★連載No.359
「いくつから年寄りと自覚すればよいのか」。多少迷っていたが、日本という国がズバリ答えを出してくれた。
65歳以上「前期高齢者」。75歳以上「後期高齢者」これである。
おかげで私は立派な「前期高齢者」を自覚できたし、6年もすれば「後期高齢者」の資格を誇りをもって取得できる。なんとも喜ばしい。テレビの殊に女性アナウンサーが、高齢者がらみのニュースを伝えるとき、いままでは顔をしかめた「65歳のお年より」云々というコメントも得心して聞けるようになった。〔前期・後期高齢者〕なる行政用語は大した説得力をもって年寄りを落ち着かせた。造語した役人には、国民栄誉賞をやらざぁなるまい。
ある粋人は“老いぬれば頭は禿げて目はくぼみ 腰は曲がりて足はひょろひょろ”と、重ねた年齢を狂歌にしている。またある粋人は自分の光り輝く頭に物珍しそうな視線を送る若者に対して「ハゲとかチャビンなどと言ってもらいますまい。ユル・ブリンナーヘッドと称していただきたいっ」と提言した。ただ、その若者たちが肝心のユル・ブリンナーを知らなかったのは残念だった。粋人がかつて感動した「王様と私」「荒野の七人」などのユル・ブリンナーの名演技を見ていなかったのは、ゼネレーションギャップとしか言いようがない。
“君は百歳我しゃ九十九まで ともに白髪のはえるまで”
理想的な長寿の歌。厚生労働省の調査による「人口10万人当たりの百歳以上の高齢者数」を都道府県別にみると、沖縄県は36年連続トップを維持している。沖縄における百歳以上の長寿者が多い市長村は、上位から那覇市160人。うるま市86人。名護市と南城市各45人。また、厚生労働省調査によると今年の全国の百歳以上は3万6276人。内訳は男性5063人。女性3万1213人。驚異的なこの差はどこからくるのだろうか。とは言っても、女性の最高年齢者113歳はウチナーオバーなのは嬉しい。
「敬老の日」。この日にも変遷がある。
昭和26年<1951>9月15日から1週間を老人福祉週間と定め「としよりの日」が始まった。しかし、この命名は60歳以下の現役の発想。〔としより〕自身は、長生きはしたいが〔としより〕とは呼ばれたくないのが本音である。実際に各界から「再考すべし」の声が上がった。しからばと、それでも12年、再考の時をかけ昭和38年<1963>、老人福祉法が制定されるや「老人の日」に改称している。しかし、しかし〔としより〕と〔老人〕は、仮名を漢字に変えただけで観念は五十歩百歩。老人該当者は、またぞろ得心がいかない。「差別用語に等しいっ」と、言ったかどうかは別として、さらに再考がなされ、3年後の昭和41年<1996>「多年にわたって社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と定義して「敬老の日」に落ち着いている。だが、これもここへきて国の財政逼迫の建て直しを称して医療、年金に皺寄せがきた。老人の皺をこれ以上増やしてどうするつもりだろうか。ちなみに「心配」の方言は「シワ」。この際、高齢化社会到来記念に「前期高齢者の日」「後期高齢者の日」を制定して国民の祝日にしてはどうだろうか。いつの世も「親死に子死に孫死に」が順序。子や孫が親より先に逝くような国家であってはならない。親の介護に疲れて死を選ぶ子や孫がいかに多いことか・・・。
沖縄には、生まれた年毎に「命を祝う」行事がある。ンバギーと称する出産祝いを始めとして13歳・25歳・37歳・49歳・61歳・73歳・85歳・97歳と続く。いまでは13歳から61歳の祝いは割愛されているが73歳と85歳、加えて大和風に88歳の米寿を祝い、97歳は「カジマヤー」と称して殊の外盛大に行う。いずれも「トゥシビー=生まれ年祝い」の内だ。
カジマヤーは〔風車〕を意味する。97歳からは「童に還る」とする考え方があって、該当者は色鮮やかな紅型衣装に身を包み、戦前は駕籠や馬車、いまはオープンカーに乗り込んで集落中をパレードする。そして、自宅や公民館あるいはホテルの宴会場に家族、親戚縁者、友人知人を招待して華やかな宴を張る。招待されなくても出向く人もいる。これは長寿をあやかり、徳を授かるためで主催者はむしろ歓迎。出席者の多さを誇りとするくらいだ。そのときの来賓祝辞、乾杯の発声は地域選出の県会議員か市町村長の役目。これを断ったばかりに次の選挙に落選した例も少なくない。
〔敬老〕とは、そうしたものではなかろうか。
カジマヤーは、97歳に因んで旧暦9月7日に挙行されるが、今年は都合よく新暦10月5日日曜日にあたる。
次号は2008年10月2日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
「いくつから年寄りと自覚すればよいのか」。多少迷っていたが、日本という国がズバリ答えを出してくれた。
65歳以上「前期高齢者」。75歳以上「後期高齢者」これである。
おかげで私は立派な「前期高齢者」を自覚できたし、6年もすれば「後期高齢者」の資格を誇りをもって取得できる。なんとも喜ばしい。テレビの殊に女性アナウンサーが、高齢者がらみのニュースを伝えるとき、いままでは顔をしかめた「65歳のお年より」云々というコメントも得心して聞けるようになった。〔前期・後期高齢者〕なる行政用語は大した説得力をもって年寄りを落ち着かせた。造語した役人には、国民栄誉賞をやらざぁなるまい。
ある粋人は“老いぬれば頭は禿げて目はくぼみ 腰は曲がりて足はひょろひょろ”と、重ねた年齢を狂歌にしている。またある粋人は自分の光り輝く頭に物珍しそうな視線を送る若者に対して「ハゲとかチャビンなどと言ってもらいますまい。ユル・ブリンナーヘッドと称していただきたいっ」と提言した。ただ、その若者たちが肝心のユル・ブリンナーを知らなかったのは残念だった。粋人がかつて感動した「王様と私」「荒野の七人」などのユル・ブリンナーの名演技を見ていなかったのは、ゼネレーションギャップとしか言いようがない。
“君は百歳我しゃ九十九まで ともに白髪のはえるまで”
理想的な長寿の歌。厚生労働省の調査による「人口10万人当たりの百歳以上の高齢者数」を都道府県別にみると、沖縄県は36年連続トップを維持している。沖縄における百歳以上の長寿者が多い市長村は、上位から那覇市160人。うるま市86人。名護市と南城市各45人。また、厚生労働省調査によると今年の全国の百歳以上は3万6276人。内訳は男性5063人。女性3万1213人。驚異的なこの差はどこからくるのだろうか。とは言っても、女性の最高年齢者113歳はウチナーオバーなのは嬉しい。
「敬老の日」。この日にも変遷がある。
昭和26年<1951>9月15日から1週間を老人福祉週間と定め「としよりの日」が始まった。しかし、この命名は60歳以下の現役の発想。〔としより〕自身は、長生きはしたいが〔としより〕とは呼ばれたくないのが本音である。実際に各界から「再考すべし」の声が上がった。しからばと、それでも12年、再考の時をかけ昭和38年<1963>、老人福祉法が制定されるや「老人の日」に改称している。しかし、しかし〔としより〕と〔老人〕は、仮名を漢字に変えただけで観念は五十歩百歩。老人該当者は、またぞろ得心がいかない。「差別用語に等しいっ」と、言ったかどうかは別として、さらに再考がなされ、3年後の昭和41年<1996>「多年にわたって社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と定義して「敬老の日」に落ち着いている。だが、これもここへきて国の財政逼迫の建て直しを称して医療、年金に皺寄せがきた。老人の皺をこれ以上増やしてどうするつもりだろうか。ちなみに「心配」の方言は「シワ」。この際、高齢化社会到来記念に「前期高齢者の日」「後期高齢者の日」を制定して国民の祝日にしてはどうだろうか。いつの世も「親死に子死に孫死に」が順序。子や孫が親より先に逝くような国家であってはならない。親の介護に疲れて死を選ぶ子や孫がいかに多いことか・・・。
沖縄には、生まれた年毎に「命を祝う」行事がある。ンバギーと称する出産祝いを始めとして13歳・25歳・37歳・49歳・61歳・73歳・85歳・97歳と続く。いまでは13歳から61歳の祝いは割愛されているが73歳と85歳、加えて大和風に88歳の米寿を祝い、97歳は「カジマヤー」と称して殊の外盛大に行う。いずれも「トゥシビー=生まれ年祝い」の内だ。
カジマヤーは〔風車〕を意味する。97歳からは「童に還る」とする考え方があって、該当者は色鮮やかな紅型衣装に身を包み、戦前は駕籠や馬車、いまはオープンカーに乗り込んで集落中をパレードする。そして、自宅や公民館あるいはホテルの宴会場に家族、親戚縁者、友人知人を招待して華やかな宴を張る。招待されなくても出向く人もいる。これは長寿をあやかり、徳を授かるためで主催者はむしろ歓迎。出席者の多さを誇りとするくらいだ。そのときの来賓祝辞、乾杯の発声は地域選出の県会議員か市町村長の役目。これを断ったばかりに次の選挙に落選した例も少なくない。
〔敬老〕とは、そうしたものではなかろうか。
カジマヤーは、97歳に因んで旧暦9月7日に挙行されるが、今年は都合よく新暦10月5日日曜日にあたる。
次号は2008年10月2日発刊です!
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