旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

ひとり対談・三線のあとさき

2014-02-28 23:33:00 | ノンジャンル
 *時=2月27日・夜9時。
 *所=自宅書斎(番犬中)。
 *出席者=上原直彦。(ひとり対談のため、此方・上原。片方・直彦となる。

 上原=ひとり対談だから、さぞかし息が合うだろうね。

 直彦=まったくだ。早速だが、キミも知っている後輩のK。今年73歳の生まれ年。加えて初孫が数え13歳の生まれ年。

 上原=そうだってね。それを記念して(三線を2丁)購入した。

 直彦=うん。1丁は孫へ。1丁は自分用だそうな。いままで三線を手にしたことはまるでなかったが、これを機会に一発発起!稽古を始めるそうだ。

 上原=ボクに(どこの研究所がよいか、紹介してほしい)と言ってきた。彼の住居近くの三線教習所を紹介しておいたよ。師匠さんとも親交がある手前(三日坊主になるなよ)と釘をさしておいた。

 直彦=彼は言っていたよ。今年の(さんしんの日)には間に合わないが、来年のその日までには“かぢゃでぃ風節”を歌い弾けるようになりたいとね。

 上原=孫と競い合って稽古に励む。きっとうまく行くだろうよ。K家の三線の歴史がここに始まる。想像しただけでも、いい風景が見える。沖縄人だね。孫のほうが長く楽しむことになる。家には三線があるかないか。継承は、それによっても左右される。まずは(好きこそものの上手なれ)だ。

 直彦=そうだろうね。話は野球に飛ぶが、プロ野球読売巨人の菅野投手。

 上原=キミは巨人ファンだからな。菅野投手はいずれエースになる。

 直彦=彼の祖父が相模原の高校の監督、父親またしかり。かてて加えて叔父が原辰徳巨人軍監督ときた。菅野少年は小学校のころから(自分は野球の道に進む)ことに、何も疑問もなかったそうだね。その前に好きだった。

 上原=家に野球があった。Kの家には三線がある。Kの孫は三線が好きかどうか。それによってK家の三線が代々継承されるかどうかが決まる。

 直彦=まあまあ、そこまで煎じつめなくても、夢を持って楽しくやればいい。琉歌にこんなのがあるよ。
 “白髪御年寄ゐや 床ぬ前に飾てぃ 産し子歌しみてぃ 孫舞方
 〈しらぎ うとぅすいや とぅくぬめに かぢゃてぃ なしぐぁ うたしみてぃ んまが めぇかた〉。
 つまり、白髪になった祖父母は1番座の床の間を背に鎮座していただき、座敷では子が歌三線を成し、孫が祝いの舞を披露する。祖父母の長寿祝いの1首。

 上原=伝統の継承そのものだね。三線の保有数は相当のものだよね。5年前にRBCiラジオの「ゆかる日まさる日さんしんの日」事務局が県内市町村及び知り得る限りの都道府県やハワイ、ロスアンゼルス、ブラジル等々の県人会の協力を得て調査したところ、推定22万丁と言う数字が出た。にわかには信じがたい。

 直彦=そうでもあるまい。県内に(三線制作・販売)工房が120箇所ほどあって、年間500丁生み出している。壷屋陶器もそうだが、三線も(造る)ではなく(生む・生まれる)と言う。人間並みだ。

 
 上原=さあ、どこまでを(三線)と称するかだ。それなりの素材、価格のそれはよしとして、稽古用と称する安価なもの、観光用の形だけのもの、話のネタ程度のカンカラー三線も数の内に入っているのか・・・・。しかしまあ、人口割にしても県民5~6人に1丁保有しているとも言うからね。したがって、三線人口は実数はつかめないほどだろう。

 直彦=宮廷音楽では湛水琉、安富祖流、野村流の組織が7団体ほどあり、その支部が県内はもちろん、関東、関西、九州まど、さらにアメリカ、南米、パリ、ロンドンにもあり、それぞれ会員がいる。島うた関係もまたしかり。世界に広がっている。復帰後は(三線留学)が多くなり、師範免許を取得した大和人、外国人が少なくない。

 上原=戦前は、正式に三線を修練するのは首里、那覇の継承者、研究者に限られた。地方の三線は民俗芸能に関わっているものは別として、お上によって、排除された時代もある。

 直彦=三線狩りか。一般人が三線を弾く遊興は、生産力を低下させると考えたのだお上は。しかし、三線はそれに屈しなかった。戦後、見事に復活して今日に繫げてきている。キミやボクが小学校、中学校、高校生のころは、三線はむしろ封じ込められていたが、いまは学校現場で奨励している。

 上原=民俗音楽、民族楽器として認知されたということだ。三線そのものが(美術工芸品)として指定されているし、奏者も島袋正雄、照喜名朝一、城間徳太郎、西江喜春の各氏が(人間国宝)の認定を受けている。

 直彦=日常的には祝儀事はじめ春夏秋冬、人が集まれば三線を弾くし、お墓の落成にも墓前もしくは納骨前の墓の中で“土ん引ち美らさ 石ん据し美らさ 風水松金ぬ 向けぬ清らさ”の歌詞で「かぢゃでぃ風節」を演奏するものね。(墓の中で)というと大和人には理解しかねるかも知れないが、沖縄のそれは石造りの、ちょっとした廟だものね。4,5人は中に入れる。

 上原=要するに三線は沖縄人にとって芸能、遊興のみならず(祈りの楽器)と言えるのではないか。その三線が3月4日にはRBCiラジオの時報音を合図に一斉に演奏されるのだから、ちょっとしたロマンだね。

 直彦=お互い沖縄人でよかったと実感するね。しかも三線を通して、大和にも海外にも仲間が増えた。

 上原=ところで。「早春譜」の歌い出しではないが、まだまだ寒さが居座っている。風など引いていないか。

 直彦=なんのなんの!鼻ムジュムジュー(鼻のぐずつき)したら、うるま市にある三線工房の看板の文句を口にすることにしている。いわく「風邪は引かずに三線を弾こう!」。

 上原=したり!したり!オチがついたところで本日はこれまで。


 ※3月上旬の催事。
あがりティーダウォーキング (西原町)
   開催日:3月9日(日)
   場所:あがりティーダ公園



つれづれ・いろは歌留多=終章

2014-02-19 22:54:00 | ノンジャンル
 「沖縄の子だけでしょうかね・・・・」。
 地域の公民館を教室に小学生、中学生に習字を教えている知人が、しみじみと口にした。
 「習字の手始めは(いろは)から書かせるのだが、年の初めに自由な文字を書かせたみた。多くは、初日の出、はつはる、午年、希望、春風、赤い花、平和などの文字が見えたが、小学校6年生の男児は、“基地はいらない”“移設反対”“平和な沖縄”などの現実的な文字を並べている。どうしてこの文字を選んだの?」。
 やんわり聞いてみると、少年はにっこり答えた。
 「だって、近くの米軍基地のフェンスにそう書いたパネルが貼ってあるもの」。
 知人は(沖縄の子だけなのか)と、半ば深刻に考えさせられた・・・・」。
 「子どもは子どもらしく“いろはにをえど”とか”あさきゆめみし”とか、ごく普通の文字を書いてもらえる沖縄でなければならないと思いますねぇ・・・」。
 習字ではないが、筆者が小学校低学年のころ、直ぐに覚えた英語は、まずギブミー、テンキュー、ハロー、グットバイなどであった。その後、意味も知らないまま、遊びの中で囃子立ての言葉として発していたのが「ヤンキーゴーホーム」だった。異民族支配反対!日本復帰早期実現をスローガンに各地で展開された民族運動の集会で、大人たちが声を嗄らして叫んでいたからだ。戦争、基地に関わる言葉を青少年には(使わせたくない)とここに至って考える沖縄の日々である。
 さて「いろは歌留多」シリーズも今回で終章。{も・せ・す}で締めよう。

 【も】
 読み札=桃採りに!どこへ!森へさっ!
 取り札=むむ むいが!まーんかい!むゐんかい!
 「も」は、基本的に「む」に変化する語が多い。この変化について永六輔さんと語り合ったことがある。TBSラジオで長年放送していた人気番組「誰かとどこかで」のスポンサーが「海苔の桃屋」だったからだ。
 「では桃屋は、沖縄語では“むむや”になるの?」
 「その通り」。
 そのことがあった2,3日後の放送で「今日は沖縄風に提供名を言います。では遠藤靖子さんどうぞ」とふった。遠藤靖子さんは迷わずアナウンスをした。
 「はい。“誰かとどこかで”この番組はムム屋の提供でお送りします(お送りしました)」。
 「桃」とは言っても沖縄で普通に言う「ムム」は野生のそれで、サクランボ程度、もしくは、それよりちょっと小ぶりの実。越来間切(現沖縄市)山内、諸見里などには「ムムヤマ・桃山」と通称されるムムの木の群生があって、太陽が夏の輝きを増す「清明=シーミー」の頃に熟する。近隣の娘たちは、底に芭蕉の葉を敷いた大きめのバーキ(竹製のザル)いっぱいに実をもぎ入れ、頭の上に乗せて遠く首里那覇まで出かけて屋敷街を「ムム コーンソーリ!=桃を買ってください」と呼ばわりながら売り歩いた。その声に街方の人々は、夏の入り口を知る。初夏の風物詩といったところ。
 キームム(木桃)と称し、普通の桃と区別しているが、果肉と種が半々。青いムムや言葉通り桃色に半ば熟したものには塩をふって、朝のチャワキ(お茶請け)に。紫色に熟したムムは、梅干し弁当よろしく御飯の上に乗せて野良仕事の昼食用にしたり、昭和20年代までは学校への弁当にも重宝した。それは期間限定のおかず代用だった。
 [も]は[む]に変化する。例=*腿肉・ムムシシ。*諸人・ムルビトゥ。*問答・ムンドー。*文句・ムンク。*物・ムン。*餅・ムチなどなど。再三に及ぶが[も]が「む」に変化しない語も多少あることも承知しておかなければならない。

 【せ】
 読み札=先生 生徒 世間 世界
 取り札=しんしー しーとぅ しきん しけえー
 これまた[せ]は[し]に変化。所によっては[しぇー]とも発音する。若い世代はそうでもなくなったが、カラオケなどで年配の方の歌を聴いてごらんなさい。森昌子の「先生」は♪シェンシェイ それはシェンシェイ~になっているのに気付くだろう。ただし、これは決して発音があやしいのではなく、地方語の妙味の(訛り)。地方語から訛りを取っては、わさび抜いたにぎりで味気がない。余談ながらジャズの名曲「セントルイスブルース」を「シェントルイス~」の発音には失笑してしまう。1セントを「1シェント」としたのには驚いた。

 【す】
 読み札=酢 すごく すっぱいネ
 取り札=シー しぐく しーさんぬやー

 [す]は[し]に変化する語が多い。ヒラミレモンの名称を定着させた「シークァーサー」の「し」は「酢・酸っぱい」の「し」。柑橘類の1種シークァーサーは本来、飲食するものではなく衣類の繊維、殊に平民が着用した「あらバサー=織り目の荒い芭蕉布」の繊維を肌ざわりよくするために酸性の柑橘に浸したことから「酢をつける。酢に浸す」を「シークァーすん」になった。
 この場合の「クァーすん」は、ひたす・つける・塗るの意であって、同音の「クァーすん=喰わす」では決してない。
 かつてはシークァーサーの木は山野に自生。実はスーサー(ひよどり)など野鳥の好むモノだったが、白い清らかな花をつけるところから観賞用として屋敷内にも植栽された。木は2、3メートルにもなる。

 さてさて。
 「いろは歌留多」シリーズ。筆者のまさに(つれづれ)思い付くままに拙文を連ねてきた。多少なりと「うちなーぐち=沖縄口・語」に親しむ糸口になればこの上もない喜びである。連載中、ある小学校の教師から「児童の教材に使用してもよいか」の声があった。こんなものでよいのか。「これをベースに足りないことは補足して参考程度にどうぞ」と答えておいた。
 次回20日号からは地名、名所などを詠み込んだ「琉歌」をシリーズ化したいと思い付いているが如何。

 ※2月下旬の催事。
 *黒島牛まつり(八重山)
  期日:2月23日(日)
  場所:竹富町黒島多目的広場

 *おきなわECOスピリット~ランド&ウォークin南城市
  期日:2月23日(日)
  場所:ユインチホテル南城スタート・ゴール



花・さんしんの日・春隣り

2014-02-10 00:28:00 | ノンジャンル
 本部町、今帰仁村、名護市の桜は1月中旬には咲き「まつり」も終盤。ほとんど同時に名護市源河からは「梅の満開」の便り。
 沖縄では「梅まつり」はそうそうないが、源河の梅は地内の通称オーシッタイ(大湿地帯)を1990年に開拓し、アスファルト道路を通した際、それを記念して自治会が70本の苗を植栽したことに始まる。いまでは、この時季の風物詩として梅見客が愛でている。それを追うかのように北中城村安谷屋、荻堂、喜舎場にまたがる畑地には向日葵が咲き「日本一早いヒマワリ祭りin北中城」を開催、地域の活性化につなげている。まさに春隣り・春近しを実感する。
 この「春隣り」を詠んだ琉歌がある。

 ♪寝覚み驚ちに 誰が袖ゆ思みば 庭に咲く梅ぬしゅらし 匂い
 <にぢゃみ うどぅるちに たがすでぃゆ とぅみば にわにさく んみぬ しゅらし にうい >

 詠者は本部朝救=もとぶ ちょうきゅう(1741~1814)。尚敬王~尚穆王時代の歌人。地方を治める官名(按司・あじ)に任命された人物。
 歌意=春の暁。熟睡の中、得も言えぬ匂いにハッと驚き目覚めた。誰か添い寝をした女性の着物の袖の移り香か?やおら起きて匂いのもとを確かめてみると、女性の移り香にあらず。我が家の庭の梅が放つ匂いではないか。なんとかぐわしいことか。目覚めも快なり!快なり。春はすぐ隣まで来ているのだ。

 そうした状況の中で目覚めたとするならば、俗物の私なぞ、慌てふためき(逃げ仕度)が先で「誰の移り香!」生臭く慌てふためくのが精いっぱい。梅の香りには気もいかないだろう。まして(春隣り)を感じ取ることなぞできない。本部朝救の歌人たる風雅。凡人には、こうはまとめられない。
 芥川賞作家大城立裕氏は「文字による琉歌は文学である。その琉歌が三線に乗り歌われた時、琉歌は芸能として親しまれる」という意味のことを記している。読者諸氏も琉歌を詠み(文学)となし、節歌にして歌い(芸能)となすことをお薦めする。

 そして、桜、梅、向日葵に次いで春隣りよりももっと近くに(春)を引き寄せるのは「三線の音」。
 3月4日は第22回「ゆかる日まさる日さんしんの日」。
 この日、RBCiラジオは正午前、11時45分から夜9時まで沖縄中の、いや、世界中の琉球三線の音を響かせて、これまた世界中に発信する。主会場は三線の祖とされる「赤犬子=あかいんこ。地元では、アカヌクー・アカンクー」生誕の地・読谷村立文化センター鳳ホール。そこには県内の宮廷音楽奏者、島うたの歌者、舞踊家300名余が結集して春を呼ぶ。インターネットでも中継。音声や映像を発信する9時間15分の一大イベントである。毎回県外からのゲスト出演、例えば永六輔、加藤登紀子、津軽じょんがら奏者、九州に継承される三絃楽器・宮崎県のゴッタン奏者等々が彩りを添えたが、今回は台湾の三絃楽器数種と奏者を招聘して実演する
 因みに番組は3部からなり、多くの方に(三線を7共有)していただくために各部入場整理券を発行、配布中。問い合わせはRBCiラジオ「さんしんの日事務局」。インターネット検索の上、来場いただければ幸い。

 なにしろ生放送。いろんなアクシデントが発生する。
 *歌者古謝美佐子の場合。
 前日まで福岡でライブをしていた。朝一番の飛行機に乗れば、出演時間には十分間に合うことになったが、ダイヤに乱れが生じて遅延。楽屋入りは実に出番30分前。慌てたのはスタッフ。もっとあたふたとしたのは当人古謝美佐子。那覇空港から直行!旅装を解く間もあらばこそ!喉を潤しただけでマイクの前。「童神」を熱唱した。もちろん、ノーメイク。長い髪にもブラシは入っていない。そうしたシーンは司会者にとっておいしい。彼女の楽屋入り遅延の裏話と理由を説明。
 「ノーメイクの上、普段着、風に煽られた乱れ髪は堪忍して下さい。かくかくしかじかの事情がありました。まあ、考えようによっては、古謝美佐子のスッピンを間近で見れて、この時間来場の皆さんは儲けものでした」。
 このフォローには大きな拍手があり、楽屋にかえった彼女を再び呼び出して挨拶してもらったところ、これまた大喝采!計算外の番組演出効果を上げた。

 *嘉手苅昌林の場合。
 第2回目の「さんしんの日」。琉球大学工学部が開発した「ロボット三線」を登場させた。琉球音楽の三線譜「工工四」をインプットすると、寸分の狂いなく、完璧な演奏をする。そのロボット三線と嘉手苅昌林とのジョイントを試みた。曲節は「かぢゃでぃ風節」。メカと生身の競演とあって会場、関係者か固唾を飲んで注目する中、演奏は終わった。感想を求められて嘉手苅昌林いわく。「機械がやることだから、ヌーぬフギんねーん・・・・しかし・・・・何の不備もない工工四通りの音ではあるが、しかし、演奏は人と三線の呼吸でなすもの。ロボットには呼吸がない。正確ではあるが歌の血が通っていない。やはり、三線は人とが弾いて心を伝えなければねぇ。でも、開発した大学の皆さん、ご苦労さん」。
 労をねぎらったコメントに会場からは、不思議な拍手が起きた。
 もちろん、ロボットは「三線演奏」のみのために開発されたのではない。その繊細な機能は工業、医療などの場で発揮されているに違いない。
 春隣り。
 桜、梅、向日葵、さんしんの日。それを追って登場する花はつつじ。
 女子プロゴルファー宮里藍の出身地東村のつつじ園には、色とりどりの5万本のつつじが開花を待っていて、3月半ばに見ごろを迎える。本土の方々には申し訳ないが、沖縄人はちょいとお先に春を楽しみます。乞う容赦。

 ※3月中旬の催事。
第8回 伊江島ハイビスカス祭り
 期日:2月8日(土) ~2月23日(日)
  場所:伊江島ハイビスカス園

 *第22回 2014おきなわマラソン
  期日:2月16日(日)
  場所:沖縄県総合運動公園



三線・22年目の春

2014-02-01 01:55:00 | ノンジャンル
 「おや?笛が加わったね」。
 「奥さんが笛を習い始めたんですって」。
 隣家から「かぢゃでぃ風節」の夫婦共演が聴こえる。30年余の教職を定年退職したご主人は、それを機会に古典音楽研究所の門を叩き、歌三線を習い始めて3年。当初の心もとない三線の音も、ようやくさまになってきた。それに触発されたかして奥さんは(笛)を思い立ったらしい。
 「夫婦相和しとはこのことだな」
 時折、笛の音は途切れたり、外れたりするが、風が運んでくる共演には温かいものがあり、微笑みを禁じ得ない。旧正月を済ませ、節分、立春を暦は告げるが、寒さはいまがピーク。けれども、隣家の歌三線、笛が聴こえる範囲だけには、和やかな風が吹いている。

 新春の琉歌。
 ♪初春になりば 嬉し事乗してぃ 弾ちゅる三線ぬ音ぬ しゅらさ
 〈はちはるに なりば うりしぐとぅ ぬしてぃ ふぃちゅる さんしんぬ うとぅぬ しゅらさ

 *しゅらさ=素晴らしさ。快さ。
 歌意=内憂外患。いかに乱世であっても、年明け早々、哀歌・悲歌を選んで歌う人はいない。元旦からこの方、三線に乗せる楽曲縁起のいいそれであり、歌詞も祝歌、明快なそれである。なんと誇らしい三線の音は心底に染まり、快いことか。
 古い慣用句にも「嬉りし事びけーい 言ちゃい聞ちゃい=うりしぐとぅ びけい いちゃい ちちゃい」がある。
 意訳をすれば「愚痴や悪口からは何も生まれない。日常の会話からして、常に嬉しいこと、前向きなことだけを言ったり聞いたりするよう心掛けよう」としている。では、心ならずも(悪い話・不愉快な話)を聞いたらどうしよう。
 「悪事ぉ聞ち所んかい捨てぃり=やなくとぉ ちちどぅくるんかい してぃり」これである。
 他人の悪い噂ばなしや、耳にして不愉快な事柄は、聞いたその場に即、捨てよ。これらをさらに他人に話したり、心の底に留め置くと精神衛生上よろしくない。発展性を欠くと処世術を説いた慣用句。

 さてさて。
 月が替わって3月4日には、沖縄中、大げさになるが日本中、世界中の三線が一斉に鳴る。
 RBCiラジオ主催「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、今年で22回目を数える。
 この日。ラジオ放送は午前11時45分から中継に入る。主会場は読谷村文化センター・鳳ホール。舞台には大書きされた三線楽譜「工工四」をバックに50人余の歌三線、琴、胡弓、笛、太鼓連がスタンバイしていて、正午の時報を(今や遅し)としている。公開された客席にも緊張感が高ま。司会者(狩俣倫太郎、島袋千恵美、上原直彦)の趣旨説明、中継地紹介などがあって正午の時報の秒読み。そして3音で告げる最後の音を合図に「かぢゃでぃ風節」「特牛節」が打ち出される。緞帳が上がり切った所で数人による舞踊が一段と華を添える。正午を1回目として各時報ごとに演奏は成され、それは午後8時のそれまで続く。9時間15分の生放送でインターネットを通じて世界中に発信されるのだ。
 また、各地のイベントホールや公民館、職場、家庭でも相呼応する同好の士が自主演奏会を開催。沖縄中が三線色に染まる1日となる。
 例年、会場には自前の三線や胡弓、笛を持参して競演する方々がいる。「三線文化の共有」が熱気を呼ぶ。

 「いゃあ~。歌三線のたしなみがいたくてねぇー。さんしんの日と言ってもなぁ。うちの爺さんはお盆のエイサーや十五夜遊びの村芝居の地謡を務めたことを自慢していたのだが・・・・」。
 そうなのだ。沖縄人の家系には歌三線をよくした方が1人や2人はいる。(たしなみがなくて)と謙遜したこの御仁も次のような詠歌をものにしている。

 ♪歌ん三線ぬん 習れ取とぉてぃ我身ん 大節に端節 ふきてぃみぶさ 
 〈うたん さんしんぬん なれとぅとぉてぃ わみん うふぶしに ふぁぶし ふきてぃ みぶさ


 *大節=うふぶし。宮廷音楽。*端節=ふぁぶし。各地に残る歌謡。島うた。
 歌意=歌も三線もこなせる自分であって、宮廷音楽も島うたも鶯のように歌ってみたい。
 願望の1首。これだけの三八六を詠める御仁なら、発起すれば直ぐ弾き歌うことができるだろう。「成らぬ」は、本人が「成さない」からではなかろうか。
 蛇足、「ふきてぃ・ふける」は日本語の古語。

 ♪殿の館に鶉(うずら)がふける なんとふけるか立ち寄り聞けば 御代は永かれ世はよかる
 
 とあって、筝曲の歌もの「船頭節」に用いられている。
 「ふける」は「ふきーん」と言い鳥類の鳴き声から転じて「歌う」ことを指し、詠歌や日常語にも生きている。
 ともあれ、唇に歌のある暮らしと歌のない暮らしとでは、多少音程ははずれても、歌のある暮らしが「より快適」と言い切っても的外れではあるまい。歌に出逢えれば「歌仲間」が出来る。それだけでも暮らしは「より快適」になるに違いない。幸いにして沖縄には、老若男女を問わず、人と人の心を紡ぎ織りなす(三線)がある。事を成すに遅い早いはない。「さんしんの日」を機会に「歌仲間」のひとりになろう。
 何時、何処で、誰が言ったか定かではないが、この時季になると「沖縄の春は三線の音が連れて来る」と、囁かれる。その日はもう近い。

 ※2月上旬の催事。
  *おきなわ花と食のフェスティバル2014
  期間:2月2日~2月3日
  場所:奥武山公園

 *沖縄国際洋蘭博覧会
  期間:2月2日~2月11日
  場所:海洋博公園 熱帯ドリームセンター

 *第4回 国頭(くにがみ)村ツバキまつり
  期間:2月9日~2月17日
  場所:国頭村森林公園