旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

老人たちの宴

2018-09-20 00:10:00 | ノンジャンル
 「いやはや。われながら突っ張っているなぁと思うのだが、孫に(爺)と鈴の声を掛けられるのは至福この上もないが、見ず知らずの、殊に若い女性であればあるほど(爺)呼ばわりされると一瞬、カッと頭に血が上がり、鬼の形相になってしまうのが自分でも分かる。お前の(爺)ではないわいっとムカつきが先になるのだよなぁ。せめて、見え透いたアンダグチ(御愛想・御世辞)でいいから(小父さん)ぐらいにしてほしい。齢をとると見栄っ張り、いや、ひがみっぽくなるのかなあ」。
 しかしこの老人、若い女性に対して、ろくな受け答えをしなかったことを悔やんで狂歌をものにしている。
 ◇オジさん呼びまでぃや安んじんないん オジーさん呼びやワタどぅむげる
 《小父さん呼びされる分までは、まず安んずることができ、納得づくで返事もしようが、オジーさん呼ばわりされると、湯が沸騰点に達したように腹が煮えくりかえる》
 このオジーさん、いや、オジさん。実年齢は法的にも立派な後期高齢者。若い女性の爺呼ばわりに抵抗の反応をするとは、多少は男の力が残っているのか。そうであれば、めでたいことである。

 ここは街の一角にある居酒屋。82歳を筆頭に下は65歳までの7人。
 月に2度、集まっては自作の琉歌を披露する・・・ことを名目とする態のいい飲み会である。会名を「三八六会」。唯一の会則は「歓談中は血圧、腰痛、歩行困難、病院ばなし厳禁としている。
 かつて粋人が詠んだ『老いぬれば頭は禿げて眼はくぼみ 腰は曲がりて足はよろよろ』なぞという実感は口が裂けても言ってはならないのである。面々は(元がつくが)公務員、教員、会社員、自営業、農業に生きてきている。いずれもコテコテの沖縄人、というよりも愛郷精神に富んでいて、それぞれが蘊蓄を持っている。もちろん、以前から多少のフィレー(付き合い)があった面々だが「三八六会」発足のきっかけになったのは座頭格のひと言。
 「ワシは来年80になる。各年代の苦楽をなめてきたが、80代のそれを経験していない。この際、後10年生きて、80代とはいかなるものか、経験したいのだよ」。
 老境を楽しむ、哲学的?このひと言に共鳴したイェ-ジュー(仲間)と聞く。
 琉歌を詠み楽しむ。
 この慣わしは古くからある。何かにつけ、三八六をひねり出し、自己満足をしたり、恋歌ならば相手におくって、胸の丈を告白したりしていたそうな。筆者が今帰仁村天底で出逢った老女は、結婚申し込みされた折り、琉歌で返事をした。

 ◇里や幾花ん咲ちみしぇらやしが 我んねくり一花咲ちゅるびけい
 《さとぅや いくはなん さちみしぇら やしが わんね くりちゅはな さちゅるびけい

 歌意=あなたは男。幾度も恋花を咲かせることでしょうが、わたしは女。一生一度の花を咲かせるのよ。浮気はしないと誓ってくれるならば結婚してもいいワ。
 そして結婚した。「御主人は他所に恋花は咲かせませんでしたか」の問いに、傍らにいた老夫は「うん」でもなし「すん」でもなし、眼は細くし、口元に微笑みをつくるだけだった。
 また、自分が古希の声を聞けたのは(妻女のおかげ)と感謝の1首をしたためた色紙と淡く妻女好みの口紅で返礼した御仁を知っている。色紙にいわく。
 
 ◇苦りさちりなさや 走川にやらち 安々とぅ齢ん取やい行かや
 《くりさ ちりなさや はいかわに やらち やしやしとぅ とぅしん とぅやいいかや

 歌意=これまでの夫婦の道程は、苦しくつれないことが多かった。しかし、いまでは子も孫もいる。心穏やかに齢も重ねて行こうね。

 かと思うと、
 ◇好かん刀自起くち ムヌ食まなゆいか にじてぃ寝んじゅしどぅ腹ぬ薬
 と詠んだ夫もいる。

 帰宅恐怖症とまではいかないが、古女房と面突き合わすのがイヤで毎晩遅い帰宅が習慣づいている夫。例によって夜中の帰宅をすると、妻もまた例の如く狸寝入り?を決め込んで「お帰り」の声さえない。夫は小腹がすいているにも関わらず、さっさと別室で寝ることにした。そして、天井を睨みながら1首を詠んだのだ。
 『愛情が冷めてふて寝をしている女房を起こして小腹を満たすよりは、空腹で寝た方が腹の薬になろう』。

 さてさて。「三八六会」はどうなった。
 持ち寄った琉歌の合評を肴に泡盛、ビール、ジンジャエール、ノンアルコールとそれぞれを飲み、適当なモノに箸を通わせて、選挙ばなし、世間ばなし、果ては青春色艶ばなしの(宴)を盛り上げている。


引き出しの中の青春

2018-09-10 00:10:00 | ノンジャンル
 ♪探しものは何ですか?見つけにくいモノですか?カバンの中も つくえの中も 探したけれども見つからないのに まだまだ探す気ですか~

 そう。探さなければならないのである。なにを?今年のサマージャンボ宝くじ券である。
 この5、6年続けて買って(ハズレ)を味わってきたにもかかわらず、今年は何故か(当たりそう)な強い神の啓示があって大枚9000円・30枚を買った。例年は家人にもそのことを話し、仏壇に供えていたが、宝くじを購入したことを、たとえ家人でも(他人に告げては当たる確率が下がる)と聞いて、今回は家人にも知らせず、隠し持つことにした。
 ところが、ところがである。当選番号抽選会のニュースを聞いて先夜、しかも家人も寝静まった深夜、密かにボクの人生を一変させかねない(黄金の券)を取り出すことにしたが・・・。んっ?何処に隠したのか、まるで失念してしまっている。隠し持ったのだから自分の部屋内に違いない!必死に探すが見つからない。机の6個ある引き出し、諸々の資料を重ね置きしてある箇所、いつも使う辞典をはじめ、目ぼしい数冊の本のページまでめくってみたのだが、見つからない。
 すわっ!一大事!「確か1等7億円!」だったはずだ。
 井上陽水がいうように(カバンの中も机の中も)探したけれども見つからない。見つからないと、それがますます(黄金の宝くじ券)に思えてならない。家人にも打ち明けて助勢を頼もうかと声を掛けるところだったが、すんでのところで飲み込んだ。
 (それで見つかったら、7億円全額没収される!)その恐怖が頭をよぎったからである。いま少し自力で秘密捜索をすることにしている。

 机の上、引き出しをひっくり返してみて発見した。ことに日頃は滅多に覗かない下段の引き出しの中には(過去)が眠っていることを・・・・。
 歌謡曲数曲の歌詞である。これも何のために引き出しにしまい込んだのか失念しているが、すでにセピア色になった用紙に印刷されたそれには、ボクだけの青春の日々がいきいきと流れている。そうだ~こんな歌があった。

 「高原の宿」歌=林伊佐緒。
 ♪都思えば 日暮れの星も 胸にしみるよ 眼にしみる ああ 高原の旅に来て ひとりしみじみ 君呼ぶ心よ~

 高校生のころ、何かの本で「高原」という言葉にであった。けれども、山や川は容易に知り得ても「高原」は何を指しているのか想像の域を出なかった。これまで近くで見てきた「野原」を大きくした地形・・・・かな?とは想像してみたものの、その想像はそれ以上膨らまない。沖縄には「高原」と呼べる地形がないからしかたないと、溜息とともに想像すら打ち消してしまったことだったが、世の中には辞書という頼り甲斐のあるモノがある。さっそく書店に寄り、買うふりをして辞書を引いた。
 「高原」=高度が高く、表面が比較的平坦な地形。まわりよりも高い卓状のもの。まわりよりも山脈(やまなみ)で囲まれたもの。山麓にあるものなどとある。が、納得するどころか上原青年は、辞書のおかげで「高原」の正体が、いよいよ霧の中のものになって行った。辞書とは、ものごとをあいまいにしてしまう傾向があることだけは確認できた。
 長じて昭和30年ごろか、新東宝映画・水島道太郎、香川京子主演「高原の駅よさようなら」を観た。しばらくして林伊佐緒が唄う「高原の宿」を聴くに至って、またぞろ「高原」の実態を体験したくなったが、いまもって果たせずにいる。

 「渡り鳥いつ帰る」歌=コロンビア・ローズ。
 ♪別れちゃ嫌だと泣いたとて 花でも摘んで棄てるよに 素知らぬふりして 別れゆく あなたは男 つれない男 いいえ わたしは離さない~

 田中絹代、杉村春子、桂木洋子、新人淡路恵子らが出演した昭和30年の東宝映画「渡り鳥いつ帰る」の主題歌だ。戦後10年経ってもまだ現存した「鳩の街」と称する「赤線の女たち」を描いた、確か永井荷風の風俗小説の白黒映画化だった。ボクはまだ20歳前。ハーニーと呼ばれる米兵相手の女たちを沖縄で見ているだけに、泣きそうになりながらスクリーンに見入ったものだ。けれども、歌は唄わなかった。彼女たちの絶望的で、それでいて生きていかなければならない現実を知るにつけ、歌の途中で絶句してしまうからだ。いまでも、スナックなどのカラオケに「渡り鳥いつ帰る」を見出す。青春の日々なぞと、マイクはとってみるものの歌詞を追うごとに眼に熱いモノを禁じ得ないのは、単にいい歳になって涙腺が緩んでしまったせいだけだろうか。
 実際のはなし・・・いや、待て!待て!そんなことより、宝くじの(当たり)券はどこにしまい込んだのか?もしや、家人が??まさか?いま、いま一度、家探しをしてみよう。


お盆の後は

2018-09-01 00:10:00 | ノンジャンル
 「エイサーの歌三線、鳴り物、それを盛り上げる若者たちの囃し声が遠退く頃、朝夕に涼風が生れる」。
 そう伝えられてきたが、そう簡単には(オレの夏の幕は引くまいぞ!)とばかり残暑(残ゐ暑さ・ぬくゐ あちさ)が居座っている。各青年団のエイサーも名残惜しいのか、これから行われる県観光協会などの主催する「ふるさとエイサー祭り」や「沖縄全糖エイサーまつり」、各種イベント参加に向けて、ひと息入れる間もなく、稽古にいい汗をかいている。祭りの好きな七月太陽(シチグァチ ティーダ)も、エイサーに未練が残るのだろう、いや、むしろ、エイサーからエネルギーを得て、衰えを知らないでいる。
 各地では、旧盆の先祖供養を無事に済ませた人びとが、今度は自分たちの慰労のための催しをする。八重山には『イタツキ バラ』がある。

 『イタツキ バラ』
 旧盆明けの17日。先祖霊はあの世にお送りしても、送ってくれる縁者のいない無縁仏はこの世に残ってさまよっていると考え、辺りをあらためて掃き清め獅子舞や棒術などを演じ、同時に人は慰労の宴を催すのである。
 『イタツキ』とは、古語の(いたつき=労わる。骨を休める)の意。『バラ』は疲労、邪気を祓うことを意味している。
 九州にも同様の習慣があるようだ。
 鹿児島には、結婚式や諸々の祭りの後祝いとしての『イタシキ バレ』があり、手伝い衆を招いて酒宴を催す。種子島、五島列島では『イタシキ バライ」と称する。また奄美大島喜界島でも、大きな祝事の翌日、殊に料理方を中心に催す『イタジキ バレ」という慰労宴がある。それは大分県の一部にもあるそうな。もっとも、九州のそれらは現存しているかどうか、私自身は確かめてはないが・・・・。沖縄本島南部に残る『野払い』と共通するものがある。

 『ヌーバレー・野払れー』
 沖縄本島南部に残る旧盆後、来年の豊作を祈願するとともに、無縁仏をもてなし、あの世に送り出す行事。南城市知念、知名、安座間、佐敷、大里、玉城。八重瀬町具志頭などにみられる。
 旧盆・御送いの翌日16日。午後から村びとは、それぞれの集会所(公民館)に集まり、まずは村の守護神に来年の豊作を祈願。そして、あらかじめ配役しておいた弥勒さま役、獅子舞、棒術、歌三線、組踊などの支度をし、特設舞台への出番を待つ。村びとは弥勒さまと(豊年)(安政)などと墨痕あざやかに染め抜かれた旗頭を先頭に村内を練り歩き、集会所に参集。夜遅くまでの慰労演芸に移る。
 集会所をアシビナー(遊び庭)と称し、到着した道ジュネ―(行列)連は、今度は長者が先頭に加わり遊び庭を逆時計まわりしてから、芸能披露という本格的祭りに入る手順になっているのも面白い。それらの形式は各集落ごと多少の異なりがあるのは言うを待たない。
 行事にはめりはりが肝要。ヌーバレーの場合、舞台披露が終演すると出場者も観客も間を置かず帰宅を急ぐ。居残りは厳禁。それもちゃんと理由がある。浮かれ気分で遊び庭に残ると盆明けのこと、そこいらを徘徊する無縁仏の霊に、あの世へ連れ去られるという。それも長老たちが考え出した生活の知恵ではあるまいか。
 「クァッチーさらー、油断すな」。
 馳走や娯楽を堪能したら、油断しがちであるからして、祭りは祭りとして(めりはり)をつけ、明日からの労働に差し支えないようにとする戒めだろう。

 旧暦七月は古式にもとずく催事が多い。それも対象は神仏。
 本島北部今帰仁村、大宜味村、国頭村では「ウンジャミ」が盆明けの亥の日に執り行われる。

 『ウンジャミ=海神祭』
 ニーガン(根神)と呼ばれる地域の祭祀を司るカミンチュ(神人・神女)が中心になって、海の彼方にあると信じられているニライ・カナイから神々を招き、神々に奉納するカミアシビ(神遊び)という儀式。豊作、豊漁、集落の安寧を願う。ウンジャミは女性が取り仕切る神事で、別に「ウィナグぬWUがみ・女の拝み」の呼名がある。
 人びとの願いをすべて叶えてくれるニライ・カナイの神々を迎えたら、送り届けはしなくてはならない。カミアシビの奉納、祈願が済むとカミンチュ達と村の女性たちは集落の海辺に出て、ニライ・カナイ神をかの国へ送る。その時は男衆も参加して御願バーリーを漕ぐ。女たちは総出で海に腰までつかり、チジン(小鼓)、パーランクー(片面の小鼓)や手を打ち鳴らし、カチャーシー風の即興手振り舞いをして囃し立てるさまは、それは見モノである。
 七月は人びとが神と一体になる月と言えるかも知れない。そして八月十五夜遊びを待つのである。

 ♪待ち兼にてぃ居たる 七月ん済まち なまた八月ぬ十五夜待たな

 歌意=待ち兼ねていた旧盆も無事済ませた。さあ、次は八月の十五夜を楽しみに働こう。