旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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老人たちの宴・歌謡曲

2018-11-20 00:10:00 | ノンジャンル
 秋風というより、風が北に回って「そろそろ連絡があるころだ」。そう思っているところへ期待通りケータイが着信を告げた。
 「忘年会の件だが、日取りをして場所の予約をしなければならない。2、3日うちに時間をつくってくれ」。
 世話好きの古馴染みYからである。「承知!」の返事をすると彼は「この歳になるとアルコールよりは(若き日を当て)にカラオケ三昧になるから、キミもいくつか選曲しておいたほうがいいよ」と、親切にアドバイスしてくれた。しかも彼は「毎年同じ歌でも能がないから、いま若手の歌手氷川きよしをマスター中だ」と自慢の声を残して電話を切った。
 昭和10年代の者には、氷川きよしの「箱根八里の半次郎」は、ごく新しい演歌なのである。

 さて・・・・。ボクはどうしよう。
 幸いにして本棚に全音楽譜出版社・1978年度改訂版『歌謡曲のすべて・ベスト733』とタイトルする楽譜と歌詞、作詞作曲者及び歌手名が明記された本がかくれていた。
 ♪青葉繁れる桜井の~にはじまる「桜井の決別・作詞落合直文。作曲奥山朝恭」から「わかれうた=作詞作曲・歌中島みゆき」まで都合733曲。ほとんどがラジオで聴いたり、歌ったりした流行歌たちである。
 興味にまかせてペラペラとページをめくり。指をとめたところにあったのは、丸山明宏=現三輪=の「メケメケ」。

 ♪おれは海の男だ メケメケ これっきり会えないかも知れぬ メケメケ あまえよ 達者で暮らしな~
 丸山明宏。男でもない女でもない。いや、ひと目見は女でも、生き方、言動は確かな(哲学)をもったエンターティナーであると、ボクはリスペクトしている。あの島原の乱の美少年天草四郎時貞の生れ替わりと噂され、謎めいた雰囲気は決して媚を売らない。語り口しかり、歌唱の説得力は聴く者をとらえて離さない。この魅力はなんだろう・・・・。したり顔では理解できない丸山明宏。
 歌やテレビのトーク。自ら著したエッセイなどで知るに過ぎないが、共感するものが多いのである。ボクには馴染みの薄いシャンソンを熱っぽく、あるいは、さらりと歌い上げて感動をもたらし、沖縄の片隅の青年を魅了してやまない。ボクはずっとファンをつづけている。自身の少年期の貧困、青年期の辛酸。戦中戦後の日本を(ぶれず)に生きてきた人の強さに心揺さぶられるのは、ボクひとりだろうか。
 丸山明宏にはオーラがある。本物のオーラを放っている。
 とまあ、かしこぶった蘊蓄をたれてみたが、肝心の「メケメケ」とは何だろう?またぞろキザな詮索癖が頭をもたげる。が、それは知りたい人が知ればいい。ボクにはメケメケは「メケ・メケ」なのであればそれでいいのである。

 煙草に火を点けて「歌謡曲のすべて」をさらにめくる。女優山口淑子がよみがえった。

 『蘇州夜曲』歌/霧島昇・渡辺はま子。
 ♪君がみむねに抱かれて聞くは 夢の船歌島の歌 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳が すすり泣く~

 なにしろ美しかった。世の中にこれほど美しい人がいてもいいものかと、にわかには信じ難かった。女優山口淑子がその人である。戦前、日本が中国に進出した時代に制作された映画「蘇州夜曲」を昭和20年代に観た。白黒ながら銀幕に映し出された彼女の顔のアップは、少年を驚愕させるに十分過ぎた。大きな瞳、形のいい鼻、濡れた唇。それらがひとつにまとまって、女性を知らない少年は失神寸前でとどまった。映画「蘇州夜曲」の彼女の相手役は長谷川一夫。
 山口淑子に心奪われた少年には、彼女とラブシーンを演じる長谷川一夫が羨ましく、妬ましく、ついには憎悪するようになった。ボクの長谷川一夫嫌いはそこからはじまっている。
 山口淑子に魅せられてからというもの、ボクの住むそこいらの女性がチンクァー・ナンクァー(南瓜)かシブイ(冬瓜)に見えて仕方がなかった。女優は美しくなければならない。その存在は雲の上にあっていいが、少年ではあっても、ボクの女性観を形成した山口淑子。引退後は国会議員を務めた後「華麗な人生」を全うしたが、現存しなくてもいい。山口淑子はボクの胸の中に生きている。永遠に生きている・・・・。
 久しぶりに、そうロマンに浸っていると「あなたっ!ごはんよっ」の声。長年連れ添ったカボチャからである。現実はかなり厳しい。
 はてさて・・・・。
 古馴染みたちの忘年会。去年はたしか「無錫旅情」や「羽田発七時五十分」など、4、5曲歌ったから、今年は安室奈美恵でも覚えて唄い、面々を驚かせてみようか。


動き出した・さんしんの日

2018-11-10 00:10:00 | ノンジャンル
 10月1日。琉球放送ラジオが主催する第27回「ゆかる日まさる日さんしん日」実施に向けて「さんしんの事務局」が始動した。
 年が明けて3月4日。午前11時45分に生放送スタート。午後9時までの長丁場。古典音楽界、民謡界、舞踊界を網羅しての一大イベントである。
 「来年3月のことに、もう手をつけるの?」
 そう。電波を通して国内はもちろん、世界に発信するプログラムであってみれば、実施スタッフにとっては、いくら時間があっても足りないのである。
 主会場もここ1年放送本部とした読谷村立文化センター鳳ホールから、うるま市民芸術劇場響ホールに移す。丁度その時期、鳳ホールが改修工事に入っているからだ。
 毎回「さんしん日」のコンセプトとする一字を選考しているが第27回目のそれは『智』することも決まった。したがって、ラジオ局スタッフ周辺は慌ただしくなり「三線」という文字・言葉にも反応する昨今である。
 そうした折り、沖縄タイムス紙面に『新楽器サンレレ世界注目。県内発三線+ウクレレ。グラミー賞歌手が演奏動画』の見出し記事が気を引いた。直ぐに目を通す。

 『読谷』三線とウクレレを組み合わせた楽器「サンレレ」を、英国の若手ミュージシャンであるジェイコブ・コリアーさん(24)が演奏し、自身の写真、動画共有アプリ「インスタグラム」で紹介している。
 ジェイコブさんはグラミー賞2部門で最優秀賞をとった多重録音の天才。動画がアップされた10月22日には、開発したマチダヤ・コーポレーション(読谷村、町田宗朝社長)に米国から同じ緑色を求めるメールが2件寄せられた。
 ジェイコブさんはドラムやピアノ、ギターなどを1人で演奏して録音、編曲する多重録音のスタイルで楽曲を作っている。昨年2月には米音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞「インストゥルメンタル、またはアカペラ編曲」と「ボーカル入りインストゥルメンタル編曲」の2部門で最優秀賞に輝いた。
 動画は15秒間。事前に録音したドラムの音などをバックに、ジェイコブさんがサンレレをノリノリで弾いている様子が撮影されている。防水加工だという特徴を紹介するため、水をかける動画も紹介された。
 同社の町田宗男取締役部長が10月22日インターネットで「サンレレ」を検索したところ、動画を発見し驚いた。サンレレは東京公演で女性のファンがプレゼントしたものだという。町田さんは「グラミー賞アーチストが沖縄の三線文化を発信してくれることに感謝したい」と話す。 ジェイコブさんが演奏するのはサンレレの中でも防水加工した「Umi Ashibi=ウミ・アシビ」というタイプ。昨年8月の販売開始から県内外で人気を集め、既に800本が売れたという。
 問い合わせは同社、電話098(958)3090。

 記事はそこまで。「サンレレ」の考案者、製作者については知る由もないが「三線関わり」と聞いては現物の形、音をじかに聞いてみたくなる。
 「三線改良」といえば、かつて作詞作曲家、ボードビリアン、レコードプロデューサー、漫談家、文筆家などなど枚挙の肩書を持つテルリンこと故照屋林助さんが、「四線・ヨンシン」なるものを考案、制作して弾きこなしていた。形は三線をひと回り大きくしたもので従来の三線の男絃の下に、もう1本を加え、低音の幅を広げていた。また、林助さんは普通の三線の絃を2本に減らし「二線・ニンシン」と称していたが、これは実用には具合がよろしくなかったとみえて、漫談の合間に曲弾き程度に遊んでいた。けれども、三線の中絃1本で八重山歌謡「とぅばらーま」を弾き唄い、果ては早弾きして聞く者を唸らせた。
 蛇足ながら、これら林助芸(人びとはそう称した)はいま、歌者前川守賢が受け継いで遊びの場面のレパートリーにしている。同じく歌者大城志津子は三線の女絃(みーじる)、中絃(なかじる)、男絃(WUじる)にそれぞれもう1本、絃を加えて6線にし、マンドリン風に弾いて「2丁分の音量」としゃれ込んでいる。

 沖縄人は三線が好きだ。ことがあってもなくても歌三線になる。
 風狂の歌人嘉手刈林昌は、知りびとの宅を訪ねても、茶菓よりも(三線はないかいっ?)と三線を要求した。(あいにRBCiあんくウチには三線はない)という返答に即興の三八六(さんぱちろく・琉歌)を詠んだ。

 ◇三線小取てぃくぁ でぃひゃでぃ弾ち遊ば 無らんあれ済むさ手打て遊ば
 《さんしんぐぁ とぅてぃくぁ でぃひゃでぃ ふぃちあしば ねらんあれ しむさ てぃうてーあしば

 歌意=三線取っておいで。さあさあ弾いて遊ぼう。何?三線はない?。それじゃ仕方がない。皆して手をたたいて拍子をとろう。それに合わせて唄い遊ぼう
 とにもかくにもこの島は、歌三線がなければ夜が明けない。さらに蛇足。ドル時代に銀硬貨を溶かして棹(さお・そう)にした三線がある。年明けの「さんしん日」に披露してみようか。


眼は口ほどに・・・

2018-11-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「もう、台風はあるまい」。
 その台風が連れてきた秋風を快く思うようになると、あの暴風の中での不安と恐怖の一夜を過ごしたのは何だったのかなぞと、喉元過ぎたことを思い出している所へ傍らのケータイがブルブルと震えだした。八重山歌者大工哲弘の仕業である。
 「突然ですが、英語のウィンクを沖縄方言に当てはめると、どう伝えばいいのでしょうね。仲間内の雑談で話題になっています」
 「う~ん。実に突拍子もないね。考えてもみなかった。そうよなぁ・・・・」。
 しばしの余談のうち、探し出した(ひと言)は『引ち目』だった。

 いろんな場面でウィンクをする。出逢いがしらに親しみを込めて片目をつぶり相手の気を引く。単に軽い挨拶程度の場合もあるし、本人と相手にしか理解できない意味合いを持つ場合もある。
 「ウィンク。引ち目(ふぃちみ)この辺に落ち着けようか。けれども、片目だけをつぶることができない人もいる。どうしても両目をしばたかせる。キミはウィンクはできるかい?いまやってみろよっ」
 けーたいの向こうで大工哲弘はウィンクの確認をしているらしいが、返ってきた返事はこうだ。
 「辛うじてできますが、口元まで歪んでしまうのはどうしてでしょうか?」
 「そこいらは自分で研究しろよ。鏡を相手にね。ウィンクは片目だけで色っぽくやるもの。口元までヒョットコにするから、キミは女性にモテないんだよっ」。
 とうとう馬鹿っぱなしになってケータイを切った。
 眼・目を用いた慣用句・日常語を拾ってみようか。

 ◇眼ん銛なてぃ(ミーんトゥジャなてぃ)『トゥジャ』は、漁業用具の銛(もり)。
 ふだんはおだやかな眼だが、いざっ!となった場合、人は銛のように眼光鋭くなる、真剣になった証拠だ。
 眼には熱量がある。熱い眼。炎の眼差し。涼しい眼。蛇のように冷たい眼・・・・。
 歌謡曲の文句の♪おれの眼を見ろ 何にも云うな~とあるが、これは日本人特有の感情表現だろう、眼にモノを言わせている訳だが、実際には何も云わないでは真意は汲み取りにくいのだが・・・。アイコンタクトのとれる間柄はすばらしい。

 眼には色がある突発的な事柄に遭遇する、あるいは損得を推し量る場合、さらに状況によって(眼の色)を変える。
 ◇白眼=しるみー。たしかに白眼がちの人はいる。しかし、普通の眼の色の方が白眼の部分を多くすると唯ごとではない。眼を開けたまま気を失うさまを「シルミーうっけーりん=白眼を裏返すさま」白眼を剥くさまが、重病人が「シルミーうっけーりん・白眼を裏返したらご臨終を覚悟しなければならない。
 ◇黒目=くるみー。ロシア民謡に#黒い瞳の若者が~わたしの心を虜にした~とあって、かつての歌ごえ運動の最中、仲間同士スクラムを組んで熱唱したシーンが「目に浮かぶ」。因みに眼玉の中心部(瞳)を沖縄方言では「みーぬしん=眼の芯」という。
 ◇赤眼=あかみー。充血した眼。号泣し過ぎ、あるいは睡眠不足の場合、眼球の毛細血管が浮き出る症状のようだが、住いの近くに「あかみーすー=赤眼王」と渾名されるおっさんがいた。あかみーすーは無類の酒好きで、四六時中赤い眼をしていた。それが転移したのか、鼻の先まで赤かった。
 ◇黄眼=ちーるーみー。何に疲労困憊したかは訊きそこねたが、朝の太陽が黄色に見えたという男がいた。黄疸だったのか。極端なビタミン不足だったのか。
 ◇青眼=おーるーみー。青い眼。戦前、まだ日本とアメリカの仲がよかったころ、アメリカの子どもたちから友好、親善の意を込めて数百体の西洋人形を全国の子どもたちへと贈られてきたことがある。そのうちの百体ほどは沖縄の子どもたちにも配られた。#青い眼をしたお人形は~アメリカ生まれのセルロイド~日本の港に着いたとき~いっぱい涙を浮かべていた ワタシはことばがわからない~迷子になったらなんとしよう~。学校唱歌にもなった「青い目の人形」がそれだ。ところが、日米戦争勃発。太平洋を渡ってきた人形たちは日本軍部によって回収され「敵国の人形」として焼き捨てられた。戦後、沖縄ではアメリカ人を「青眼・おーるーみー」と称して恐れた。また、アメリカ兵の眼の青いのを別に「りんがんみー・果物レイシの実」「フィージャーみー・山羊の眼」に例え称していた。

 俗語。
 ◇みーあんだー=眠気がまだ抜けない眼のさま。疲れで眼が半開きのさま。
 ◇みーかふぁかふぁ=乾き眼のさま。転じて、眼が冴えて眠れないさま。
 ◇みーじょうろー=目定量。目分量。
 ◇みーまーしぇ=相手の眼をごまかすこと。さま。

 思いつくまま「眼にモノを言わせ」てみたが、本当に目は口ほどにモノを言うものだ。が・・・・。このところボクの眼は、とんとモノを言わなくなった。老眼のせいか。