ゐ
〈ふたふぁから んじてぃ いくとぅしが ふぃたら いわWUだち まちぬ むてい さかゐ〉
古典音楽「揚作田節=あぎ ちくてん ぶし」の歌詞である。
たった二葉から命を始めた松の木。何年経て巨木になったのだろう。いまでは根を四方に張り、巌をも抱き包んで堂々と盤石の姿容。枝もまた頑強さと緑を誇り、四方に伸びて見事。人間も太陽、雨露の恩恵をもって風雪にも負けず、己のみでなく子孫繁栄を成す松の如くありたいと歌い上げている。
沖縄県青少年・児童家庭課によると、2010年の新成人は昨年より360人少ない1万7248人。全国では127万人。内訳は男65万人・女62万人。男が3万人多い。しかし、前年度より6万人少ないという。国の存亡に関わる少子化傾向の表れと言えるかも知れない。
蛇足になるが今年は寅年。2010年1月1日現在、日本の寅年生まれの人口は1034万人。男505万人・女530万人で女が25万人多い。では、高齢化進む中、60歳の還暦に達した昭和25年〈1950〉生まれの寅の人は202万人。男99万人・女102万人。これは全寅年生まれの中で最も多く、全寅年人口の約19パーセントを占めている。因みに昭和13年〈1938〉寅年生まれはというと男62万人・女71万人と、ほぼ沖縄県の現在の人口と並ぶ。
それにしても。昭和13年の12年後のそれとが68万人の差があるのはどうしてだろう。昭和13年生は戦争を潜り抜けてきている。犠牲になった人もいる。それに比べ昭和25年生は、戦争の混乱期とは言え、明日に希望が見えてきた新生ニッポンの中での誕生である。戦前と戦後の時代の表れが[68万人の差]と見るのは短絡過ぎるだろうか。
またぞろ北村孝一編「世界のことわざ辞典」を引用する。
「医者は年寄りがよく 弁護士は若いがよい=ミャンマー」
これは年齢そのものを指しているのではない。医者を選ぶなら経験豊富な医者の方が安心でき、弁護士を頼むなら若くて行動力のある弁護士が頼みになるとうことだ。もちろん、世の中には若くて有能な医者もいれば、老歳でも情熱を失わない弁護士もいる。つまりは、それだけ医者には経験が重要だし逆に、弁護士の場合は正義感や情熱が肝要であることを示唆しているようだ。
私は昭和13年の寅である。すでに老虎の身でありながら放送屋稼業50年。そこで二十歳の新成人諸君に呼び掛けたい。
筆者:昭和13年寅年生まれ
「キミたちの時代感覚や価値観には遠く及ばないが、物事の善し悪しを見極める眼力は経験を通して持ち合わせているつもりだ。君たちの[新]と我々の[旧]をドッキングさせてみようではないか。前を見据えるのも進歩。明日には夢と希望があるから。後ろを振り返るのも進歩。昨日には確かなる手掛かりがあるから」。
こらから千里を行く若者たちへ、八百里ほど走ってきた老虎からの希望である。
2010年1月10日の宵。名護市の成人式に地元の東江中学校の卒業生らでつくる実行委員会が、今年で15回催しているセレモニーである。縦横50メートルに約110個の電球を設置。それは、はっきりとした「恩」の1文字であった。これまでも「心」「花」「絆」などの文字に二十歳の思いを込めて、大人としての自覚と決意を表現してきた。
今年の光文字を「恩」にしたことについては、同実行委員長松田翔希君〈20〉は「親や友達、先輩や後輩。そして地域の人々など多くの人たちに支えられて成人した。お世話になったこれらの人たちに恩返しをしていく思いを“恩”の1文字に込めた」と語っている。
国が力づくで進めようとしている宜野湾市の普天間米軍ヘリ基地移設先・辺野古地域を有する名護市の若者たちが、自分たちの人生の出発点に立った日を「恩」にしたのには、どんな意義を持たせたのだろうか。ハードな姿勢ではアメリカ軍にも日本政府にも声を届けることが至難である。しからば、ソフトではあっても「恩」という人間的な連帯と精神力で現実を直視しようとする熱い思いを私は感じ取った。やはり若者たちは、前を向かざるを得ない今日を認識しているのだろう。
久しく忘れていた「恩」という言葉。
厚恩・謝恩・恩情・恩恵・恩愛・・・・。多くの言葉や文字を知りながら、また、それらを口にしながら「恩」の持つ意味を軽く流している自分がここにいる・・・・。それを名護市の若者たちに指摘されたようで、年甲斐抜きで彼らに頭を下げなければならない。
樹齢を誇る巨木も、かつてはひと粒の種に過ぎなかったように、どんな立派な人物でも生まれたときは裸の身ひとつだった。したがって、どんなエライと目される人も、どんな物知りの古老でも、かつては何も知らない若い時期があったことを思い出すべきだし、逆に若者は、いまは多くのことは知らなくても、これからの経験によって大きくなれる可能性があることを認識すべきだろう。
銭ヶ森
二葉から出じてぃ 幾歳が経たら 巌抱ち松ぬ むてい栄ゐ
〈ふたふぁから んじてぃ いくとぅしが ふぃたら いわWUだち まちぬ むてい さかゐ〉
古典音楽「揚作田節=あぎ ちくてん ぶし」の歌詞である。
たった二葉から命を始めた松の木。何年経て巨木になったのだろう。いまでは根を四方に張り、巌をも抱き包んで堂々と盤石の姿容。枝もまた頑強さと緑を誇り、四方に伸びて見事。人間も太陽、雨露の恩恵をもって風雪にも負けず、己のみでなく子孫繁栄を成す松の如くありたいと歌い上げている。
沖縄県青少年・児童家庭課によると、2010年の新成人は昨年より360人少ない1万7248人。全国では127万人。内訳は男65万人・女62万人。男が3万人多い。しかし、前年度より6万人少ないという。国の存亡に関わる少子化傾向の表れと言えるかも知れない。
蛇足になるが今年は寅年。2010年1月1日現在、日本の寅年生まれの人口は1034万人。男505万人・女530万人で女が25万人多い。では、高齢化進む中、60歳の還暦に達した昭和25年〈1950〉生まれの寅の人は202万人。男99万人・女102万人。これは全寅年生まれの中で最も多く、全寅年人口の約19パーセントを占めている。因みに昭和13年〈1938〉寅年生まれはというと男62万人・女71万人と、ほぼ沖縄県の現在の人口と並ぶ。
それにしても。昭和13年の12年後のそれとが68万人の差があるのはどうしてだろう。昭和13年生は戦争を潜り抜けてきている。犠牲になった人もいる。それに比べ昭和25年生は、戦争の混乱期とは言え、明日に希望が見えてきた新生ニッポンの中での誕生である。戦前と戦後の時代の表れが[68万人の差]と見るのは短絡過ぎるだろうか。
またぞろ北村孝一編「世界のことわざ辞典」を引用する。
「医者は年寄りがよく 弁護士は若いがよい=ミャンマー」
これは年齢そのものを指しているのではない。医者を選ぶなら経験豊富な医者の方が安心でき、弁護士を頼むなら若くて行動力のある弁護士が頼みになるとうことだ。もちろん、世の中には若くて有能な医者もいれば、老歳でも情熱を失わない弁護士もいる。つまりは、それだけ医者には経験が重要だし逆に、弁護士の場合は正義感や情熱が肝要であることを示唆しているようだ。
私は昭和13年の寅である。すでに老虎の身でありながら放送屋稼業50年。そこで二十歳の新成人諸君に呼び掛けたい。
筆者:昭和13年寅年生まれ
「キミたちの時代感覚や価値観には遠く及ばないが、物事の善し悪しを見極める眼力は経験を通して持ち合わせているつもりだ。君たちの[新]と我々の[旧]をドッキングさせてみようではないか。前を見据えるのも進歩。明日には夢と希望があるから。後ろを振り返るのも進歩。昨日には確かなる手掛かりがあるから」。
こらから千里を行く若者たちへ、八百里ほど走ってきた老虎からの希望である。