旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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いろは歌留多 その8

2014-01-20 00:23:00 | ノンジャンル
 「新年午年」「初夢」「希望」「へいわ」「いろは」。
 いつも通る道筋の表に習字教室があって、書き初めと思われる「書」が墨痕鮮やかに貼られている。教室のガラス戸の内側のこれらは、漢字は高学年、平仮名は低学年生のそれだろうと、勝手に想像しながら年が明けたことを実感している。
 蛇足ながら・・・・。
 「初夢」は一に富士、二に鷹、三になすびが縁起がいいとされるが、どうやらこれは天下を統一した徳川家康に由来するらしい。いずれも家康の出身地駿府(静岡県駿河市)の名所名物で家康がこよなく愛で好んだという。富士山は霊峰で気高く美しい日本のシンボル。鷹は大空を飛翔するさまと気性から勇猛果敢、チャレンジ精神を表す。さて「なすび」は、茄子なのだが、これを(家康のように天下人として)「名を成す」と語呂合わせしたとする説がある。
 「どうせ生きるなら徳川家康にならって、どの道も天下を取ろう」。
 こうした(夢)を江戸を中心とした人びとは元旦、あるいは2日の夜に見て新年の希望としたのだろう。しかし、沖縄にはこれに当たる(夢の肖り)はない。
 さて。今月の「いろは歌留多」は「め」から。

 ※【め】
 読み札=めー くし ふぃじゃゐ にじり
 取り札=前 後ろ 左 右
 前後左右。これは方角だけを指すのではない。慣用句にも「傍 構んな 前ぇ しぇーきり=すば かむんな めー しぇーきり」がある。
 (何事も)自分のやるべきことを前向きに成せ。余計なことに気を取られるな。自分の成すべきことを最優先にして、他事に構うなと奨励している。
 「左」は「ふぃじゃい」とも「ひじゃい」とも言う。また「め」は「み」に変化する音も多い。*目=みー。*面倒=みんどう。*(魚)メダカ=みだかー。みーだかー。*綿=みん。*素麺=そうみん。などなど。

 ※【み】
 読み札=新いさ 香ばさ 誰んまし(みーさ かばさ たーぁんまし
 取り札=新しいもの 香りのいいもの 誰もが好む
 着衣、道具などなど。新しいものを好み欲するのは、誰しもが持つ心情であろう。俗に「女房と畳は新しいほどよい」というが、さてそれはどうか。男どもがのたまった一方的俗語だろう。古いものにもいいものはある。先人は言う「過去を振り返ることは後退ではない。よりよい未来を創り出す思考の前進である」。温故知新ということか。

 ※【し】
 読み札=しーじゃ うっとぅ かながなとぅ
 取り札=兄 弟 愛し合い
 「しーじゃ」は血縁の兄姉。「うっとぅ」は弟妹を意味するが、実の兄姉弟妹のように親しくしている人にも「しーじゃ、うっとぅ」は使う。つまり、男女とも年上を「しーじゃ」年下を「うっとぅ」と呼ぶ。年上、年下をはっきりさせるために「ゐきがしーじゃ(男年上)ゐなぐしーじゃ(女年上)ゐきがうっとぅ(男年下)ゐなぐうっとぅ(女年下)と、性別をかぶせる。また、兄=やっちー。姉=んーみーと呼称。一般的に「うっとぅ」は弟、妹には「ゐきー・ウィキー」と言う。「「うぃきー・ゐきー」はWUなぐ=女姉妹を意味する古語=の転語とされる。

 ※【ゑ】
 読み札=ゑくば 可愛い 女の子
 取り札=ふーくぶん(頬窪み) すーらーさ ゐなぐ童
 例を出すのにさあ、困った。五十音の中から「ゑ」がなくなっているからだ。かつては、絵の具を「ゑのぐ」映画を「ゑいが」と書いたものだが、今は「え」に統一されている。しかし、「ゑ」へのこだわりか、現在でも女性の名前に、いくゑ。かずゑ、まりゑなどを見ることがある。かつての映画女優に利根はるゑがいたし、新劇の女優にも日色ともゑがいる。
 よく発音してみると「え」と「ゑ」は微妙に異なる。「ゑ」と発音した語句を拾い集めてみませんか。ゑびす、ゆゑん(由縁)。

 ※【ひ】
 読み札=ひーたー ぬくぬく 要った物(いったむん
 取り札=防寒着 温く温く 重宝なもの
 ひーたーは、着衣の上に羽織る「ちゃんちゃんこ」の1種。綿入りー=わたいりー=とも言う。殊に寒さに弱い年配者や赤子をおぶってあやす子守りが重宝した。大抵は袖はなく、あっても五部七分程度の長さ。両手が自由に使えるように工夫したと思われる。また「ひーたー」の1種に「ふくたー」がある。ふくたーは、着古した着物の生地・ぼろ布を指すが、そのぼろ着を幾重にも重ねて裁縫して仕立てた防寒着のこと。袖も長く温かい。布団の代用としても重宝した。「ふくたー」はほかに「海ふくたー」があって漁師が着用。いまでも糸満漁港になどへ行けば見ることができる。
 髭面の漁師が使い古したタオルを無造作に頭に巻いて、海ふくたーを着、腕を組んでくわえ煙草のまま、冬の海の波や風をジッと読んでいるさまは、まさに一幅の絵。いかにも海ん人(うみんちゅ・漁師)然として生活感があり逞しい。この魅力は多くの画家、写真家がものにしている。

 沖縄は新旧ふたつの正月を祝う。
 新暦のそれを「大和正月=やまとぅ そうぐぁち」と言い、旧暦を「沖縄正月=うちなぁ そうぐぁち」とする。亜熱帯のこの地の農業は、漁業は旧暦が適しているからだ。今年は「正月二ちゃー=そうぐぁち たーちゃー」に当たり、この1月は「大和正月」と「沖縄正月」をする。因みに「沖縄正月」は、1月31日である。

 ※1月下旬の催事。
第5回 ひまわり IN 北中城
 期間:1月26日~2月24日

 *第8回 海洋博公園美(ちゅ)ら海花まつり
 期間:1月26日~2月24日
 場所:沖縄海洋博公園

 *第51回 名護さくら祭り
 期間:1月25日(土)~1月26日(日)
 場所:名護中央公園



午年の春・大寒む小寒む

2014-01-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「兄ちゃん!見て見て!雪ってこんなに積もるんだねッ!ホラッ!雪かきしている。楽しそう。沖縄も雪が降ればいいのにねッ」。
 兄と妹が夕刻のテレビの全国ニュースを見ながら話している。
 「ばかッ。沖縄は南国なのに雪が降るかよッ。霰さえ降らないのに」。
 「あ・ら・れ?あられって何?」。
 「ん・・・・」。
 中学生の兄は小学生の妹の問いかけに窮してしまった。

 雪はもちろん、霰もそうそう降らない。冬が来ても毎年(霰)にお目にかかることなく、70余年生きてきた私自身、霰の降る日の記憶は10日あるかどうか。実際にはそれ以上の日数降ったのかも知れないが、日常的でないのである。霰とは何だろう。あらためて気象用語の手引きを本棚の奥から取り出した。

 霰=雪の結晶に過冷却の水滴がついたもの。
 それだけではもう分からない。「雪の結晶」「過冷却」は、頭では理解できても実感に遠い。(あられ)からは、餅を小さく切って煎ったあとに味付けをした駄菓子しか答えは導き出せないのである。
 霙(みぞれ)にしてからがそうだ。またぞろ辞書に頼れば、
 霙=雪と雨が入り混じって降るもの。また、その状態。氷雨。
 これも実感できない。(みぞれ)は、夏の盛りに汗を入れるに食する「かき氷」しか知らない。かつて埼玉県鴻巣に住む友人宅を訪れた際、霙が降った。締め切ってストーブと炬燵に入った居間の窓を開けて、小皿で霙を受け、砂糖をかけて食したことがある。物珍しさの行為を友人夫婦は笑って済ませたが、子どもたちは「異国人」「変なおじさん」と見て取ったか、妙な表情で来客をうかがっていた。

 霰は日常的には降らないが、琉歌の中には登場する。

 ♪埋ん火ゆ起ち掻ちあさいあさい 霰降る夜や明かしかにてぃ
 <うじゅんびゆ うくち かちあさいあさい あらりふる ゆるや あかしかにてぃ>

 沖縄語では「れ」は、基本的に「り」に変化する。
 歌意=冬の夜も更けて就寝したものの、布団の中もなかなか温まらず、遂には起き出して、火鉢の中に薄く灰を被せて置いた火種・埋れ火を火箸で掻きあさり、火を起こして暖をとる。ああ、陽が昇る夜明けまでこのままでいよう。冬の夜は長い。実に明かしかねる・・・・。

 ♪庭ぬクバぬ葉に 音立てぃてぃ降ゆる 霰伽すゆる 冬ぬ夜半
 <にわぬ クバぬふぁに うとぅたてぃてぃ ふゆる あらりトゥジすゆる ふゆぬやふぁん>

 *クバ=ヤシ科の常緑高木。棕櫚(しゅろ)のこと。多くは熱帯、亜熱帯の樹木。葉は茎が丈夫で大きな扇型。山林に自生。庭園に植栽されるが、現在では南国情緒を演出して街路樹としても用いられる。
 昔から「クバ扇=クバおうじ」と称する夏場の扇や「くば笠」などを作ってきた。葉の根元を覆う茶褐色の繊維は頑丈な縄になる。
 歌意=しんしんと更ける寒い夜。庭のクバの葉にパラパラと音を立てて霰が降っている。語り合う人もなし。その音を唯一の慰めとして夜半を過ごす我が身・・・・。

 さらに狂歌にいわく。

 ♪夏やかまらさる 古刀自ややてぃん 霰降る夜や かなくなゆさ
 
 *かまらさ=鬱陶しい。古刀自=古女房。かなさ=愛おしい
 歌意=夏の夜。傍に寝る古女房は暑苦しく鬱陶しいが、冬の寒い夜の就寝の時には、互いに温もり合って、何とも愛おしくなる。
 「それで9月、10月生まれの子が多いのだ」と決め付けた御仁がいるが、さあ、それはどうか。

 ところで。
 “大寒む小寒む 山から小僧がやってきた”という唱歌があった。
 大寒むは「非常に寒い」と理解できるが「小寒む」とはどんな寒さだろう。にわかに気になったのだが・・・・。大、小を重ねた慣用句は他にもある。殊に「小」は多々。
 *夕焼け小焼け=夕焼けはよしとして、小焼けとは興味深い。
 *小首をかしげる=小首とは首のどの辺りか。
 *小耳にはさむ=真実のほどは知らないが、ちょいとした噂は小耳にはさむ。
 *小鼻を膨らませる=得意気な表情。鼻だけでよさそうだが「小」を付ける。小鼻とは、鼻のどこを指すのか。沖縄語には「鼻ふらちゅん」がある。この場合は得意気を通り越して「非常識に自画自賛をするさま」を言い、あまり歓迎される態度ではない。
 *小股の切れ上がったいい女=足の長いさまを言い当てた言葉のようだが、八頭身なる言葉が出た戦後は、皆が皆とは言わないまでも、小股の切れ上がったいい女が多くなったのは確かなようだ。
 *小言=面と向かって言われる叱責(大言)は、耳に痛くても反省をしながら受けることが出来る。しかし、大したことでもないのにネチネチやられる小言はたまったものではない。
 この正月早々「飲み過ぎ」の小言を古女房にボヤかれている。
 「小賢しいわいッ」と片付けてはいるが、相変わらずの一年を過ごしそうな気配濃厚である。
 はてさて。取り留めのない雑文に過ぎたが、読者諸氏も時には「言葉遊び」を楽しんで戴きたい。

 ※1月中旬の催事。
 *ホエールウォッチング情報
  期間:1月から3月は、ザトウクジラの群れが新しい命を育むため、遠く北の海から暖かい慶良間(ケラマ)諸島の海へやってくる、ホエールウォッチングのベストシーズンです。

 *第36回 本部八重岳桜まつり
  期間: 2014年1月18日(土)~2月2日(日)
  場所:八重岳桜の森公園(本部町)

 *第7回 今帰仁グスク桜まつり
  期間:2014年1月18日(土)~2月2日(日)
  場所:今帰仁城跡(今帰仁村)



正月・琉歌・そして余話

2014-01-01 00:00:00 | ノンジャンル
 幾度「新年」を迎えたことか。
 少年のころはそうそう食せない馳走に期待して“もういくつ寝るとお正月”も歌った。私の(少年のころ)は終戦の20年代だから“お正月は凧上げて駒を回して遊びましょう”とはいかなかったが、それでも年末に屠殺したソーグァチウァー(正月用の豚)の肉にはありつけた。もっとも、それにありつけなない捕虜収容地もあったが・・・・。しかし、敗戦の中でも(正月は正月)。何かいいことありそうで、正月の馳走はそれなりにこしらえていた。
 戦火に追われての中、北部の山中を逃避行。最終的には現うるま市石川の収容地に命を繋いだ一家には、配給と称した豚肉が届く。したがってソーグァチウァーのシシは形ばかり。あとは米軍基地から流出する豚肉、牛肉の缶詰が食卓に乗った。こうした正月を大人たちは「クァンジュミ・ソーグァチ=缶詰正月」と言っていた。
 そして、三線をよくする人の家からは「正月かぢゃでぃ風節」が聞こえた。

 ♪新玉ぬ年に 炭とぅ昆布飾ぢゃてぃ 心から姿 若くなゆさ
 〈あらたまぬ とぅしに タンとぅクブかぢゃてぃ くくるからしがた わかくなゆさ

 歌意=巡り来た正月に炭を昆布で巻いたものと金運に恵まれるようにと黄金色の蜜柑を添えた注連縄を飾る。身も心も若くなる心地がする。めでたし!めでたし!
 「炭と昆布」は、沢山、大いに意味する「たんと喜ぶ」の語呂合わせ。注連縄は間に合わせで作られたもので、門松が登場するのは、まだまだ後年のこと。命ひとつ引っ提げて生き残った人びとは、粗末な注連縄、ソーグァチウァー、缶詰、そして歌三線に明日への希望を見出したかったに違いない。

 これも少年のころのことだが、黒砂糖1個を奪い合って2つ違いの姉と喧嘩して泣いた。母親はすかさず言った「正月に泣くと1年中ナチブサーになるよっ!」。
 ナチブサーは泣き虫のこと。この1年、泣き虫になっては男としては面目ない。悔し涙を抑えるための努力はしたものの、姉に奪われた黒砂糖への未練は容易には立ち難く、涙が止まるまでには時間がかかった。
 「正月に兄弟喧嘩をすると、1年中兄弟仲が悪くなる」。
 「正月に嘘をつくと、1年中ユクサー(嘘つき)になる」。
 などなどと(悪さ)を戒められた。逆に、
 「正月に人さまに親切にすると、1年中心やさしく過ごせる」。
 「正月に勉強すると1年中ディキヤー(賢い人)になる」。
 などなどの奨励もあった。
 中学のころの正月。手作りの机とは名ばかりのモノに向かって読書の態を取っていた。親は「えらい勉強!」と褒めてくれたが、その本を10歳上の兄貴に見つかって、こっぴどい仕置きを受けた。読んでいたモノがいけなかった。悪友が近くの貸本屋で借りてきた月刊誌「夫婦生活」がそれ。少年には仕置きの理由が理解できていたので、兄貴の叱責を甘んじて受けたことだが、そのころ私は色気づきはじめていたのだろう。その正月以来、いまもって色気ばなしには敏感に反応する。「正月にナニナニすると1年中ナニナニになる」と言うのは、どうやら本当らしい。

 正月には酒がつきもの。
 年始の座、あるいは古馴染みの者が集まっての酒もある。
 酒は飲む人の本性を導き出す。日頃は温厚な御仁が豹変して鬼になる事もあり、その逆もある。酒癖も様々。年始客に泣き上戸がいて、何かと言えば泣いて話し、それでも盃は離さない。挙句の果てには三線を弾いて歌い出す。この泣き上戸の仕様を見て、ある人が琉歌を詠んでいる。

 ♪正月ぬ御酒 飲み過ぎゆしちょてぃ 酔い泣ちぬマドゥや述懐仲風
 〈ソーグァチぬウジャキ ぬみすぎゆしちょてぃ ゥイなちぬマドゥや すっくぇーなかふう

 *ゥイなち=酔い泣き。*述懐、仲風=琉球宮廷音楽の中のニ揚り調子の名曲。
 歌意=おやおやこの御仁。年始の酒をちょいと飲みすぎたかな。ほんの世間ばなしも泣きながら話したかと思ったら、いきなり泣き止んで得意の述懐仲風を歌い出す。なんと変わり身の速さであることか。いや、めでたし!めでたし!
 「マドゥ」は、ナニナニとナニナニ間の意。
 泣いていると思えば突然泣き止み。次に泣き語りをする合間には、歌三線を披露する。なんと器用な酒癖、泣き上戸であることか。
 
 さてさて。
 “もう幾つ寝るとお正月・・・・”を歌わなくなってから幾歳になったろうか。
 自分の年齢を数えるのも面倒くさくなってきた。青年のころまでは「早く壮年になって、世間をよく見たい」と思ったことだが、それが過ぎると年齢なぞ「単なる時間の経過」であることを悟り、無関心になる。そして「歳とぅカーギや なあ前々=トゥシとぅカーギや なあめーめー」に気づく。つまり、年齢と容姿は人それぞれ。大した問題ではないのだ。
 そこで私。2014年1月1日号をこの琉歌で締めて「午年の心意気」としよう。

 ♪年寄たん思むてぃ 鏡取てぃ見りば なま年やあらん 花ぬ姿
 〈とぅしゆたんとぅうむてぃ かがんとぅてぃみりば なまとぅしやあらん はなぬしがた

 歌意=もう老年だ!と思いながら鏡を取って己を見た。そこに映っているのは、どうしてどうして老顔どころか、花と見まがう溌剌とした姿ではないか。めでたし!めでたし!
 んっ?今号の琉歌、会話を読み返してみると「歳とぅカーギや なあ前々」と訳知りごとを吹聴しながら、切実に「老い」を意識しているのは己ではないか・・・・。まあまあ、心意気だけは健全に押し出して「午年」をこなして行こう。

 ※1月上旬の催事。
 *首里城公園「新春の宴」(那覇市)
 開催日:1月1日~1月3日
 場所:首里城