旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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69年目の夏・沖縄

2014-05-31 23:06:00 | ノンジャンル
 辺りは雨の匂いに満ち満ちている。
 梅雨の真っただ中。雨の節(あみぬしち)では、雨とも仲よく付き合うより他に過ごしようはあるまい。
 6月。この月は沖縄にとって(特別の日)といえよう。
 昭和20年(1945)6月23日、日米戦争の沖縄地上戦が終結した月だからだ。69年前も気象は時を違わず(雨の節)。ただ、雨の匂いにはならず、まだ消えない硝煙の臭いが鼻をついていた。
 戦後27年を沖縄だけが異民族アメリカに支配され、日本復帰を果たして47年経ったいまでも、沖縄人は(昭和20年)を失念していない。歴史的、政治的沖縄戦記は、専門家におまかせするとして、今回は一般人の(昭和20年)を風俗的にめくってみよう。

 戦火がようやくおさまりつつあった10月30日。
 金武村(現・町)屋嘉、羽地村(名護市)、石川市を経て現在うるま市の美里村石川など、鉄条網に囲まれた捕虜収容所から、それぞれの出身地への帰還を許可された避難民は、ひとりひとりが生きていることを歓喜し、祝賀会を催した。
 米軍配給のジャム、リンゴ、ナシなどを発酵させて造った即席の酒をコカ・コーラの瓶を半分に切ったコップで飲み、コンビーフやソーセージなどを米軍用・鉄製のメスキット(食器)に盛って食し、通称6斤缶の空缶を共鳴盤(チーガ)に、パラシュート布を重ねて張り、建築資材や野戦用ベッドの骨を棹とし、細い電線を絃にした、世に言うカンカラー三線を弾いて歌い、踊ってヌチぬ祝儀(命の祝儀)をした。しかし、中には、
 「天皇の民が、敗戦を恥じず酒食、絃歌に打ち興ずるとは何事か!」
 と、祝賀会会場に乱入する硬派もいた。

 避難民収容地のひとつだった石川市(現・うるま市)は戦前、美里村の1字で、戸数350。人口1800ほどの農村だった。そこへ避難民が加わって人口は一気に3万人を超え、3千人余が嘉手納基地を主に近隣の米軍キャンプに就業した。いわゆる(軍作業)である。
 沖縄本島のほぼ中心に位置するところから、米軍政府はこの地に政治、経済の主要機関を設置。かつての閑村は俄然「沖縄一」の都市になった。
 この地に鬼才が現れた。
 小那覇全孝氏である。北谷村嘉手納(現・嘉手納町)出身の歯科医師。もちろん、いち早く開業していたが、軍政府文化部芸能課長に任じられ「芸能による沖縄復興」に尽力した。話芸・漫談・即興ぶりを得意として、時には各家庭を回り笑いで人びとを慰問した。芸名小那覇舞天(うなふぁ ぶうてん)。
 この小那覇舞天が大和の数え唄をアレンジした曲に自作の歌詞を付けて自ら歌った「石川小唄」は、多くの人に笑いを通して(生きる)を与えた。のちに「石川数え唄」と称して舞天なきあとは照屋林助、登川誠仁が歌い継いで、現在でもラジオから流れる。うたの文句はこうだ。

 {石川小唄}

 ♪一つとせえ~え ひふみよごろくなな通り いろはにほへとちり横丁 基盤十字の茅葺テント町 これが沖縄一のマチではないかいな

 ♪二つとせえ~え 二人散歩も砂の上 靴の中にも砂が入る それもそじゃないか石川名物 砂とほこりの町ではないかいな

 ♪三つとせえ~え 見渡すかぎり便所町 ドラム缶の近代便所 エッサエッサと汲み出す特攻隊 あとは靖国参るじゃないかいな

 ♪四つとせえ~え 夜の石川恋の町 あの辻この辻ささやくは アイラブー ユーラブミー ギブミーシガレットてな調子じゃないかいな

 ♪五つとせえ~え 何時来てみても人の波 作業通いの娘さん 馴れぬハイヒールに おっと転んだ拍子に前歯が1本折れました 

 ♪六つとせえ~え 昔寂しい石川もいまじゃ文化の花が咲く それもそじゃないか 小那覇舞天が控えているじゃないかいな

 ♪七つとせえ~え 何べん聞いてもわからない あなたのお宅は何処でした? それもそじゃないか どいつもこいつも同じ規格の茅葺テント葺じゃないかいな

 ♪八つとせえ~え 痩せたお方はあんまり居ない いないはずだよ 缶詰太り 娘のクンダは太る一方 鏡水大根 素足で逃げるじゃないかな

 ♪九つとせえ~え 恋と嫉妬の渦巻きに 明けて暮れるが石川市 それもそじゃないか 女は男の四倍も五倍もウヨウヨしてるじゃないかいな

 ♪十つとせえ~え トントン拍子に栄え行く 住めば都よ恋しいなつかしい 三方市民男も女も 老いも若きも貴方もわたしも 君も僕もユーもミーも 石川!石川 意志は変わらず沖縄一の町にしようじゃないかいな

 戦前、中学野球に興じた若者たちも戦地から復員。これまた米軍払い下げの野球用具や、足りない分は手製のそれを用いてゲームを楽しんだ。ダイヤモンドやバッターボックスの白線をメリケン粉(小麦粉)でひいた。しかし、メリケン粉は米軍の配給する主用食料品。
 「米軍に知れると配給停止の恐れあり!」として、早々に禁止された。

 悲喜こもごも。悲喜劇の中にあった昭和20年の日々。経巡って69年目の今日がある。硝煙の臭いは消えたが・・・・いや、基地拡大、集団的自衛権など(キナ臭さ)を濃くし、もうすぐ「慰霊の日」を迎えることになる。6月23日には梅雨も明けていよう。



戦後・音の配給

2014-05-20 09:08:00 | ノンジャンル
根気よく目を通して戴きたい。

 ※那覇地区。

 ◇寄宮親子ラジオ社 ◇南有線放送社 ◇安里有線放送社 ◇ひかり有線放送社 ◇石橋有線放送社 ◇ガキヤ有線放送社 ◇赤平有線放送社 ◇那覇有線放送社 ◇ペリー有線放送社 ◇天久有線放送社 ◇首里有線放送社 ◇上原有線放送社 ◇丸一有線放送社 ◇ミナト有線放送社 ◇文化有線放送社 ◇シャープ有線放送社 ◇オンキョーラジオ社 ◇沖縄有線放送社 ◇高良有線放送社 ◇松川有線放送社 ◇大平有線放送社 ◇国場有線放送社 ◇小録有線放送社 ◇首里共同親子ラジオ社 ◇首里親子ラジオ社。以上25社。

 ※親子ラジオ。
 昭和30年前後から同40年代を経験した方には(懐かしい響きの言葉)に違いない。昭和27年(1952)頃から普及したラジオ放送共同聴取施設である。一般に「音の配給」と称され、地域はもちろん、米軍政府発表の情報を共有した。

 ※南部地区。

 ◇与那原有線放送社 ◇玉城村本部親子ラジオ社 ◇グランド有線放送社 ◇高嶺村有線放送親子ラジオ社 ◇豊見城村有線放送社 ◇津嘉山親子ラジオ社 ◇津嘉山農協親子ラジオ社 ◇普天間有線放送社 ◇与那嶺親子ラジオ社 ◇東風平村営親子ラジオ社 ◇大城放送社 ◇糸満親子ラジオ社 ◇糸満町営親子ラジオ社 ◇泉親子ラジオ社 ◇知念村親子ラジオ社 ◇大里村有線放送社 ◇玉城村親子ラジオ運営協会 ◇佐敷村親子ラジオ社 ◇三和村親子ラジオ社 ◇三和有線放送社。以上20社。

 当時、沖縄には、米軍政府情報部の英語放送と同民間情報部が管理する日本語放送(ボイス)があったが、電力事情が悪い上にラジオセットそのものが、1台300B円(軍票)と高価なため、受信個数は、そう多くはなかった。そのため米軍政府は、ガリオオ資金で共同聴取のできる有線放送施設を各地に設置、個人にも経営を許可した。かくして(音の配給)は個人経営でも採算が合うことから全島に普及し、最盛期の昭和33年(1958)には、12万余を超えた。

 ※中部地区。
 
 ◇センター有線放送社 ◇牧港有線放送社 ◇コザ有線放送社 ◇屋富祖有線放送社 ◇平良川有線放送社 ◇北中城有線放送社 ◇島袋小学校PTA親子有線放送社 ◇ウェーブラジオ社 ◇高江州校区親子ラジオ社 ◇宜野湾有線放送社 ◇照間有線放送社 ◇波平公民館ラジオ社 ◇楚辺公民館ラジオ社 ◇屋慶名区公民館親子ラジオ社 ◇平敷屋有線放送社 ◇照屋有線放送社 ◇内間平安名有線放送社 ◇宮城島親子ラジオ協会 ◇嘉数校放送部 ◇津堅有線放送社 ◇川田区親子ラジオ社 ◇平安座公民館親子ラジオ放送部 ◇与勝有線放送社。以上35社。

 ※北部地区。

 ◇辺野古ラジオ社 ◇並里有線放送社 ◇伊豆味親子ラジオ社 ◇屋我地親子ラジオ社 ◇瀬喜田親子ラジオ社 ◇本部松田親子ラジオ社 ◇渡久地ラジオ社 ◇屋部親子ラジオ社 ◇羽地中部有線放送社 ◇羽地有線放送社 ◇瀬底親子ラジオ社 ◇兼次親子ラジオ社 ◇宇久田有線放送社 ◇羽地村親子ラジオ社 ◇宜野座親子ラジオ社 ◇嘉儀山親子ラジオ社 ◇恩納村有線放送社 ◇国頭有線放送社 ◇大兼久ラジオ社 ◇東村平良親子ラジオ社 ◇今帰仁村親子ラジオ社 ◇伊芸公民館親子ラジオ社 ◇奥親子ラジオ社 ◇塩屋親子ラジオ社 ◇宜名真親子ラジオ社 ◇久志有線放送社 ◇安波電灯部 ◇名護文化有線放送社。以上28社。

 ※離島地区。
 
 ◇粟国親子ラジオ社 ◇南大東村ラジオ社 ◇渡嘉敷村有線放送社 ◇伊是名村親子ラジオ社 ◇伊江親子ラジオ社 ◇渡名喜村親子ラジオ社 ◇具志川村親子ラジオ社 ◇仲里放送社 ◇宇江城ラジオ社 ◇北大東村親子ラジオ委員会 ◇伊平屋村親子ラジオ社 ◇慶留間親子ラジオ社 ◇阿嘉有線放送社 ◇座間味親子ラジオ社 ◇久高区営親子ラジオ社 ◇兼城村親子ラジオ社。以上16社。

 やがて、電力事情が改善され受信機も普及、加えてトランジスタラジオの登場によって{音の配給}をしてきた親子ラジオは衰退することになるが、現在でも離島や一部地方では行政の広報と形を変えて有力な伝達機能を発揮している。

 ※宮古地区。

 ◇池間村親子ラジオ社 ◇鏡原親子ラジオ社 ◇長間親子ラジオ社 ◇都文化親子ラジオ社 ◇下地町親子ラジオ社 ◇新里親子ラジオ社 ◇石川親子ラジオ社 ◇狩俣親子ラジオ社 ◇城辺親子ラジオ社 ◇福嶺親子ラジオ社 ◇多良間村親子ラジオ社 ◇伊良部村営親子ラジオ社。以上12社。

 ※八重山地区。
 
 ◇川平吉原親子ラジオ社 ◇大原地区親子ラジオ社 ◇波照間親子ラジオ社 ◇白保有線放送社 ◇宇宙放送社 ◇竹富親子ラジオ社 ◇黒島親子ラジオ社 ◇大浜町親子ラジオ社 ◇与那国町親子ラジオ社 ◇西表親子ラジオ社 ◇石垣市親子ラジオ社 ◇八重山中央有線放送社 ◇八重山文化有線放送社。以上13社。

 これらは昭和36年(1961)3月13日に掲載された「全琉有線放送御案内」の新聞広告。
 ちなみに沖縄における初の民間放送ラジオは、昭和29年(1954)10月1日創立の琉球放送株式会社。もちろん、親子ラジオでも受信された。
 なお琉球放送は、創立60周年を迎えている。



パラダイス・おきなわ

2014-05-10 00:10:00 | ノンジャンル
 うるま市に住む友人からの情報
 「女子大生と思われる5人グループが、キャッキャ!はじける声をあげながら地名を表記したバス停留所の標識に抱きついて、代わるがわるカメラのシャッターを切っている。何がそう面白いのか?好奇心から声をかけてみた。理由を聞き知って、思わずこっちも嬉しくなり、5人をまとめてグループショットを撮ってやったよ」。
 彼女たちは一大発見をしたように騒いだのは、バス停留所に立っている標識に記された2文字。
 {赤道}。
 われわれはごく普通に{あかみち}と読んで気にもしないのだが、彼女たちは{せきどう}と読んだのである。
 「さすが沖縄!セキドウが通っているのですね」。
 彼女たちはふたたびはじける笑いを辺りの空気に馴染ませた。
 行き先の地で見かける地名の読みには、確かに(へぇー)と感嘆することがある。
 「彼女たちはいまごろ、セキドウまで行ってきた!と逢う人ごとに証拠写真を見せているに違いない。いい沖縄の旅になっただろうよ」。
 友人はいい顔で話してくれた。

 わたしにも経験がある。
 去年の夏。
 初めて沖縄に来てゴルフを楽しんだ中年の男性たち。多少、訛りのある話しぶりが耳に快かった。話題はこうだ。
 「キミも見ただろう。あれはリスだよね」。
 「イタチではないのか」。
 「そうかも知れない。リスにしては、ちょっと大きかったものね。イタチだ!きっとイタチだ」。
 このゴルファーたちがプレイ中に見かけたのはマングースだろう。なぜなら沖縄にはリスもイタチもいないからだ。

 マングースは(ネコイタチ)とも言うらしい。毒ヘビを喰うことで知られ、沖縄では民家近くでも見かける。イタチに似た食肉獣で(ジャコウネコ科に属する。頭胴15~45㎝。尾は長い。体毛が長く白毛まじりの黒、または褐色、灰色)。
 世界大百科辞典=平凡社=によればアラビア、イラン、インド、セイロンなどに分布し、性質が荒くウサギ、ネズミ、鳥類、ヘビ、トカゲ、昆虫などを捕食するが、ときには果実や草も食べる。
 要するに、なんでもござれの生命力旺盛の小動物である。
 動きが敏捷で、巧みにヘビの攻撃を避けながら後頭部に咬みついて殺す。必ずしも(ヘビに勝つ)とは限らないが、その攻撃性に注目してインドでは、コブラはじめ毒ヘビ駆除に役立ててきた。
 日本には明治43年(1910)。那覇の西方に浮かぶ渡嘉敷島に移入。ハブ駆除を目論んだが、ハブだけを捕食するなら都合がよいが、ニワトリや家畜にまで手を出し、いや、口を出すに至って、ハブ駆除の効果はそれほど上がらなかったそうな。しかし、ジャマイカ島では1871年に移入され、ネズミ駆除にその実力を発揮して、実績を残しているという。

 いま少しマングースについて「沖縄事始め・世相史辞典=月刊沖縄社」の記述を見てみよう。
 明治43年=1910年の4月。
 東京大学の渡瀬三郎教授がインドからマングース19匹を移入して渡嘉敷島に放った。もちろん、ハブ被害減少が目的である。以来、本島南部、中部一帯に大繁殖した。なるほど、ハブ退治には(天敵)としての位置を不動にしたが一方、ハブが食していた野ネズミが復活。それは農家にとって頭痛のタネ。“あちら立てればこちらが立たず。双方立てれば身が立たず”
 しだいにマングースは悪役に回されて今日に至っている。いまでは南部、中部を追われたマングースは、北部に生きる活路を見出して命を繋いでいるものの、ここでも国の天然記念物(ヤンバルクイナ)に手を出し、いよいよその立場を自ら窮屈にしている。

 奄美大島からは、次のような報告がある。
 特定外来生物のマングースの捕獲駆除が進む鹿児島県奄美大島で、2013年度の捕獲数が前年度を下回り、5年連続減少となる見通しとなったことが、環境省奄美自然保護官事務所の調査で分かった。
 生息数が減り続けているとみられ、マングースに脅かされていた特別天然記念物のアマミクロウサギの目撃数は回復傾向にある。
 一方、2011年の1年間でアマミクロウサギが、どの程度目撃されたかの調査では、マングースがいない場合の推定生息数と同じ程度にまで回復したという。

 ともあれ沖縄は基地さえなければ人にも動植物にとっても{パラダイス}である。自然に恵まれているからだ。このことを大前提にマングースともヤンバルクイナとも、とかく動植物と共存できる方向付けを今日から実践しなければなるまい。
 梅雨に入り、太陽が(わが季節)を誇る盛夏を迎えた。なにしろ(セキドウ直下)の島だから。





運動しない子・日本一

2014-05-02 00:04:00 | ノンジャンル
 「ウサギ追いしかの山 子鮒釣しこの川~。たしかに駆け巡る山や川があったね」。
 「生まれて潮に湯浴みして~・・・・わが懐かしき住処なり~。自由に泳げる海があった。それが昨今はどうだ。海には遊泳禁止、山には立入禁止のパネルがやけに目立つ」。
 「その代り水族館、植物園、スポーツ施設が充実しているから、安全この上もないがね。けれども、いま少し子どもたちを野外で鍛えたいね」。
 要するに、この初老の御両人が懸念しているいるのは、目の前に広げた新聞記事が話題のもとらしい。
 新聞には{運動しない子 沖縄が全国一}の見出しがある。われわれも読んでみようか。

 体育の授業以外にまったく運動をしていない子どもの割合が、県内小学校5年男女と中学2年男子で全国一高いことが今年になって分かった。
 文部科学省の小学校5年と中学2年を対象にした調査結果を県教育庁が分析した。
 運動時間「0」の小学女子は13,3%で全国平均7.6%の2倍近かった。県教育庁保健体育課は「運動をする習慣がないことが、体力の低下や無気力につながっている可能性も否定できない。喫緊(非常に急を要すること)の課題として捉え、運動が楽しいと感じられる授業をしたい」と話している。
 文部科学省が昨年4月から7月、小学校5年と中学2年の男女を対象に実施した2013年度全国体力テストの結果を基に、県教育庁が独自に分析した。文部科学省は2008年から調査を実施、2013年度は都道府県別の運動時間などの結果は公表していない。
 体育の授業を除き、部活やスポーツクラブなどの活動もふくめて「何か運動しているか」の質問に付いて「まったくしていない」と答えたのは、小学男子で6.8%(全国平均4.3%)、中学男子で7.3%(全国平均5.1%)と、2%以上の差があった。
 中学女子は18.0%(全国平均15.9%)と全国で9番目だったが、調査対象だった県内小学校5年と中学2年の男女の中でも最も高い割合だった。
 「週に3日以上運動している」と答えたのは、中学男子は78.9%。小学男子が62.5%。中学女子で57.9%だったが、小学女子は36.5%だった。
 県教育庁は、運動をまったくしていない児童・生徒が多い背景を「幼いころから運動をする習慣が身についていない」「生活習慣が不規則」「運動に興味、関心が低い子や女子への取り組みの効果が薄い」などと分析している。
 県教育庁は2月に専門家を交えた児童生徒体力向上推進委員会を開き、結果の分析や具体的対策について話し合った。
 文部科学省は2013年度は「運動していない理由」について調査していないが、調査していた2012年度では、県内の中学男子は「疲れる」を挙げたのが35.7%と最も多く、小学男子は24.4%を占め、女子で最多だったのは中学が「文化部に所属している」37.8%。小学は「他にしていることがある」が44.9%だった。

 初老の二人の会話はつづく。
 「運動しない子・全国一か・・・・なんでも全国一は喜ばしいが、この全国一は歓迎仕難いね」。
 「ボクシング、野球、バレーボール、ハンドボール、ゴルフなどは全国レベルの上位にあるのにね・・・・。小学生、中学生が運動をしない理由に“疲れる”を挙げているのは気になるなぁ」。
 「昭和30年代、われわれが中学、高校時代には軍隊上がりの教師がいて“これからの沖縄は、キミたちの双肩に掛っている!若者に体力がなくては、沖縄の将来は危ういっ”と叱咤し、やたら海での遠泳やマラソン大会を実施していた。理屈は理解しても正直、辞易した」。
 「居たねぇ。大相撲が好きだったのか、やたら“心・技・体”を口癖にしていた。いまはアイドル時代とやらで、テレビの中に自分を重ね合わせる子が多くなったのかな」。
 「アイドルだって飛んだり跳ねたり、体力が結構ものを言っているようだぜ。若いときに培われる基礎体力は、中高年になってからの健康を大きく左右するのは確かだ。
 「まったく、いまオレたちがそれを実感している」。
 御両人の会話は、昨今の高齢化社会、生活習慣病、医療費問題に及び、詰まるところ国は!県は何をしているのだ!と、国体を憂い、名指しで政治家批判になっていった。

 体力より学力。
 この観念が昨今は優先していると聞く。
 世の中がそれを要求していると言われるとそれまでだが、陳腐に過ぎようが、いま一度(心・技・体)を考えなければならないのかも知れない。

 またぞろ歌の中へ・・・・・。
 “ウサギ追いしかの山 子鮒釣しこの川~”
 “われは海の子 白波の~”
 子どもたちの体力低下、学力低下を懸念する前に、多少の危険は承知の上で、子どもたちが自由に駆け巡ることのできる自然環境を開放してやるのも考慮しなければならないだろう。
 体力低下が「草食系を増加させている」との極論も耳にする。
 いずれにしても「運動しない子・全国一」の名誉?は、時間をかけて早期に返上したい。