旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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寅年・老若雑感

2010-01-28 00:32:00 | ノンジャンル
 市街地と西の海を見下ろす丘陵銭ヶ森に光文字が浮かび上がった。
 2010年1月10日の宵。名護市の成人式に地元の東江中学校の卒業生らでつくる実行委員会が、今年で15回催しているセレモニーである。縦横50メートルに約110個の電球を設置。それは、はっきりとした「恩」の1文字であった。これまでも「心」「花」「絆」などの文字に二十歳の思いを込めて、大人としての自覚と決意を表現してきた。
 今年の光文字を「恩」にしたことについては、同実行委員長松田翔希君〈20〉は「親や友達、先輩や後輩。そして地域の人々など多くの人たちに支えられて成人した。お世話になったこれらの人たちに恩返しをしていく思いを“恩”の1文字に込めた」と語っている。
 国が力づくで進めようとしている宜野湾市の普天間米軍ヘリ基地移設先・辺野古地域を有する名護市の若者たちが、自分たちの人生の出発点に立った日を「恩」にしたのには、どんな意義を持たせたのだろうか。ハードな姿勢ではアメリカ軍にも日本政府にも声を届けることが至難である。しからば、ソフトではあっても「恩」という人間的な連帯と精神力で現実を直視しようとする熱い思いを私は感じ取った。やはり若者たちは、前を向かざるを得ない今日を認識しているのだろう。
 久しく忘れていた「恩」という言葉。
 厚恩・謝恩・恩情・恩恵・恩愛・・・・。多くの言葉や文字を知りながら、また、それらを口にしながら「恩」の持つ意味を軽く流している自分がここにいる・・・・。それを名護市の若者たちに指摘されたようで、年甲斐抜きで彼らに頭を下げなければならない。
 樹齢を誇る巨木も、かつてはひと粒の種に過ぎなかったように、どんな立派な人物でも生まれたときは裸の身ひとつだった。したがって、どんなエライと目される人も、どんな物知りの古老でも、かつては何も知らない若い時期があったことを思い出すべきだし、逆に若者は、いまは多くのことは知らなくても、これからの経験によって大きくなれる可能性があることを認識すべきだろう。
     
       銭ヶ森

 symbol7二葉から出じてぃ 幾歳が経たら 巌抱ち松ぬ むてい栄ゐ
 〈ふたふぁから んじてぃ いくとぅしが ふぃたら いわWUだち まちぬ むてい さかゐ

 古典音楽「揚作田節=あぎ ちくてん ぶし」の歌詞である。
 たった二葉から命を始めた松の木。何年経て巨木になったのだろう。いまでは根を四方に張り、巌をも抱き包んで堂々と盤石の姿容。枝もまた頑強さと緑を誇り、四方に伸びて見事。人間も太陽、雨露の恩恵をもって風雪にも負けず、己のみでなく子孫繁栄を成す松の如くありたいと歌い上げている。

 沖縄県青少年・児童家庭課によると、2010年の新成人は昨年より360人少ない1万7248人。全国では127万人。内訳は男65万人・女62万人。男が3万人多い。しかし、前年度より6万人少ないという。国の存亡に関わる少子化傾向の表れと言えるかも知れない。
 蛇足になるが今年は寅年。2010年1月1日現在、日本の寅年生まれの人口は1034万人。男505万人・女530万人で女が25万人多い。では、高齢化進む中、60歳の還暦に達した昭和25年〈1950〉生まれの寅の人は202万人。男99万人・女102万人。これは全寅年生まれの中で最も多く、全寅年人口の約19パーセントを占めている。因みに昭和13年〈1938〉寅年生まれはというと男62万人・女71万人と、ほぼ沖縄県の現在の人口と並ぶ。
 それにしても。昭和13年の12年後のそれとが68万人の差があるのはどうしてだろう。昭和13年生は戦争を潜り抜けてきている。犠牲になった人もいる。それに比べ昭和25年生は、戦争の混乱期とは言え、明日に希望が見えてきた新生ニッポンの中での誕生である。戦前と戦後の時代の表れが[68万人の差]と見るのは短絡過ぎるだろうか。

 またぞろ北村孝一編「世界のことわざ辞典」を引用する。
 「医者は年寄りがよく 弁護士は若いがよい=ミャンマー」
 これは年齢そのものを指しているのではない。医者を選ぶなら経験豊富な医者の方が安心でき、弁護士を頼むなら若くて行動力のある弁護士が頼みになるとうことだ。もちろん、世の中には若くて有能な医者もいれば、老歳でも情熱を失わない弁護士もいる。つまりは、それだけ医者には経験が重要だし逆に、弁護士の場合は正義感や情熱が肝要であることを示唆しているようだ。
 私は昭和13年の寅である。すでに老虎の身でありながら放送屋稼業50年。そこで二十歳の新成人諸君に呼び掛けたい。
    
      筆者:昭和13年寅年生まれ

 「キミたちの時代感覚や価値観には遠く及ばないが、物事の善し悪しを見極める眼力は経験を通して持ち合わせているつもりだ。君たちの[新]と我々の[旧]をドッキングさせてみようではないか。前を見据えるのも進歩。明日には夢と希望があるから。後ろを振り返るのも進歩。昨日には確かなる手掛かりがあるから」。
 こらから千里を行く若者たちへ、八百里ほど走ってきた老虎からの希望である。


 


3億円の夢・もしも・・・

2010-01-21 00:20:00 | ノンジャンル
 丑年の年末ジャンボ宝くじを買った。
 初めてと言っていいだろう。なにしろ、当たったらどうするこうすると、すぐに口外する誇大妄想的気質を自覚・自認しているだけに、ハズレのときの照れくささが先になって買い控えていたのである。
 しかし、今回は心境に変化が生じた。年が明けると己の干支寅年。ちょっとゲンを担いで3億円の夢を見ることにしたのだ。投資額大枚5000円。大晦日の抽選会の当選番号は無視し、ゲン担ぎにも念を入れて照合は寅年の寅の日4日にした。見事、当選券が1枚あった。300円の大当たり。他言無用にしていただきたいが、3億円が当たったら[小劇場を建造。沖縄の演劇や音楽を目指す若者たちの稽古場兼実演場にする心算]だった。
 半分、負け惜しみをするが宝くじとは「地方公共団体が発行する当籤券付証票」であることを調べて知った。それだけでも300円の値打ちはあると思っている。さらに言い訳を繰り返すが、だいたい私は「籤ぐふぁー」なのだ。籤運に硬く当選に遠い運勢ということ。おかげで遊びの抽選にすら当たったことはないし、交通事故にも流行のインフルエンザにも出合わない。
     

 ゴルフの場合、スタート順は1番ホールのティーグランド脇に設置されているピンを引いて決めるが、籤ぐふぁーがたたって1番籤のオーナーになる確率が高い。プロにはそんな惑いはなかろうが、なにしろこちとらは月1回程度のビギナーゴルファー。たった4人のパーティーでも、1番手でティーショットするのはなんともプレッシャーが掛かる。なんでも1番であればいいというものでもない。スタートホールだけは2番3番くじがよい。かと言って4番手もイヤだ。前の3人がフェアウェイをきっちりとらえたショットでもしようものなら「オレのはどうか・・・」と、これまた不安が肩の筋肉を硬くする。このプレッシャーは、まあ自分が小心者である証にしかならないが・・・・。つまり、自分の都合のいいように物事を運ぼうとする悪癖が[くじ運]を遠ざけているのかも知れない。
 逆に「籤やふぁらー=くじに軟らかく当たりの確率が高い。籤ぐふぁーの対語」の人もいる。籤やふぁらーの人には取らぬ狸の皮算用の発想はなく、くじ引きそのものを楽しんでいるようだ。このことが「籤やふぁらー」「いいくじ運」を呼び込んでいるのだろう。

 金は天下の回りもので「金運」は誰にでもあるだろう。しかし、金銭が絡むすべてのことには、どうしても損得が生じる。得するならばそれでいいが、損につながる要素のほとんどは欲望から発する。
 フィンランドの諺に「500マルカの仕立て屋は、1000マルカの損」がある。現在はユーロだろうが、マルカはフィンランドの通貨単位。500マルカの仕立賃なら安いと思って即座に頼むと、思った通りの出来には仕上がらず、あれこれと仕立て直しに金が掛かったり、渡した服地にもロスが出たりして結局、500マルカが1000マルカになることがあると説いている。日本風に言えば「安物買いの銭失い」だろう。安物に飛びついたが質が悪くて損をした上に高くつくことの例えに通ずる。スペインには「安いものは高くつき、高いものは安くつく」という諺があるそうな。商品を見極める目を持つことが肝要としているようだが、特別な商品知識を持たない場合、思いの外安いと思われるモノには、今一度の考慮が必要なのだろう。
 安売り・安物買いと言えば、バーゲンを連想する。「安価」「何割引」の文字には不思議な魔力があって、よくも考えずに不必要なモノまで買い込んだり、値引き額に惑わされて実質のないモノに手を出す行為は、今も昔も変わってはいないらしい。大企業に発展した松下産業の創始者松下幸之助氏は、赤貧の中から身を起こした立志伝中の大人物。かつての暮らしの体験を根拠に名言を残している。曰く「欲しいものを買うな。必要なものを買え」。

 日本語大辞典を引いてみる。
 ※かね【金】①金属。②貨幣。金銭。[慣用語]金が物を言う。金の切れ目が縁の切れ目。金を貸せば友を失う。金に目が眩む。金の鎖も引けば切れる。
 私としては「金を枕に寝る」「金のなる木」が希望である。
 ※くじ【籤】①古代、神の意向を定めるための宗教的方法のひとつ。②[転じて]一般的に勝負・順序・吉凶など、決めがたい物事を無作為的・公平に決めるために用いられる方法。
 とある。
 年末ジャンボ宝くじ3億円。ゲンまで担いで買ってみたが、5000円中当たりは300円1枚。このことは、笑い飛ばして流したつもりでも、実際はまだどこかで尾を引いているらしく、うだうだと籤・金・諺を引き出して知ったかぶりを書いてしまった。屁理屈で片づけなければ、5000円に[未練が残る]なのである。
    
 独白「夏のボーナスジャンボ宝くじも年末宝くじも買おう。寅年のゲンはまだ残っているはずだ。ただし、今回はハズレだったからこの拙文を書いたのであって、もし3億円が当たったら一切、公表なぞするもんか」

 

おもしろ看板・見て歩記

2010-01-14 00:20:00 | ノンジャンル
 朝。出かける前に玄関脇の鏡に向かってニッコリ笑ってみせる。
 日々平穏・日々好日のときは、それなりに合格点をつけられる笑顔がある。己の笑顔がその日一日に自信さえ持たせてくれるし[今日もいい男]と自惚れを増倍することもある。しかし「胸に一物背に荷物」の日は、どうしても無理な作り笑顔がそこにあって、自己嫌悪を引っ提げたままの一日になってしまう。おふくろは、よく言っていた。
 「結婚するなら、フークブン〈頬の窪み。えくぼ〉の出る女性と結婚なさい。笑い福ゐ・笑い誇ゐと言って、フークブンの笑顔の女性は、男に福と徳をつけてくれる」。
 「笑う門には福来たる」。明るい家庭にこそ幸福はやってくるということを言い聞かせたかったのだろう。そのおふくろの教訓通りに今日まで家庭生活を営んできたが・・・。わが側近の者は肉付きがよくフークブンの出にくい顔立ち。これまで何とか共存してはいるものの、果たして幸か不幸か。玄関先の鏡に相談してみなければならない。
 日常生活の中の笑い・ユーモアは大いに歓迎すべきであることは、何人も否定はしないだろう。このことは家庭にとどまらず、それぞれの住む地域にも当てはまることだ。


 
 “ようこそここへ 区、区、区、区 私の真栄原区”
 “交通事故ゼロ 演歌はジェロ”
 宜野湾市字真栄原の交差点に見ることができる立て看板の文句だ。
 作詞阿久悠・作曲中村泰士・歌桜田淳子のヒット曲「わたしの青い空」の“クッククックわたしの青い空”をもじったフレーズはいささかマニアックだが思わず吹き出した後、なごやかな気持ちになる。
 宜野湾市字真栄原は、市制前の宜野湾市字大謝名と字嘉数の各一部だったが、昭和14年に行政区として分立している。地名は、真に栄える地〈原〉になるよう念願して付けられたと宜野湾市史に記されている。明治34年、普天間街道の整備が進むにつれ、居住者は増え、この地の十字路付近には商店が建ち、街の形を成してくるようになった。そのことにより行政区・真栄原の誕生をみるのである。現在、区内には嘉数中学校、沖縄カトリック小・中・高等学校、病院があるほか各種店舗、中古車センター、飲食店、遊技場などで昼夜にぎわっている。また、真栄原十字路は、東西南北への要路になっていて、朝夕は車の渋滞を余儀なくされているだけに“交通事故ゼロ 演歌はジェロ”などのおもしろ看板は、先を急ぐドライバーを落ち着かせているようだ。
 この「おもしろ看板」の発案者は現・真栄原区自治会知名康司会長〈54歳〉。「知名さんは、日ごろから駄じゃれやギャグを連発している人物。その特技?が活かされて、区内が明るくなった」とは、区民の賛辞である。

 
 “あせりは禁物 あさりは海産物”“考えよう 沖縄の未来と犬のフン”
 これらに対して「ふざけ過ぎ」の批判もあるが、区民の大方は歓迎。車を止めて写真撮影する人や噂を聞いて[看板巡り]をする観光客もいて「明るい街のイメージ」とする意見が多い。しかし、アクシデントもあった。
 知名会長快心の傑作“お年寄りはいたわろう 空手は板割ろう”の看板を立て掛けたところ、翌朝には見事に看板が割られていた。
 「世の中には実に素直の人がいるものだ。空手家では決してなかろうが、下の句を実行したらしい。でも、その人はどこかで上の句を実践しているだろうから、区としては苦にならない。エッ?それでどうしたって?また同じものを作って立て掛けたよ」。
 知名会長はあくまでも駄じゃれを忘れない。
 “ユーモアのある人は ゆうモーヤー”“備えあれば憂いなし その日あればウレーマシ”にいたっては、沖縄語に通じないと理解しにくかろう。あえて注釈すると前句は「ユーモアを解する人は性格も明るく、うまく手踊り・舞いの達人」。後句は「憂いのない日があれば。それに越したことはない」となる。舞い=モーヰゆう=よくするの強調接頭語。それがの意。これ=クリ。あれ=アリ。待てッ!駄じゃれを注釈するほど不粋なことはない。反省。
  

 北村孝一編「世界のことわざ辞典=東京堂出版」【言葉】の項目につぎなようなそれがある。
 item1足は滑らせても 口は滑らせるな〈英、仏〉
 item1おしゃべりは道を短くし 歌は仕事を楽にする〈露〉
 item1口先では世界中でも耕せるが 手では狭い土地でも大変だ〈マダガスカル〉
 沖縄にもマダガスカルと同義の俗語がある。
 item1口びけーんやれぇー 首里御城ん建ちゅん=口で言うだけなら、首里の御城でも簡単に建てられる。

 真栄原区のおもしろ看板は、好評不評は問題外の外。人心怪しくなったいま、ユーモアを駆使した表現が発揮されるべきではなかろうか。
 余談。
 沖縄市某所の一角にある食堂。昼間は味噌汁、沖縄そば、煮つけを主としているが、夕刻からはタコ刺身と泡盛の一杯飲み屋になる。仕事帰り、空腹で入ってくる客のために最近、店内に真新しいメニュー案内を貼ってある。曰く。
 “夜もランチ有ります”

   
 

寅年・虎に学ぶ

2010-01-07 00:20:00 | ノンジャンル
 黒澤明監督の名作時代劇「椿三十朗」に【虎】のセリフがある。
 軟禁された家老を救出しようとする9人の若侍が、軟禁場所の屋敷を偵察する。警護の侍たちは皆、酒に酔って油断している。見回りの3人の侍もほろ酔い加減で緊張感がまるでない。若侍たちは、このことを椿三十郎に伝え、踏み込むために庭の池の傍に潜み、機を窺う。しばらくして、池の水音を聞きサッと障子を開けて庭を見渡したのは、先刻のほろ酔い侍にあらず。相手側の参謀室戸半兵衛。若侍が言う。
 「さっきは3人でしたが、いまは1人。手薄です!踏み込みましょう」
 三十郎は答える。
 「何を言う。さっきは3匹だが猫だ。いま出てきたのは1匹だが虎だぜッ!危ねぇ危ねぇ」
 彼たちはひとまず退散するというシーン。なんとも胸のすくセリフで幾度、三船敏郎の口真似をしたことか。映画でなくとも我々の周囲には“虎の威を借るなんとやら”が多々いて、己が猫であることを失念しているエライ人に出会ったりする。本物の虎は自分が強者であることをやたら披瀝はしない。



 寅年一番。辞書などを引きながら【虎】に学ぼう。
 【虎に翼
 虎はライオンと並んで百獣の王と言われる。その虎に空中を飛び駆ける羽が加わったらどうだろうか。向かうもの敵無しになるのは必定。このことから威力のある者に、さらに威力を加えることを例えた言葉。ただでさえ腕力があり、何者も立ち向かえない鬼に、さらに金棒を持たせると、これ以上の強者はいまい。ここで「虎に翼」と「鬼に金棒」を同義にするのには、いささか引っ掛かりがある。前者には強烈な夢があり、スケールを大にしているように思えるからだ。
 おもろ歌唱者山内盛彬翁〈1890~1986〉は、自作の民謡「ひやみかち節」の1節にこう詠み込んでいる。

 symbol7我身や虎でむぬ 羽付きてぃ給り 波路パシフィック 渡てぃにゃびら 
 〈わみや とぅらでむぬ はにちきてぃ たぼり なみじパシフィック わたてぃにゃびら

 戦後間もなくの作品。地上戦で人命、山河あらゆるものを奪いさられた沖縄。そのことに絶望し、消沈してなるものか。神仏よ!沖縄人ひとりひとりを【虎】にして下さい。そして、羽を付けて下さい。現実はどうであれ、ひるむことなく立ち上がり、太平洋をもひとっ飛びして世界に羽ばたいてみせましょう。
 沖縄人の蘇生・再起能力を、琉歌に横文字を連ねて歌い上げている。

 【虎の子渡し
 虎が子を3匹産むと、そのうちの1匹はどういうわけか粗暴な性格になり、親虎が目を離すと他の2匹を喰い殺すという。したがって、移動のため川を渡る場合、1匹づつしか連れていけない親虎は、その子虎と他の1匹とを川岸に残すことがないように、運び順に心労する。このことから神経を使うこと・苦労すること。さらには人間の家庭の苦しい生計の算段をすることを[虎の子渡し]に例えている。なるほど兄妹姉妹は多くても皆、健全な肉体と精神を持ち合わせているとは限らない。子育ての難しいところだ。
 では、親虎はどう[子渡し]をするのか。粗暴な子虎をAとし、他の2匹をB、Cとしよう。まず、親虎は問題児Aを向こう岸に渡して引き返し、Bを連れて行って岸に降ろす。再び引き返す場合は、Aを伴い元の岸に降ろすと今度はCを渡してBと共にし、さらに引き返して最後にAを連れていく。結局、親虎は4往復の苦労をしなければならない。百獣の王にしてこの無理算段。動物界も人間界も、いつの世も子育てには苦労・心労をするものらしい。
 また、親の子に対す情愛が深いさまの例えに次の言葉がある。


 【虎は千里を往って千里を還る
 虎の行動範囲が広いさまや勢いのさまを形容しているが、それだけにはとどまらない。遠くに残した子虎の安否を気遣い、一夜にして千里を駆け往来するという。親は子のためならば、どんな苦労も労力もいとわないのである。
 沖縄では[虎]ではなく[鳥・カラス]を当てる。【ガラサーぬん 子ぁ思ゐん】。カラスでさえ、子への情愛は深く示す。そして、この俚諺の裏には「まして人間、どうあるべきか」という教訓があることを見逃してはならない。
 
 【虎を画きて狗に類す=とらをえがきていぬにるいす
 物事を学んで、遣り損ねる例え。つまり、力量のない者が高望みをして、かえってだらしない結果になることの形容だ。過去において経験がある。物事をよくは理解しないうちに知ったかぶりをして幾度、大恥をかいたことか。思い出しても、赤面の行ったり来たりである。

 平成22年寅。
 【虎は死して皮を留め、人は死して名を残す】【虎を養いて自ら患いを遺す】【虎の尾を踏む】などなどの言葉に教訓を得て、特に【虎になる】ことのないよう[慎み]を持って行動をしようと、元旦に決意した。
 蛇足ながら、十二支は、その生れ年の人の性格をも表すという。しかしそれには例外もある。私なぞ6回も寅年を回しているが、性格はと言えば私をよく知る人皆が、口を揃えて言う。“子鹿のバンビ”。