「この時季になると、クスッと笑えるコピーがある。あれはうるま市石川・東恩納の三線製作所の壁に書いてあるね。‟風邪引かずに、さんしんを弾こう”」
「巷にはマスクをした人を多く見かけるし、健康意識がピークにある季節がら、ピタッとはまったコピーだ。CMとしての効果はあったのだろうか」
「そのことよ。その三線製作所を訪ねて、儲かっているかと声をかけたら店主、ニタッとしていたそうだから、年明けの商売、繁盛しているのではないかな。こうした経済効果が上乗せされると、仕掛ける我々としても、気合いが入るね」
RBCiラジオ「さんしんの日事務局」の1室。3月4日に向けて諸準備に余念のないスタッフの忙中閑の会話である。
「いまひとつ‟日本の春は、三線の音から生まれる”というのがあったね」
「それは、静岡県清水町在住の染色家城間早苗女史が寄せた手紙にあったね。この一言が‟三線の音が春を連れてやってくる”‟世界中が三線の音色に染まる日”などにまで広がっている」
「7年前から‟さんしんの日”の番組制作のコンセプトを漢字一字で表してきたが、今回は?」と、1枚の原稿を見る。
第24回目の1字は「創」。
これまで和、輪、弾、響、粋、還、燦であった。
「創」には、はじめる、はじめてつくるなどの意味がある。2字熟語を拾うと独創、創意、創造、創業、創作、創立等々(創るエネルギー)に満々ている。25回の節目ならいざ知らず、そのひとつ前の24回目なぞは、ややもすると(例年通りの内容でよし)なぞと安易になりわしないか。その懸念もあって(初心忘れまじ)をスタッフ一同決意して「創」を選択した。
「モノ造り屋にとっては‟常に創る”は当たり前のことだが、その基礎にあるは、参加者、聴取者、協力者あってのこと。身が引き締まる。‟創”の1字は書家の手をわずらわせず上原直彦、島袋千恵美とともに総合司会を務める狩俣倫太郎アナウンサーが墨痕鮮やかに書き、舞台に掲げる」
「狩俣倫太郎は‟さんしんの日”をきっかけに三線の先生につき、琉球舞踊にも通っているそうだが実演を見聞きしたことはあるかい?」
「ない!司会を務める者としては、いい心得ではないのか」
「それは誘発されて島袋千恵美は、琉歌詠みに疑っているらしく、その1首を詠ませてもらった。こうだ」
‟音に惹かさりてぃ三線ゆ取てぃん 思むがままならん我肝あまじ”
「音色に惹かされて三線を取ってみたものの、思い通りにはいかず、あせるばかりであるというのだが、どうだい、詠歌になっているかい」
「どうだろうね。善し悪しは問わず‟さんしんの日”にかける心意気を買おう。上原直彦はどうだ」
「んー・・・・。何をどう考えているかオレには分からないが、パンフレット用に{中継者になろう・さんしんの日}なる1文を寄せている。
自分のこれまでをふり返って見ると、たかだか70年そこいらだが、頼りない(己の歴史)を見ることができる。
大したそれではなく、時代に流されながら、時に坑いながら、時に挫折し、時に快哉を上げながら刻んだ日々の歴史がある。
それぞれの歴史は何のためにあるのか。
歴史は昨日のためにあるのではなく、今日と明日のためにあるのではなかろうか。「ゆかる日まさる日さんしんの日」に的をしぼって言うならば、回数24の中に自分の歴史が見えてくる。もちろん(三線文化)は私有するものではない。また、私有できるものでもない。(私有)そう思い込んだ時点でそれは文化、歴史とは言い難くなる。
沖縄歌謡の中にどっぷりと身を置いてみると詠歌を三線に乗せて歌う(節歌)は、古くは2、300年、流行り唄でも100年はゆうに越し、新しい歌もつぎつぎに生まれていることに気付く。
さあ、その(歌たち)を時の経過にまかせ、流して行ってもいいものかどうか。いかにも惜しいのである。されば、沖縄人のひとりとして、これら(歌たち)の中継者になろうと、心ひそかに、しかし強く決意する。もちろん、小生ふぜいが荷えるものではない。三線文化に心惹かれた一人ひとりが、昨日の節歌を今日と明日に中継して行かなければならないと存念する。「さんしんの日」は、そのための(中継日)のひとつにしたいのである。
古歌にこうある。
‟あたら節歌や散りぢりになとれ 三線ぬ糸に貫ちゃい置かな”
(あたら ふしうたや ちりぢりに なとぉれ さんしんぬ いとぅに ぬちゃい うかな)
歌意=もったいなくもこの島の歌は、時代に流されて散り散りになりつつある。いまのうちに三線に乗せて大いに歌い、記録をして後世に残し置こうではないか。
いつの世も、昨日のモノは消えやすい。だからこそ、今日また歌い、明日に橋渡しする中継者にならなければと思う。
「さんしんの日事務局」の部屋の灯りが消えた。
スタッフ連も明日のために休養をとるのであろう。
外はまだ冷たい風だが、それが一瞬止まったとき、心なしか春の香をかぐことができる。
「巷にはマスクをした人を多く見かけるし、健康意識がピークにある季節がら、ピタッとはまったコピーだ。CMとしての効果はあったのだろうか」
「そのことよ。その三線製作所を訪ねて、儲かっているかと声をかけたら店主、ニタッとしていたそうだから、年明けの商売、繁盛しているのではないかな。こうした経済効果が上乗せされると、仕掛ける我々としても、気合いが入るね」
RBCiラジオ「さんしんの日事務局」の1室。3月4日に向けて諸準備に余念のないスタッフの忙中閑の会話である。
「いまひとつ‟日本の春は、三線の音から生まれる”というのがあったね」
「それは、静岡県清水町在住の染色家城間早苗女史が寄せた手紙にあったね。この一言が‟三線の音が春を連れてやってくる”‟世界中が三線の音色に染まる日”などにまで広がっている」
「7年前から‟さんしんの日”の番組制作のコンセプトを漢字一字で表してきたが、今回は?」と、1枚の原稿を見る。
第24回目の1字は「創」。
これまで和、輪、弾、響、粋、還、燦であった。
「創」には、はじめる、はじめてつくるなどの意味がある。2字熟語を拾うと独創、創意、創造、創業、創作、創立等々(創るエネルギー)に満々ている。25回の節目ならいざ知らず、そのひとつ前の24回目なぞは、ややもすると(例年通りの内容でよし)なぞと安易になりわしないか。その懸念もあって(初心忘れまじ)をスタッフ一同決意して「創」を選択した。
「モノ造り屋にとっては‟常に創る”は当たり前のことだが、その基礎にあるは、参加者、聴取者、協力者あってのこと。身が引き締まる。‟創”の1字は書家の手をわずらわせず上原直彦、島袋千恵美とともに総合司会を務める狩俣倫太郎アナウンサーが墨痕鮮やかに書き、舞台に掲げる」
「狩俣倫太郎は‟さんしんの日”をきっかけに三線の先生につき、琉球舞踊にも通っているそうだが実演を見聞きしたことはあるかい?」
「ない!司会を務める者としては、いい心得ではないのか」
「それは誘発されて島袋千恵美は、琉歌詠みに疑っているらしく、その1首を詠ませてもらった。こうだ」
‟音に惹かさりてぃ三線ゆ取てぃん 思むがままならん我肝あまじ”
「音色に惹かされて三線を取ってみたものの、思い通りにはいかず、あせるばかりであるというのだが、どうだい、詠歌になっているかい」
「どうだろうね。善し悪しは問わず‟さんしんの日”にかける心意気を買おう。上原直彦はどうだ」
「んー・・・・。何をどう考えているかオレには分からないが、パンフレット用に{中継者になろう・さんしんの日}なる1文を寄せている。
自分のこれまでをふり返って見ると、たかだか70年そこいらだが、頼りない(己の歴史)を見ることができる。
大したそれではなく、時代に流されながら、時に坑いながら、時に挫折し、時に快哉を上げながら刻んだ日々の歴史がある。
それぞれの歴史は何のためにあるのか。
歴史は昨日のためにあるのではなく、今日と明日のためにあるのではなかろうか。「ゆかる日まさる日さんしんの日」に的をしぼって言うならば、回数24の中に自分の歴史が見えてくる。もちろん(三線文化)は私有するものではない。また、私有できるものでもない。(私有)そう思い込んだ時点でそれは文化、歴史とは言い難くなる。
沖縄歌謡の中にどっぷりと身を置いてみると詠歌を三線に乗せて歌う(節歌)は、古くは2、300年、流行り唄でも100年はゆうに越し、新しい歌もつぎつぎに生まれていることに気付く。
さあ、その(歌たち)を時の経過にまかせ、流して行ってもいいものかどうか。いかにも惜しいのである。されば、沖縄人のひとりとして、これら(歌たち)の中継者になろうと、心ひそかに、しかし強く決意する。もちろん、小生ふぜいが荷えるものではない。三線文化に心惹かれた一人ひとりが、昨日の節歌を今日と明日に中継して行かなければならないと存念する。「さんしんの日」は、そのための(中継日)のひとつにしたいのである。
古歌にこうある。
‟あたら節歌や散りぢりになとれ 三線ぬ糸に貫ちゃい置かな”
(あたら ふしうたや ちりぢりに なとぉれ さんしんぬ いとぅに ぬちゃい うかな)
歌意=もったいなくもこの島の歌は、時代に流されて散り散りになりつつある。いまのうちに三線に乗せて大いに歌い、記録をして後世に残し置こうではないか。
いつの世も、昨日のモノは消えやすい。だからこそ、今日また歌い、明日に橋渡しする中継者にならなければと思う。
「さんしんの日事務局」の部屋の灯りが消えた。
スタッフ連も明日のために休養をとるのであろう。
外はまだ冷たい風だが、それが一瞬止まったとき、心なしか春の香をかぐことができる。