★連載 NO.273
「人事を尽くして天命を待つ=できるだけのことをして、その上はあせることなく、運命にまかせる」
通常は「したりッ」と、納得できる論語も、大学・高校受験を目前にした当人たちにとっては、かえってプレッシャーになる一言なのかも知れない。むしろ、困難に直面したときに、頼りにならないものにまで救いを求めようとする(藁にも縋る)心境ではなかろうか。
山形県の神社では、野球の投手や重量挙げの選手が、手のひらや指につける白い粉・ロジン<野球用語ロージンバッグ>を入れた受験生のためのお守りを用意した。「すべり止め」の御利益があるという。
ロジン=<rosin>「松脂<まつやに>を蒸留して得られるロジン酸を主成分とする樹脂」と、百科事典にある。印刷インキ・塗料・接着剤・蝿取り紙・チューインガムベースなどに用いられるが、バイオリンなど弦楽器の弓への塗布もロジンだそうな。
何かを握る場合、ペッ!ペッと、チンペー<唾・つば>をして(すべり止め)にするのは、いまでもやっているが、受験生にとってはロジンもチンペーもツバも、効果があるならば、頼りにしたいところだろう。
「ゲン=験=を担ぐ」「忌み慎む」
これらは「迷信」と片づけられがちだが、あながちそうでもない。その奥には儒教的教訓がかくれている。
※ 夜、人が通る道を背にして立っている者に、声をかけてはならない。それは常人にあらず、あの世のモノ。道連れにされる。
これは(人間、世間に背を向けることなく、常に表を見、胸を張って堂々と生きよ)との教えであり、加えて、子弟の夜遊びを牽制した俗語のように思える。
しかし、最近は(あの世)が軽んじられているのか、ユーリー<幽霊>・マジムン<化けモノ>の立場が、まったくもって無視されてしまった。通りを背にしていようが表向きだろうが、若者たちは気軽に声を掛け合って、すぐに仲良く語らっているようだ。だが、それらは突然、フェーレー<追い剥ぎ>にも、狼にも変身しないでもない。あの世のモノより、この世のモノの方が信じられない現代である。悲しいことだ。
※ お茶は、チュチャワン<一茶碗>だけ飲んではならない。タチャワン<二茶碗>以上飲め。お代わりをせず、チュチャワン飲みをするのは、仏壇に上がった人。
仏壇を有する家庭では、月の1日<チータチ>・15日<ジュウグニチ>、仏壇にウチャトウ<御茶湯・お茶を供えること>をする。丁寧な家庭ならば、いまでも朝のおつとめとして、毎日やっている。しかし、仏壇の方はお代わりをしない。したがって沖縄人は、この世に生きている証として、二茶碗・三茶碗<ミチャワン>を飲むのである。おどおどしい風習とおっしゃいますな。
「茶とぅ煙草しぇ 蔵ぁ建たん=チャーとぅ タバクしぇ クラぁ たたん」
お茶代、煙草代を倹約、もしくはケチったとしても、それでは金蔵は建たないという俗語がある。どんなに貧しくても多忙でも二茶碗、三茶碗を楽しみ、一服する心の余裕を持てという生活哲学だ。暮らしに追われていても、ほんの一時の癒しの重要性を茶・煙草を例にして説いている。「急いては事を仕損じる」「果報は寝て待て」が、見え隠れしないでもないが、おおらかでいい。
訪問先で出されたお茶を一茶碗飲みして、あたふたと座を立つのは、考えてみれば、失礼に当たるほど、落ち着きのない行為ではなかろうか。
去る日、古典音楽研究家・故宮城嗣周翁宅を訪問し、玄関先で用件を済まそうとした私を戒めて、嗣周翁は言った。
「座敷に上がりもせず、お茶も飲まない者には金は貸さないよッ」
受験生のゲン担ぎから、話は随分横道にそれたが・・・・。
この時期、大学受験や校長先生宅の表札がなくなるそうな。これも、尊敬する先生にあやかって「合格したい」という受験生のゲン担ぎ。これが窃盗騒ぎになった例は、聞かない。教授も校長も、むしろ誇りにしているのだろう。わが家の表札がなくなったためしはない。御利益なぞ、決してないことを承知しているからだ。
受験生諸君。ロジンのお守りにも、表札にも、管公にも力を貸してもらうがいい。私も念じよう。祈合格。
次号は2007年2月1日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
「人事を尽くして天命を待つ=できるだけのことをして、その上はあせることなく、運命にまかせる」
通常は「したりッ」と、納得できる論語も、大学・高校受験を目前にした当人たちにとっては、かえってプレッシャーになる一言なのかも知れない。むしろ、困難に直面したときに、頼りにならないものにまで救いを求めようとする(藁にも縋る)心境ではなかろうか。
山形県の神社では、野球の投手や重量挙げの選手が、手のひらや指につける白い粉・ロジン<野球用語ロージンバッグ>を入れた受験生のためのお守りを用意した。「すべり止め」の御利益があるという。
ロジン=<rosin>「松脂<まつやに>を蒸留して得られるロジン酸を主成分とする樹脂」と、百科事典にある。印刷インキ・塗料・接着剤・蝿取り紙・チューインガムベースなどに用いられるが、バイオリンなど弦楽器の弓への塗布もロジンだそうな。
何かを握る場合、ペッ!ペッと、チンペー<唾・つば>をして(すべり止め)にするのは、いまでもやっているが、受験生にとってはロジンもチンペーもツバも、効果があるならば、頼りにしたいところだろう。
「ゲン=験=を担ぐ」「忌み慎む」
これらは「迷信」と片づけられがちだが、あながちそうでもない。その奥には儒教的教訓がかくれている。
※ 夜、人が通る道を背にして立っている者に、声をかけてはならない。それは常人にあらず、あの世のモノ。道連れにされる。
これは(人間、世間に背を向けることなく、常に表を見、胸を張って堂々と生きよ)との教えであり、加えて、子弟の夜遊びを牽制した俗語のように思える。
しかし、最近は(あの世)が軽んじられているのか、ユーリー<幽霊>・マジムン<化けモノ>の立場が、まったくもって無視されてしまった。通りを背にしていようが表向きだろうが、若者たちは気軽に声を掛け合って、すぐに仲良く語らっているようだ。だが、それらは突然、フェーレー<追い剥ぎ>にも、狼にも変身しないでもない。あの世のモノより、この世のモノの方が信じられない現代である。悲しいことだ。
※ お茶は、チュチャワン<一茶碗>だけ飲んではならない。タチャワン<二茶碗>以上飲め。お代わりをせず、チュチャワン飲みをするのは、仏壇に上がった人。
仏壇を有する家庭では、月の1日<チータチ>・15日<ジュウグニチ>、仏壇にウチャトウ<御茶湯・お茶を供えること>をする。丁寧な家庭ならば、いまでも朝のおつとめとして、毎日やっている。しかし、仏壇の方はお代わりをしない。したがって沖縄人は、この世に生きている証として、二茶碗・三茶碗<ミチャワン>を飲むのである。おどおどしい風習とおっしゃいますな。
「茶とぅ煙草しぇ 蔵ぁ建たん=チャーとぅ タバクしぇ クラぁ たたん」
お茶代、煙草代を倹約、もしくはケチったとしても、それでは金蔵は建たないという俗語がある。どんなに貧しくても多忙でも二茶碗、三茶碗を楽しみ、一服する心の余裕を持てという生活哲学だ。暮らしに追われていても、ほんの一時の癒しの重要性を茶・煙草を例にして説いている。「急いては事を仕損じる」「果報は寝て待て」が、見え隠れしないでもないが、おおらかでいい。
訪問先で出されたお茶を一茶碗飲みして、あたふたと座を立つのは、考えてみれば、失礼に当たるほど、落ち着きのない行為ではなかろうか。
去る日、古典音楽研究家・故宮城嗣周翁宅を訪問し、玄関先で用件を済まそうとした私を戒めて、嗣周翁は言った。
「座敷に上がりもせず、お茶も飲まない者には金は貸さないよッ」
受験生のゲン担ぎから、話は随分横道にそれたが・・・・。
この時期、大学受験や校長先生宅の表札がなくなるそうな。これも、尊敬する先生にあやかって「合格したい」という受験生のゲン担ぎ。これが窃盗騒ぎになった例は、聞かない。教授も校長も、むしろ誇りにしているのだろう。わが家の表札がなくなったためしはない。御利益なぞ、決してないことを承知しているからだ。
受験生諸君。ロジンのお守りにも、表札にも、管公にも力を貸してもらうがいい。私も念じよう。祈合格。
次号は2007年2月1日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com