「いやはや。われながら突っ張っているなぁと思うのだが、孫に(爺)と鈴の声を掛けられるのは至福この上もないが、見ず知らずの、殊に若い女性であればあるほど(爺)呼ばわりされると一瞬、カッと頭に血が上がり、鬼の形相になってしまうのが自分でも分かる。お前の(爺)ではないわいっとムカつきが先になるのだよなぁ。せめて、見え透いたアンダグチ(御愛想・御世辞)でいいから(小父さん)ぐらいにしてほしい。齢をとると見栄っ張り、いや、ひがみっぽくなるのかなあ」。
しかしこの老人、若い女性に対して、ろくな受け答えをしなかったことを悔やんで狂歌をものにしている。
◇オジさん呼びまでぃや安んじんないん オジーさん呼びやワタどぅむげる
《小父さん呼びされる分までは、まず安んずることができ、納得づくで返事もしようが、オジーさん呼ばわりされると、湯が沸騰点に達したように腹が煮えくりかえる》
このオジーさん、いや、オジさん。実年齢は法的にも立派な後期高齢者。若い女性の爺呼ばわりに抵抗の反応をするとは、多少は男の力が残っているのか。そうであれば、めでたいことである。
ここは街の一角にある居酒屋。82歳を筆頭に下は65歳までの7人。
月に2度、集まっては自作の琉歌を披露する・・・ことを名目とする態のいい飲み会である。会名を「三八六会」。唯一の会則は「歓談中は血圧、腰痛、歩行困難、病院ばなし厳禁としている。
かつて粋人が詠んだ『老いぬれば頭は禿げて眼はくぼみ 腰は曲がりて足はよろよろ』なぞという実感は口が裂けても言ってはならないのである。面々は(元がつくが)公務員、教員、会社員、自営業、農業に生きてきている。いずれもコテコテの沖縄人、というよりも愛郷精神に富んでいて、それぞれが蘊蓄を持っている。もちろん、以前から多少のフィレー(付き合い)があった面々だが「三八六会」発足のきっかけになったのは座頭格のひと言。
「ワシは来年80になる。各年代の苦楽をなめてきたが、80代のそれを経験していない。この際、後10年生きて、80代とはいかなるものか、経験したいのだよ」。
老境を楽しむ、哲学的?このひと言に共鳴したイェ-ジュー(仲間)と聞く。
琉歌を詠み楽しむ。
この慣わしは古くからある。何かにつけ、三八六をひねり出し、自己満足をしたり、恋歌ならば相手におくって、胸の丈を告白したりしていたそうな。筆者が今帰仁村天底で出逢った老女は、結婚申し込みされた折り、琉歌で返事をした。
◇里や幾花ん咲ちみしぇらやしが 我んねくり一花咲ちゅるびけい
《さとぅや いくはなん さちみしぇら やしが わんね くりちゅはな さちゅるびけい》
歌意=あなたは男。幾度も恋花を咲かせることでしょうが、わたしは女。一生一度の花を咲かせるのよ。浮気はしないと誓ってくれるならば結婚してもいいワ。
そして結婚した。「御主人は他所に恋花は咲かせませんでしたか」の問いに、傍らにいた老夫は「うん」でもなし「すん」でもなし、眼は細くし、口元に微笑みをつくるだけだった。
また、自分が古希の声を聞けたのは(妻女のおかげ)と感謝の1首をしたためた色紙と淡く妻女好みの口紅で返礼した御仁を知っている。色紙にいわく。
◇苦りさちりなさや 走川にやらち 安々とぅ齢ん取やい行かや
《くりさ ちりなさや はいかわに やらち やしやしとぅ とぅしん とぅやいいかや》
歌意=これまでの夫婦の道程は、苦しくつれないことが多かった。しかし、いまでは子も孫もいる。心穏やかに齢も重ねて行こうね。
かと思うと、
◇好かん刀自起くち ムヌ食まなゆいか にじてぃ寝んじゅしどぅ腹ぬ薬
と詠んだ夫もいる。
帰宅恐怖症とまではいかないが、古女房と面突き合わすのがイヤで毎晩遅い帰宅が習慣づいている夫。例によって夜中の帰宅をすると、妻もまた例の如く狸寝入り?を決め込んで「お帰り」の声さえない。夫は小腹がすいているにも関わらず、さっさと別室で寝ることにした。そして、天井を睨みながら1首を詠んだのだ。
『愛情が冷めてふて寝をしている女房を起こして小腹を満たすよりは、空腹で寝た方が腹の薬になろう』。
さてさて。「三八六会」はどうなった。
持ち寄った琉歌の合評を肴に泡盛、ビール、ジンジャエール、ノンアルコールとそれぞれを飲み、適当なモノに箸を通わせて、選挙ばなし、世間ばなし、果ては青春色艶ばなしの(宴)を盛り上げている。
しかしこの老人、若い女性に対して、ろくな受け答えをしなかったことを悔やんで狂歌をものにしている。
◇オジさん呼びまでぃや安んじんないん オジーさん呼びやワタどぅむげる
《小父さん呼びされる分までは、まず安んずることができ、納得づくで返事もしようが、オジーさん呼ばわりされると、湯が沸騰点に達したように腹が煮えくりかえる》
このオジーさん、いや、オジさん。実年齢は法的にも立派な後期高齢者。若い女性の爺呼ばわりに抵抗の反応をするとは、多少は男の力が残っているのか。そうであれば、めでたいことである。
ここは街の一角にある居酒屋。82歳を筆頭に下は65歳までの7人。
月に2度、集まっては自作の琉歌を披露する・・・ことを名目とする態のいい飲み会である。会名を「三八六会」。唯一の会則は「歓談中は血圧、腰痛、歩行困難、病院ばなし厳禁としている。
かつて粋人が詠んだ『老いぬれば頭は禿げて眼はくぼみ 腰は曲がりて足はよろよろ』なぞという実感は口が裂けても言ってはならないのである。面々は(元がつくが)公務員、教員、会社員、自営業、農業に生きてきている。いずれもコテコテの沖縄人、というよりも愛郷精神に富んでいて、それぞれが蘊蓄を持っている。もちろん、以前から多少のフィレー(付き合い)があった面々だが「三八六会」発足のきっかけになったのは座頭格のひと言。
「ワシは来年80になる。各年代の苦楽をなめてきたが、80代のそれを経験していない。この際、後10年生きて、80代とはいかなるものか、経験したいのだよ」。
老境を楽しむ、哲学的?このひと言に共鳴したイェ-ジュー(仲間)と聞く。
琉歌を詠み楽しむ。
この慣わしは古くからある。何かにつけ、三八六をひねり出し、自己満足をしたり、恋歌ならば相手におくって、胸の丈を告白したりしていたそうな。筆者が今帰仁村天底で出逢った老女は、結婚申し込みされた折り、琉歌で返事をした。
◇里や幾花ん咲ちみしぇらやしが 我んねくり一花咲ちゅるびけい
《さとぅや いくはなん さちみしぇら やしが わんね くりちゅはな さちゅるびけい》
歌意=あなたは男。幾度も恋花を咲かせることでしょうが、わたしは女。一生一度の花を咲かせるのよ。浮気はしないと誓ってくれるならば結婚してもいいワ。
そして結婚した。「御主人は他所に恋花は咲かせませんでしたか」の問いに、傍らにいた老夫は「うん」でもなし「すん」でもなし、眼は細くし、口元に微笑みをつくるだけだった。
また、自分が古希の声を聞けたのは(妻女のおかげ)と感謝の1首をしたためた色紙と淡く妻女好みの口紅で返礼した御仁を知っている。色紙にいわく。
◇苦りさちりなさや 走川にやらち 安々とぅ齢ん取やい行かや
《くりさ ちりなさや はいかわに やらち やしやしとぅ とぅしん とぅやいいかや》
歌意=これまでの夫婦の道程は、苦しくつれないことが多かった。しかし、いまでは子も孫もいる。心穏やかに齢も重ねて行こうね。
かと思うと、
◇好かん刀自起くち ムヌ食まなゆいか にじてぃ寝んじゅしどぅ腹ぬ薬
と詠んだ夫もいる。
帰宅恐怖症とまではいかないが、古女房と面突き合わすのがイヤで毎晩遅い帰宅が習慣づいている夫。例によって夜中の帰宅をすると、妻もまた例の如く狸寝入り?を決め込んで「お帰り」の声さえない。夫は小腹がすいているにも関わらず、さっさと別室で寝ることにした。そして、天井を睨みながら1首を詠んだのだ。
『愛情が冷めてふて寝をしている女房を起こして小腹を満たすよりは、空腹で寝た方が腹の薬になろう』。
さてさて。「三八六会」はどうなった。
持ち寄った琉歌の合評を肴に泡盛、ビール、ジンジャエール、ノンアルコールとそれぞれを飲み、適当なモノに箸を通わせて、選挙ばなし、世間ばなし、果ては青春色艶ばなしの(宴)を盛り上げている。