旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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畳語・重ねことばを楽しもう。パート4

2016-11-20 00:10:00 | ノンジャンル
 「冬将軍が攻めて入って、ガタガターしているよ」。
 宮城県仙台市に移り住んで、30年にもなるのに、会話の中に沖縄的表現が思わず出てくるようだ。古馴染みからの電話。
 「ガタガター」がそれだ。
 共通語では普通、寒さの震えは「ブルブル」だろうが、沖縄は「ガタガター」である。恐怖による震えは全体的には「ガタガター」で、心理的驚愕を表す。それが肉体的に作用し、脱力を伴った場合「膝がガクガクする」ことになるが、これは共通していて「チンシー(膝)ガクガクー」と、沖縄口独特の語尾を伸ばして言う。
 さて、今回も畳語・重ねことばを拾ってみよう。

 ◇ミーミ クージ
 *根掘り葉掘り聞くこと。または聞くさま。公的契約など納得できない条項は「根掘り葉掘り」「ミーミクージ」問い聞いた上で記名、捺印はしたほうがいい。けれども、他人の噂ばなしなど、知らないでもいいことを「ミーミクージ」聞きたがる方がいる。殊に「ユンタク・おしゃべり」好きなご婦人が、その傾向にある・・・・と言われる。とかく、他人の噂は「ユンタク フィンタク」の最高のネタになる。しかも、あることないこと枝葉をつけて・・・・。笑ってすませられる「ミーミクージ」は(愛嬌)にもなるが、悪意のある「ミーミクージ」の問い掛けはいただけない。
 「ミーミー」は、小さな穴。「クージ・クジーん」は、ほじくるの意。したがって「ミーミクージ」は「小さな穴(些細なこと)」までほじくること、またはさまと言えよう。

 ◇トゥルバイ カーバイ
 *放心のさま。何をどうしていいのか思考がなく、ただただ一点をみつめて放心しているさま。こうした場合「ミー(目)クゲー・まばたき」すら忘れている。忙しく立ちまわっているだけが能ではない。ときには「トゥルバイ カーバイ」の時間があってもいいのではないか。ただし、それも10分程度ならよい。20分、30分以上になるようだと、前期後期を問わず、診察を受けたほうがいい。
 かつて「トゥルバイ カーバイ」を知らない娘は、ボクが意識的トゥルバイカーバイしているのを見て「おかーさん!お父さんが壊れている!」と、ご注進されたことがあった。

 ◇フィッチリ ピッチリ
 *適当な意訳が見当たらない。無理を承知で言えば、ひとつのこと、あるいはモノをいくつにも「引きちぎる」こと・さまを表す。少年のころ、早喰いのボクに餅を渡した後、おふくろは決まって言っていた。
 「一気に食してはダメよ。「フィッチリピッチリ」して食べないとヌーディー(喉)につっかえてチーチーするよ」。
 チーチーは、如何に対応、対処すべきか、直ぐに思い付かないさま。モノがヌーディーにかかると、眼を白黒させて、さしあたり胸をポンポン叩くしかない。また、込み入った話は、相手がよく理解するように、まどろっこしくても。「フィッチリピッチリ」話したほうがよろしかろう。

 ◇ピリン パラン
 *例えば、難しい話など、あるいは外国語をいともなめらかに発するさま。「あの人は英語をペラペラ話せる」の「ペラペラ」にあたる畳語。
 琉歌にも用いられている。
 
 ☘官話大和口 沖縄物語 一人話し話し ぴりんぱらん
 〈かんわ やまとぅぐち うちなーむぬがたい ちゅい はなしはなし ぴりんぱらん

 官話は中国語の中でも北京語を指す。大和口は日本語。沖縄物語は、沖縄のかれこれを沖縄語で語るさま。
 歌意=かつて王府は中国、日本との交易を重要視。首里那覇の優秀な若者を選出。外国語、殊に北京語、日本語を習得させる講習所を設けたり、留学生を養成した。それは後に外交官、通訳を誕生させて琉球国発展の要となった。
 詠者も留学生、通訳候補だったかどうかは定かではないが、先に語学を修得した者たちの集会に接すると北京語、日本語で沖縄のことを自由自在に話しているさまは、まさに「ピリンパラン」と聞こえる。

 2016年10月末、第6回「世界のウチナーンチュ大会」が開催され、期間中の3日間は南米のスペイン語、ポルトガル語、そして英語が「ピリンパラン」飛び交って、それは賑やかだった。
 「5年後の第7回大会までには、英語がピリンパランできるようになりたいが・・・・とても間に合うまい」。

 ◇ウッサー クァッター
 *ウッサ=歓喜の意。それに「クァッター」が付くと欣喜雀躍、大きな喜びに昇格する。単に「ウッサウッサー」ともいうが、これは日々感じる中くらい、小くらいの喜び。待て待て。歓喜には上中下のランキングはなかろう。「悲」よりは「喜」がいいに決まっている。

 申年が暮れて行く。読者諸氏にはこの1年、どんな「ウッサウッサー」「ウッサークァッター」があったのか。拾い出してみるのも無駄では決してないと思われるが如何。


畳語・重ねことばを楽しもう。パート3

2016-11-10 00:10:00 | ノンジャンル
 冬の始まりを告げる渡り鳥サシバが、沖縄列島に1日だけ翼を休め、さらに温かい南の国への旅を続ける。その群れの飛来は12月初めまで見ることができる。
 「暑いっ!」というぼやきを口にすることは、もうあるまい。けれども、この時候に降るこぬか雨を「鷹ぬシーバイ」と称する。鷹の1種サシバの群れが漏らす小便ということだが、これがなかなかのクセもの。「たかが鷹のショウベン!」と侮って、うかつに濡れると風邪をひきやすい。長い夏で体力が低下しているせいもあって、寝込むと「パンナイ パンナイ」高熱を発する。そのさまが「熱(にち)パンパン」で以外に長引く。(熱)に(パンナイ)を付けると擬態語になろうが「パンナイ パンナイ」だと畳語に類する。
 さて、今回も会話を彩り、表現を豊かにする(重ねことば)たちを拾ってみよう。

 ◇とぅんちゃめー ふぃんちゃめー(ひんちゃめー)
 *そこいらにある有るもの無いものを間に合わせにみつくろって、物事を済ませるさま。物事は前もって準備、仕込みが肝要なことは承知していても、常にそうできるかというと実行できかねる。しかし、周囲のものが何かをやるのに、モノが不足して手を焼いている場合、自分の持ち合わせているモノを「とぅんちゃめー ふぃんちゃめー」して提供する人もいる。

 ◇うーとーとぅ かーとーとぅ
 *「うーとーとぅ」は(尊し)を語源とし、仏前に合唱するときに発する言葉。それに「かーとーとぅ」が重なると、ちょいとふざけたさまになり、ご利益が希薄になる。もっとも「うーとーとぅ」は、ほとんど心の中で唱えて発生はしないものだが、心のこもった祈りであるかどうかは、そのさまを見れば知れる。ボクなぞは仏前に線香をあげたまではよいが、正座もせず、立ったまま、あぐらをかいたまま、形ばかりの合掌をすることが多々あった。
すると、おふくろは「そんな不作法な‟うーとーとぅ かーとーとぅ”と唱えても先祖神には届かない!やり直しなさい!」と戒められた。つまり「うーとーとぅ」は(尊い)が「かーとーとぅ」が重なると(不遜)になる。この畳語は冷やかしや軽口程度に使い留めていたほうがよろしかろう。

 ◇さんじゃん くんじゃん
 *物事を手の施しようもないほどにすること。またはそのさま。大和口の畳語「散々」にあたる。せっかくまとまった話に途中から横槍を入れて「さんじゃん くんじゃん」にされた。またはした経験はないか。仲間内にも時に一言居士がいて、纏まった決まり事が「さんじゃん くんじゃん」元も子までもなくなるどころか、仲間内の亀裂の原因にもなりかねない。まあ、そこまで深刻になることもあるまいが・・・・。別な使い方の例。
 *期待した晴天の運動会が大雨になり「さんじゃん くんじゃん」になった。
 *ゴルフコンペ。パターの調子が悪くスコアは「さんじゃん くんじゃん」だった。
 類似語に「かちゃーまーとぅー」がある。
 形のあるものに技量もないのに、余計な手を入れて、掻きまわし、原型に戻せなくなること。またはそのさま。得意がることもないが、ボクの得意技のひとつである。現に今、1冊の本を探すために本棚をかき回したのはいいが、元に戻せず、部屋中「かちゃーまーとぅー」「さんじゃん くんじゃん」状態になっている。整理整頓に関する学習能力がまるでない。そんなボクが「畳語」などを拾って書いても、読者の参考になるかどうか、心細くてならない。けれども、くじける気持ちをたしなめてくれるインド、いや、世界中の偉人マハトマ・ガンジーの言葉がある。いわく、
 「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。
 ガンジー(1869~1948)はイギリスに留学。弁護士の資格を取得して帰国。南アフリカでインド人の差別虐待に抗議し、不殺生を基調とする非暴力主義運動を展開。民族の独立運動の指導者でああることは、ボクなどが、知ったかぶりをするまでもない。
 「明日、死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。
 これはガンジーの1日たりとも心安まることのない民族独立運動、差別廃止、平和運動の信念から発せられた命懸けの言葉であろう。
 のうのうと生きているボクが感銘をうけたのは「永遠に生きると思って学びなさい」の金言。雲の上のガンジーの思想を泥の中のボクが引用すること自体、不遜であるが「生きている間は学びなさい」を感じ取ったしだいだが・・・・。
 その辺りを学習したつもりで「消えゆく沖縄口・畳語」を拾い続ける指針にして(学ぶ)つもりでいるのである。もちろん、思いあがりは承知の上。笑って許していただきたい。

 ◇むっちゃい くぁったい
 *べたべた・ねばねばのさま。いささか感覚的な畳語。食べ物なぞ「むっちゃい くぁったい」のもの・さまは敬遠されがちだが、納豆を筆頭に栄養価の高いモノが多い。男と女の中も、他人にどう思われようとも「むっちゃい くぁったい」がいい。別の言い方「たっくぁい むっくぁい」も「むっちゃい くぁったい」の(粘りけ)があればこそで、ボクは両の畳語が好きだ。

 もうすぐ申年が行く、切羽詰まってから何の思いもなく「そうそう パーパー」無駄なことをしないよう・・・・と、今年もまた決意している。


畳語・重ねことばを楽しもう。パート2

2016-11-01 00:10:00 | ノンジャンル
 縦50センチ。横35センチの木版に彫刻刀が走り、白い文字が浮き出ている。
 「言葉は、人類の財産であり、文字は人間の最大の発明である」
 老友仲本潤英氏からの戴きものである。
 「直彦クン。ワシは戦前に横浜に移り住み、日本復帰後、老後を故郷で過ごそうと帰ってきたが、老友間でも沖縄口は交わさなくなった。唯一、沖縄訛りの大和口に入ってくるのは畳語、重ねことば。これも放っておくと、忘れられるであろう。いかにも惜しい。次の時代の人が受け皿になってくれるかどうかは別として(こんな言葉の楽しさがある)ことを語ったり、重ね連ねて置くのもワシやキミの役目のひとつだと思うがどうか」。
 数年前、潤英翁は(畳語拾い)を奨めてくださった。以来、沖縄口について書く機会毎に、語る機会毎に(ささやかな実行)をしてきた。ここへきて、またぞろ潤英翁の言葉が思い出され、畳語たちを記す作業を始めるしだい。前回に引き続きお楽しみあれ。

 ◇かんちり がんちり
 *食事も(かんちりがんちり)咀嚼して胃の腑に納めないと、消化不良を起こし、栄養分を損ねる。同様に言葉も、相手がよく理解するように話さなければ意味をなさない。
 例=話は何事も、まず自分がよく理解してから、他人には話しなさい。会話は(かんちりがんちり)が第一だぞと、親にも先輩にもボクは教わった。殊に子どもには(かんちりがんちり)の話し方を心掛けたい。

 ◇たっくぁい むっくぁい
 *くっつき ひっつき片時も離れないさま。家ではやんちゃの限りをつくす童子でも、いざ外出すると親にくっついている。くっつき虫になる。それは童子ばかりでなく若い恋人同士にも見られる。男女7歳にして席を同じゅうせずと教えられた筆者なぞは、ホの字人を(たっくぁいむっくぁい)した経験がない。そのせいか昨今、街中を、しかも白昼もかえりみず(たっくぁいむっくぁい)をし、歩行を困難にしているさまを見ると‟チェッ!みっともないっ!”と心の中で非難しながら、羨ましがっている。冗談にも古女房が(たっくぁいむっくぁい)の様子を示そうものなら、真剣に離婚を考えるだろう。
 独白=若い女性なら別。

 ◇けれれん ぽろろん
 *絃歌三昧のさま。ケレレンは雅楽や祭りに打つ金鼓の音。ポロロンは大小の鼓の音。それに歌三線が加わっての空騒ぎのさま。大きな祝いごとがある場合、時刻をわすれ、夜中まで(けれれん ぽんぽん)をするさまが、いまでもないことはない。最近は「うるさいっ!安眠妨害だっ」と、怒鳴り込まれたという例もあるが、祝宴の主旨を理解している近所の方は大抵、認め合っている。近所付き合いとして容認しているようだが、程度は知らなければならないだろう。

 待て待て。
 ここまで書いて、こんな駄文を読み受けて、自分の言葉に活かそうという読者がいるだろうかと、いささか不安になってきた。
 しばし筆を置いて、傍らにあった文藝春秋編「教科書でおぼえた名詞」をめくったら、こんな詩に引き込まれた。

 「ゆづり葉」 河井酔茗。
 
 子供たちよ これは譲り葉の木です。
 この譲り葉は 新しい葉が出来ると 
 入り代わつてふるい葉が落ちてしまふのです。

 こんなに厚い葉 こんなに大きな葉でも 新しい葉が出来ると 
 無造作に落ちる 新しい葉にいのちを譲って・・・・。

 子供たちよ。お前たちは何を欲しがらないでも
 凡てのものがお前たちに譲られるのです。
 太陽の廻るかぎり 譲られるものは絶えません。

 輝ける大都会も そっくりお前たちが譲り受けるのです。
 読みきれないほどの書物も 
 みんなお前たちの手に受取るのです。
 幸福なる子供たちよ お前たちの手はまだ小さいけれど・・・・。

 世のお父さんお母さんたちは 何一つ持つてゆかない。 
 みんなお前たちに譲つてゆくために
 いのちあるもの、よいもの、美しいものを 
 一生懸命に造つてゐます。
 
 今お前たちは気が付かないけれど ひとりでにいのちは延びる
 鳥のやうぬうたひ、花のやうに笑つてゐる間に 
 気が付いてきます。

 そしたら子供たちよ もう一度譲り葉の木の下に立って 
 譲り葉を見る時が来るでせう。


 河井酔茗=明治7年(1874)~昭和40年(1965)大阪生まれ。明治末期に口語自由詩を提唱。詩集に「無弦弓」「霧」「花鎮抄」などがある。

 初めて読む1編「ゆずり葉」。分知らずを重々承知しながら「ゆずり葉」になって、沖縄口の幾ひらかを(子どもたち)に譲る役目を担おう。自惚れにすぎるか。