★連載 NO.285
♪走え!ゴンゴン 走ろうか 走え!ゴンゴン 走ろうよ
雲の上まで 行きたいな キララお日さま 逢えるだろう
走ってちょっと 疲れたら 雲のソファに ひとやすみ
「ビギンの比嘉栄昇が来社している。逢ってほしい」
RBCTV報道局次長兼映像部長大盛伸次に声をかけられたのは、昨年12月25日・クリスマス当日だった。
ラジオ・テレビにゲスト出演する(ビギン)とは挨拶を交わす程度で、向き合っての会話はまるでなかった。その日は比嘉栄昇ひとり。対面するやいなや彼は、少年のような瞳を輝かせて切り出した。
「ボクも幼いころから、たくさんの歌を聞いて育ってきた。いま、歌う立場になって思うことは、子どもたちが喜んで歌えるうたを作って、一緒に歌いたいということ。歌詞を書いてくれませんか。ホームソングです」
同席した大盛伸次の言によれば、ビギンからの提唱があり、RBCスタッフが加わって(ホームソングプロジェクト)を立ち上げた。2007年4月から2008年3月まで、毎月1曲(新しい歌)を放送したいと言う。コンセプトは「大人が本気で作る、子どもたちへのうた」
30分ほど雑談を交わすうちに、前後のことも考えず、作詞を引き受けている自分がいた。生まれてこの方、1度も剃ったことがないような黒く濃い眉。10才のウーマクワラバー<やんちゃ坊主>が、そのまま大人になったような眼。親の愛情をひとりじめしたであろう、ふっくらと紅潮した顔のその日の比嘉栄昇に魅せられたからだろう。作曲は、沖縄のロックミュージックシーンをリードするジョージ紫と聞いて、大いに興味を覚えたのも確かだ。
♪走え!ゴンゴン 走ろうか 走え!ゴンゴン 走ろうよ
青々海を 走りたい 三段跳びも 出来るだろう
覗いてみたい 海の底 お魚さんと 話したい
昭和29年<1954>10月1日。琉球放送創立当時から、ラジオ番組には「ホームソング」の時間があった。それは、昭和40年ごろまで続く。制作は大阪・朝日放送ラジオ。そのころは、まだネットラインはなく、テープを購入して放送していたが、本土と切り離された(沖縄)で聞く「ホームソング」は、歌謡曲とは異なり(温かい)鮮度をもって、沖縄人の心に染みた。
作詞泉 悦子・作曲米山正夫・うた中野洋子「気象台のアンテナ」。作詞・作曲三木鶏郎・うた河合坊茶「かぐや姫」。作詞西沢 爽・作曲福田蘭童・うた森繁久弥「しゅてん童子」などなど。
そして、昭和34年<1959>10月1日、私は琉球放送入社。やがてディレクターになるが、入社前(好んで)聞いていた「ホームソング」を担当するようになった。作詞宮川哲夫・作曲吉田 正・うたフランク永井「公園の手品師」。作詞石浜恒夫・作曲大野正雄・うたフランク永井「こいさんのラブ・コール」などを紹介した。
しかし、昭和40年に入ってからだったか、朝日放送は「ホームソング」の制作を打ち切った。スポンサー・ヤマハ楽器との契約が終了したのが、その理由と聞かされた。
(惜しい!いかにももったいない!)
琉球放送ラジオスタッフは、沖縄の作曲家普久原恒男、三田信一、照屋林助ら。作詞家吉田安一、有村 けん、あさ・ひろし<普久原朝弘>らと語らって「自前のホームソングを作る」ことにしたのだ。「芭蕉布」「ふるさとの雨」「ゆうなの花」「銀の櫛」「ばらさんぴん」などがそれである。だが、それもラジオ番組のネット化、番組のワイド化、営業的な条件、要素が重なって制作打ち切りを余儀なくされたのだった。
あれから、30数年の時を経て今年、ホームソングは(復活)いや、映像を伴って、新しい(誕生)をみたのである。
ところで。
「走え!」は「走る」だが「ゴンゴン」とは何か。方言生活の薄い若い人たちに問われることしきりである。「ゴンゴン」は「走る」にかかる擬態語。
擬態語=ものの状態・動き・変化や身振りなどの感じを、言語音で写したことば。擬態語が多いことは日本語の特徴である<日本語大辞典>
作詞森山良子・作詞BEGIN・うた夏川りみ「涙そうそう」の「そうそう」
も擬態語のひとつ。全国それぞれの地方に方言独特のそれがあるように、沖縄語にも擬態語は実に多々。
さてさて。
作詞上原直彦・作曲ジョージ紫・うた比嘉栄昇と子供たち「走え!ゴンゴン」は、4月30日までの放送。5月の「ホームソング」は作詞玉城千春<Kiroro>・作曲ローリー「ゆんたく はんたく」が収録済で出番を待っている。
余談。
「走え!ゴンゴン」の作詞作業は、自惚れ抜きにスンナリいった。小学校6年生、3年生に加えて下は2才。5人の孫が外を飛び回っている様が、そのまま言葉になった。
爺になってみるのも、オツなものだ。
♪走れ!ゴンゴン 走ろうか 走え!ゴンゴン 走ろうよ
そよそよそよの 風の中 母さんみたいに やさしくて
風になったら 気持ちいい 明日の夢が 見えるだろう
次号は2007年5月3日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
♪走え!ゴンゴン 走ろうか 走え!ゴンゴン 走ろうよ
雲の上まで 行きたいな キララお日さま 逢えるだろう
走ってちょっと 疲れたら 雲のソファに ひとやすみ
「ビギンの比嘉栄昇が来社している。逢ってほしい」
RBCTV報道局次長兼映像部長大盛伸次に声をかけられたのは、昨年12月25日・クリスマス当日だった。
ラジオ・テレビにゲスト出演する(ビギン)とは挨拶を交わす程度で、向き合っての会話はまるでなかった。その日は比嘉栄昇ひとり。対面するやいなや彼は、少年のような瞳を輝かせて切り出した。
「ボクも幼いころから、たくさんの歌を聞いて育ってきた。いま、歌う立場になって思うことは、子どもたちが喜んで歌えるうたを作って、一緒に歌いたいということ。歌詞を書いてくれませんか。ホームソングです」
同席した大盛伸次の言によれば、ビギンからの提唱があり、RBCスタッフが加わって(ホームソングプロジェクト)を立ち上げた。2007年4月から2008年3月まで、毎月1曲(新しい歌)を放送したいと言う。コンセプトは「大人が本気で作る、子どもたちへのうた」
30分ほど雑談を交わすうちに、前後のことも考えず、作詞を引き受けている自分がいた。生まれてこの方、1度も剃ったことがないような黒く濃い眉。10才のウーマクワラバー<やんちゃ坊主>が、そのまま大人になったような眼。親の愛情をひとりじめしたであろう、ふっくらと紅潮した顔のその日の比嘉栄昇に魅せられたからだろう。作曲は、沖縄のロックミュージックシーンをリードするジョージ紫と聞いて、大いに興味を覚えたのも確かだ。
♪走え!ゴンゴン 走ろうか 走え!ゴンゴン 走ろうよ
青々海を 走りたい 三段跳びも 出来るだろう
覗いてみたい 海の底 お魚さんと 話したい
昭和29年<1954>10月1日。琉球放送創立当時から、ラジオ番組には「ホームソング」の時間があった。それは、昭和40年ごろまで続く。制作は大阪・朝日放送ラジオ。そのころは、まだネットラインはなく、テープを購入して放送していたが、本土と切り離された(沖縄)で聞く「ホームソング」は、歌謡曲とは異なり(温かい)鮮度をもって、沖縄人の心に染みた。
作詞泉 悦子・作曲米山正夫・うた中野洋子「気象台のアンテナ」。作詞・作曲三木鶏郎・うた河合坊茶「かぐや姫」。作詞西沢 爽・作曲福田蘭童・うた森繁久弥「しゅてん童子」などなど。
そして、昭和34年<1959>10月1日、私は琉球放送入社。やがてディレクターになるが、入社前(好んで)聞いていた「ホームソング」を担当するようになった。作詞宮川哲夫・作曲吉田 正・うたフランク永井「公園の手品師」。作詞石浜恒夫・作曲大野正雄・うたフランク永井「こいさんのラブ・コール」などを紹介した。
しかし、昭和40年に入ってからだったか、朝日放送は「ホームソング」の制作を打ち切った。スポンサー・ヤマハ楽器との契約が終了したのが、その理由と聞かされた。
(惜しい!いかにももったいない!)
琉球放送ラジオスタッフは、沖縄の作曲家普久原恒男、三田信一、照屋林助ら。作詞家吉田安一、有村 けん、あさ・ひろし<普久原朝弘>らと語らって「自前のホームソングを作る」ことにしたのだ。「芭蕉布」「ふるさとの雨」「ゆうなの花」「銀の櫛」「ばらさんぴん」などがそれである。だが、それもラジオ番組のネット化、番組のワイド化、営業的な条件、要素が重なって制作打ち切りを余儀なくされたのだった。
あれから、30数年の時を経て今年、ホームソングは(復活)いや、映像を伴って、新しい(誕生)をみたのである。
ところで。
「走え!」は「走る」だが「ゴンゴン」とは何か。方言生活の薄い若い人たちに問われることしきりである。「ゴンゴン」は「走る」にかかる擬態語。
擬態語=ものの状態・動き・変化や身振りなどの感じを、言語音で写したことば。擬態語が多いことは日本語の特徴である<日本語大辞典>
作詞森山良子・作詞BEGIN・うた夏川りみ「涙そうそう」の「そうそう」
も擬態語のひとつ。全国それぞれの地方に方言独特のそれがあるように、沖縄語にも擬態語は実に多々。
さてさて。
作詞上原直彦・作曲ジョージ紫・うた比嘉栄昇と子供たち「走え!ゴンゴン」は、4月30日までの放送。5月の「ホームソング」は作詞玉城千春<Kiroro>・作曲ローリー「ゆんたく はんたく」が収録済で出番を待っている。
余談。
「走え!ゴンゴン」の作詞作業は、自惚れ抜きにスンナリいった。小学校6年生、3年生に加えて下は2才。5人の孫が外を飛び回っている様が、そのまま言葉になった。
爺になってみるのも、オツなものだ。
♪走れ!ゴンゴン 走ろうか 走え!ゴンゴン 走ろうよ
そよそよそよの 風の中 母さんみたいに やさしくて
風になったら 気持ちいい 明日の夢が 見えるだろう
次号は2007年5月3日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com