旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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正月・挨拶・お年玉

2015-01-20 00:10:00 | ノンジャンル
 旧正月。明治12年(1879)4月4日。琉球王国から一時(琉球藩)を経て(沖縄県)になって以降、暦も全国的に西暦を使うよう指示されたが、農業を主とする地方、殊に亜熱帯の沖縄では、漁業も合わせて(旧暦)のほうが生産的には都合がよく、季節の行事はほとんど旧暦で行い、中でもお盆と正月は旧暦のそれが今でも色濃く残っている。
 そのことがあって新暦の正月を大和正月<やまとぅ そうぐぁち>、旧暦のそれを沖縄正月<うちなぁ そうぐぁち>と称している。今年の沖縄正月は2月19日だ。
 戦後まもなく、沖縄婦人連合会が提唱して新生活運動は「旧正月を廃し、新正月一本化」を推進した。都市地区では、それをすんなり受け入れたが農業漁業地域ではそうもいかず、古来の旧正月を慣習としていて、異議を唱える動きはない。
 
 年末年始。誰もが心を込めて挨拶を仕合う。
 平常よりも気持ちを込めて言葉を交わすと(往く年来る年)を実感する。
 年末、それも差し迫った師走後半になると、人さまに逢って後の別れ際には「いい年越しを」「いい正月を」が定番の挨拶だろう。もちろん、相手が年上か、ほぼ同年か、年下かによって丁寧語かどうかの異なりはある。そこいらの一般的沖縄口を記してみる。
 年上に対しては、
 ◇いい正月迎えーみそぉーり(いい そうぐぁち んけーみそぉーり=いい正月を迎えて下さい)。
 ◇若年から取みそぉーり(わかどぅしから とぅみそぉーり=若々しく年を取ってください)。
 ◇明間年ぇ 若々とぅ やぁさい(あきまどぅしぇ わかわかぁとぅやあさい=明ける新年は若々しく、お過ごしください)。
 などなどの敬語。
 ほぼ同年か年下には、
 ◇いい正月しよう(いい正月をしようね)。あるいは「いい正月さやー(いい正月を過ごそうね)。
 などなど。
 そして、年が明けてからの出逢いには、年上に対しては、
 ◇若々ぁとぅ 年ん取みそぉーち(わかわかぁとぅ とぅしん とぅみそぉーちー=若返った年を迎えられましたか)
 ◇いい正月 しみそぉーちー(いいそぉーぐぁち しみそぉーち=いい正月をなさいましたか)。
 ◇去年やか若くなとぉーいびーさ(クジュやか わかくなとぉーいびーさ=去年・こぞ・よりわかくなりましたね)。
 などなど。ほぼ同年や年下には日常語で言葉を掛ければよい。
 年・歳には(若)も(老)もなかろうが、年長者に対しては「若返り」「長寿」を願う心遣いが込められている。

 沖縄語には、正月を迎えること・過ごすことを「正月かむん」という。(かむん)は、日本古語の食べるを意味する(はむ)の転語とも、また物を噛むによるともされている。いずれも「馳走=くぁっちー=を食べる」のことを指している。
 正月そのものが食べられるわけはないが、その背景には昔の食生活がある。
 かつての庶民の食生活は芋が主食で豚肉、牛肉などはめったに食卓には上がらない。魚類にしても鯛や鮪は口に入らずスルル(まびなご)など小魚を食することができれば上々の馳走であった。
 けれども正月は特別だ(お盆もそうだが)。
 沖縄の4大馳走とされてきたのは豆腐・蒲鉾(かまぶく)・肉(シシ)・牛蒡(ぐんぼう)。新年祝賀には、それが食せる。まさに「正月かむん」なのである。粗食に甘んじて生きてきた昔あびとの正月に対する期待と歓びが、しみじみと察知できるではないか。ちなみに正月と並んで2大行事のお盆は「かむん」とは言わないのか。言わないのである。正月の主役は年神さまと人間だが、お盆のそれは先祖神。したがって山海珍味を仕度してもすぐには食さず、まずは仏壇に供えて、1年の息災と豊作を祈願し、たむけた線香が煙っている間は食せない。エイサー(盆踊)の歌三線や太鼓の音、演じる若者たちの掛け声が聞こえるようになる夕刻、家族が揃ったところで馳走は仏壇から下され、そこで初めてウメーシ(お箸)をつけられた。故に正月は「かむん」だが、お盆は「うさぎーん=捧げる」という。
 正月くぁっちーは元日、シム(台所)を覗いて、仕込みをしているおふくろにねだれば、ある程度のつまみ食いができたが、お盆はそうもいかず、ウサンデー(おさがり・供え物をおろすこと)を待たなければならない。直彦少年は、まるで食い物を目の前にして「待て!」を掛けられた犬の心境・・・・。「先祖神って意地悪だなぁ」と仏壇を睨みつけたものだ。

 さて。
 今年のお年玉。全国の小学生の平均額は2万円前後だったとか。その使い道はと聞けばさまざまに答えているが、中に「大学生になったときの資金にする」と言うのがあった。小学生が将来に備えて貯金する・・・・。ちょいと切なくなる。日本の明日に希望を見出せないでいるのか。そう小学生に実感させる大人は、正月早々「物考え」をしなければならないのではなかろうか。
 終戦直後の小学生の筆者。日本円でもドルでもなく、米軍が発行した(軍票)のお年玉ですぐに、玉那覇菓子屋が作り販売した黒糖入りの硬めのソフト・マルボロー風のタンナファクルーを買って食べた日が懐かしい。学資とタンナファクルー・・・・この差はなんだろう。



時代を映す・数え唄

2015-01-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「ひと~つ!人の世の生き血を吸い!ふた~つ!不埒な悪行三昧!み~つ!醜い浮世の悪を!退治してくれよう~桃太郎!」。
 「高橋英樹のテレビ時代劇“桃太郎侍”ラストシーンの決め台詞だねぇ。数を数えながら悪人を斬る!カッコいいよね」。
 「力を合わせる場合、イチ、二の三!というし、体操でもイチ、にっサン!二のサン!だし、瞬発力を促すリズムとしては、イチ、ニ、サン!は呼吸を整え易い。そこいらが、数え唄が生まれる要因なのかも知れないね」。

 さてさて。手毬歌、子守歌、戯れ歌として古くから庶民の喜怒哀楽を反映してきた数え唄。太平洋戦争の激戦地になった南洋諸島のサイパンには、第1次世界大戦後の大正11年<1922>以降、日本企業・南洋興発株式会社の誘致により、本土及び沖縄からも多くの移民者が海を渡った。南洋諸島に資源を求める日本政府の国策であった。
 当初は(貧乏県からの脱却)の謳い文句に(夢)を託して現地入りしたことだが、昭和に入り、それも10年代に入ると日本の国力は目論み通りにはいかず、南洋興発も強制労働を課すようになる。そこへ第2次世界大戦の勃発。そして敗戦。南進国策もあらばこそ、国は移民を現地に放棄してしまった。戦中の状況は(地獄)だったと歴史に刻まれている。
 戦後も移民者は放置され、帰国の目途さえ立たなかった。その不安の中で詠まれ、歌われたのが「サイパン数え唄」。メロディーは全国的に流行った数え唄の定番。いわく。

 ♪一つとサーノエー 広く知られたサイパンも いまはメリケンの旗が立つ 情けないのよ あの旗は
 ♪二つとサーノエー ふた親離れてサイパンの いまはメリケンの牧場で その日その日をおくるのよ
 ♪三つとサーニエー 見れば見るほど涙ちる 山の草木も弾の跡 罪なく草木に 傷つけて
 ♪四つとサーノエー 四方山見れば敵の陣 一日一日陣地を固め 情けないのよ 敵の陣
 ♪五つとサーノエー いつまで苦労と思うなよ やがて助ける船が来る お待ちましょう 皆さまよ
 ♪六つとサーノエー 無理の仕事をさせられて 強い体も弱くなる 情けないのよ 無理仕事
 ♪七つとサーノエー なんと私が威張っても 日給はたったの三十五銭 情けないのよ 三十五銭
 ♪八つとサーノエー 夜勤は私はイヤですよ イヤとは言わせぬこの夜勤 情けないのよ この夜勤
 ♪九つとサーノエー これから先はわれわれは 助けられたり助けたり 同じ日本の人だもの
 ♪十とサーノエー 遠坂上るは日の丸は 国の光を輝かす なんで日の丸 忘らりょか
 ♪十一とサーノエー いつか来る来る日本軍 来る時期早いかまだ来ない お待ちましょう 皆さまよ

 作者不明。おそらく夜毎集まっては(見えない明日)の不安を語り、運命を慰め合っているうちに即興された胸内の吐露ではなかろうか。したがって、詠み人は一人ではないと思われる。
 今年は敗戦から70年。この数え唄に記されている「今はメリケンの旗が立つ」「山も草木も弾の跡」「強い体も弱くなる」「同じ日本の人だもの」「なんで日の丸忘らりょか」「お待ちましょう皆さま」等々の文字に、戦争の後を先読み取り怒りを覚えるのは、センチすぎるだろうか。

 話はいきなり飛ぶが・・・・。
 子どもたちは(数遊び)が得意で(ひとつ、ふたつ、みっつ)と数をかぶせ、学校の先生に(あだ名)を付けてハヤシ立てる遊びをしていた。その(あだ名)は、子どもたちの直感的印象によるもので、必ずしも上品?とは限らない。あだ名を付けられた先生方は、子どもたちに親近された証と受け取り、苦笑して容認した。むしろ、ランクインしなかった先生の方が距離を置かれたようで、安心できなかったのかも知れない。
 著者の「忘備録」に(1979年夏採取)として、中学生による次のような数え唄メモが記されている。いわく。
 ◇一つ ヒンガー(不潔)比嘉先生。
 ◇二つ ふんどし教頭先生
 ◇三つ ミンカー(耳が遠い)上地先生。
 ◇四つ 欲張り仲宗根先生。
 ◇五つ いじわる玉城先生。
 ◇六つ むりやり仲里先生。
 ◇七つ 泣き虫文子先生。
 ◇八つ ヤナガター(悪役風)平良先生。
 ◇九つ 小言の校長先生。
 ◇十は 飛んでる和子先生。
 これまた「ヒンガー」「ふんどし」「いじわる」「泣き虫」「ヤナガター」「飛んでる」のフレーズが妙で、その先生の風貌、言動、性格などが勝手に想像できて楽しい。現在も学校や職場、飲み会等々で数え唄は生まれているだろう。心して拾い集めるよう聞き耳を立てることにする。



時代を映す・数え唄 その②

2015-01-01 00:08:00 | ノンジャンル
 ♪一つとや~ひと夜明ければ にぎやかに にぎやかに
  お飾り立てたる 松飾り 松飾り
 ♪二つとや~ 双葉の松は 色ようで 色ようで
  三蓋松(さんがいまつ)は 上総山(かずさやま)かずさやま
 ♪三つとや~ 皆様子供衆は 独楽遊び 独楽遊び
  穴一(あないち)こまどり 羽根をつく 羽根をつく
 ♪四つとや~ 吉原女郎衆は 手まりつく 手まりつく
  手まりの拍子の 面白や 面白や
 ♪五つとや~ いつも変わらぬ 年男 年男
  お年もとらぬに 嫁をとる 嫁をとる
 ♪六つとや~ むりよりたたんだ 玉だすき 玉だすき
  雨風吹けども まだ解せぬ まだ解せぬ
 ♪七つとや~ 何よりめでたい お酒盛り お酒盛り
  三五に重ねて 祝いましょう 祝いましょう
 ♪八つとや~ やわらこの子は 千代の子じゃ 千代の子じゃ
  お千代で育てた お子じゃもの お子じゃもの
 ♪九つとや~ ここへござれや 姉さんや 姉さんや
  白足袋雪駄で ちゃらちゃらと ちゃらちゃらと
 ♪十とや~ 歳神様のお飾りは お飾りは
  橙(だいだい)九年母 本俵(ほんだわら) 本俵
 これは「江戸数え唄」と言われる「まりつき唄」だそうな。

 読者諸兄諸姉。「明けましておめでとうございます」。
 沖縄語の一般的年頭挨拶詞は、
 「いい正月(そうぐゎちでーびる」。
 「若年から取ゐみそぉーちー」というところか。今年も拙文の「おきなわ日々記」を綴らせていただきます。よろしければ飽きずにお付き合いくださいますように。正月ばなしは旧暦の正月(今年は2月19日)に譲るとして、数え唄を拾い歌わせてもらおう。
 「江戸数え唄」は、戦国時代に終止符をうち、徳川の天下になって泰平を極めた時代の風俗を映し出して歌われている。けれども、世は明治に映り、軍国主義の国造りをするようになると、内容も一変してくる。その筋が「軍事立国」を前面に打ち出して、子どもたちに歌わせている。
 次の数え唄がそれだ。
 ♪一つとや~ 一人で早起き身を清め 身を清め
  日の出を拝んで 庭掃いて 水まいて
 ♪二つとや~ 普段に体をよく鍛え よく鍛え
  御国に役立つ人となれ 人となれ
 ♪三つとや~ 身支度きちんと整えて 整えて
  言葉は正しくはきはきと 丁寧に
 ♪四つとや~ 良し悪しいわずによく噛んで よく噛んで
  ごはんを食べましょ こころよく 行儀よく
 ♪五つとや~ 急いで行きましょ右がわを 右がわを
  道草しないで学校へ お使いに
 ♪六つとや~ 虫でも草でも気をつけて 気をつけて
  自然の姿を調べましょう 学びましょう
 ♪七つとや~ 仲よくみんなでお当番 お当番
  拭く人掃く人はたく人 磨く人
 ♪八つとや~ 休み時間は元気よく 元気よく
  毬投げ縄とび鬼ごっこ かくれんぼ
 ♪九つとや~ 心は明るく身は軽く 身は軽く
  遊んで仕事のお手伝い 朝夕に
 ♪十とや~ 東亜の護りを担うのは 担うのは
  正しい日本の子どもたち わたしたち

 ・・・・全面に「皇民教育」の強制と徹底が詠み込まれて、ゾッとする。この数え唄の数え?を身につけて長じ、戦地へ赴いた若者たちは数知れず。そして2度と日本の土を踏めなかった若者は幾千幾万か・・・・。教育は1歩踏み誤ると亡国につながる。
 戦前「日本一の貧乏県」とされた沖縄では「国」よりもまず「暮らし」のために、少年たちが漁業労働力として糸満の漁師に売られた。世にいう「糸満売い=いちまん うい」である。修身就労と年期就労があった。次の「数え唄・糸満売い」は、年期就労の例を歌っている。

 ♪一つ ひとびと聞ちみそり チネー(家庭)ぬ立場ぬ成らんなてぃ
  我んねぇー糸満売いさりてぃ
 ♪二つ ふた親居いびーしが 親ぬ孝行する為に
  我んねぇー糸満売いさりてぃ
 ♪三つ 港ん走い過ぎてぃ 話ぬ毎ぐとぅ縛(いましめ)る
  悪魔主人ぬあさましや
 ♪四つ 夜昼業しみてぃ 我身ぬ苦りさん知らなそてぃ
  悪魔主人ぬあさましや
 ♪五つ 何時までぃ居いびらん 後や満期んないるする
 ♪六つ 筵(むしる)ぬ綾ぬ如とぅ 我身ぬ心や持っちょやびん
  シマ(家)ぬ親兄弟 達者やみ
 ♪七つ 何事思まんしが シマぬ親兄弟ぬ面影ぬ
  目ぬ前に下がとてぃ 暮らさらん
 ♪八つ 宿小に居らりらん 与所目に隠りてぃ浜下りてぃ
  波にシクシク涙落とぅち
 ♪九つ 此ぬ歌作くたしや 哀り我達が作やびたん
  世間御万人 聞ちみそり
 ♪とうとう満期にないびたん シマに戻ゆる嬉しさや
  何とぅん譬らん 嬉しさや

 「糸満売い」の実態については、これまた後日に・・・・。
 次回は戦中、戦後の数え唄を拾うことにする。