旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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結婚素描・日々好日

2009-11-26 00:20:00 | ノンジャンル
 「中国に、結婚の縁は天が定めるという古諺があります。縁あって男が女が一生を共にするとは、ここの意志を越えた、常識では判断できない何か不思議なものが結び付けているもののようです。男と女が、夫となり妻になる出合い。まさに、結婚の縁は天が定めるとした古諺通りでありましょう。このことを沖縄では、2文字で言い当てています。【天縁=てぃん ゐん】。それによる出合いは、少なくとも当人たちにとっては運命的と感じられることが多く、また、そうした何かを感じなければ【天縁】で結ばれることはないでしょう。さて・・・・」
 


ある結婚披露宴の来賓祝辞の一節である。
 およそ祝辞なるものは、偉人の言葉や古諺・金言・格言をフリにして始めれば、一応の格好はつく。沖縄風のスピーチによく登場する古諺は「刀自夫婦や 餅とぅカーサ=とぅじみーとぅや ムチとぅカーサ」であろう。夫婦のありようは、サンニン〈月桃・げっとう。芳ばしい香りの植物〉と、それで包む餅の如くにありたいとしているのである。
 ちょっと、横道にそれる。
 寒さが厳しくなる陰暦12月8日。今年は、年も明けて寅年1月22日にあたるが、邪気と子どもたちの無病息災を祈願して「ムーチー=鬼餅」を作って食する。このころの寒さを「ムーチービーサ」と言うくらいだ。ビーサ・フィーサは寒さのこと。10~12センチほどの餅をサンニンの葉、もしくはクバ〈棕櫚〉の葉に包んで蒸したものだ。そこで「刀自夫婦や 餅とぅカーサ」の古諺は、夫婦はカーサのように有って子を産み、息災に育てることを理想としたのである。


[サンニン=月桃]

 天縁をいただき、餅とカーサを理想として日々を重ねた夫婦でも、しあわせ過ぎが昂じて、お互いに疑心暗鬼が頭をもたげてくるようだ。11月17日付けの新聞に、次の調査記事を見ることができる。
 妻の61%が夫の携帯電話を内緒でチェックし、45%の妻が携帯料金が夫より高額だった。
 インターネット調査会社が11月上旬、同社の会員で20~39歳の既婚女性にアンケート。500人の回答からみた夫婦像が浮かんだ。無断で携帯のメールや通話履歴などを盗み見した理由は、①浮気をしていないか調べた〈35%〉②興味本位〈34%〉③隠し事がないかチェック〈28%〉など。盗み見した後に何が残ったか。「夫に逆ギレされた。夫は謝りもしなかった」という主婦28歳がいたほか「何も隠し事がないことが分かり、ほっとしたような、がっかりしたような・・・・」と回答したアルバイト女性28歳もいた。

 11月22日は、語呂合わせで「いい夫婦の日」だそうだが、この調査から見えてくるのは“女房妬くほど亭主モテもせず”という古川柳である。
 「何でも隠さず話し合える明るい夫婦でいようね」
 このことを天縁と誓い合った夫婦にも、天は悪戯好きなのか【疑心】という【鬼】を派遣、夫婦間に波風を立てて楽しんでいるようだ。

 北村孝一編「世界のことわざ辞典」の【結婚】の項をめくると、ヨーロッパの諺が目に入る。「あわてて結婚する者は、ゆっくり後悔する」。
 単なる惚れたはれたを天縁と錯覚したり、適齢期が過ぎつつあるし、世間の目もあることだからと焦ったりすると後々、ろくなことはないということだろう。男からすると「悪妻は60年の不作」にもなり得る。カトリックの国では、後悔しても原則として離婚は許されない。結婚するのは簡単だが別れるのは難しいことになり、一生針の莚で暮らすことになる。

 知人Wは教職にあったが、定年を機会に30余年連れ添った妻女と離婚している。特別にそうせざるを得ない理由・問題があってのことではない。むしろ、問題がなさ過ぎたのだ理由と言えば理由。Wの話を聞こう。
 「しあわせボケも、過剰になっては人生を非凡する。このことを女房と前向きに協議して、離婚に踏み切った。残りの人生をお互い自由に生きようということよ。もちろん、財産は折半。ボクが家を出ることにした。嫌で別れたわけではないから、いまでも電話で呼び出して1杯飲んだり、食事をしたり。時にはスーパーでひょっこり出合って、夕食の献立を話し合ったりしているよ」。
 実にさばさばしている。Wはと言えば、所有の農地にしゃれた山小屋風の住居を建て、サトウキビや青物を生産。時間を見つけて読書をしたり、習い覚えた木彫りをしている。中高年の男ならば、誰もが憧れる晴耕雨読を手に入れたのである。

 来賓祝辞も世界の諺もWの生き方も、それでよい。かく言う私自身はどうだろう。
 今朝の夫婦の会話から読み取っていただきたい。目覚めて階下に降りる。妻女と一瞬、目と目が合う。「・・・・」。目は口ほどに物を言う。洗面等々、出かける支度をして食卓に向かう。「・・・・おい」「・・・・」。お茶が出る。時計を見て立ち上がると、妻女は先に玄関を出て車のエンジンをかける。私は乗る。「・・・・」「・・・・」。職場までの30分は静かこの上もない。到着。「いってらっしゃい」と妻女。「うん」と私。日々好日。




長月・神無月・行事雑感

2009-11-19 00:20:00 | ノンジャンル
 暦も陰暦は、神無月に入った。「かんなづき・かみなづき」とも読む。陰暦10月の異称であることは言うまでもない。
沖縄ではこの月を「飽き果てぃ十月=あちはてぃ じゅうぐぁち」と称している。神様が小休止なさる月・神無し月と位置づけて、毎月ある万民共通の古来の行事が少ない。神を対象とした季節行事の日には、馳走を作って火の神や仏壇に供えて諸々の祈願をした後、供え物をウサンデー〈御下げの意〉をして、人びとは馳走にあずかる。しかし、10月には、これと言った行事がなく、馳走の機会がないため「飽き果てる」ほどのひと月を過ごさなければならない。このことを「飽ち果てぃ十月」と称したのである。
 もちろん、まったく行事がないわけではなく、陰暦10月ミズノエに行われるタントゥイ、またはタニドゥルと言う八重山諸島の種子取祭。女性たちが山籠もりをしてなす宮古島の祖神祭ウヤガン。そして、これは全地域的な火災除けの祈願祭カママーイ〈竈回り〉などがあるにはある。常に神と向き合って生きてきた沖縄人には、祈願行事は怠ってはならない重要事であった。そこで願い事を叶えてもらうためには、季節の食材でこしらえた馳走を供えて祈願する一方、ウサンデーを食することを何よりの楽しみにしたのである。諸行事を丁重に執り行い、ウサンデーをいただくために、日々働いたと言っても過言ではなかろう。

 陰暦お盆後の吉日を皮切りに8月15日の豊年祭、さらに9月にかけて演じられる芸能に「臼太鼓=ウスデーク・ウシデーク」がある。その期日は、それぞれの地域によって異なるが、豊年祈願と豊作感謝を趣旨としているのは共通している。臼太鼓は、女性だけでなされる奉納集団舞踊。集落の祭祀を司る老女の神人〈かみんちゅ〉を先頭、あるいは円陣を中心にして中年女性、若い女性と組み分けして、でんでん太鼓風の鼓〈チヂン〉を打ち鳴らし、こぞって五穀豊穣、琉球国の繁栄と安寧、青春賛美を内容とする歌を唄い円陣を描いて踊る。衣装にも地域差があり紺がすり、芭蕉布、紅型。そして、王府時代の女性の着衣のひとつ胴衣・下裳〈どぅじん・かかん〉を着用する地域もありさまざま。さらに赤や白、紫の長い鉢巻き背にたらして、ゆったりと踊るさまは荘厳、かつ神秘的。集落の守護神を祀った神アサギ前の演場・遊び庭〈あしび なぁ〉に、神が降りてきたような感すらある。


[糸満市与座のウスデーク]

 ウスデーク・ウシデークの呼称は、薩摩及び日向の国〈宮崎県〉、肥後の国〈熊本県〉のそれに因んだとされる。宮崎や熊本など南九州では、豊作祈願や雨乞いの際、臼形の太鼓を胸下に固定して打ち踊る奉納芸能を「臼太鼓=うすだいこ」と称しているという。沖縄の場合は、五穀の精製具のひとつウーシ・臼をアージン・杵や手ごろの棒で叩き歌舞したことによる名称とする説と、石臼や木臼の上に火を焚き、その回りで円舞したことによる名称とも言われている。
 踊りの所作もまた拝み手、こねり手、招き手、押し手、払い手、捧げ手などがあり、足運びも左へ右へ、ゆるやかになされ、とかく神と人との一体感がそこにはある。注目すべきは、これらの古式のウスデークの所作が王府時代に形式化されて、今日の琉球舞踊の母体になっていることを見逃してはならない。
 しかし、昨今は娯楽が多様化して、各地のウスデーク演者が極端に少なくなっている。昔びとたちが演じた際、経験豊かな老女を先頭、また円陣の中央に座してもらい中年女性組の後ろに若い女性組を配したのは、「見聞して習得せよ」とする後継者育成の意図があったのではなかろうか。芸能にとどまらず、いかなる技も若い血を注入しなければ、消滅の道をたどることになる。
 いま、活発化している老人会、婦人会活動の中で積極的に「ウスデーク継承」の取組がなされている。若い世代が関心を寄せつつあることは、ウスデークが消滅寸前で歯止めされたことになる。


      [八重瀬町東風平世名城のウスデーク]

 12月24日、25日までにはまだ間があるが繁華街やホテル施設などは、すっかりクリスマスモード。それも本来の宗教的意味合いからはだいぶ外れてはいるものの、数100年来の伝統行事には違いない。今日的クリスマスパーティーの100分の1ほどのエネルギーを、それぞれの地域の伝統行事に向けることができたならばひとつ、またひとつ消えかかっているそれらを蘇生、継承していくことが出来ると思うが、これは時代に逆行した単なる[思い入れ]だろうか。
 「飽き果て十月」も和洋の行事も楽しみ、飽きずに過ごすと陰暦霜月になる。この月は、11日ごろ「トゥンジー」行事がある。トゥンジーとは冬至のこと。冬至は一年の中で昼間が最も短い日。したがって、翌日から夏至に向かって日脚が伸びることから、古くは暦の始まる日と考えられてきた。そのため沖縄では元旦同様、大切は日とされ「トゥンジー ジューシー=冬至雑炊」を作り、これまた火の神・仏壇に供えた後、ウサンデーして食する。長い太陽の季節に負けて低下した体力を活性させる行事だ。雑炊の字に当てたが和風の「おじや」ではなく豚肉、昆布、しいたけ、蒲鉾、人参等々を具にした「炊き込みご飯」と思えばいい。
 そして師走。8日=ムーチー・鬼餅。24日=ウグァン ブトゥチー・年内に掛けた御願事を解く=などをこなせば、30日のトゥシぬユル=年の夜・大晦日を迎えて丑年を締める。因みに沖縄正月・陰暦元旦は陽暦も明けて2月14日にあたる。
 すでに寅年の沖縄カレンダーが出回っている。その日々に記された「沖縄年中行事」を確認するだけで、オキナワン・スピリッツを感得できて結構楽しい。





歳とぅカーギや なあ前々

2009-11-12 00:20:00 | ノンジャンル
 「へぇっ!1938年生まれですか71歳!へぇっ!お若いですね。どう見ても60代半ばですよ。へぇっ!」
 最高の賛辞のように思うが、こうも「へぇっ!」を連発されると、終いにはおちょくられているようで、いい気分ではいられなくなる。かと言って、いま少し若くありたいと思わないわけでもないから、老齢とはさまざまなことに気をもむ年頃なのだろう。
 “老いぬれば頭は禿げて目はくぼみ 腰は曲がりて足はひょろひょろ”
 戦前の首里の粋人が詠んでいるように、己の老いを狂歌にして開き直ることができればいいが、昨今は無理矢理、前期高齢者・後期高齢者にされてしまい、それと同時に年金・医療等々、都合のよくないことばかりを押しつけられるニッポン国では、健全明朗な洒落唄や狂歌をひねり出す気すら封じ込められている。しかし、年齢は時代によって位置づけがあるように思われる。

 八重山民謡の歌者大工哲弘〈60歳〉の祖母ヘテマさんが還暦を迎えたとき、親戚縁者相集い談合した。
 「ヘテマ婆さんも60の大台。生れ祝い・トゥシビーをするのもこれまでだろう」
 そう結論して、盛大なる祝宴を張った。
 「孫のボクはまだ13か14歳。トゥシビー祝いが済むと、ほんとうに婆ちゃんはあの世に逝くのかなぁと、ちょっと悲しい思いをしながら父善三郎の弾く三線と歌に乗せて、大和流れのはやり唄“書生節”を踊ったことを覚えている。その少年がいま、あの時の婆ちゃんと同じ歳になった。何とも妙な気分になる。これも時代的年齢感覚でしょうね」。
 大工哲弘はしみじみ回顧する。余談になるがこの60男は、12月早々の6日、那覇市民会館で「ゆんたしょうら=八重山の唄を唄い合おうの意」と題する歌会を催す。ここ20年余、全国を飛び回り精力的に歌三線活動をしてきたお陰で同好の士が増え、歌会には全国から80名余が参加して舞台に立つ。【祖母の時代とは異なる60歳】。彼が回顧するのも無理からぬ事だ。ちなみにテヘマさんは、70歳を目前にして逝っている。
 私の場合、昭和25年の寅年、その翌年に急逝した父直實の仕込みにより、13祝いをしてもらった。さすがに25歳、37歳、49歳の生れ年祝いはしてないが、61歳の祝いは息子や孫たちが企画して催してくれた。プレゼントは、プロ野球読売ジャイアンツファンの私のために、背番号61番の付いた手縫いのユニホームだった。



 俗謡ばなし。
男と女がいた。互いに好意を持ち合っていた。男は好意にとどまっていたが、女は結婚すならこの人と決めていた。しかし、運命の悪戯・・・・。戦争のどさくさで4、5年も逢えずにいたが、あるとき偶然に巡り逢った。
 女=これまで達者にしていましたか。男=キミも変わらず、以前のままの若さじゃないか。女=貴女の求愛を当てにして、独身を通してきたのよ。どうしてくれるの。男=恨んでどうする。戦さ世のさだめ。オレはもう結婚した。キミも夫を持つがいい。女=夫を持ちたいと、ひとり気張っても持てるものではないでしょうッ。年を重ねてアタシ、もう30余歳よッ。仕方がないから他の男と結婚しろと言うのッ。男=でもなぁ・・・。女は30過ぎたらもう、選り好みはできない。しなくてもいいサ。爺さんの妻でもいいじゃないか。爺さんなら金で買うこともできるよ。金こそ命!金を貯めなさい。女=買ってまで夫を持つことはないワッ!あゝ、貴女を当てにしてアタシ、嫁に行き損ねたワッ。
 こうした会話が軽快な三線に乗って、一点の暗さもなく明るく歌われているのが「国頭じんとうよう節」。一名「持ちはじき節」。持ちはじき〈むち はじき〉とは、【夫を】持ちそびれた・嫁に行き損ねたの意。「戦さ世」を日米戦争ととらえるか、単に乱世とするか。いずれにしてもこの場合[30歳]という年齢が興味を引く。かつては、30歳は適齢期をとっくに過ぎて、昔風に言えば「行かず後家」「大年増」だろう。だからといって今時、30歳の独身女性にそうでも言おうものならセクシャルハラスメントで、きっちり重罪の刑を打たれるだろう。まして「持ちはじき節」のように、「30過ぎたら、性別さえはっきりしていれば、どんな男でもいいじゃないか。金で買えるよ」などと追い打ちをかけた日には、間違いなく死刑ものだろう。

 「歳とぅカーギや なあ前々=とぅしとぅ カーギや なあ めぇめぇ」という俗語がある。年齢と容姿は、人それぞれ相違がある。それでまたよし!としている。さらに言い加えると「年齢を他人のそれと比べてどうする!容姿を他人と比較してどうする!両者とも異なって当たり前。己の個性を見極め向上させて、男らしく女らしく誇りを持って生きるべし!」と、説いている。さらに先人たちは、うまいことを言っている。
 「胴ぬ歳ぇ 何時ん いい年頃=どぅぬ とぅしぇ いちん いい とぅしぐる」。
 今日現在の自分の歳が、何時も言い年頃とする考え方だ。しかりッ!いきなり20歳になった人はひとりもいない。2、3年で70歳なった御仁もまたいない。








許さんッ!振り込め詐欺

2009-11-05 00:20:00 | ノンジャンル
 「最近、振り込め詐欺の事件が多発しています=〈次のような〉思い当たることはありませんか」。
 これは、銀行や郵便局などの現金を出し入れするATMのサイドに置かれたチラシの書き出しである。キャッシュカードを持たず、いまもって通帳と印鑑しか信用しない私にとっては無縁に思われるが、詐欺師はいかなる悪知恵で通帳をも狙うかも知れたものではない。そこで、自分に言い聞かせるつもりで、振り込め詐欺の傾向と対策をチラシをもとに学ぶことにする。



 【犯人の使う主な口実
 ※痴漢、セクハラをして訴えられそう。※会社でトラブルを起こした。※医療ミスを起こした。※交際相手を妊娠させた。※怪我をさせた。「すぐに示談にしなければ大変だ」と急かす。
 【交通事故を起こした。示談金を送金してほしい
 ※暴力団の車にぶつけた。※相手が入院した。※相手が妊婦「すぐに治療費や修理費が必要」と迫る。
 【借金返済
 ※返済期日だが金がない。※騙されて保証人になった。※監禁されている「すぐに返済しなければ」と泣きを入れる。
 【第3者に電話を代わる手口
 ※複数犯は警察官、弁護士、医師、金融業者、暴力団を名乗る。※まるで仲介しているような口ぶりで示談金を請求する。
 いずれも犯人は、事前にターゲットの家族構成と名前、職業を調べ上げて犯行に及ぶ。そして息もつかせず至急、金を渡さなければ「大ごとになる」「危害を与える」などと言う。
 被害に遭わないための注意事項として、4つの項目を上げている。①警察官が交通事故の示談に関わることは職務上決してない。②弁護士や保険会社が事故直後に、示談金の振り込みを勧めることはない。③医師が電話で症状はもちろん、医療ミスや賠償金額の対応について話すことはない。④正規の貸金業は保険金や借入金データの末梢など、いかなる名目であっても、融資を前提に現金を振り込ませることはない。



 警察官40年勤めてきた石垣栄一著「刑事課長の備忘録」に異例の振り込め詐欺事件の顛末が載っている。
 自称観光ガイド・ルポライターのA男。スロットマシン遊技にのめり込んだ上、同棲中の女性からも愛想尽かしを食い、その日の飯にも困るに至った。そこで思いついたのが振り込め詐欺。A男がターゲットにしたのは、こともあろうに実父だった。
 「親父ッ。いま先、那覇市内で交通事故を起こしてしまった。相手は暴力団で組事務所に連れて来られた。現金300万円を払わないと殺すと言っている。助けてくれ親父ッ」
 ここまではよく聞く手口。しかしA男は役者顔負けの挙に出た。会話に間合いをとったあと、なんと声を変えてドスを利かせて言った。
 「オレは組の者だ。いますぐ息子の口座に300万円を振り込めッ!さもないと息子を殺すぞッ!」
 つまりは、ひとり芝居である。
 こう切羽詰まっては、親も息子の演技に騙されかかったが、父親のその後の対処は正しかった。仰天しながらも警察に届け出たのである。捜査員はただちにA男に接触して事情聴取をしたが、事故の事実がないことから虚偽の線を濃厚にした。時を同じくして、A男の住居近くのスーパーに設置されたATMから、現金を下ろしていた主婦が、数10万円を強奪される持凶器強盗事件が発生。犯人の逃走方向がA男の住居方向であること、防犯カメラに映っていた犯人がA男に似ていたことなどから、A男を任意同行で取り調べた。アリバイに不自然なものがあり、振り込め詐欺と並行して追求した結果、ふたつの件を自供するに至り、事件は落着をみた。
 動機は単純。スロットマシン遊技に凝ってサラ金からの借金返済のための犯行だった。この振り込め詐欺事件が未遂で解決したからっと言って、ホッとするわけにはいかない。親を騙そうとした男は厳罰に処すべきだが、実の息子にターゲットされた父親の心の傷は一生癒えないだろう。やりきれないもののみが残る・・・・。いやな世の中になったものだ。

 金銭の貸し借りについて、次の古諺がある。
 「今日十日 明日二十日=ちゅう とぅか あちゃ はちか」。
 今日中に返すからと言われて貸した金銭が返ってくるのは、10日後と観念せよ。同じく明日返すという借金の返済が履行されるのは20日後と覚悟せよとの戒めだ。親しい間柄であっても、金銭の貸し借りは慎重を期すに越したことはない。口約束だけのそれが親子や親戚縁者、友人との絶縁の基になった例は多い。
 私の場合。借金をしたことはあるが、借金を申し込まれたことはない。貸すほどの金銭がないことは、皆が知っている。詐欺に遭ったこともない。詐欺師も私なぞターゲットにする「価値なし!」と、正しい評価と判断をしているからだろう。
 若いころ、遊び好きの私におふくろは常々言っていた。
 「有る分し 暮らし=あるぶんし くらし」。
 【働いて得た金銭の分の暮らしをしなさい】。