♪仲よし小道は どこの道 いつも隣のミヨちゃんと ランドセル背負って元気よく お歌を歌って通う道~
昭和22年(1947)。私は捕虜収容地のひとつ旧石川市(現・うるま市)城前小学校の3年生だった。
その年の春か秋。学校の「お遊戯会」のメンバーに選ばれた。たしか男児3名、女児3名だったと記憶している。その時の演目が「仲よし小道」だった。
同級生の女の子と(仲よく)手をつないでダンスする。これには、なかなかの抵抗があって、先生の指名に尻込みをした。たとえ8歳と言えども、日本男児である。明治生まれの親父に「男女7歳にして、席を同じくせず」の教育を受けていたからだろう。
「これからは男女平等の民主主義の世の中です。おやんなさい」。
赤嶺という女先生の熱っぽい説得を家に持ち帰り、親父に話すと親父は「うん」とも「すん」とも言わない。明治男には、男女平等、男女共学が得心がいかなかったのだろう。けれども、兄や姉たちは時代を敏感に捉えていたのだろう。お遊戯会出演を大いに奨める。
「親父は俺が得心させるから」。
10歳上の兄の言葉を納得して、出演を決意した。いや、決心するに心動かされた。いまひとつの理由は、ボクと組む女の子が、F‣Mさんと言って、学校中でも(美少女)の十指に入る子だったからである。稽古にも熱が入り「仲よし小道」は満足するに十分な評判を得てプログラムを飾った。音曲はもちろん、戦火を生き残った蓄音機盤。蓄音機の針が盤をこする、いわゆるスクラッチもボクには快い楽器の音に聞こえていたように思える。
「この歌、知っている?」。
いま6人いる孫の中の5年生に、自慢半分に問うてみると、
「ランドセルは知っているけれども、歌は知らない」。
つれない返事が返ってきた。
ランドセルは、主として「小学児童が学用品を入れて、背中に背負って通学する学用鞄」と、説明するまでもあるまい。殊に低学年児童が学校の生き返り、ランドセルを左右にゆらしながら走っているさまを見ると、ボクの唇は勝手に‟仲よし小道は どこの道~”と声を発し、隣のミヨちゃん、いや、M子ちゃんが、瞼に登場するのである。
日本においてはランドセルは、なんでも軍人専用だったようだが明治の中期、大正天皇が学習院入学の折り、通学用として、伊藤博文がイギリスから取り寄せて献上したと伝えられる。そののち、学習院が校規をもって(生徒用)に採用した。それがしだいに一般の児童用として普及、現在に及んでいる。なお、ランドセルはオランダ語の(ランセル)の転訛だそうな。日本語訳は「背嚢(せのう)」。
背嚢=物を入れて背負う方形のかばん。皮やズックなどで作る。軍隊で使用されたものをいうことが多い。辞書にはそうある。
11月9日。新聞をひらく。
「ランドセル商戦、はや、活況」「時期、年明けから年末に」「フィット感の確認重要」の文字が目を引いた。
ランドセルの発売は、新学期前と存念していたが、さにあらず、すでに始まっているそうな。4年ほど前まで年明けの1月からが売れ時だったが、最近は年内の10月から年末にかけてピークとなっている。
人気色は男児用が黒や青、女児用は明るめの赤やピンク、薄い紫などなど。お値段は平均3万円から4万円が売れ筋。扱い店の人は選び方のポイントとして「軽さも大事だが、まず背負ってみての重量感やフィット感が大事。児童の成長過程においても形は変化する。教科書などを入れると重さの感じ方も変わるので、店頭に置いてある砂袋など、重りになるものを入れて体感させてほしい」と助言している。
「俺にも来春、小学校に上がる孫がいる。本人はまだ入学を意識していないようなので、クリスマスのサプライズプレゼントにしようかと思っている」。
そう目を細めて言うのは、友人のK。ランドセルは爺婆の愛と夢も詰めるもののようだ。
かく言うボク自身は、ランドセルを背負ったことがない。
終戦直後の1年生は、HBTと呼ばれた米兵の野戦服をほどいて縫い直した親父特製の手持ち鞄や米軍基地から払い下げられた軍用のそれで高校までを通した。それもけっこう重宝だった。なにしろ、教科書、雑記帳、筆記用具、弁当箱などのほか、学校には持ち込んではいけない軍用ナイフや遊び道具や大人用の雑誌「キング」「リベラル」などもしのばせることができた。それはすべて肩に掛けるモノで、背中に背負う(かばん)は、いまもって持ったことがないのである。
最近、歳のせいか両手が塞がるのがなんとなく不安だ。年寄り用のリュックサックも流行りだが、この際、体裁をおっぽり出して、小学生用のランドセルを背負うって見ようかと思う。体裁よりは利便性を重要視したいのである。リュックサックにしないで、ランドセルに思いを馳せるのは、それを背負って‟仲よし小道”を通りたいからだ。それを実行したらあなた!ボクと並んで歩いてくれるだろうか。古女房や娘は(拒否!)するだろうが‟隣のミヨちゃん”なら‟お歌を歌って”歩いてくれるに違いない。またぞろ歌ってみる。
♪仲よし小道はどこの道 いつも隣のミヨちゃんと ランドセル背負って元気よく お歌を歌って通う道~。
昭和22年(1947)。私は捕虜収容地のひとつ旧石川市(現・うるま市)城前小学校の3年生だった。
その年の春か秋。学校の「お遊戯会」のメンバーに選ばれた。たしか男児3名、女児3名だったと記憶している。その時の演目が「仲よし小道」だった。
同級生の女の子と(仲よく)手をつないでダンスする。これには、なかなかの抵抗があって、先生の指名に尻込みをした。たとえ8歳と言えども、日本男児である。明治生まれの親父に「男女7歳にして、席を同じくせず」の教育を受けていたからだろう。
「これからは男女平等の民主主義の世の中です。おやんなさい」。
赤嶺という女先生の熱っぽい説得を家に持ち帰り、親父に話すと親父は「うん」とも「すん」とも言わない。明治男には、男女平等、男女共学が得心がいかなかったのだろう。けれども、兄や姉たちは時代を敏感に捉えていたのだろう。お遊戯会出演を大いに奨める。
「親父は俺が得心させるから」。
10歳上の兄の言葉を納得して、出演を決意した。いや、決心するに心動かされた。いまひとつの理由は、ボクと組む女の子が、F‣Mさんと言って、学校中でも(美少女)の十指に入る子だったからである。稽古にも熱が入り「仲よし小道」は満足するに十分な評判を得てプログラムを飾った。音曲はもちろん、戦火を生き残った蓄音機盤。蓄音機の針が盤をこする、いわゆるスクラッチもボクには快い楽器の音に聞こえていたように思える。
「この歌、知っている?」。
いま6人いる孫の中の5年生に、自慢半分に問うてみると、
「ランドセルは知っているけれども、歌は知らない」。
つれない返事が返ってきた。
ランドセルは、主として「小学児童が学用品を入れて、背中に背負って通学する学用鞄」と、説明するまでもあるまい。殊に低学年児童が学校の生き返り、ランドセルを左右にゆらしながら走っているさまを見ると、ボクの唇は勝手に‟仲よし小道は どこの道~”と声を発し、隣のミヨちゃん、いや、M子ちゃんが、瞼に登場するのである。
日本においてはランドセルは、なんでも軍人専用だったようだが明治の中期、大正天皇が学習院入学の折り、通学用として、伊藤博文がイギリスから取り寄せて献上したと伝えられる。そののち、学習院が校規をもって(生徒用)に採用した。それがしだいに一般の児童用として普及、現在に及んでいる。なお、ランドセルはオランダ語の(ランセル)の転訛だそうな。日本語訳は「背嚢(せのう)」。
背嚢=物を入れて背負う方形のかばん。皮やズックなどで作る。軍隊で使用されたものをいうことが多い。辞書にはそうある。
11月9日。新聞をひらく。
「ランドセル商戦、はや、活況」「時期、年明けから年末に」「フィット感の確認重要」の文字が目を引いた。
ランドセルの発売は、新学期前と存念していたが、さにあらず、すでに始まっているそうな。4年ほど前まで年明けの1月からが売れ時だったが、最近は年内の10月から年末にかけてピークとなっている。
人気色は男児用が黒や青、女児用は明るめの赤やピンク、薄い紫などなど。お値段は平均3万円から4万円が売れ筋。扱い店の人は選び方のポイントとして「軽さも大事だが、まず背負ってみての重量感やフィット感が大事。児童の成長過程においても形は変化する。教科書などを入れると重さの感じ方も変わるので、店頭に置いてある砂袋など、重りになるものを入れて体感させてほしい」と助言している。
「俺にも来春、小学校に上がる孫がいる。本人はまだ入学を意識していないようなので、クリスマスのサプライズプレゼントにしようかと思っている」。
そう目を細めて言うのは、友人のK。ランドセルは爺婆の愛と夢も詰めるもののようだ。
かく言うボク自身は、ランドセルを背負ったことがない。
終戦直後の1年生は、HBTと呼ばれた米兵の野戦服をほどいて縫い直した親父特製の手持ち鞄や米軍基地から払い下げられた軍用のそれで高校までを通した。それもけっこう重宝だった。なにしろ、教科書、雑記帳、筆記用具、弁当箱などのほか、学校には持ち込んではいけない軍用ナイフや遊び道具や大人用の雑誌「キング」「リベラル」などもしのばせることができた。それはすべて肩に掛けるモノで、背中に背負う(かばん)は、いまもって持ったことがないのである。
最近、歳のせいか両手が塞がるのがなんとなく不安だ。年寄り用のリュックサックも流行りだが、この際、体裁をおっぽり出して、小学生用のランドセルを背負うって見ようかと思う。体裁よりは利便性を重要視したいのである。リュックサックにしないで、ランドセルに思いを馳せるのは、それを背負って‟仲よし小道”を通りたいからだ。それを実行したらあなた!ボクと並んで歩いてくれるだろうか。古女房や娘は(拒否!)するだろうが‟隣のミヨちゃん”なら‟お歌を歌って”歩いてくれるに違いない。またぞろ歌ってみる。
♪仲よし小道はどこの道 いつも隣のミヨちゃんと ランドセル背負って元気よく お歌を歌って通う道~。