★連載 NO.298
コンクリートジャングルと言い切るのは、いささか大げさだが、ビルが立ち並びアスファルト道路が隅々まで行き届いた那覇の街。日中、100メートルも歩くと背中を流れる汗をはっきりと確認できる。
暦通り「大暑=7月23日」に入って、猛暑との付き合いを強いられている。街を行き交う人も、誰ひとりとして(笑顔)なぞ、家の押し入れに仕舞い込んだかのように皆、ワジャンカー<苦い顔。仏頂面>をしている。もっとも、34.5度の炎天下をニコニコ歩いている方がおかしいのだが・・・・。日中は、どんなに親しい人に出会っても立ち話はしない。いや、出来る(暑さ)ではないのである。たまさか会話を交わしても「脳クトゥクトゥすかぬ暑さやぁ=脳ミソが音を立てて煮えるほどの暑さだね」程度。表情は依然、ワジャンカーなのだ。だからこそ、笑顔で過ごしたいと思うのも、人情ではある。
「笑顔来福」なる言葉がある。
沖縄の俗語にも「笑い誇い。笑い福い」があって、いずれも「わらいふくい」と言い、福徳は「笑顔にこそ付く」としている。
笑うとエクボの出来る人がいる。男にせよ女にせよエクボの人と話していると、こちらまで(しあわせ)になってくるから、魅力のひとつに上げられるのも得心がいく。エクボを沖縄口では「ふうくぶん」と称している。「ふう」は頬。「くぶん」はくぼみ。頬の窪みである。
辞書には「笑ったときに頬にできるくぼみ」とあり、さらに「表皮の一部が結合組織繊維により表情筋に固定しているためにおきる」と説明されているが、この脳クトゥクトゥの中「表皮の一部が、結合組織繊維により・・・・」云々と考えると、エクボができる前に、顔面はワジャンカーを増し、脳クトゥクトゥが本格化しそうだ。
昔ばなしで涼を呼ぼう。
御主加那志前<うしゅがなしーめー。琉球国王>の近くに仕えた知恵者で粋人の誉れ高い渡嘉敷親雲上兼副<とぅかしち ぺーちん けんぷく>。あるとき、御主加那志前に問われた。
「渡嘉敷。お主の一番の財産は何だ」
渡嘉敷、即座に答えて曰く。
「はい。笑顔でございます」
識者の彼は「笑顔来福」を心得ていたにちがいない。
また、ある日。
家葺ち祝事<やーふち すーじ。新築祝い>に招いた渡嘉敷に、家主は所望した。
「和歌、和文に通じたお主だ。新築のわが家とかけて、一首詠んではくれまいか」
書家としても名を馳せていた渡嘉敷。紙と墨筆を借り受けると迷うことなく書いた。
“この家は貧乏神に取り巻かれ”
上の句がこれだから家主は「何と不吉なッ」と立腹した。しかし、渡嘉敷は涼しい顔で聞き流し、下の句をつけた。
“七福神の出る隙もなし”
家主はじめ、招待客のお歴々は感嘆の声とともに、拍手大喝采。祝座は、いやが上にも盛り上がった。笑顔は、親しい人たちとの語らいの中に生まれると言うことだろう。
日中のワジャンカーは持ち越さず、夜はこうした粋ばなしでふーくぶんを活動させるのも一種の消夏法・笑顔来福なのかも知れない。
渡嘉敷兼副の周囲には、多くの笑話や粋ばなしがあり、常に人々の笑顔があった。そのせいか彼自身、長命をみている。90歳を数えて一首詠んでいる。
“むしか閻魔王ぬ御用どぅんやらば 九十九までぃや留守とぅいれり”
歌意=もしも閻魔王が、あの世への御用と迎えに来たならば、ワシは99歳までは留守をしていると答えなさい。まだまだ、お召しに応えるわけにはいかないワイ。
事実、彼は97歳の天寿を全うした。これも、笑顔来福効果と言えよう。
ただ、かつての人々は得心していた「笑顔来福」だが、昨今はどうだろうか。
猛暑の中でもニコニコしているのは、第21回参議院選挙の立候補者だけである。白い歯を強調して笑ってはいるものの(目)は笑っていないポスターもある。あの笑顔でほんとうに(来福)はあり得るだろうか。そのことを思うと、またぞろ背中を流れる冷たいものを覚える。
笑顔・えくぼ・粋人ばなし等々で(涼風)を呼ぶつもりでいたが、ナチマキ<夏負け>したらしく、文章のキレがよくない・・・・。時は陰暦の真六月<まるくぐぁち>の猛暑の日々。そして、陰暦の七夕<今年は8月19日>のころは「七夕太陽=たなばた てぃーだ」と称し、いよいよ脳クトゥクトゥはピークを迎える。無理にでも(笑顔)を意識して、この夏を乗り切ることにする。
次号は2007年8月2日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
コンクリートジャングルと言い切るのは、いささか大げさだが、ビルが立ち並びアスファルト道路が隅々まで行き届いた那覇の街。日中、100メートルも歩くと背中を流れる汗をはっきりと確認できる。
暦通り「大暑=7月23日」に入って、猛暑との付き合いを強いられている。街を行き交う人も、誰ひとりとして(笑顔)なぞ、家の押し入れに仕舞い込んだかのように皆、ワジャンカー<苦い顔。仏頂面>をしている。もっとも、34.5度の炎天下をニコニコ歩いている方がおかしいのだが・・・・。日中は、どんなに親しい人に出会っても立ち話はしない。いや、出来る(暑さ)ではないのである。たまさか会話を交わしても「脳クトゥクトゥすかぬ暑さやぁ=脳ミソが音を立てて煮えるほどの暑さだね」程度。表情は依然、ワジャンカーなのだ。だからこそ、笑顔で過ごしたいと思うのも、人情ではある。
「笑顔来福」なる言葉がある。
沖縄の俗語にも「笑い誇い。笑い福い」があって、いずれも「わらいふくい」と言い、福徳は「笑顔にこそ付く」としている。
笑うとエクボの出来る人がいる。男にせよ女にせよエクボの人と話していると、こちらまで(しあわせ)になってくるから、魅力のひとつに上げられるのも得心がいく。エクボを沖縄口では「ふうくぶん」と称している。「ふう」は頬。「くぶん」はくぼみ。頬の窪みである。
辞書には「笑ったときに頬にできるくぼみ」とあり、さらに「表皮の一部が結合組織繊維により表情筋に固定しているためにおきる」と説明されているが、この脳クトゥクトゥの中「表皮の一部が、結合組織繊維により・・・・」云々と考えると、エクボができる前に、顔面はワジャンカーを増し、脳クトゥクトゥが本格化しそうだ。
昔ばなしで涼を呼ぼう。
御主加那志前<うしゅがなしーめー。琉球国王>の近くに仕えた知恵者で粋人の誉れ高い渡嘉敷親雲上兼副<とぅかしち ぺーちん けんぷく>。あるとき、御主加那志前に問われた。
「渡嘉敷。お主の一番の財産は何だ」
渡嘉敷、即座に答えて曰く。
「はい。笑顔でございます」
識者の彼は「笑顔来福」を心得ていたにちがいない。
また、ある日。
家葺ち祝事<やーふち すーじ。新築祝い>に招いた渡嘉敷に、家主は所望した。
「和歌、和文に通じたお主だ。新築のわが家とかけて、一首詠んではくれまいか」
書家としても名を馳せていた渡嘉敷。紙と墨筆を借り受けると迷うことなく書いた。
“この家は貧乏神に取り巻かれ”
上の句がこれだから家主は「何と不吉なッ」と立腹した。しかし、渡嘉敷は涼しい顔で聞き流し、下の句をつけた。
“七福神の出る隙もなし”
家主はじめ、招待客のお歴々は感嘆の声とともに、拍手大喝采。祝座は、いやが上にも盛り上がった。笑顔は、親しい人たちとの語らいの中に生まれると言うことだろう。
日中のワジャンカーは持ち越さず、夜はこうした粋ばなしでふーくぶんを活動させるのも一種の消夏法・笑顔来福なのかも知れない。
渡嘉敷兼副の周囲には、多くの笑話や粋ばなしがあり、常に人々の笑顔があった。そのせいか彼自身、長命をみている。90歳を数えて一首詠んでいる。
“むしか閻魔王ぬ御用どぅんやらば 九十九までぃや留守とぅいれり”
歌意=もしも閻魔王が、あの世への御用と迎えに来たならば、ワシは99歳までは留守をしていると答えなさい。まだまだ、お召しに応えるわけにはいかないワイ。
事実、彼は97歳の天寿を全うした。これも、笑顔来福効果と言えよう。
ただ、かつての人々は得心していた「笑顔来福」だが、昨今はどうだろうか。
猛暑の中でもニコニコしているのは、第21回参議院選挙の立候補者だけである。白い歯を強調して笑ってはいるものの(目)は笑っていないポスターもある。あの笑顔でほんとうに(来福)はあり得るだろうか。そのことを思うと、またぞろ背中を流れる冷たいものを覚える。
笑顔・えくぼ・粋人ばなし等々で(涼風)を呼ぶつもりでいたが、ナチマキ<夏負け>したらしく、文章のキレがよくない・・・・。時は陰暦の真六月<まるくぐぁち>の猛暑の日々。そして、陰暦の七夕<今年は8月19日>のころは「七夕太陽=たなばた てぃーだ」と称し、いよいよ脳クトゥクトゥはピークを迎える。無理にでも(笑顔)を意識して、この夏を乗り切ることにする。
次号は2007年8月2日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com