旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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時代を映す・数え唄 その①

2014-12-20 00:10:00 | ノンジャンル
 ♪てぃち てぃちに縁結でぃ たーち 互げーに染みなさい みーち 夫婦にないびたん
 <一つ(思いを)一つにして縁を結び 二つ 互いに思いを染めて 三つ 夫婦になりました>
 ♪ゆうち 与所肝 持たんぐとぅ いちち 何時までぃ 変わるなヨ むーち 睦りてぃ 行く先や
 <四つ 与所ごころ(浮気心)を持たない(起こさない)ように 五つ 何時までも 心変わりをしてくれるな 六つ 睦ましくして行く先は)
 ♪ななち 何事打ち合わち やーち 焼きてぃん 焦がりてぃん くくぬち 心や変わるなヨ
 <七つ 何事も打ち合わせて(よく話し合って) 八つ(この身が)焼けようと 焦がれようと (愛)は変わってはならないヨ>
 ♪鳥に譬とぅりば 孔雀鳥 花に譬とぅりば 牡丹花 梅とぅ桜ぬ 咲ちゅるごとぅ
 <鳥に譬えるならば孔雀のように美しく 花に譬えるならば牡丹花 そして 梅と桜のように 巡る年月 季節々々の花を咲かそう。二人の夫婦愛は かくの如く不変である>
 
 歌詞の末尾に(サイノー)と、囃子をするところから「サイノー節」と称する、いわば「新婚夫婦」の数え唄である。

 「数え唄」の発生は古く、庶民歌謡の原型と言われる。
 殊に童唄、遊び唄を通して(数)を学習し、さらには1本、2本。1人、2人、1個、2個とモノの(数詞)を覚えていった。
 さらにさらに数え唄に教訓にを織り込んで道徳、常識とする一方、その地方の地名、名物を語呂合わせよく入れて地理、社会を童たちに教えた。言い換えると(数え唄)は、学校制度の確立されていなかった時代から、教育の一環だったとも言えよう。
 童謡的に「数え唄」は、世界中あるのではなかろうか。筆者が唯一知っているアメリカの数え唄は。
 ♪ワンリットル ツーリットル スリーリットル インディアン フォーリットル ファイブリットル シックスリットル インディアン セブンリットル エイトリットル ナインリットル テンリットルインディアン
 と歌う「10人の小さなインディアン」と称する数え唄、これである。

 数え唄の持つ平明な歌詞、覚え易い旋律が幸いして、若者は色気付いた歌詞を付け、大人はさらに飛躍して、公式の場では遠慮し、少人数のそれも、気心の知れた人だけの集まりで、酒の力も借りて謡う数え唄も発生した。
 例のひとつ。
 八重山の共通語で歌われる騒ぎ歌「六調節」では、
 ♪キミとワシとは 卵の仲よ ワシは白身でキミを抱く~
 なぞと言う謡いの後に、独特の節回しの唱えを入れる。
 ♪一つ ひどいところに毛が生えた 二つ ふしぎなところに毛が生えた
  三つ 見にくいところに毛が生えた 四つ 汚れたところに毛が生えた
  五つ いらないところに毛が生えた 六つ 難しいところに毛が生えた
  七つ 懐かしいところに毛が生えた 八つ やかましいところに毛が生えた
  九つ 臭いところに毛が生えた 十で 飛んでもないところに毛が生えた!
 スタコラ!スタコラ!と、座の面々の大声の囃子、鳴り物、指笛入りの唱えが入り、しかも身ぶり手ぶり。(例えば)
 ♪キミとワシとは硯と墨よ すればするほど 濃ゆくなる~
 なぞと歌を継ぐ。ほとんど即興で成されるが、それも延々と続く。この唱えを持ち芸とする校長先生がいて、遂には「スタコラ先生」のあだ名がついて親しまれ、尊敬されたという。これらの類の歌、唱えはテレたり小声で歌うと卑猥感があるが正々堂々、誰はばかることなく大声で成されると爽快感とともに(生きている歓び)さえ覚える。
 八重山通いをするうち「野遊び・座遊び」の末席に幾度か置いてもらって「六調」を拝聴してきたが、これらの(唱え)をするのは男とは限らない。老若男女、殊に中年のアッパー(おばさん)たちが腰やお尻をふりふり成すさまは迫力満点!エロを超越して芸術的ですらある。

 「戦前の旧制中学校生は、よく歌っていたなァ」
 そう前置きをして、先輩が歌って聞かせてくれた「数え唄」に、こんなのがあった。
 ♪ひとつ出たホイのヨサホイのホイホイ!
  ひとり娘とする時にぁホイホイ!親の許しを得にゃならぬホイホイ!
 ♪ふたつ出たホイのヨサホイのホイホイ!  
  ふたり娘とする時にぁホイホイ!姉のほうからせにゃならぬホイホイ!
 ♪みっつ出たホイのヨサホイのホイホイ!

 ・・・・
 10番まであるが、小心者の筆者にはこれ以上歌う勇気がない。度量がない。
 「セクハラ!」
 この名誉をかぶせられるだろうから・・・・。
 「歌は自由をモットーとするもの!セクハラには当たらない!」
 そう達観する男の中の男の貴方。この忘年会やクリスマスパーティーで(大声で歌ってみて戴きたい。小心者の筆者は傍らで、同席の女性の顔色をうかがい、いや、女性には知れないように手拍子を打ち(小さな声で)で、合いの手を入れよう。
 「数え唄ばなし」。
 どうやら末年に持ち越しそうだ。さらに拾い上げて「時代」を映し出すことにする。



年の瀬・・・・・琉歌

2014-12-10 00:10:00 | ノンジャンル
 それにしても早い。
 55年勤めている琉球放送が、2014年10月1日、創立60年を刻んだ。年の初めから、それを意識したせいかあれやこれやの番組企画、そして実施に追われる日々が続いたからだろう。あっという間の12月。(オレひとりで気張っているのでもないのに)。これに気付いて苦笑を禁じ得ない。 それにしても早い時間の流れだ。
 また年の瀬は(区切り)をつけなければならない諸事が多く、その分、関わった人たちのことが思われる時期。このことは昔びとも同様だったらしく(人恋しさ)を詠んだ琉歌が、逢いたさ見たさの心情を三八六の詩形でつのらせて多々残っている。

 ◇便ゐ風あとてぃ かりくりぬ事ん 語ゐ聞ちぶさや 浜ぬ真砂
 <たゆゐかじ あとてぃ かりくりぬ くとぅん かたゐちちぶさや はまぬまさぐ>

 *便ゐ風=風の便り。沙汰。*かりくりぬ事=あれこれの事。諸事。
 歌意=幼年の頃、兄弟のように親しんだ彼。青年時代を共有した彼女・・・・。時を経るにしたがって方々に散り、疎遠になっている。それだけに、せめて(風の便り)でもいいから、手掛かりがあれば文通でよし。これまでの諸事(あの事この事)を語り、また相手の近況も聞きたい。そのことは浜の真砂ほどあるのに・・・・。
 時節柄、年賀状を整理していると、もう何年も対面していない古馴染みの顔が脳裏に浮かぶ。こうも心を揺らすのは、やはり(年の瀬)のなせる業なのだろう。早速、手紙を書いて送る。すると、まだ3、4日も経っていないのに(返信が遅い)と、何かあったのかと気にしてしまう。次の1首がそうである。

 ◇忘しる間や無らん 思みやすりどぅとぅん 便ゐある風ぬ 遅さありば
 <わしるまや ねらん うみやすりどぅとぅん たゆゐある かじぬ うすさありば>

 *思みやすりどぅとぅん=思いはあれども。
 歌意=古馴染みのことは、折にふり忘れたことはない。この思いはあれども、相手にちゃんと通じてないのか、返信風が吹くのが遅い。何かあったのだろうか。こちらがせっかち過ぎるのか。またぞろ気になる。
 この1首は、必ずしも古馴染みとは限らないほうがいい。
 親子であっても兄弟であってもいい。手紙を送っても返信が遅いと、はたまた余計な気がかりを増幅させるものだ。筆者をしてからがそうだ。息子も娘も独立して、それなりの生き方をしていることは承知しているものの、電話ひとつない日が長引くと、ついついメールなぞしてしまう。それが直ぐに返信がないと、イライラしてしまう(まあ、向こうは向こうで忙しくしている)ことは分かっていて、安じているはいるが・・・・。これも年の瀬がそうさせるのか・・・・。いや、親なるものの(年のせいだろう)。

 (年のせい)と言えば、正月を前に(光陰矢の如し)をこう詠んだ老粋人がいる。

 ◇若狭大道に 引ち止みてぃ置かな 空に行ち過じる 御月御太陽
 <わかさ うぬみちに ふぃちとぅみてぃ うかな すらに いちしじる うちち うてぃだ>

 *若狭大道=那覇市の西に位置する町の大通り。かつては那覇の中心をなしていた。そこには大ガジマルの木が立っていて若狭町の名物だった。年齢の「若さと町名若狭」を掛け言葉にしている。
 歌意=月と太陽が東から西へと空を往復するから1日、ひと月、1年が刻まれて行く。そのせいで人は年を重ね老いてしまう。この際、どうだろう。月も太陽も那覇大網挽の大網で括って、名物の大ガジマルに繋いで置こう。そうすれば誰もが年を取らずにいられるではないか。
 戦前までは「那覇大網挽」は、若狭大通りで催された。東西相譲らず、なかなか勝負がつかない折には、西側は大網の末尾を大ガジマルに括りつけて小休止したという挿話もある。
 月や太陽がらみでいま1首。戦前那覇の市(マチ・市場)は若狭町にあった。つまり、商業地で、買えないものはなかった。なんでも買えた。そこで、

 ◇若狭マチてぃしや 名付きたるびけい 若さ買い戻す 人や居らん
 <わかさマチ てぃしや なじきたる びけい わかさ こうい むどぅす フィトゥやWUらん>

 *てぃしや=○○というのも。*びけい=ただそれだけのこと。
 歌意=若さマチというのは、ただ地名として名付けただけのことではないか。何でも買えると聞いて来たけれども「人の若さ」は、売っていないではないか。また、誰ひとり「若さ」を買った人はいないではないか。
 老齢に反発して狂歌をものにした御老体。気の持ち様は青春真っただ中!おそらく、人も羨む長命をなさったのではあるまいか。
 さてさて。
 月も太陽も宇宙の法則に基づいて不変の時を刻んでいる。ガジマル木にも恩納岳にも括りつけて置くわけにはいかない。されば筆者もその恩恵に浴しながら(午を末に)乗り換えることにしよう。♪もういくつ寝るとお正月・・・・早く来い来いお正月~♪とは、もう、歌えないまでも。



竹馬の友・メル友・塾よも

2014-12-01 00:10:00 | ノンジャンル
 賛否両論ある。
 ○「危険を伴う。止めましょう」
 ●「子どもの遊びには、多少の危険はつきもの。それを回避していては、何もできない」
 ◎「骨折などの事故が起きたら、それこそ責任問題だ」
 ○「いやいや、殊に男の子は、骨折くらいしてたくましく成長していくもの。過保護もいかがなものか」
 ●「個々の家庭で、親がやらせる分には賛成だが、現場では・・・・」
 ◎「それを作るには結構な予算が掛かる」
 この秋の運動会種目に(竹馬競争)を入れるかどうかを吟味したが、(危険を伴う)(保護者からクレームがつく)の反対意見が多数を占め結局、見送りになった中学校があったという。
 伊江村の幼稚園では10月末日、1泊2日の日程で「お泊り保育」があった。
 共同生活をすることによって、規則正しい生活を促し、子どもたちの自立心を育てるのが目的。主催者側は数週間前から保護者同伴の「お泊り保育」に向けて準備をすすめ、竹馬つくりや夕食のカレーつくりに挑戦した。竹馬は、それぞれが自分の身長の長さのものをつくり、(マイ・竹馬)乗りを楽しんだ。

 竹馬は沖縄語では「キービサー・木足」「タカビサー・高足」と称する。もっとも、地方によって独特の呼称があるのはいうまでもない。
 ダキ(竹)やそれなりのキチ(雑木)2本に左右の足を乗せる小さな台木を散り付け、それに乗って歩く子どもの遊び。はじめは乗るのに精いっぱいだが、馴れると走ることもできるし、片足でケンケンをしたり、乗ったまま右か左の手を地面につけたり、時にはお互いの胸をぶつけ合って倒しっこをした。また、年長になるにしたがって、台木の高さを競い、年少者を羨ましがらせたものだ。
 台木の高さは10センチほどからはじまり、徐々に高くし、中学生にもなってコツを会得すると、1mほどの高さのそれを乗り回して「どうだいっ!」とばかり、上から目線で初心者を見おろしたものだ。
 これがまた、競争心を煽り(いまに見ていろっ!)の決意になって、宿題は二の次。乗っては転び、転んでは乗りを日没まで繰り返した日々が私にもあった。竹馬づくりに器用さを発揮できない子には、男親や兄、または近所の兄さん、おじさんが手を貸してくれた。

 竹馬の歴史は古い。
 ものの本には「平安時代に始まる」とある。
 はじめは、葉のついた細い竹に何の工夫もないまま、竹の葉を手網みに見立てて握り、ただただ走り回る遊びだった。それが年代を経るにしたがって、2本の縦棒に足を乗せる台木を細紐で固定する、今でいう(竹馬)原型のになった。それも大人の工夫ではなく、子どもたち自身の考案らしい。いつの時代も子どもは(遊び)を進化させる発明家といえよう。
 江戸時代になると全国的に普及。殊に江戸には(竹馬)のみでなく、棒の先に色付けをした張り子の馬の面と紅白の手綱を付け、地面に接する棒の末尾には滑車をつけてまたがる(春駒)と称するものも登場した。春駒というだけに、正月や祭りの遊び道具になったのではなと思われる。

 こうして、子どもたちの傍にあったキービサーも、遊びの多様化に押されて影をひそめてしまった。テレビゲーム等々の出現で、子どもたち自身が屋外での遊びをやらなくなり、屋内遊戯が主流になっては、竹馬は2度と表舞台には上がれないのかも知れない。
 「竹馬の友」。
 この温かい言葉も死語になっていくのか。
 かつて、竹馬遊びを共有して睦み親しんで大人になってきた幼友だちを、これからは何と呼び合うのだろうか。IT時代を生きていく末には、メール友だち{メル友」、あるいは出会い系サイトで知り合った友だちをもじって「出サイの友」と呼び合うのも。そう遠い日ではなさそうだ。また、学校の勉強にとどまらず「塾」通学の児童生徒がおおくなり「塾とも」なる呼称も普通語になるのではないか。

 沖縄には「竹馬の友」のように「竹馬」をかぶせた言葉はないが、同義語として「タナゲー友(どぅし)」がある。
 タナゲーは「川エビ」のこと。
 ウサギは追わないまでも、小鮒(ターイユ・田魚)釣りの折にタナゲーを獲り合って遊んだ幼馴染の友を「タナゲーどぅし」といい、山や川を駆け巡って遊んだ経験のあるものには、これまた、温かい響きを持った言葉ではある。

 蛇足ながらタナゲー友の琉歌を1首。
 ◇暮りてぃ行く年に タナゲー友揃てぃ 童小ぬ昔 語る今宵
 〈くりてぃいく とぅしに タナゲーどぅし するてぃ わらびぐぁぬ んかし かたるくゆい

 歌意=忘年会。遠い日に川エビを獲りに行った幼友だちが一堂に会して語り合う今宵。何と嬉しい至福のときであることか。
 おやおや。
 竹馬問答が己の述懐、回顧ばなしになってしまった。
 北風が冷たくなったせいだろうか。私の場合、夏の夜よりも冬の夜は「竹馬の友」「タナゲーどぅし」のことが偲ばれるようになっている。それだけ日々を重ねてきたということか。久しく逢っていない彼は、彼女は屈託なく過ごしているだろうか。メールアドレスは交換してないから、昔ながらの住宅の固定電話の番号を押してみよう。