94歳が走った。
大宜味村喜如嘉(きじょか)から南風原町本部(もとぶ)までは約130キロの道程。第1走者は芭蕉布織人間国宝平良敏子女史94歳。歩くようにスタートした老女の心底には(わたしの手についた芭蕉布や染織の技術を時代にバトンタッチしたい)という“想い”が熱く燃えていた。走者が肩にかけたのは「想いの手ぃさーじ」と名付けられた各地の染織物を繋ぎ合わせて作ったタスキである。
去る4月18日朝。
NPO法人沖縄県工芸産業協同センター主催第1回伝統工芸団体駅伝は、こうして北から南へ中継された。もっとも老女の走行距離は100メートルだったが、老女は笑顔で走破し(しっかり受け取ってね。頼みましたよ。預けましたよ)と第2走者へタスキを渡した。
染織技術を時代へ。芭蕉布をはじめ7つの作品を1本のタスキにして、各生産地区間約5キロを分担して走ったのである。読谷山花織(ゆんたんじゃ はなWUゐ)、知花花織(ちばな=沖縄市)、紅型(びんがた)や首里織(那覇市)などの担い手が受け継いだほか、浦添市区間では八重山ミンサー織、久米島紬の織り手が参加。まさに“想いぬ手ぃさーじ”駅伝。
駅伝中継地はまず、喜如嘉を午前7時スタート。名護市~恩納村~読谷村~沖縄市~嘉手納町~北谷町~宜野湾市~浦添市~那覇市。そしてゴールの南風原町「かすり会館」に着いたのは午後6時だった。全長約130キロだが、生産地以外では、車や自転車を走らせ、沿道の人たちに「伝統工芸継承・育成」をアピール。したがって、実際に走行したのは約40キロ。しかし、実走した約300人の胸には、この大いなる遺産継承への(熱き想い)が、ふつふつとたぎっていたに違いない。
走者・伴走者の感想。
「平良敏子先生に続け!その決意を1歩1歩ごとに強くした」。
「ひとつひとうの産地は小さいが、織り手は2000人を超える。細い1本の糸がひとつにまとまれば、沖縄の染織は未来へ繋げる」。
「今日という日を失念せず、機(はた)に向かいたい」。
「実際の走行は130キロ中、40キロだったが、これからの明日に繫げれば何万キロにもなる。やる気が湧いた」。
ゴールイン後は関係者が「かすり会館ホール」に参集して、健闘を讃え合い、達成感にひたり、琉球の伝統工芸をユネスコ(国際教育科学文化機関)の無形文化遺産登録申請を要請する宣言文を読み上げた。
94歳から60歳代~40歳代~20歳代への身体をもっての「想いの手ぃさーじリレー」。新聞には地方版で紹介されていた駅伝に、感動を禁じ得なかった。
「およそ伝統と名の付くものは、すべて先人からの(預かりもの)である。預かりものは、いずれ返さなければならない。誰に預けるか。誰に渡すのか。次代の心ある人へ」。
琉球古典音楽野村流松村統絃会師範故宮城嗣周師は、このことを信念とし、実践していた。また、こうも言っておられた。
「悠久の昔に生まれたものを原形のまま、あるいは多少、時代の感覚を取り入れながら(今日に再現する)ことを(伝統)というのではないか。もちろん、どんな伝統も新しい感覚を注入しなければならないのは言を持たない。流れのない溜り水は、いずれ腐るからね。ただ伝統の源流、原型を失念してはならないだろう。日進月歩!新しくなる時代のひとに(古いもの)を伝えるのは難しい。けれども、難しくても継承活動は継続しなければなるまい。わが家系がそうだ。宮廷音楽家だった祖父松村真信から父宮城嗣長。そして私が受け継いだ伝統音楽。それは祖父、父から預かったもの。それを私有化するわけにはいかない。これを正統的に(預かってくれる人)を探して組織を立ち上げ、育成しているのだよ。これもまた(心ある人格者)を見極めなければならない」。
禅問答はまだ続く。
「心ある人に育てるには、自分が(心ある人)にならなければならない。自分のことは自分では評価できないもので、これがまた難しい。だから師匠は弟子の3倍も4倍も研鑽する。父嗣長は言っていたね。歌三線は己が(いい人)になるために修めるもの。歌三線がうまくなって世間から認められたことをいいことに(悪い人)になっては何にもならない。悪い人には成り易いが、いい人になるのも、これまた時間がかかる。難儀なことだ」。
宮城嗣周師は70年余を歌三線に捧げて逝った。
琉球音楽野村流松村統絃会は、師の実弟宮城嗣幸、高弟山城柳太郎氏らに預けられて現在、100年余の歴史を刻んでいる。
そこで私。不遜ながら思ってみた。
「誰から何をどう預かったか。何を時代へ預けようとしているのか、何もないのである。何も預けられなかった私は、いい人にも悪い人にもなれないのだろうか」。
平良敏子女史の“想いぬ手ぃさーじ”に感動し、宮城嗣周師の蘊蓄を耳の底にとどめていながら・・・・。
外は雨を生みだすに懸命な灰色な空。それに己の来し方行く型に想いを重ねてみるのが精いっぱいである。Tシャツの首筋がひんやりしてきた。梅雨冷えか・・・・。
大宜味村喜如嘉(きじょか)から南風原町本部(もとぶ)までは約130キロの道程。第1走者は芭蕉布織人間国宝平良敏子女史94歳。歩くようにスタートした老女の心底には(わたしの手についた芭蕉布や染織の技術を時代にバトンタッチしたい)という“想い”が熱く燃えていた。走者が肩にかけたのは「想いの手ぃさーじ」と名付けられた各地の染織物を繋ぎ合わせて作ったタスキである。
去る4月18日朝。
NPO法人沖縄県工芸産業協同センター主催第1回伝統工芸団体駅伝は、こうして北から南へ中継された。もっとも老女の走行距離は100メートルだったが、老女は笑顔で走破し(しっかり受け取ってね。頼みましたよ。預けましたよ)と第2走者へタスキを渡した。
染織技術を時代へ。芭蕉布をはじめ7つの作品を1本のタスキにして、各生産地区間約5キロを分担して走ったのである。読谷山花織(ゆんたんじゃ はなWUゐ)、知花花織(ちばな=沖縄市)、紅型(びんがた)や首里織(那覇市)などの担い手が受け継いだほか、浦添市区間では八重山ミンサー織、久米島紬の織り手が参加。まさに“想いぬ手ぃさーじ”駅伝。
駅伝中継地はまず、喜如嘉を午前7時スタート。名護市~恩納村~読谷村~沖縄市~嘉手納町~北谷町~宜野湾市~浦添市~那覇市。そしてゴールの南風原町「かすり会館」に着いたのは午後6時だった。全長約130キロだが、生産地以外では、車や自転車を走らせ、沿道の人たちに「伝統工芸継承・育成」をアピール。したがって、実際に走行したのは約40キロ。しかし、実走した約300人の胸には、この大いなる遺産継承への(熱き想い)が、ふつふつとたぎっていたに違いない。
走者・伴走者の感想。
「平良敏子先生に続け!その決意を1歩1歩ごとに強くした」。
「ひとつひとうの産地は小さいが、織り手は2000人を超える。細い1本の糸がひとつにまとまれば、沖縄の染織は未来へ繋げる」。
「今日という日を失念せず、機(はた)に向かいたい」。
「実際の走行は130キロ中、40キロだったが、これからの明日に繫げれば何万キロにもなる。やる気が湧いた」。
ゴールイン後は関係者が「かすり会館ホール」に参集して、健闘を讃え合い、達成感にひたり、琉球の伝統工芸をユネスコ(国際教育科学文化機関)の無形文化遺産登録申請を要請する宣言文を読み上げた。
94歳から60歳代~40歳代~20歳代への身体をもっての「想いの手ぃさーじリレー」。新聞には地方版で紹介されていた駅伝に、感動を禁じ得なかった。
「およそ伝統と名の付くものは、すべて先人からの(預かりもの)である。預かりものは、いずれ返さなければならない。誰に預けるか。誰に渡すのか。次代の心ある人へ」。
琉球古典音楽野村流松村統絃会師範故宮城嗣周師は、このことを信念とし、実践していた。また、こうも言っておられた。
「悠久の昔に生まれたものを原形のまま、あるいは多少、時代の感覚を取り入れながら(今日に再現する)ことを(伝統)というのではないか。もちろん、どんな伝統も新しい感覚を注入しなければならないのは言を持たない。流れのない溜り水は、いずれ腐るからね。ただ伝統の源流、原型を失念してはならないだろう。日進月歩!新しくなる時代のひとに(古いもの)を伝えるのは難しい。けれども、難しくても継承活動は継続しなければなるまい。わが家系がそうだ。宮廷音楽家だった祖父松村真信から父宮城嗣長。そして私が受け継いだ伝統音楽。それは祖父、父から預かったもの。それを私有化するわけにはいかない。これを正統的に(預かってくれる人)を探して組織を立ち上げ、育成しているのだよ。これもまた(心ある人格者)を見極めなければならない」。
禅問答はまだ続く。
「心ある人に育てるには、自分が(心ある人)にならなければならない。自分のことは自分では評価できないもので、これがまた難しい。だから師匠は弟子の3倍も4倍も研鑽する。父嗣長は言っていたね。歌三線は己が(いい人)になるために修めるもの。歌三線がうまくなって世間から認められたことをいいことに(悪い人)になっては何にもならない。悪い人には成り易いが、いい人になるのも、これまた時間がかかる。難儀なことだ」。
宮城嗣周師は70年余を歌三線に捧げて逝った。
琉球音楽野村流松村統絃会は、師の実弟宮城嗣幸、高弟山城柳太郎氏らに預けられて現在、100年余の歴史を刻んでいる。
そこで私。不遜ながら思ってみた。
「誰から何をどう預かったか。何を時代へ預けようとしているのか、何もないのである。何も預けられなかった私は、いい人にも悪い人にもなれないのだろうか」。
平良敏子女史の“想いぬ手ぃさーじ”に感動し、宮城嗣周師の蘊蓄を耳の底にとどめていながら・・・・。
外は雨を生みだすに懸命な灰色な空。それに己の来し方行く型に想いを重ねてみるのが精いっぱいである。Tシャツの首筋がひんやりしてきた。梅雨冷えか・・・・。