旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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笑顔来福の夏・雑感

2007-07-26 10:42:05 | ノンジャンル
★連載 NO.298

 コンクリートジャングルと言い切るのは、いささか大げさだが、ビルが立ち並びアスファルト道路が隅々まで行き届いた那覇の街。日中、100メートルも歩くと背中を流れる汗をはっきりと確認できる。
 暦通り「大暑=7月23日」に入って、猛暑との付き合いを強いられている。街を行き交う人も、誰ひとりとして(笑顔)なぞ、家の押し入れに仕舞い込んだかのように皆、ワジャンカー<苦い顔。仏頂面>をしている。もっとも、34.5度の炎天下をニコニコ歩いている方がおかしいのだが・・・・。日中は、どんなに親しい人に出会っても立ち話はしない。いや、出来る(暑さ)ではないのである。たまさか会話を交わしても「脳クトゥクトゥすかぬ暑さやぁ=脳ミソが音を立てて煮えるほどの暑さだね」程度。表情は依然、ワジャンカーなのだ。だからこそ、笑顔で過ごしたいと思うのも、人情ではある。

 「笑顔来福」なる言葉がある。
 沖縄の俗語にも「笑い誇い。笑い福い」があって、いずれも「わらいふくい」と言い、福徳は「笑顔にこそ付く」としている。
 笑うとエクボの出来る人がいる。男にせよ女にせよエクボの人と話していると、こちらまで(しあわせ)になってくるから、魅力のひとつに上げられるのも得心がいく。エクボを沖縄口では「ふうくぶん」と称している。「ふう」は頬。「くぶん」はくぼみ。頬の窪みである。
 辞書には「笑ったときに頬にできるくぼみ」とあり、さらに「表皮の一部が結合組織繊維により表情筋に固定しているためにおきる」と説明されているが、この脳クトゥクトゥの中「表皮の一部が、結合組織繊維により・・・・」云々と考えると、エクボができる前に、顔面はワジャンカーを増し、脳クトゥクトゥが本格化しそうだ。

 昔ばなしで涼を呼ぼう。
 御主加那志前<うしゅがなしーめー。琉球国王>の近くに仕えた知恵者で粋人の誉れ高い渡嘉敷親雲上兼副<とぅかしち ぺーちん けんぷく>。あるとき、御主加那志前に問われた。
 「渡嘉敷。お主の一番の財産は何だ」
 渡嘉敷、即座に答えて曰く。
 「はい。笑顔でございます」
 識者の彼は「笑顔来福」を心得ていたにちがいない。
 また、ある日。
 家葺ち祝事<やーふち すーじ。新築祝い>に招いた渡嘉敷に、家主は所望した。
 「和歌、和文に通じたお主だ。新築のわが家とかけて、一首詠んではくれまいか」
 書家としても名を馳せていた渡嘉敷。紙と墨筆を借り受けると迷うことなく書いた。
 “この家は貧乏神に取り巻かれ”
 上の句がこれだから家主は「何と不吉なッ」と立腹した。しかし、渡嘉敷は涼しい顔で聞き流し、下の句をつけた。
 “七福神の出る隙もなし”
 家主はじめ、招待客のお歴々は感嘆の声とともに、拍手大喝采。祝座は、いやが上にも盛り上がった。笑顔は、親しい人たちとの語らいの中に生まれると言うことだろう。
 日中のワジャンカーは持ち越さず、夜はこうした粋ばなしでふーくぶんを活動させるのも一種の消夏法・笑顔来福なのかも知れない。
 渡嘉敷兼副の周囲には、多くの笑話や粋ばなしがあり、常に人々の笑顔があった。そのせいか彼自身、長命をみている。90歳を数えて一首詠んでいる。
 “むしか閻魔王ぬ御用どぅんやらば 九十九までぃや留守とぅいれり”
 歌意=もしも閻魔王が、あの世への御用と迎えに来たならば、ワシは99歳までは留守をしていると答えなさい。まだまだ、お召しに応えるわけにはいかないワイ。
 事実、彼は97歳の天寿を全うした。これも、笑顔来福効果と言えよう。

 ただ、かつての人々は得心していた「笑顔来福」だが、昨今はどうだろうか。
 猛暑の中でもニコニコしているのは、第21回参議院選挙の立候補者だけである。白い歯を強調して笑ってはいるものの(目)は笑っていないポスターもある。あの笑顔でほんとうに(来福)はあり得るだろうか。そのことを思うと、またぞろ背中を流れる冷たいものを覚える。

 笑顔・えくぼ・粋人ばなし等々で(涼風)を呼ぶつもりでいたが、ナチマキ<夏負け>したらしく、文章のキレがよくない・・・・。時は陰暦の真六月<まるくぐぁち>の猛暑の日々。そして、陰暦の七夕<今年は8月19日>のころは「七夕太陽=たなばた てぃーだ」と称し、いよいよ脳クトゥクトゥはピークを迎える。無理にでも(笑顔)を意識して、この夏を乗り切ることにする。


次号は2007年8月2日発刊です!

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大風・うーかじ・風吹ち・かじふち

2007-07-19 06:11:21 | ノンジャンル
★連載 NO.297

 恥ずかしながら・・・・。台風が何よりも怖い。娘にさえ「病的」と言われる。
 南方海上に「台風発生」の報を耳にしたときから、情緒不安定になる。何がそうさせるのだろう。それは、どうやら終戦直後の家屋事情にあると、私は思っている。年に22、3個はやってくる台風は、捕虜収容所に急造されたテントぶき、茅ぶきの家屋なぞ(情け容赦)なく吹き飛ばした。
 昭和20年<1945>。小学校に就学した私は、台風のたびに恐怖を強いられていた。屋根は何の抵抗もなく吹っ飛び、風雨は容赦なく吹きつける。それでも家の中に、その形が蛸の頭に似ていることから(タクぬチブルー)と称した米軍の野戦用の雨合羽をすっぽりかぶり、身動きひとつせず、真っ暗な中で台風が通過するのをジッと待つのみの夜を幾度体験したことか。風の強い夜は、いまでも夢に見る。
 あれから60年余。いまは一応(風雨に耐えられる)家屋に住んでいるものの、ラジオ、テレビが刻々と接近する台風の状況を速報するたびに、少年の日の恐怖の一夜がよみがえり、落ち着きを失うのである。

 衣食住。すべてが乏しかった昭和25年<1950>6月23日午後4時。沖縄を襲った台風の記録がある。この台風は、宮古島を直撃。瞬間最大風速70メートル。死者25人。負傷者139人。家屋全壊1558棟。半壊121棟。畜舎全壊1779舎。半壊618舎に及んでいる。これは、宮古島のみ。沖縄全域の被害は、推して知るべし。家屋等の復興が、おくれていたかが推測できよう。
 台風が民政府・軍政府の公舎を移転させた例もある。
 昭和24年。沖縄を統治する民政府公舎は、知念村<現・南城市>の高台にあった。7月23日に上陸した台風グロリアは、風速43.8メートル。トタンぶきの公舎は、全壊に近い被害を被った。総務部、社会事業部、官房関係の重要書類は水浸し。紛失するほどであった。
 ビバリーヒルズなど、高台に住宅を建てることを好むアメリカ人。沖縄を占領しても米本国並みに、公舎を石川市<現・うるま市>東恩納の高台から、知念村の高台へと移転させていた。そのたびに沖縄側からは、
 「多くの離島がある沖縄の行政の中心は、陸・海の交通の便がある那覇市に置くべきである」
 と、軍側に再三要請していたが、聞き入れずじまいでいた。こうした中での台風グロリア。アジアの台風の猛威を米人は体験することによって、遂には要請通り(那覇の平地)に移転している。まさに「郷に入りては、郷に従え」。台風から得た教訓であった。
 ところで。台風とは何だろう。
 熱帯の海上で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼び、このうち北西太平洋で発達して、中心付近の最大風速が17メートル以上になったものを(台風)とするそうな。台風情報の表現方法は、2000年6月1日に変更されて、強風域の半径が200キロ未満から300キロ以上までを単に台風。500キロ以上を(大型)。800キロ以上は(超大型)と表現。また、最大風速17メートルから25メートル以上を単に(台風)。33メートル以上は(強い)。44メートル以上は(非常に強い)。54メートル以上を(猛烈な)と表現しているそうだ。
 平均的な台風の持つエネルギーは、広島、長崎に投下された原子爆弾の10個分に相当すると言われる。しかし、移動する際に海面や地上との摩擦によって、たえずエネルギーは消失されるという。南海上に発生した台風が沖縄を襲い、九州、四国、中部、関東と北上するにしたがって勢力を弱めて北海道までは達せず、三陸から太平洋に抜けるのは、そのせいらしい。人間、そこまで解明しているのに「なぜ台風上陸を阻止することができないでいるのか!」と力んでみても、相手は大自然の現象。大進歩をつづける科学力をもってしても、どうにもならない。しかし、20世紀には宇宙を開発するという偉業を成す一方では、地球温暖化を歯止めできないでいる我々!・・・・待て!待てッ。素人のクサムヌイー<屁理屈。臭い物言い>。私の大言壮語。反省。

 今年は7月半ばにして、台風は未だ4号。例年、早い年なら3月に1号、2号が発生して、7月半ばまでには7,8号を数えているはずだが・・・・。
これも地球温暖化による異常気象なのだろうか。いずれにしても、これから10月にかけて10数個の台風が沖縄にやってくると思われる。
 風吹ちウトゥルー<かじふち。台風恐怖症>の私の身は、不安のあまり、日に日に瘠せ細ることになる。


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<ひとり語り・おろせない荷物>その3

2007-07-12 12:54:57 | ノンジャンル
★連載NO.296

(この一編は、6月23日。沖縄全戦没者慰霊の日に、RBCiラジオで放送した台本である)

 M=(静かな音楽)

爺=何日が経ったかなあ・・・・・。月を見ながら歩いているうちに、なんとか、ようやく村にたどり着いた。何軒かの家は残っていたが、お爺ちゃん達が通っていた国民学校は、跡形もなくなっていた。「オトーは!オカーは!ネーネーはッ」。おじいちゃんちは見事に焼け落ちていたが、村屋は残っていて、そこへ行って見るとオカーとネーネーが、泣きながら迎えてくれた。「生きていてよかったッ」そのとき、子どもながらも、おじいちゃんは、ほんとうにそう思ったよ。「オトーは?」と聞くと、やっぱり離れ離れになっていた。なんでも、日本軍の荷物を担いで、南の方へ行くオトーを見た人がいたらしいのだが・・・・。そのままさぁ。どこで、どう死んだのかさえ分からずじまい・・・・。戦後になって、オトーが向かったらしい島尻へ行って・・・・言葉は悪いが(適当な所)の石を三個拾ってきてね。それをお骨変わりにお墓に納めた。
 んッ?おじいちゃんが踏んだ(あの人)だって、ちゃんとお墓に入れたかどうか、今となっては、知る由もない・・・・。その場所がどこだったのか、悲しいことに覚えていない。情けないおしいちゃんだね。でもね・・・・。おじちゃんは毎年、6月になると(だいたい、この辺だった)と、見当をつけた場所へ行って、花を供えて手を合せている。(どこのどなたか知りませんが、あなたの分まで生きてみます)と、手を合わせるんだよ・・・・。

 M=(やや明るい音楽)

爺=村に帰って、親子三人ひっそり、息を殺しているうちに「戦争は終わったッ」という報せが耳に入った。それからは、逃げ隠れすることはなかった。なにしろ、アメリカの捕虜になったからね。そこでも変な体験をしたなあ。いやね、戦争中は、芋や野菜はじめ、農作物は日本軍に供出して、おじいちゃんたちは、ひもじい思いを強いられていたが、日本が敵としたアメリカの捕虜になってみると、アメリカ軍の方がメリケン粉、缶詰など、配給だったけれど(食糧)を呉れるんだよ。不思議だった。アメリカは敵なのか味方なのか。子どものおじいちゃんには、これがまた分らなかった。チョコレートの美味しかったことッ。はじめて食べたからね。いまのチョコレートの百倍くらい美味しかった。= 間 =

爺=ああ、そうだ。明日香に上げようと思っておじいちゃん、今朝スーパーに行ったついでに、チョコレートを買ってきたんだ。食べるといい。そこの台所のテーブルの上にシークァーサージュースと一緒に置いてあるよ。そう、そこだ、あるでしょう。食べなさい、飲みなさい。

 M=(ブリッジ)

爺=おじいちゃんと?ふたりっきりで、こんなに長く話したのは「初めて」だって?ハハハハ。そうかな、そうだねぇ、嬉しいよおじいちゃんも。明日香の宿題のお手伝いのつもりで話したのだが・・・・・。こんな話でよかったのかな明日香。そうか・・・・。まとめられる分だけまとめなさい。明日香が高校生、大学生になったら、もっと話しておかなければならない「沖縄戦」もある。それまで、おじいちゃん、生きているかどうか、あやしいがねハハハハ。えっ?もちろんだよ。あんな戦争を凌いできたのだから、簡単には死なないよ。明日香がこうして、おじいちゃんと話をしてくれるのが「長生き」の薬だよほんとに。= 間 =
 えっ?おじいちゃんは「戦争」という重い荷物を背負っているんだねだって?ハハハハ、うまいこと言うね明日香は。うん・・・・。そうかも知れない。あれから62年も経ったし、いい思い出ではないから「戦争という重荷は」正直、下ろしたいと何度思ったことか。意識的に口をつぐんだこともある。でもね、子どもながらにも経験した「戦争」・・・・。重くても下ろすわけにはいかないんだよ。「下してはいけないッ」と、おじいちゃんは思っている。 = 間 =
 「沖縄の人は、いつまで戦争ばなしをするんだ」と言う大和人もいるけど、カシマサされても、おじいちゃんは、話つづけていくつもりさ。
 日本という国は、ちかごろ、あらぬ方向に歩みはじめているように思える。もし、まあ、そんなことはなかろうが、もしも、戦争になったら、おじいちゃんは役に立たないけど、戦場に駆り出されるのは確実に明日香、お前たちだからね。そんなことは、決して許さないッ。残り少ない命をかけて許さないッ・・・・。
 明日香、また泣く・・・・。明日香を泣かせるために話しているのではないよ。笑って暮らせる世の中であってほしいと思っているからだよ。皆が「笑って暮らせる世の中」。これが、一番ではないかねぇ。= 間 =
 戦争が終わって・・・・。オカーとネーネーと三人で農業をして気張っているうちに、おじいちゃんは結婚して、明日香のパパたちを生んで、そして、明日香はじめ、五人の孫をみることができた。幸せだよおじいちゃんは。だから、この幸せを壊す奴!奪うものは「国」でも何でも絶対に許さない!
えっ、「おじいちゃん、国会議員になったら、沖縄も日本もよくなる」だってッ。くにひゃーッ。チョコレート呉たくとぅアンダグチまでぃすさハハハハ。それはね。なあ職分職分と言ってね。それぞれが「自分のできること」を精一杯やればいいことだ。おじいちゃんには、知事も総理大臣も勤まらないが、知事さんよりも総理大臣さんよりも、キビ作り、マンゴー作りをさせたら、おじいちゃんの方が上だ。これは、自慢していいよね。自信があるハハハハ。
 んッ?そうか。もう帰るか。「これから塾に行く」。そうか、忙しいね明日香も。そんなに勉強してどうするのかな。勉強は学校で一生懸命やりなさい。塾に行くよりも、もっと遊んだらいいのに。そうか、そうか。そうもいかないか。おじいちゃん、勉強はあまり得意ではなかったからなハハハハ。んッ?おばあちゃんかい。公民館にフラダンスをしに行っているんだ。ほら、台所にあるマンゴーも野菜も、今日フィティミティ取ってきたものさあ、持って行きなさい。うん。またおいで。明日は日曜日さぁ。真百合も琉介も健土も連れておいで。ママは?お家にいる。そう。パパは?ゴルフ!くぬマフックァになあ。胴ゆくぇーしぇーしむるむんぬ。
 そうかそうか。帰るか。道は「横断歩道」を「手を上げて」渡るんだよ。んッ?お家は、すぐそこだのにハハハハ。あねぇーやさハハハハ。うん、バイバーイ。

  = 間 =

爺=重さぁあてぃん、下さらん「荷物」んでぃ言しぇ、あくとぅやぁ・・・・。

 SE=蝉の声

爺=梅雨が上がって・・・・。今年も「暑さ」とぅぬ戦いやさやぁ。

 SE=蝉の声 

 M=エンディング・・・・・・・・・BG

AN=出演・北村三郎。演出・森根尚美。選曲及び効果・徐 弘美。
  上原直彦作・ひとり語り「おろせない荷物」を終わります。

 M=<エンディング>・・・・・・・・・完奏。



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  *この台本を読み聞かせに使用したいという申し入れがありました。
   お断りはしませんが、連絡だけは下さい(編集人)

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<ひとり語り・おろせない荷物>その2

2007-07-05 11:07:16 | ノンジャンル
★連載NO.295

(この一編は、6月23日。沖縄全戦没者慰霊の日に、RBCiラジオで放送した台本である)

 SE=<激しい戦闘音>・・・・・・・・・BG

爺=怖かった!目の前に爆弾が落ちる。地面が悲鳴を上げて割れる!裂ける!人の泣き叫ぶ声が耳を突く!兵隊さんたちが鉄砲を撃ちながら、あっちへ走り、こっちへ走り、敵がどこにいるのか分らないのに、とにかく「突撃!突撃!」と叫びながら、ものすごい形相で右往左往していた。お爺ちゃんたちも、隠れていた家ぬクシーの防空壕を出ることにした。ここにジッとしていても仕方がない!仕方がないと言うよりも、ジッとしてはおれなかったんだ。オトーが「逃げるぞッ!追うてぃ来うよぉッ!」と言う声のする方へ、とにかく走った。オトーは、村の東海岸の洞窟に避難するつもりだった。

 SE=<戦闘音、一段と激しく。そして、波の音に変わる>

爺=村の東海岸。切っ立った岩場の洞窟の中には、お爺ちゃんたちよりも早く、知り合いやら知らない人たちが、もう沢山入っていたなぁ・・・・。同じ村の(あんなに親しくしていた人たち)と、顔を合わせながらも、声ひとつ交わさない。それどこではなかっただね。怖くて怖くて・・・・ただ怖くて・・・・。自分がどうなっているのかさえ、分らなかった。どうなるかさえ、考えられなかった。
 オバーは、オジーが懐に入れて持っていた親御元祖のトートーメー・位牌を取って目の前に置き「ウートォートゥー!見い守んてぃ呉みそぉーりッ!見い守んてぃ呉みそぉーりッ!ウートォートゥー!」を繰り返していた。

 = 間 =

爺=昼過ぎに逃げ込んだ洞窟の中・・・・。とにかく、息をするのも忘れたかのように身動きひとつしない。オトーたち男は目をギラギラさせて、時折、洞窟の入口を見たりしている。そのオトーの目は、お爺ちゃんが知っている自分のオトーの目ではなかったよ。恐怖の目でもなく・・・・怯えた目でもなく・・・・・そう、追い詰められたイチムシの目だった。人間は、命に関わるような立場に置かれると、あんな目つきになるんだね。(間)
 日が暮れて、夜になろうとするころ、洞窟の入口が急に騒がしくなった。日本軍が入ってきた。20名ほどかな。怪我した兵隊もいる。軍馬も3,4頭一緒だった。そして、隊長らしい兵隊が声を抑えながら、それでも命令口調で言った。
 「皆、出て行けッ。お前たちがいては、馬を休ませる場所がないッ。出て行けッ」
 ・・・・そうさぁ「軍馬」と言うのは、日本軍の弾薬や武器を積んだ車をひく「馬」のことさ。日本軍にとっては、沖縄人よりも軍馬の方が大切だった。えっ?「ひどいッ」だって?・・・・そうさ「ひどい」ね。でもね明日香。戦争ってそんなものなんだよ。敵も味方もない。ただ、殺すか殺されるか。生きるか死ぬか。それも自分の意志では、どうしょうもないんだからね。
 うん、うん。結局、軍の命令に従うしかない。んッ?「逆らったら?」銃殺されるかも知れない。銃殺された人もいたそうだよ。戦争とは、そうしたものだと言ったでしょう。(間)
 洞窟を追い出されたお爺ちゃんたちは、表には出たが行くあてがない。それでも、歩いた。同じように多くの人が歩いていた。目的地があるわけではないが、皆が進む方へ歩いた。先頭の人が行く後について歩いていた。
 昼間は爆撃、銃撃戦があるから、行き着いた所の岩かげや山の中に隠れて夜は歩く・・・・ただ歩く。もう、逃げると言うよりも、歩くのが目的のようにね。それしか生きる術はないかのように・・・・。
 何日か経って、オトーは言った。「戦争がもっと激しくなって、万が一、はぐれてしまったら、離れ離れになったら、とにかく、村に帰るようにしなさい。村がどうなっているか分らないが、とにかく、村に向かって歩きなさい。どうせ死ぬなら自分たちが生まれた村で死のう(間)
 大人には、この戦争は「日本の負け」が分かっていたのだろうね・・・・。さらに、3日後・・・・。オトーが言ったように戦火の中を右往左往するうちに、家族は機関銃のタマのように散り散りバラバラになってしまってね・・・・。お爺ちゃんは、オトーの言葉に従って「村に帰る」ことにした。でもねぇ、何処をどうにげのびたか、まったく記憶にない。村がどの方向にあるかさえ見当もつかない。お爺ちゃん、ひとりになっていたからね。(間)不思議だったねぇ。明日香。皆と一緒にいる時は「怖さ」があったが、ひとりになると、どういうものか「怖さ」が消えていた。昼は身を潜め、夕方になって銃撃の音が遠のくのを見計らって、芋畑に入り生芋を食べ・・・・芋と言えば、爆撃で焼けた畑に入って芋をほじくってみたら、焼芋が出てきた。戦争は地上のものだけでなく、土の中まで焼き尽くしていたんだ。

 M=<静かな音楽>
 
爺=夜の星はきれいだった。戦闘の硝煙で六月の太陽も真っ赤に見えていたというのに、夜になると南風が硝煙を吹き流して、お月さんもきれいだった。星も月も輝いていた。(間)何日目の夜だったかなぁ・・・・。お爺ちゃんが夜道を歩いていると・・・・いやいや、この話は・・・・よそう。明日香に話すのはまだ早い・・・・。んッ?「戦争のときは、お爺ちゃんは、いまの明日香と同じ年だったんだから、聞きたい」・・・・そうか・・・・・(間)お爺ちゃんが夜道を歩いているとき、右足がズブッズブッと、泥の中に入ったんだ。泥んこ道か、田んぼ道かと思った。でもね、月明かりで・・・・よく見ると、そこは泥んこでも、田んぼでもなかった。

 M=<短い衝撃音>

爺=男か・・・・女か・・・・兵隊か・・・・民間人か・・・・もう、それさえ分からないほど日にちの経った人の屍があった。お爺ちゃんは・・・・そこで死に、倒れた人の・・・・お腹を踏んでいたんだよ。お爺ちゃんは、ゆっくり右足を抜いて・・・・また歩きはじめた。一瞬、驚いたが・・・・意外に平気だった。お爺ちゃんの神経もおかしくなっていたんだね・・・・(間)明日香・・・・。泣いているの?泣かないでおくれよ。ほんとに、ほんとに戦争って・・・・そんなものなんだよ。だから、明日香には、まだ話したくなかったんだ・・・・泣かないでおくれ。

 M=<静かな音楽>
                <7月12日号につづく>



次号は2007年7月12日発刊です!

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