旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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名は体を表すか・Part3

2009-10-29 00:36:00 | ノンジャンル
 王府時代の命名は庶民の場合、男女とも祖父母の名前を戴いた。
 例えば、祖父が太良〈タラー。タルー〉を名乗っていると、その初孫の男児には祖父の名を付ける。それは親や祖父に敬意を表し、一族一門の証とする考えがあってのことであり、女児もまたしかりだった。
 庶民に姓が付いたのは明治以降のこと。それまでは職業や住居の位置の地形、方角などによって、屋号風に呼び合っていた。祖父母の名を継ぐのは、ヨーロッパやアメリカも沖縄と似ている。○×2世、3世は現代でもよく耳にする。

 池波正太郎著「剣客商売」の主人公・老剣秋山小兵衛は、名は体を表したのか小柄な体躯だったため、一人息子は「大治郎」とした。大治郎は、まさに名は体を表わして大柄の剣士に育つ。長じて大治郎は妻を娶り、男児をもうける。小兵衛は、
 「初孫の名はわしがつける」
 と譲らず、魚の名を頭に付けようと鯉太郎、鯛之助などと、あれやこれや考えるが決まらない。大治郎は、
 「父上の名を1字戴いて、小太郎にしたいと存じます」
 そう主張する。小兵衛は「ならぬっ!しばらく待て!」と思案を重ねるうちに日数は経ち、周囲の人びとの意見に押し切られて結局「小太郎」が誕生する。そうなってみると、再三拒否はしたものの、そこは爺の心情・情愛。毎日のように子息宅を訪れ「これ小太郎や。小太よ。小太公や」と声をかけ、言葉通り目に入れても痛くない可愛がりように変貌する。いつの世も、爺とはそうしたものだろう。

 士族階級には姓名の名の「名」に当たる頭には代々、同字を用いる慣習があった。これを「名乗=なぬゐ」と言う。公式の呼称として家名の下に付ける実名。男子は、元服と同時に唐名〈からな〉と供に付け、一族の直系尊属であることを示した。ふたつの名を持つことになるが、唐名が中国風のため、名乗りを大和名〈やまとぅ なぁ〉とも称している。
 例=琉球の産業の父・儀間真常〈ぎま しんじょう。1557~1644〉の唐名は、麻平衝〈まへいこう〉。したがって公的には姓・儀間。名乗・真。大和名・真常。唐名・麻平衝。氏名〈うじな〉・麻〈ま〉になる。
 現代でも名乗は継承されているが、さすが唐名は付けなくなった。それどころか、名乗の「真」を「まさ」、「朝・ちょう」を「あさ、とも」というふうに、音読みの伝統を訓読みにする傾向にある。名も大和化しつつあるということか。

 四民平等になった近年からは改姓改名も、法的手続きを踏めば自由になった。
 沖縄芝居の名優仲井真盛良〈なかいま せいりょう。1890~1954〉の子息・中今信氏〈元琉球大学文学部教授。故人〉は、元名仲井真盛信の仲井真を「中今」に盛信を「信」の1字に改姓改名したそうな。私も個人的に演劇の教えを乞うていた。
 信先生には3人の子息があり長男の名は純、次男哲、三男学。並べると「純哲学」と読める。「いかにも中今信先生らしいな」と、いまでも仲間同士で感嘆している。
 また、島うたの歌者松田弘一の場合、父親の名は弘。長男弘一、次男弘二、三男弘三。実に生まれた順に一、二、三と命名している。父親は琉球古典音楽の師範であり、弘一は歌三線、弘二はギタリスト、弘三はベーシスときている。父親はワルツが好きだったのか、見事な三拍子だ。

 他人さまのことを言ってはいられない。私の場合はどうか。
 長男は、放送のナレーションに読んでもらうスクリプトを書くときの筆名、これは先輩が付けたものだが、北沢直衛の[名]直衛。姓は北沢は、先輩が好きだった俳優北沢彪から取ったらしい。長女かな子は、昔から沖縄の女性名に多い[愛しい。かなさ]を意味する「かな」に「子」を付けての命名。次女はしま子。ふたりの名を合わせ読みすると「かなしま」となるが、ちょっとひねって発音すると「かなしゃま・かぬしゃま」になる。これも「愛する者」を意味する沖縄口になるが、親の意識の中には八重山民謡の「とぅばらーま」「しょんかね」の囃し言葉の響きがあってのこと・・・・だったように思える。
 さらに言えば、孫に男児が生まれたならば秋山小兵衛ではないが「名は爺が付ける」と気合いを入れていた。しかし、生まれた孫は5人が5人女子。上原家〈氏名・麻〉に代々伝わる[直]の名乗の命名は、男児誕生まで待たなければならない。



 余談。
 もれ聞くところのよると、車好きの御仁。子どもにカムリ、カローラ、コロナ、ティアナと付けているそうな。確かに今風の快い響きはあるが、性別が判断しにくい。
 沖縄も女性名は、明治時代はカマド、カナ、ウシ、カミ、ナビ、ウサ、オトなど片仮名が多く大正期には、とみ、ふみ、よね、きく、よしなど平仮名と漢字が1字の「子」がついていない名が多い。「子」が付くのは昭和期に顕著になる。昭和後期から平成この方は、男性の定番だった何男。何雄、何夫が少なくなり、女性では何子が極端に減っている。いずれにせよ「名」は、一生ついてまわる。それぞれの[名]に、幸多かれと祈る。




名は体を表すか

2009-10-22 00:38:00 | ノンジャンル
 人にはそれぞれ姓と名がある。
 名がその者・物の実体を表していること。名と実が相伴っていることを「名は体を表す」というが、人名は「その通り」と納得する名とそうでない名があるのは致し方のないことだ。私の身近にも弘美、千恵美、宏美、尚美、明美、直美、朱美、友美などなど[美]の付く女性がいて、なるほど「名は体を表すワイ」と、うなずけるほど皆、美形・・・・である。
 同僚の森根尚美さん。
 「ナオの字はいろいろある。[尚]の字を選んだ理由はなに?」。
 中学生のころ親に問うてみた。「それはだなぁ」と親は、思い入れよろしく話してくれた。
 「お前がスナオで美しい女性になるようにと願ってのことだ」
 中学生の娘は愕然とした。スナオの漢字は「素直」であって「素尚」ではないことをすでに学習していたからだ。以来彼女は命名の由来や親の思い入れなぞにはこだわらず、今日までの40年、自分「尚美」と付き合っている。改名など考えてはいない。

 台湾では、名前を変えると運勢がよくなると信じられていて、改名は自由にしているそうな。数年前に自分の名前を「チョコレート」に改めた50歳の台湾女性。かえって悪いことばかり起こるとして再び改名した。この女性、チョコ味のポテトチップを売る仕事に就いていて、自分の運勢がよくなるよう願って名前を「チョコレート」にした。ところがその後、転職は失敗、飲酒運転で罰金を科された上に、インターネット詐欺で逮捕されるなど、さんざんな目に遭った。そこで女性は、再び改名を思い立ち、台湾の呼び名で美しいことを意味する「フオルモサ」にするつもりだそうだと、10月13日付の共同通信放送ニュースは伝えている。

 長い姓名で有名なのは、誰もが知っている世界的天才画家パブロ・ピカソ。1881年10月25日にスペインのマラガに生まれ、1973年4月8日、92歳の生涯を終えるまでに1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、34万点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作している。このことは、最も多作の美術家としてギネスブックに記されているそうだ。これだけで驚くのはまだ早い。彼のフルネームは【パブロ ディエーゴ ホセー フランシスコ・デ・パウラ ホアン・ネポムセーノ マリーア・デ・ロス・レメディオス クリスピーン クリスピアーノ デ・ラ・サンティシマ・トリニダード】。噛まずに発音していただきたい。もちろん1語1語に意味があり、ピカソのキリスト教徒としての洗礼名は聖人や縁者の名前を並べたものと「ピカソ全集」に記載されてるが、ほかにも諸説があるらしい。
ピカソに負けないのは、落語の「寿限無=じゅげむ」で語られる腕白坊主の名だ。この小童の名は【寿限無寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末・雲来末・風来末 食う寝る処に住む処 やぶら小路の藪柑子 パイポパイポのシュウリンガン シュウリンガンのグウリンダイ グウリンダイのポンポコピイのポンポコナの長久命の長助】。
 長い名前を付けると長命すると聞いてお父つぁんは、寺の和尚に名付け親になってもらったらこうなった。噺のサゲは、寿限無・・・・が喧嘩して近所の子の頭にコブを負わせた。その子の親は、怒鳴り込んだまではよかったが「お前ぇんとこの寿限無・・・・が」と名を呼んでいるうちにコブは引っ込んでしまったとか、寿限無・・・が川に落ちたという急報が、長い名前言っているうちに溺れ死んだとか、はたまた近年は、朝寝坊の寿限無・・・の入学式の日、寿限無を起こすために名を連呼しているうちに、学校は夏休みを迎えていたなどいくつかあるそうな。
 名付け親の和尚も、口から出まかせをしたのではない。それぞれ故事にならっている。
 【寿限無】は無限の長寿のこと。【五劫の擦り切れ】は、3千前年に一度山に降りる天女が、羽衣をひと振りすると山が削られる・擦り切れる。その山がなくなるまでに1劫・40億年かかったという故事に由来。したがって五劫は200億年。つまり、それほど長い歳月を意味する。【海砂利水魚】海の砂利や魚類の数限りないことの例え。【水行末・雲来末・風来末】水・雲・風の来し方や行く末には果てがない例え。【食う寝る処に住む処】衣食住のうち食・住に困らず生涯を過ごせることを祈願した言葉の1部。【やぶら小路の藪柑子】生命力の強い縁起ものの木の名。やぶら小路と藪柑子は同義語。【パイポパイポのシュウリンガン シュウリンガンのグウリンダイ グウリンダイのポンポコピイのポンポコナ】は、唐土のパイポ王国歴代の王様の名で、いずれも長命したという昔ばなしによるという。【長久命】は天地長久にならう。【長助】文字通り長く助かるの意。
 これだけ縁起がよく、めでたづくめの名前も他にはなかろうが、かと言ってあまり長いのも、呼ぶのに時が掛かりすぎて、かえって都合が悪くなりかねない。落語だから面白いのである。

   

 沖縄の俗語に「名ぁ負き=なぁ まき」がある。名前があまりにも立派過ぎて、それに圧倒されていることを意味している。ピカソはその逆の別格だが、われわれの子ども名前は、あまり凝りすぎないほうがよろしいようで。

  

くすり・クスリ・薬

2009-10-15 00:20:00 | ノンジャンル
 日本語大辞典を引いてみる。
[くすり・薬]=広くは動物・植物一般に、特殊な働きを示す物資。狭い意味では、病気の予防や治療の目的で利用する物資。法律上は、薬事法により医薬品と医薬部外品が定義されている。数え方=一服・一包み・一袋・一カプセル。
 「薬、人を殺さず 薬師、人を殺す」という。薬で死んだとしても、それは薬のせいではなく、それを調合した薬師のせい。モノは使い方によって、毒にも薬にもなる例えの慣用語だ。
 使い方と言えば、モルヒネなどは、激痛を伴う病気の人の負担をやわらげるため、治療薬として開発したものだが、それがいろいろ用途を広げ、戦争の前線にいる兵士の極限状態の恐怖をマヒさせるために使用されたことから、今日も芸能界のみならず、一般人をも汚染している。またぞろ、辞典を引く。
 [まやく・麻薬]=鎮痛、麻酔作用があり、習慣性をもちやすい薬物。アヘン・コカインなど。医療では鎮痛、麻酔薬として使用。嗜好的使用は害があるので禁止されている。
 麻薬の輸出入、製造、所持などの取り締まりと取り扱い免許や中毒患者の措置などについて定めた「麻薬取締法」は、昭和28年〈1953〉に公布されているが本来、健全な社会を創出するため、医療用とする目的の麻薬は、いまや闇の世界のスラングでは簡単に[クスリ]としてはびこっている。辞典に明記された[くすり・薬]の定義は、どこへ行ったしまったのだろうか。

  

 10月5日付の新聞に「薬、人を殺さず 薬師、人を殺す」を思わせるような調査報告が掲載されている。
 全国906の薬局で4~6月の3ヶ月間に、薬剤の数量を誤るなど、医療事故につながる恐れがある事例が175件あったことがこのほど、日本医療機能評価機構の調査で分かった。機構が初めて、薬局の[ヒヤリ・ハット事例]をまとめた調査結果をホームページで公表したほか、都道府県など自治体に送付し、薬局への周知を要望。「薬局の職員らで情報を共有し、医療の安全推進に役立ててもらいたい」としている。6月までに徳島県を除く、46都道府県の906薬局が情報収集事業に登録した。集計によると、175件のうち166件が調剤に関するものだった。うち最も多かったのは、錠剤などの数を誤って患者に渡すなどした「数量間違い」で46件だった。〈沖縄タイムス朝刊〉

 ところで。
 某所大型スーパーの表にこんな掲示を見た。
 [薬はじめました]
 一瞬、ドキッとした。社会に蔓延している薬ではないクスリを売り始めたのかと、あらぬ思考をしてしまったのだ。もちろんスーパーとしては栄養ドリンク、胃腸薬、目薬、傷薬などなどの他に包帯、マスクなどの「ドラッグコーナーを設けました」という案内なのは言うまでもない。ノリピーたら称するものや押尾学たらなど、反社会的芸能人のクスリ所持、使用による逮捕ニュースに、すっかり毒されてしまっている自分に気づき「クスリッ」と、笑うしかなかった。

   
 
 慣用語を拾ってみる。
 薬より養生=健康には薬を飲むより、普段の養生、健康管理が大切であるということ。
 薬が効き過ぎる=効き目が強すぎる。このことから、よかれと思ってした説教が、逆に相手を追い込むことになったときなどに使うことば。
 日本には「薬喰い」という言葉があって非常に寒い日など、躰を温めるためにイノシシやシカなどの獣肉を食する風習があるそうな。沖縄的には「耳薬=みみぐすゐ」なる言葉があり、いい響きを発して使われている。人さまとの語らいや講演などで、いい話を聞いた場合、また、すばらしい歌三線・音楽を聴いたときは「耳薬なたん=耳の薬になった。耳を通して心にしみた」として、感動を表している。
 このようにして薬はいろいろな使い方があるものだが、薬は薬でも狂歌に出てくる薬は深刻である。

 symbol7好かん刀自起くち ムヌ食まなゆいか にじてぃ寝んじゅしどぅ 腹ぬ薬
 〈しかんトゥジ うくち ムヌかまな ゆいか にじてぃ にんじゅしどぅ わたぬ くすゐ〉

 倦怠期どころかすっかり冷め切った夫婦。夫が夜遅くまで働いて帰宅しても、妻は本寝か狸寝入りか、起き出す気配さえない。夫は思う。愛の欠片もなくなった妻を起こして食事をとるよりは、空腹でも我慢して睡眠をとったほうが、腹の薬というものサ~《ため息》
 思い当たる御仁は・・・・いないか。





看板・見て歩る記

2009-10-08 00:26:00 | ノンジャンル
 テレビ、雑誌などの広告を見る。殊にテレビのCMは、すっかり秋のムードになり、早いものではコート、マフラーのモデルが風邪薬や化粧品の売り込みにかかっている。
 「アカハラダカ=赤腹鷹=が北から南へ渡り、涼風が感じられるとは言え、まだまだ長袖には早く、かりゆしウェアやTシャツで残暑をしのいでいるというのに、日本列島はほんとうに南北に長く、沖縄とは季節感を異にしているなぁ」
 そう実感せざるを得ない。
 今週号は、街の通りで見かけた[看板]や[うたい文句]を披露しよう。

 沖縄市のそば屋さん。表の店名とともに、こう大書している。「とにかくおいしい!牛汁そば!」
 「とにかく!とは、どうおいしいのか」。そば通を自認するものとしては、確かめなければならない。とにかく入って注文した。出てきた牛汁そばの具はもちろん沖縄産牛肉。牛味と沖縄そばがからみ合い、シシジョーグー〈肉上戸。肉好き〉、スバジョーグー〈そば好き〉には持って来いの出来だ。どう「おいしいのか」というと、店主が自信をもって打ったのが納得できる「とにかくおいしい!そば」だった。テレビのレポーターが何たらかんたら表現するシャレ言葉も誉め言葉もいらない。[とにかく食べてみろ!とにかくおいしい!]とする店主の心意気が[味]を引き立てていた。

 海ん人〈うみんちゅ。漁民〉の守護神を祀る「白銀堂」は、糸満市糸満にある。
 そのすぐ近くに「んむがぁーやーきぃ」の看板を見ることができる。新垣善三郎さんが出して7年になる。通のみが知る店。糸満以外の方言をよくする人でも、一度は「んっ?」と首をかしげる看板だ。普通「んむがぁ」とは、煮芋の皮のこと。「やき」は「焼き」。したがって「んむがぁやき」は「煮芋の皮を焼いたモノ」になるのだが・・・。大いに好奇心を刺激されて入ってみた。香ばしい匂いが立ち込めている。その正体は、昔ながらの「今川焼き」だった。おそるおそる「今川焼きの沖縄口呼称は、多くの地域で“いまがぁやち”なのだが」と問うてみた。即座に糸満口独特のアクセントの答えが返ってきた。
 「他地域ではどうであれ、糸満で作る今川焼きは“んむがぁーやーきぃ”なのだ」
 実に誇りに満ちた返事。なるほど、大和口や一般的沖縄口はどうであれ、糸満の今川焼きならば“んむがぁーやーきー”が正統でよいと感銘した。地方語とは、そうしたものではなかろうか。ちなみに、那覇の一部では「んまがぁ やち」と言う所もある。「今」の沖縄口は「んま」。「川」は、それのみならば「井戸」とともに「かぁ」。今川焼きのように、頭に言葉が付くと「がぁ」になる。ところが「んまがぁ」のみの場合「孫」のこと。「孫を焼くとは何事っ!」という驚愕もあるが、重ねるべき言葉はちゃんと重ねて「んまがぁやち」と発すれば、何の差し障りもない。

   

 ところで「今川焼き」とは何だろう。
 一般的には小麦粉と卵、砂糖などを水と合わせた生地を、数個の円形のくぼみのある鉄板に流し込み、小豆餡を乗せ、さらにいま一枚の鉄板で挟んで焼いた和菓子のひとつだ。名称は江戸時代中期、江戸は神田の「今川橋」近くで売り出されたことによるとされている。
 私自身「戦国時代の大名・今川氏が兵糧として考案したのかな」と、勝手に決めかけていたが、今川氏とはまったく関係ないという。江戸神田に生まれた今川焼きは、時代とともに全国に広がり、各地それぞれの形になりながら大判焼き、小判焼き、二重焼き、回転焼きなどなどの名称になっている。鯛焼きもその流れだろう。

 宜野湾市には、木目も付いたままの大きな板に「沖縄そば専門店」と、墨痕鮮やかに書いた看板がある。定番のソーキそば・ティビチそば・肉そば・野菜そばなど数品を売り物にしている。ところがである。店内に入ってみると、壁いっぱいに沖縄そば以外のメニューが掛かっているのだ。カレーライス・チャーハン・オムライスはもちろん、ゴーヤー〈苦瓜〉、マーミナ〈もやし〉などのチャンプルーは言うに及ばず、ナーベーラー〈糸瓜・へちま〉、シブイ〈冬瓜〉のンブシー〈煮込み〉などなど、沖縄そばの品目に引けをとらない多さである。では、看板の「沖縄そば専門店」の[専門]とは、何を意味するのか。これまた首をかしげたくなるが、そんな小賢しい詮索こそ無意味であることに気づく。
店としては「専門店とは言え客の中には、そば以外のものを食したい人もいるかも知れない。こうした人のために、専門以外の料理を作って提供するという主の心遣いを感じ取った方が食はすすむ。沖縄人の大らかさの表れのひとつと理解していただきたいのである。

 嬉しい看板。
 某所の小さな化粧品店の店頭に貼られた手書きの新製品案内の文句がいい。「お肌のお手入れ」云々のつもりが赤いマジック文字で「お股のお手入れ」になっている。男性にも効果があるのなら、進んで購入して使用してみたくなる魅力的な案内と思ったのは、私ひとり・・・・なのかも・・・・。

    




果報は寝て待てるか

2009-10-01 00:27:00 | ノンジャンル
 俗諺にいわく。「朝寝貧素・昼寝病ぇ=あさね ふぃんすう・ふぃんに やんめぇ」。貧素の表記には「貧相」を見ることができ、貧乏を意味している。
 勤労の怠り朝寝をむさぼる者は貧素・貧相に陥り、昼寝を常としてフユー〈怠慢〉する者は、病をつくると説いている。勤め人は、週に五日はよく働き、土曜日曜に朝寝昼寝を楽しむから、疲労回復効果もあり、ストレス解消もできるというもの。朝寝昼寝を一週間に十日もしていると貧素、病ぇを招くのは道理だろう。一方で「果報は寝て待て」の実行も時にはいい。ウェーキ神〈富貴神。福の神〉もフィンスー神〈貧乏神〉も実は、どこの家庭にもいるそうで、どの神と親しくつき合うかは、その家人の選択ひとつと思われる。
 昔むかし。ある所に住まいする夫婦。子沢山でありながら働く意欲がなく、朝寝昼寝を常としていたそうな。ウェーキ神は、働き者の家にしか滞在せず、この家にはすでにいない。居着いているのはフィンスー神だけであった。しかし、フィンスー神ですら、この家は居心地が悪く、あきれかえって夫婦に申し出た。
 「ワシがとりつく甲斐もないこの家を今日限り出て行くことにする。これまで世話になったことだから、お礼にいいことを教えよう。三日後を初日として三日間の早朝、この家の前をウェーキ神が乗った馬車が通る。初日、ウェーキ神の馬に従うもう一頭の馬の鞍には、黄金袋が積まれている。二日目の馬の鞍にはこれもウェーキ神が引き、銀の詰まった袋が積んである。いずれもお前さんたち一家が働かなくても一生、楽に暮らせる宝物だ。金袋にするか、銀袋にするか。馬を引き止めて自分のものにするがいい」
 そう告げると貧乏神は、スタコラ出て行った。夫婦は[まさに果報は寝て待てだ。三日後の三日間だけは朝寝せず、金袋も銀袋も手に入れよう]と意気込んだ。
 いよいよ三日後の夜明け早々、貧乏神の予言通り、ウェーキ神の乗った馬に従うもう一頭の馬の背には、いかにも重そうな金袋が積まれている。しかし、身についた習慣とは恐ろしい。朝寝昼寝としてきた夫婦は、起きることを知らない。ハッと気づいて飛び起き表に出たときには、あたりはすっかり明るい。もちろん、金袋の馬は通り過ぎた後である。
 「しかたがない。金袋は取り損ねたが、明日は早起きして銀袋を手に入れればいい」と、すぐに昼寝に入り翌朝を待つことにした。しかし、この日も朝寝の習慣性がわざわいして、早起きどころではない。銀袋は朝寝の夢の中で見ただけで、またぞろ朝起きを怠った。太陽加那志〈てぃーだ がなしい。お天道さま〉は東の空に輝いている。銀袋を積んでやってきたウェーキ神は通り過ぎている・・・・昼前に起きた夫婦は、それでも都合のいい会話をする。
 「フィンスー神は、たしか三日間と日を区切っていた。初日の金袋、二日目の銀袋も手に入れ損ねたが、三日目の馬だけは何としても逃すまい。寝ずに夜明けを待とうではないか。それなりのお宝が得られるだろう」
 夫婦はその日は、昼寝をたっぷりすると真夜中に起き出して日の出を待った。馬がやってくるのを眠い目をこすりながら、家の前の道に出て待った。そして、遂にその時はきたのである。遠くから馬の足音が聞こえてくる。
 「やったぞ。今日こそは逃すまいッ!馬のムゲー〈くつわ〉を掴まえたら、すぐに家に引き込むのだぞッ!」
 そこは夫婦、呼吸は十分。踊る胸の高鳴りを静めようともせず、朝霧の向こうを目をこらしてうかがった。すると、夫婦の期待を裏切らず、朝もやの中から一頭の馬が姿を現した。夫婦はソレッ!の気合いとともに馬に駆け寄り、ムゲーを掴むと家の戸口の前に引き入れた。
 「やったぞッ。これで貧乏暮らしともおさらばだ。これからも一家して朝寝昼寝ができるぞッ」
 快哉を叫んだ夫婦は、喜々として馬上を見上げた。しかし、視線の先にあったのは金袋でもない、銀袋でもない。フィンスーフィジ〈貧乏髭〉をなでなでニンマリ笑顔の、三日目に出て行ったおなじみのフィンスー神だった。

  

 国民は、朝寝昼寝なぞ決してしていない。貧素は好まない。まして病ぇなどなおさら好まない。今回、晴れて衆議院議員選挙を勝ち抜いて、赤いジュウタンの館入りした方々。果たしてウェーキ神を勤めるかフィンスー神になるのか。よく見極めなければならない。
 件の夫婦が詠んだのではあるまいが“世の中は寝るより楽はなかりけり 浮世の馬鹿よ起きて働け”になってしまっては、この国には貧素と病ぇしか残らない。


※琉球新報 2009年9月3日「巷ばなし 筆先三昧」掲載を転写。