*時=2月27日・夜9時。
*所=自宅書斎(番犬中)。
*出席者=上原直彦。(ひとり対談のため、此方・上原。片方・直彦となる。
上原=ひとり対談だから、さぞかし息が合うだろうね。
直彦=まったくだ。早速だが、キミも知っている後輩のK。今年73歳の生まれ年。加えて初孫が数え13歳の生まれ年。
上原=そうだってね。それを記念して(三線を2丁)購入した。
直彦=うん。1丁は孫へ。1丁は自分用だそうな。いままで三線を手にしたことはまるでなかったが、これを機会に一発発起!稽古を始めるそうだ。
上原=ボクに(どこの研究所がよいか、紹介してほしい)と言ってきた。彼の住居近くの三線教習所を紹介しておいたよ。師匠さんとも親交がある手前(三日坊主になるなよ)と釘をさしておいた。
直彦=彼は言っていたよ。今年の(さんしんの日)には間に合わないが、来年のその日までには“かぢゃでぃ風節”を歌い弾けるようになりたいとね。
上原=孫と競い合って稽古に励む。きっとうまく行くだろうよ。K家の三線の歴史がここに始まる。想像しただけでも、いい風景が見える。沖縄人だね。孫のほうが長く楽しむことになる。家には三線があるかないか。継承は、それによっても左右される。まずは(好きこそものの上手なれ)だ。
直彦=そうだろうね。話は野球に飛ぶが、プロ野球読売巨人の菅野投手。
上原=キミは巨人ファンだからな。菅野投手はいずれエースになる。
直彦=彼の祖父が相模原の高校の監督、父親またしかり。かてて加えて叔父が原辰徳巨人軍監督ときた。菅野少年は小学校のころから(自分は野球の道に進む)ことに、何も疑問もなかったそうだね。その前に好きだった。
上原=家に野球があった。Kの家には三線がある。Kの孫は三線が好きかどうか。それによってK家の三線が代々継承されるかどうかが決まる。
直彦=まあまあ、そこまで煎じつめなくても、夢を持って楽しくやればいい。琉歌にこんなのがあるよ。
“白髪御年寄ゐや 床ぬ前に飾てぃ 産し子歌しみてぃ 孫舞方”
〈しらぎ うとぅすいや とぅくぬめに かぢゃてぃ なしぐぁ うたしみてぃ んまが めぇかた〉。
つまり、白髪になった祖父母は1番座の床の間を背に鎮座していただき、座敷では子が歌三線を成し、孫が祝いの舞を披露する。祖父母の長寿祝いの1首。
上原=伝統の継承そのものだね。三線の保有数は相当のものだよね。5年前にRBCiラジオの「ゆかる日まさる日さんしんの日」事務局が県内市町村及び知り得る限りの都道府県やハワイ、ロスアンゼルス、ブラジル等々の県人会の協力を得て調査したところ、推定22万丁と言う数字が出た。にわかには信じがたい。
直彦=そうでもあるまい。県内に(三線制作・販売)工房が120箇所ほどあって、年間500丁生み出している。壷屋陶器もそうだが、三線も(造る)ではなく(生む・生まれる)と言う。人間並みだ。
上原=さあ、どこまでを(三線)と称するかだ。それなりの素材、価格のそれはよしとして、稽古用と称する安価なもの、観光用の形だけのもの、話のネタ程度のカンカラー三線も数の内に入っているのか・・・・。しかしまあ、人口割にしても県民5~6人に1丁保有しているとも言うからね。したがって、三線人口は実数はつかめないほどだろう。
直彦=宮廷音楽では湛水琉、安富祖流、野村流の組織が7団体ほどあり、その支部が県内はもちろん、関東、関西、九州まど、さらにアメリカ、南米、パリ、ロンドンにもあり、それぞれ会員がいる。島うた関係もまたしかり。世界に広がっている。復帰後は(三線留学)が多くなり、師範免許を取得した大和人、外国人が少なくない。
上原=戦前は、正式に三線を修練するのは首里、那覇の継承者、研究者に限られた。地方の三線は民俗芸能に関わっているものは別として、お上によって、排除された時代もある。
直彦=三線狩りか。一般人が三線を弾く遊興は、生産力を低下させると考えたのだお上は。しかし、三線はそれに屈しなかった。戦後、見事に復活して今日に繫げてきている。キミやボクが小学校、中学校、高校生のころは、三線はむしろ封じ込められていたが、いまは学校現場で奨励している。
上原=民俗音楽、民族楽器として認知されたということだ。三線そのものが(美術工芸品)として指定されているし、奏者も島袋正雄、照喜名朝一、城間徳太郎、西江喜春の各氏が(人間国宝)の認定を受けている。
直彦=日常的には祝儀事はじめ春夏秋冬、人が集まれば三線を弾くし、お墓の落成にも墓前もしくは納骨前の墓の中で“土ん引ち美らさ 石ん据し美らさ 風水松金ぬ 向けぬ清らさ”の歌詞で「かぢゃでぃ風節」を演奏するものね。(墓の中で)というと大和人には理解しかねるかも知れないが、沖縄のそれは石造りの、ちょっとした廟だものね。4,5人は中に入れる。
上原=要するに三線は沖縄人にとって芸能、遊興のみならず(祈りの楽器)と言えるのではないか。その三線が3月4日にはRBCiラジオの時報音を合図に一斉に演奏されるのだから、ちょっとしたロマンだね。
直彦=お互い沖縄人でよかったと実感するね。しかも三線を通して、大和にも海外にも仲間が増えた。
上原=ところで。「早春譜」の歌い出しではないが、まだまだ寒さが居座っている。風など引いていないか。
直彦=なんのなんの!鼻ムジュムジュー(鼻のぐずつき)したら、うるま市にある三線工房の看板の文句を口にすることにしている。いわく「風邪は引かずに三線を弾こう!」。
上原=したり!したり!オチがついたところで本日はこれまで。
※3月上旬の催事。
*あがりティーダウォーキング (西原町)
開催日:3月9日(日)
場所:あがりティーダ公園
*所=自宅書斎(番犬中)。
*出席者=上原直彦。(ひとり対談のため、此方・上原。片方・直彦となる。
上原=ひとり対談だから、さぞかし息が合うだろうね。
直彦=まったくだ。早速だが、キミも知っている後輩のK。今年73歳の生まれ年。加えて初孫が数え13歳の生まれ年。
上原=そうだってね。それを記念して(三線を2丁)購入した。
直彦=うん。1丁は孫へ。1丁は自分用だそうな。いままで三線を手にしたことはまるでなかったが、これを機会に一発発起!稽古を始めるそうだ。
上原=ボクに(どこの研究所がよいか、紹介してほしい)と言ってきた。彼の住居近くの三線教習所を紹介しておいたよ。師匠さんとも親交がある手前(三日坊主になるなよ)と釘をさしておいた。
直彦=彼は言っていたよ。今年の(さんしんの日)には間に合わないが、来年のその日までには“かぢゃでぃ風節”を歌い弾けるようになりたいとね。
上原=孫と競い合って稽古に励む。きっとうまく行くだろうよ。K家の三線の歴史がここに始まる。想像しただけでも、いい風景が見える。沖縄人だね。孫のほうが長く楽しむことになる。家には三線があるかないか。継承は、それによっても左右される。まずは(好きこそものの上手なれ)だ。
直彦=そうだろうね。話は野球に飛ぶが、プロ野球読売巨人の菅野投手。
上原=キミは巨人ファンだからな。菅野投手はいずれエースになる。
直彦=彼の祖父が相模原の高校の監督、父親またしかり。かてて加えて叔父が原辰徳巨人軍監督ときた。菅野少年は小学校のころから(自分は野球の道に進む)ことに、何も疑問もなかったそうだね。その前に好きだった。
上原=家に野球があった。Kの家には三線がある。Kの孫は三線が好きかどうか。それによってK家の三線が代々継承されるかどうかが決まる。
直彦=まあまあ、そこまで煎じつめなくても、夢を持って楽しくやればいい。琉歌にこんなのがあるよ。
“白髪御年寄ゐや 床ぬ前に飾てぃ 産し子歌しみてぃ 孫舞方”
〈しらぎ うとぅすいや とぅくぬめに かぢゃてぃ なしぐぁ うたしみてぃ んまが めぇかた〉。
つまり、白髪になった祖父母は1番座の床の間を背に鎮座していただき、座敷では子が歌三線を成し、孫が祝いの舞を披露する。祖父母の長寿祝いの1首。
上原=伝統の継承そのものだね。三線の保有数は相当のものだよね。5年前にRBCiラジオの「ゆかる日まさる日さんしんの日」事務局が県内市町村及び知り得る限りの都道府県やハワイ、ロスアンゼルス、ブラジル等々の県人会の協力を得て調査したところ、推定22万丁と言う数字が出た。にわかには信じがたい。
直彦=そうでもあるまい。県内に(三線制作・販売)工房が120箇所ほどあって、年間500丁生み出している。壷屋陶器もそうだが、三線も(造る)ではなく(生む・生まれる)と言う。人間並みだ。
上原=さあ、どこまでを(三線)と称するかだ。それなりの素材、価格のそれはよしとして、稽古用と称する安価なもの、観光用の形だけのもの、話のネタ程度のカンカラー三線も数の内に入っているのか・・・・。しかしまあ、人口割にしても県民5~6人に1丁保有しているとも言うからね。したがって、三線人口は実数はつかめないほどだろう。
直彦=宮廷音楽では湛水琉、安富祖流、野村流の組織が7団体ほどあり、その支部が県内はもちろん、関東、関西、九州まど、さらにアメリカ、南米、パリ、ロンドンにもあり、それぞれ会員がいる。島うた関係もまたしかり。世界に広がっている。復帰後は(三線留学)が多くなり、師範免許を取得した大和人、外国人が少なくない。
上原=戦前は、正式に三線を修練するのは首里、那覇の継承者、研究者に限られた。地方の三線は民俗芸能に関わっているものは別として、お上によって、排除された時代もある。
直彦=三線狩りか。一般人が三線を弾く遊興は、生産力を低下させると考えたのだお上は。しかし、三線はそれに屈しなかった。戦後、見事に復活して今日に繫げてきている。キミやボクが小学校、中学校、高校生のころは、三線はむしろ封じ込められていたが、いまは学校現場で奨励している。
上原=民俗音楽、民族楽器として認知されたということだ。三線そのものが(美術工芸品)として指定されているし、奏者も島袋正雄、照喜名朝一、城間徳太郎、西江喜春の各氏が(人間国宝)の認定を受けている。
直彦=日常的には祝儀事はじめ春夏秋冬、人が集まれば三線を弾くし、お墓の落成にも墓前もしくは納骨前の墓の中で“土ん引ち美らさ 石ん据し美らさ 風水松金ぬ 向けぬ清らさ”の歌詞で「かぢゃでぃ風節」を演奏するものね。(墓の中で)というと大和人には理解しかねるかも知れないが、沖縄のそれは石造りの、ちょっとした廟だものね。4,5人は中に入れる。
上原=要するに三線は沖縄人にとって芸能、遊興のみならず(祈りの楽器)と言えるのではないか。その三線が3月4日にはRBCiラジオの時報音を合図に一斉に演奏されるのだから、ちょっとしたロマンだね。
直彦=お互い沖縄人でよかったと実感するね。しかも三線を通して、大和にも海外にも仲間が増えた。
上原=ところで。「早春譜」の歌い出しではないが、まだまだ寒さが居座っている。風など引いていないか。
直彦=なんのなんの!鼻ムジュムジュー(鼻のぐずつき)したら、うるま市にある三線工房の看板の文句を口にすることにしている。いわく「風邪は引かずに三線を弾こう!」。
上原=したり!したり!オチがついたところで本日はこれまで。
※3月上旬の催事。
*あがりティーダウォーキング (西原町)
開催日:3月9日(日)
場所:あがりティーダ公園