旧正月。明治12年(1879)4月4日。琉球王国から一時(琉球藩)を経て(沖縄県)になって以降、暦も全国的に西暦を使うよう指示されたが、農業を主とする地方、殊に亜熱帯の沖縄では、漁業も合わせて(旧暦)のほうが生産的には都合がよく、季節の行事はほとんど旧暦で行い、中でもお盆と正月は旧暦のそれが今でも色濃く残っている。
そのことがあって新暦の正月を大和正月<やまとぅ そうぐぁち>、旧暦のそれを沖縄正月<うちなぁ そうぐぁち>と称している。今年の沖縄正月は2月19日だ。
戦後まもなく、沖縄婦人連合会が提唱して新生活運動は「旧正月を廃し、新正月一本化」を推進した。都市地区では、それをすんなり受け入れたが農業漁業地域ではそうもいかず、古来の旧正月を慣習としていて、異議を唱える動きはない。
年末年始。誰もが心を込めて挨拶を仕合う。
平常よりも気持ちを込めて言葉を交わすと(往く年来る年)を実感する。
年末、それも差し迫った師走後半になると、人さまに逢って後の別れ際には「いい年越しを」「いい正月を」が定番の挨拶だろう。もちろん、相手が年上か、ほぼ同年か、年下かによって丁寧語かどうかの異なりはある。そこいらの一般的沖縄口を記してみる。
年上に対しては、
◇いい正月迎えーみそぉーり(いい そうぐぁち んけーみそぉーり=いい正月を迎えて下さい)。
◇若年から取みそぉーり(わかどぅしから とぅみそぉーり=若々しく年を取ってください)。
◇明間年ぇ 若々とぅ やぁさい(あきまどぅしぇ わかわかぁとぅやあさい=明ける新年は若々しく、お過ごしください)。
などなどの敬語。
ほぼ同年か年下には、
◇いい正月しよう(いい正月をしようね)。あるいは「いい正月さやー(いい正月を過ごそうね)。
などなど。
そして、年が明けてからの出逢いには、年上に対しては、
◇若々ぁとぅ 年ん取みそぉーち(わかわかぁとぅ とぅしん とぅみそぉーちー=若返った年を迎えられましたか)
◇いい正月 しみそぉーちー(いいそぉーぐぁち しみそぉーち=いい正月をなさいましたか)。
◇去年やか若くなとぉーいびーさ(クジュやか わかくなとぉーいびーさ=去年・こぞ・よりわかくなりましたね)。
などなど。ほぼ同年や年下には日常語で言葉を掛ければよい。
年・歳には(若)も(老)もなかろうが、年長者に対しては「若返り」「長寿」を願う心遣いが込められている。
沖縄語には、正月を迎えること・過ごすことを「正月かむん」という。(かむん)は、日本古語の食べるを意味する(はむ)の転語とも、また物を噛むによるともされている。いずれも「馳走=くぁっちー=を食べる」のことを指している。
正月そのものが食べられるわけはないが、その背景には昔の食生活がある。
かつての庶民の食生活は芋が主食で豚肉、牛肉などはめったに食卓には上がらない。魚類にしても鯛や鮪は口に入らずスルル(まびなご)など小魚を食することができれば上々の馳走であった。
けれども正月は特別だ(お盆もそうだが)。
沖縄の4大馳走とされてきたのは豆腐・蒲鉾(かまぶく)・肉(シシ)・牛蒡(ぐんぼう)。新年祝賀には、それが食せる。まさに「正月かむん」なのである。粗食に甘んじて生きてきた昔あびとの正月に対する期待と歓びが、しみじみと察知できるではないか。ちなみに正月と並んで2大行事のお盆は「かむん」とは言わないのか。言わないのである。正月の主役は年神さまと人間だが、お盆のそれは先祖神。したがって山海珍味を仕度してもすぐには食さず、まずは仏壇に供えて、1年の息災と豊作を祈願し、たむけた線香が煙っている間は食せない。エイサー(盆踊)の歌三線や太鼓の音、演じる若者たちの掛け声が聞こえるようになる夕刻、家族が揃ったところで馳走は仏壇から下され、そこで初めてウメーシ(お箸)をつけられた。故に正月は「かむん」だが、お盆は「うさぎーん=捧げる」という。
正月くぁっちーは元日、シム(台所)を覗いて、仕込みをしているおふくろにねだれば、ある程度のつまみ食いができたが、お盆はそうもいかず、ウサンデー(おさがり・供え物をおろすこと)を待たなければならない。直彦少年は、まるで食い物を目の前にして「待て!」を掛けられた犬の心境・・・・。「先祖神って意地悪だなぁ」と仏壇を睨みつけたものだ。
さて。
今年のお年玉。全国の小学生の平均額は2万円前後だったとか。その使い道はと聞けばさまざまに答えているが、中に「大学生になったときの資金にする」と言うのがあった。小学生が将来に備えて貯金する・・・・。ちょいと切なくなる。日本の明日に希望を見出せないでいるのか。そう小学生に実感させる大人は、正月早々「物考え」をしなければならないのではなかろうか。
終戦直後の小学生の筆者。日本円でもドルでもなく、米軍が発行した(軍票)のお年玉ですぐに、玉那覇菓子屋が作り販売した黒糖入りの硬めのソフト・マルボロー風のタンナファクルーを買って食べた日が懐かしい。学資とタンナファクルー・・・・この差はなんだろう。
そのことがあって新暦の正月を大和正月<やまとぅ そうぐぁち>、旧暦のそれを沖縄正月<うちなぁ そうぐぁち>と称している。今年の沖縄正月は2月19日だ。
戦後まもなく、沖縄婦人連合会が提唱して新生活運動は「旧正月を廃し、新正月一本化」を推進した。都市地区では、それをすんなり受け入れたが農業漁業地域ではそうもいかず、古来の旧正月を慣習としていて、異議を唱える動きはない。
年末年始。誰もが心を込めて挨拶を仕合う。
平常よりも気持ちを込めて言葉を交わすと(往く年来る年)を実感する。
年末、それも差し迫った師走後半になると、人さまに逢って後の別れ際には「いい年越しを」「いい正月を」が定番の挨拶だろう。もちろん、相手が年上か、ほぼ同年か、年下かによって丁寧語かどうかの異なりはある。そこいらの一般的沖縄口を記してみる。
年上に対しては、
◇いい正月迎えーみそぉーり(いい そうぐぁち んけーみそぉーり=いい正月を迎えて下さい)。
◇若年から取みそぉーり(わかどぅしから とぅみそぉーり=若々しく年を取ってください)。
◇明間年ぇ 若々とぅ やぁさい(あきまどぅしぇ わかわかぁとぅやあさい=明ける新年は若々しく、お過ごしください)。
などなどの敬語。
ほぼ同年か年下には、
◇いい正月しよう(いい正月をしようね)。あるいは「いい正月さやー(いい正月を過ごそうね)。
などなど。
そして、年が明けてからの出逢いには、年上に対しては、
◇若々ぁとぅ 年ん取みそぉーち(わかわかぁとぅ とぅしん とぅみそぉーちー=若返った年を迎えられましたか)
◇いい正月 しみそぉーちー(いいそぉーぐぁち しみそぉーち=いい正月をなさいましたか)。
◇去年やか若くなとぉーいびーさ(クジュやか わかくなとぉーいびーさ=去年・こぞ・よりわかくなりましたね)。
などなど。ほぼ同年や年下には日常語で言葉を掛ければよい。
年・歳には(若)も(老)もなかろうが、年長者に対しては「若返り」「長寿」を願う心遣いが込められている。
沖縄語には、正月を迎えること・過ごすことを「正月かむん」という。(かむん)は、日本古語の食べるを意味する(はむ)の転語とも、また物を噛むによるともされている。いずれも「馳走=くぁっちー=を食べる」のことを指している。
正月そのものが食べられるわけはないが、その背景には昔の食生活がある。
かつての庶民の食生活は芋が主食で豚肉、牛肉などはめったに食卓には上がらない。魚類にしても鯛や鮪は口に入らずスルル(まびなご)など小魚を食することができれば上々の馳走であった。
けれども正月は特別だ(お盆もそうだが)。
沖縄の4大馳走とされてきたのは豆腐・蒲鉾(かまぶく)・肉(シシ)・牛蒡(ぐんぼう)。新年祝賀には、それが食せる。まさに「正月かむん」なのである。粗食に甘んじて生きてきた昔あびとの正月に対する期待と歓びが、しみじみと察知できるではないか。ちなみに正月と並んで2大行事のお盆は「かむん」とは言わないのか。言わないのである。正月の主役は年神さまと人間だが、お盆のそれは先祖神。したがって山海珍味を仕度してもすぐには食さず、まずは仏壇に供えて、1年の息災と豊作を祈願し、たむけた線香が煙っている間は食せない。エイサー(盆踊)の歌三線や太鼓の音、演じる若者たちの掛け声が聞こえるようになる夕刻、家族が揃ったところで馳走は仏壇から下され、そこで初めてウメーシ(お箸)をつけられた。故に正月は「かむん」だが、お盆は「うさぎーん=捧げる」という。
正月くぁっちーは元日、シム(台所)を覗いて、仕込みをしているおふくろにねだれば、ある程度のつまみ食いができたが、お盆はそうもいかず、ウサンデー(おさがり・供え物をおろすこと)を待たなければならない。直彦少年は、まるで食い物を目の前にして「待て!」を掛けられた犬の心境・・・・。「先祖神って意地悪だなぁ」と仏壇を睨みつけたものだ。
さて。
今年のお年玉。全国の小学生の平均額は2万円前後だったとか。その使い道はと聞けばさまざまに答えているが、中に「大学生になったときの資金にする」と言うのがあった。小学生が将来に備えて貯金する・・・・。ちょいと切なくなる。日本の明日に希望を見出せないでいるのか。そう小学生に実感させる大人は、正月早々「物考え」をしなければならないのではなかろうか。
終戦直後の小学生の筆者。日本円でもドルでもなく、米軍が発行した(軍票)のお年玉ですぐに、玉那覇菓子屋が作り販売した黒糖入りの硬めのソフト・マルボロー風のタンナファクルーを買って食べた日が懐かしい。学資とタンナファクルー・・・・この差はなんだろう。