旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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平和メッセージ・サンゴの骨壺

2017-07-10 00:10:00 | ノンジャンル
 その日の前日。沖縄の梅雨は明けた。途端に太陽は威力全開。戦後72年の「慰霊の日」を迎えた6月23日、県内では沖縄戦で死没した24万1468人を追悼し、恒久平和を希求する祈りに沖縄中が包まれた。
 沖縄県、県議会主催・沖縄全戦没者追悼式は、糸満市摩文仁の平和祈念公園「平和の礎・平和式典ゾーン」で執り行われた。
 同施設内の沖縄県平和祈念資料館では、27年前から「児童・生徒の平和メッセージ」を公募、発表してき、今号はその作品の中から、作文の部最優秀賞・那覇国際高校2年。新里美結(みゆう)さんの「サンゴの骨壺」を紹介しよう。高校生の(想い)を分かち合いたい。

 ※「サンゴの骨壺」
 大気を震わすような低い音が近づいてきたので、空を見上げると予想通り、三角形の翼を広げた軍用機達でした。次々に過ぎ去るその姿を見て思い出したのは、その音が鳴り響いていた中学校の校庭と、見たこともない曾祖父の骨壺でした。「戦争に行くとわかった時、もう帰ってこないだろうと、髪の毛と爪を置いて行ったんだよ。戦争が終わって、海に行った。そこで拾ったサンゴを髪や爪と一緒に壺に入れた。骨は戻ってこなかったからね」。
 祖母はそう話してくれました。骨の代わりにサンゴの入った骨壺。祖母はどんな思いでサンゴを拾ったのでしょうか。軍用機が空を飛ぶ音は民間飛行機とは違います。私はその音を聞くと、ふと疑問に思うことがあります。武力に頼る平和は本当に平和なのでしょうか。
 「正義の戦争などない。誰かに向けて撃った弾は巡り巡って自分自身に返ってくる」。
 道徳の授業で聴いたこの言葉は、ある写真と共に私の記憶に残っています。その写真は横長で、ライフル銃を構えた兵士の写真でした。平らな壁に貼れば、兵士はライフルを写真の左側に構えており、鋭った先には何もありません。しかし、円柱に貼ると、ライフルは一周し、その銃口はライフを構えている兵士の後頭部に向いているのです。私はぞっとしました。この兵士が私たちだという可能性があったからです。私たちが兵士になるという意味ではありません。私たちが傷つけようとしていることが、実は私たち自信を傷つけることにならないでしょうか。写真の兵士は、自分自身を撃つとは知らず引き金を引くでしょう。私たちもこの兵士と同じことをしようとしているのではないでしょうか。
 国を守るためには、軍を強化する必要があるという考え方を持っている人がいます。海外ではこの考え方が一般的だという人もいるでしょう。しかし、私は武力では国を守ることができないと思います。なぜなら、武力を用いて物事を解決しようとするならば、それは新たな問題を生み出すことになるからです。失わずにすんだものさえ失う可能性があるからです。守るはずだったものが守りきれなくなるからです。そして、未来で得られていただろう関係や可能性をつぶすことになるからです。私には中国人の友だちがいます。中国ときくと内心嫌だという人もいるでしょう。中国でも日本人に抱くイメージは良いものではないでしょう。私たちの間には歴史や政治的な隔たりがあります。今、もし、中国との間で争いが起これば、その隔たりはますます深くなるはずです。そうなってしまうと、私は大切な友だちを失うことになります。私たちは同じ誤まちをまた繰り返すのでしょうか。国を守るためとやった行為が、逆に国の未来を奪いはしないでしょうか。一つの判断が全てを無にする歯車を動かすことになるのです。
 政治、経済の資料に載っている日本国憲法第九条には、こう書いています。
 「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。人は誤ちを繰り返さないよう努力します」。
 日本国憲法第九条は先人たちにとって誤ちを繰り返さないための決意であり、未来に向けての願いではなかろうかと、私は思います。私たちはこの決意を守らなければならないと思います。私たちには頭があります。心があります。それらを用いれば、武力より優れた力を使うことができます。第九条に書かれているように、私たちは平和を誠実に願い求めなければなりません。そしてそして、平和の未来を築くために考え、行動しなければなりません。先人たちの思いを踏みにじってはいけません。先人たちの決意は私たちにとっての誇りです。
 第2次世界大戦中、曾祖母のお腹の中には、祖母の弟がいました。曾祖父は、自分の子供に1度も会うことなく行ってしまったそうです。
 「もう帰ってこないだろう」
 そう言って爪と髪を切った曾祖父は一体、どこへ行ったのでしょうか。最後、何を思ったのでしょうか。
 爪と髪とサンゴ。それは曾祖父の悲しみのようでした。
 サンゴの骨壺。それは私が忘れてはならない物語です。

 新里美結さんの視点には暗さがない。鎮魂の上に立って、純粋に未来を見つめている。キラキラ光っている瞳がそこにはある。そして、戦争の実体験を通し、美結さんに伝え続けてきた祖母に、平身低頭して敬意を表したい。
 日頃、知ったかぶりをして反戦平和を吹聴している己が恥ずかしく思えてならない。
 南の風は湿度を含みじとじとと熱風を送ってよこす。そこいらの木草もげんなりとしている。72年前もこうした夏だったのだろう。


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1 コメント

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Unknown (新里紹栄)
2017-07-14 20:18:27
平和のメッセージ ありがとうございます。感動しつつ 読みました。かつてのばん塾生です。6月23日を待たず6月12日に大田昌秀先生が亡くなりました。非戦を誓い平和の礎を築かれました。大田県政の時代から20年余、多くの県民が反対する中、政府は名護市辺野古で本格的な海上工事を始めました。翁長知事は「基地負担の軽減とは逆行する普天間基地の辺野古移設は断固容認できない」との頼もしい言葉は辺野古座り込みにおいての勇気の出る声明でした。数十年後 孫 曾孫らがおじいちゃんらのおかげで自然豊かな平和の沖縄があると、仏壇に手を合わせている様を夢見て・・・今歴史のまっ只中に生きる生甲斐を胸に座り込みを続けています。♪大田世ぬ政 昌秀りでんし  みるく世ぬ礎 さたゆ残ち♪
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