旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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つれづれ・いろは歌留多 その5

2013-10-19 23:19:00 | ノンジャンル
 子が生まれる。名前を付ける。
 知人に聞いた話だが、女の子に「彩葉と書いて“いろは”とした若い夫婦がいる。なんでもイの一番で積極的な子に育ってほしいという願いと“色は匂へど”肖って、才色兼備な女性に育てたいとの思いがあるそうな」と、命名の理由を語ってくれた。
 名前には、さまざまな思い入れがあるもんだ。大相撲の力士の四股名にも、変わったそれがある。一ニ三 四五六(ひふみ よごろ)。(一)1文字で(かずはじめ)。(九)1文字は(いちじく=1字で九=と読ませた。
 さて、{いろは歌留多}は(う)に入る。

 [う]。
 読み札=売たい 買うたい 那覇ぬマチ(うたい こうたい ナーファぬマチ)。
 取り札=売ったり 買ったり 那覇のイチ(市場)。
 商売をする人、買い物の人で賑わう那覇の市場を言い当てた俗語。戦前の那覇の住宅地域にも日用雑貨を商う(店)があるにはあったが、それは(まちや小=まちやぐぁ=と呼ばれ、安価のものしか扱わない。したがって、それなりのモノは、那覇ぬマチで購う。それは、現在の那覇市東町、西町、若狭町一帯にあって、商業都市那覇の中核をなしていた。しかもヌヌマチ=呉服商=、フルヂマチ=古着商=。カナムン屋=金物店=。シシマチ=肉屋=、イユマチ=魚屋=、ヤーシェーマチ=八百屋=などなどが軒を並べ人々の暮らしを支えていた。また、お盆や正月になると、地方からも泊りがけの買い物客が押し寄せて、大層な賑わいをみせた。

 [ゐ]
 
 読み札=座ちょおん 立っちょおん 這うとぉーん(ゐちょおん たっちょおん ほうとぉん)
 取り札=座っている 立っている 這っている。
 
 人はなにかと動作をしているものだが、この場合の「座ったり立ったり這ったり」は、手足をひと休めすること。では「休憩」は、どう取ればよいか。「立っちユクイしやかねぇー坐ちユクリ 坐ちユクイしやかねぇー 這うてぃユクリ=立って休むより 坐って休め 坐って休むより這って(横になって休め)。その方が疲れを早く癒せるとしているのだ。特別な言葉ではないが、ユーモラスな響きな中にも、理に叶った休憩法と言えないだろうか。筆者自身、好んで使っている言葉のひとつ。

 [の]
 読み札=「の」ぬ字「ぬ」に変わいるウチナーグチ
 取り札=「の」の音(おん)「ぬ」になる沖縄語。
 「の」をそのまま「の」と発音する語も多少あるが、基本的には「ぬ」に変化する。それは50音から成る標準語に対して沖縄語は、これまた基本的に30音から成っているからである。助詞はほとんどがそうだ。
 例=「秋の今宵=あちヌくゆい」「恋の花=くいヌはな」「野辺の風=ぬびヌかじ」。名詞もしかり。「喉・のど=ヌドゥ。ヌーディー」「布=ヌヌ」「乗り物=ヌゐむん」など。「残す=ヌくすん」「退ける=ヌきーん」「のぼせ=ヌぶし」。「の」の音を並べて当てはめてみるといい。

 [お]
 読み札=うちなあ うーしま うむっさよぉ
 取り札=沖縄 大島 面白い。
 「お」の音もまた、基本的に「う」に変化する。
 例=起きる=うきーん。思い=うむゐ。恩=うん。面白い=うむっさん。御前様・あなた様=うんじゅ。うんじゅなぁ。弟=うっとぅ。などなど。

 [く]
 読み札=クーバー イサトゥー キームサー
 取り札=蜘蛛 かまきり(蟷螂) 毛虫だよ。
 蜘蛛、かまきり、毛虫は種類も多く、そこいらでよく見かける毛虫。なかでも「蜘蛛=クーバー」は「クブ」とも言い、糸を掛けるところから「織物上手」として歌にも詠まれている。

 ♪深山クブでんし カシ掛きてぃ置ちゅゐ 我女になとぉてぃ 油断しゃびみ

 
 *でんし=この場合「・・・・でさえ」。*カシ=布を織る機(はた)に掛ける縦糸。横糸はヌチ。
 歌意=人も踏み込まない奥山の蜘蛛でさえ、木々の枝に巣糸を懸命に掛ける。まして、女に生まれた私が蜘蛛なぞに負けようか。油断せずに夫や家族のために布織りに精を出そう。
 王府時代は身分を問わず、着衣に関しては糸を紡ぎ、機に掛けて布にし、仕立てる作業は女性の仕事であった。根気のいる重労働だったに違いない。それを「蜘蛛なぞに負けてなるものか!」と、念入りに愛を込めて仕上げていく。琉球女性の細やかで忍耐強いさまを詠んでいる。
 宮廷音楽の教則本(工工四)「あがさ節」の1首。2分ほどの短い節歌だが、しっとりとした名曲である。

 「や」
 読み札=ヤッチー ンーミー ウットゥぬちゃー
 取り札=兄さん 姉さん おとうと達。
 *ウットゥ=語源は弟の転語。しかし、妹にも言う。妹の場合はウィナグ(女)ウットゥともWUキーとも言う。祖父母、父母、叔父叔母、兄弟、姉妹・・・・それぞれの呼称が、地方によって異なる。このことについては、次の機会に譲る。

 季節を変える台風もおさまり。風は北から吹き始め、空は高く、南へ渡るサシバを見ることができる候。沖縄も秋。

 ※10月下旬の催事。
 *平成25年度 首里城祭(那覇市)
 開催日:10月25日(金)~11月3日(日)予定
 場所:首里城公園内

 *第37回 沖縄の産業まつり(那覇市)
 開催日:10月25日(金)~27日(日)
 場所:奥武山公園・県立武道館

 *2013久米島マラソン(久米島町)
 開催日:10月27日(日)
 場所:仲程球場



琉歌・それぞれの秋

2013-10-09 23:01:00 | ノンジャンル
 “秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に 松をいろどる楓や蔦は 山のふもとの裾模様
 高野辰之作詞・岡野貞一作曲「もみじ」。
 私の小学校生、中学校生は昭和20年から28年まで、音楽教室もなく、すべての教科を同じ教室で学んだ。音楽の伴奏楽器はオルガンが1台あるのみで、各学年が使い回しをしていた。したがってオルガンは当番の生徒2,3人掛かりの搬入になる。専門の先生がいるでもなし。担任の先生が音を探しさがし弾いて教える。先生も苦労したに違いない。ピアノが導入され、音楽教師が就いたのは高校一年になってからだ。それでもオルガンに合わせて教わったのが「もみじ」。しかし、メロディーは直ぐに覚えたものの、歌詞の中の紅葉や楓を知らない。みどりの松を彩る情景は想像できても、それがなぜ(山の麓の裾模様)になるのか、少年少女たちは皆、小首をかしげた。沖縄には(紅葉)になる植物がないに等しいからだ。長じて、秋の京都や広島県の宮島を旅するようになって唱歌「もみじ」を理解するようになった。

 はっきりした四季の移り変わりがない沖縄。秋を詠んだ琉歌はないかというと、それが結構ある。実感は希薄でも歌びとたちは、音沙汰に聞く本土の秋の風物を取り入れて、それぞれの秋を詠み楽しんできている。

 ♪朝夕袖飛ばち 遊ぶたる山ぬ 風ん身に沁みる 秋になたさ
 〈あさゆ すでぃとぅばち あしぶたる やまぬ かじん みにしみる あちになたさ

 歌意=春から夏。朝夕着物の長袖を風になびかせて遊んだ野山の風も、涼しさを通り越して、うすら寒さが身にしみる秋になった。
 野山に遊んだ若者、あるいは童たちは(着物の袖を風になびかせた)というのだから、士族の子息や子女だったに違いない、長袖の着物で着飾るのは士族階級。平民は労働に適した筒袖を着用。それで身分を明らかにした時代もある。山も首里界隈の(丘)や林だったと思われる。

 ♪庭ぬ白菊ぬ うち笑てぃ咲ちょし 夕び降たる雨ぬ 情やらど
 〈にわぬ しらヂクぬ うちわらてぃ さちょし ユビふたるあみぬ なさきやらど

 夕び=この場合、昨夜のこと。日常語ではユービユビとしているのは、詠歌の韻律ふむために詰めた言葉。
 歌意=朝、いつもより早めに起きて庭を見ると、白菊が色香をただよわせ、はにかむように、それでも満足そうに笑顔を見せて咲いている。みずみずしく咲いている。それは昨夜降ったやわらかい秋の夜雨の情けを、しっとりと受けたせいだろう。
 直訳すれば単なる風景にしか見えないが白菊を女性、夜雨を思いびとに置きかえて読み下してみよう。仲睦ましく夜を過ごした二人のそれが感じられる。殊に白菊の色艶は「一段と輝いていたことだろう。秋の夜半は人肌恋しくなる。夜は長い・・・。
 菊は古くから国花として親しまれてきた。色も多彩。花の大きさによって大輪、中輪。そして小菊、大菊、スプレー菊などに分類され、生態的に秋菊、寒菊、夏菊がある。現在、沖縄でも各種の菊栽培がなされ、全国に出荷されているが、ちなみに大菊の出荷量日本一は愛知県。小菊は沖縄県だ。
 花は女性に例えられる。あさ・ひろし作詞、普久原恒男作曲「ゆうなの花」の1節に♪ゆらゆらゆうな ゆうなの花は しっとり露に包まれて 色香も匂うよ ゆらゆらゆら♪がある。(庭の白菊・・・・)と重ね合わせてみると、まさに(色香も匂う)。

 ♪秋風ぬ立てぃば 何故がスソにみしぇる 暑さ涼まちゃる 玉ぬ扇
 〈あちかじぬ たてぃば ぬがスソにみしぇる あちさ しだまちゃる たまぬおうじ

 スソにみしぇる=そっけなく。無気、粗末などの意。日常語では(スソーン)。
 歌意=秋風が立ち、しのぎやすくなると何故急に粗末にするのですか。素っ気なくなさるのですか。夏の間は、あんなに涼風を送った重宝な扇だったのに・・・・。
 これまた(扇)を女性。その嘆きの心情だ。愛し合っている間は、片時も離れずにいた二人なのに、時とともにアタシに飽きてしまったのね。こんなにスソーン・素っ気なくされるとは思わなかったわと、女は男の薄情に涙している。不人情な男がいたものだ。

 確かに秋は「人生の秋」「愛の秋風」なぞと(終わりに近い)ことを意味したりする。また「秋の空」は、秋の天気が変わりやすいことから、人の心が変わりやすいことに例えられる。「男心と秋の空」か!「女心と秋の空」か!いまもって議論される。ひところまで「それは女心だっ」と、強引に決めつけてきたが、最近は「いいえ!それは男心ですっ「と、強引に押し切られるようになってきた。女性の心も、さわやかな秋風から猛烈な台風並みの強烈さになってきたいうことか。
 「秋」と「飽き」の語呂合わせも面白いが、馴染んだモノを早々、スソーンしてはなるまい。夏の間お世話になった扇風機やクーラー、クバオージ(棕櫚の葉で作った手扇)は、そろそろ役目を終える。きれいに拭いて礼のひとつも言って、然るべき所に収容しようと思う・・・。殊勝にもそう思い立った傍らで我が家の(玉ぬ扇)は、アイスクリームを一人でなめなめテレビドラマに見入っている。こうして今年のそれぞれの秋は深まっていく。

 ※10月中旬の催事。
 *第43回 那覇大綱挽まつり
  開催日:10月12日(土)~14日(月)
  場所:国際通り・国道58号久茂地交差点・奥武山公園

 *第7回 八重瀬町背年エイサー祭り
  開催日:10月12日(土)~14日(月)
  場所:東風平運動公園陸上競技場

 *第19回 伊平屋ムーンライトマラソン(伊平屋村)
  開催日:10月19日(土)
  場所:伊平屋島・野甫島一周



ウチナーむん=沖縄もの

2013-10-01 00:08:00 | ノンジャンル
 およそ沖縄に発生した物、民芸品、食べ物、生活用品、農作物エトセトラ・・・。音楽、言葉を含めて(沖縄的)とされる、すべてのものを[ウチナーむん]と呼称してきた。
 歌謡を例にとれば子守唄、学校唱歌、歌謡曲など共通語の歌詞のモノを「大和唄(やまとぅうた)・大和ムン]と言い、三線を基調にした宮廷歌謡や島うたを[ウチナーむん]と、色分けしている。また物品にしても日本製は大和ムン、西欧製はウランダむんと言う。これには背景があって15、6世紀頃から琉球を経て日本、アジアを目指した西欧の航海者はオランダ人がその先駆者だったことから沖縄人は色白の西欧人をウランダー、彼らが持ち込んだ文化を(ウランダむん)と言い切って定着させた。遠い国からの航海のことで台風などによって難破、命を落とした西欧船の乗組員の霊を祀った墓地が数ヵ所現存するが、これがアメリカ人であれ、イギリス人、フランス人であれ墓所は「ウランダ墓」として残している。
 終戦このかたは、地球も狭くなり西欧人もひと目見てアメリカ人、イギリス人、ドイツ人、フランス人、北欧人の区別がつくようになった。それでも(ウランダー、ウランダーむん)なる言葉は残っている。これは沖縄だけなのかも知れない。私なぞ、いまでも何の疑問もなく使っている。行政上、日本復帰後、沖縄的な言い回しが否定、訂正されつつあり、ウランダむん、大和ムンなる表現は
薄れつつあるように思われる。琉球放送ラジオで、今年2月から52年目に入る番組「民謡で今日拝なびら」の冒頭「10月1日火曜日。ウチナーぬクユミん8月ぬ27日にぬ日=沖縄の暦も子の日」とフリを入れるのだが(沖縄暦)という表現に疑問を呈された。投書の主は(ウチナー口研究クラブ)とあって氏名は記していない。
 「旧暦をなぜ沖縄暦(ウチナークユミ)というのか。辞書には(沖縄暦)なる言葉は記載されていない。下手な造語は、ウチナー口復活運動を阻害する」。
 待て。陽暦・西暦に対する陰暦・旧暦を沖縄では(ウチナーぬクユミ)と、はっきり言って、いまなお使われている。本土の気候と沖縄のそれはひと月ほどの差があり、どうしても陽・陰併用したほうが確実な季節感を把握できるからだ。地方語を日本語辞典に当てはめるのはどうか。その時点で地方語にはならないのではないか。投書者の属する「ウチナー口研究クラブ」の(ウチナー口)からして辞書には見当たらない。しかし、沖縄語を考える示唆には確かになった。古来のそれもさることながら(現代のウチナー口)を模索するヒントにはなった。

 ユネスコの指摘により「沖縄語は絶滅の危機」にあるという。
 それを受けて8月30日「しまくとぅば連絡協議会」が発足した。しまくとぅば=沖縄方言=の復興と継承を目指し、関連団体の連携を深めることを目的とした協議会である。設立総会では「先祖が残したシマンチュ=沖縄人=のチムグクル=肝心・精神=、芸能文化の誇りを取り戻し、子孫に残していかなければならない。今年をしまくとぅば再生元年としたい」との設立宣言をした。
 「そうウチナーむん=本当の沖縄もの」が始動したことになる。
 ウチナーむんの原点は(ウチナー口)である。

 9月18日は県条例による「しまくとぅばの日」。
 行政が動き、学校現場でも方言指導の準備がなされている。民間にも方言教室が多少あり、関心は高まっている。しかし、実際にはいかにして「復興、継承」していくか。糸口を見つけるのに苦慮しているのも確か。言葉は日常の中に生きているもの。識者や有志者だけの議論、活動だけでは普及、浸透が遅延しかねない。日常レベルで行動を起こさなければならないだろう。
 ある野菜市場では、、県産の野菜に和名と沖縄名の表示をして売り出している。
 例=大根・デークニ。にんじん=チデークニー(黄大根。かつては黄色のにんじんが主流だった)。なすび=ナーシビ。かぼちゃ=チンクァ。ナンクァー。南瓜。ほうれん草=フーリンナー。草を葉にしたところが面白い。キャベツ=タマナー。玉葉などなど。これが地域の子どもたちに好評で、ノート片手に学習する児童グループもあるそうな。野菜市場の人は言う。
 「生きた学習の手伝いが出来て楽しいですよ。でも、パクチョイは方言で何て言うの?の問いには困った。でも、パクチョイは新しく入ってきた野菜だからパクチョイでいいのよと、答えておいた」。
 この場合、地域の子どもたちとの会話の場を持ったことに意味がある。言葉は、実生活のコミュニケーションを図るためにあるのだから。これらの学習はスーパーでも鮮魚店でも、あらゆる現場で容易に実践できる。自分たちが日常、口に入れているもの、身に着けているもの、使っている家庭用品、道具。それらの名称から入っても関心、興味の持ち方は実質的に言葉を使いこなせるきっかけにはなるだろう。人体図を描いて身体の部称名を親子で書き込んでみるのもいいのではないか。要するに「ウチナー口の復興と継承は大仰に構えるのではなく、身近な所から楽しみながら実践しよう。根気よく」と、考えているのである。
 いまひとつ。
 「島うたを大いに歌い聞こう」。このことを私個人はお奨めする。
 20歳過ぎまでウチナー口をうまく使えなかった私だが、放送屋という職業に就き沖縄芸能、殊に宮廷歌謡や島うたを担当することで、ウチナー口を操ることができるようになった。
 琉歌には、ウチナー口たちがキラキラと呼吸をして生きている。それらに出逢って唇に乗せ、日常会話に引用、活用してみると何かしら自分が賢くなったような気分になる。もちろん、すでに死語になったことばもあるが、それらを知らべてみると、かつての(沖縄人の思考や生活感)が見えて沖縄人に生まれてよかった!とさえ思う。言葉は生きもの。時代によって変遷する。
 いままさにウチナー口は死活の分岐点にある。死語を多くするか。それらを活語にするか。この時代に生きている者の(ふるさととの向かい合い)ひとつに掛かっている。

 ※10月上旬の催事
 *第43回 那覇大綱挽まつり(那覇市)
  開催日:10月12日(土)~14日(月)
  場所:国際通り・国道58号線久茂地交差点・奥武山公園

 *第7回 八重瀬町青年エイサー祭り(八重瀬町)
  開催日:10月12日(土)~14日(月)
  場所:東風平運動公園陸上競技場

 *第19回 伊平屋ムーンライトマラソン(伊平屋村)
  開催日:10月19日(土)
  場所*伊平屋島・野甫島一周

 *第26回 いぜな88トライアスロン大会(伊是名村)
  開催日:10月20日(日)
  場所:伊是名村内