梅雨のせいで、寄せていた眉間のシワが自然にゆるみ、久しぶりに(ホッコリ気分)を味わった。
「47年ぶり!赤ちゃん誕生!区民揃って花火打ち上げ」のニュースに接したおかげだ。所は沖縄県北部・大宜味村白浜という小集落。
昨年9月。比嘉貢野さん(30歳)、茜さん(40歳)夫妻は長女通野ちゃん(5歳)、長男蝶朱クン(ちょうあ=3歳)とともに白浜に移住してきた。そして同10月、次女時野(もちの)ちゃんの誕生をみたのである。おかげで白浜区の人口は10世帯14人に増えた。
全区民(我がこと)のように喜んだのは言を待たない。そのメッセージを拾いながら(ことの経緯)を追ってみよう。
まず親川富成区長談=涙が出るほど嬉しい。白浜外部の関係者にも感謝している。「自分の孫が誕生した」と手放し。
白浜の歴史に詳しい宮城広美さん(73歳)によると終戦直後は18世帯130人ほどいた同区。その後、ほとんどの世帯が他市町村に流出したという。
白浜出身ながら縁あって区外に嫁いだ前田峰子さん(68歳)は、子どもがたくさん写った60年前の区民集合写真を見つめ「村の暮らしには子ども存在は夢をもたらす。時野ちゃんの誕生は本当に素晴らしい」と目を細める。
47年前に同区に生まれた江藤清美さんは現在、読谷村に居住しているが、朗報に接して(祝いの言葉を)と駆けつけた。自身も3人の子を持つ江藤さんは「子育てを終えたら必ず故郷白浜に戻る」と、望郷の念しきり。時野ちゃんを抱っこしながら「言葉を知らないほど嬉しい。こんな日を待ちに待っていた」と、頬ずりを繰り返す。それもそのはずで江藤さんの母親苗子さん(78歳)は現在、白浜で健在。「人口が減っていく寂しさを幾度も味わってきた。ひとりでも人が増えるのは、寂しさの百倍嬉しい」と、嬉し涙の笑顔を見せた。
那覇近郊白浜郷友会の会長を務める島袋雄成さん(62歳)は「新年会や那覇での運動会など年に4回は絆を深めている。白浜の1人の人口増は、他所の100人増に匹敵する」と感無量の態。
時野ちゃん誕生祝賀「花火打ち上げ」を企画・実施したのは、自らも白浜出身で宜野湾市在住の知念秀明さんを実行委員長とする、称して「白浜ファンクラブ」の面々。白浜ん人(しらはまんちゅ)に加えて、寒村ながら野趣溢れる村の佇まいに魅せられたメンバーなそうな。
実行委員長の知念秀明さんは「都会では、47年ぶりの新しい命の誕生なぞあり得ない。田舎の優しさに包まれて、健やかに育ってほしい」とエールをおくっている。
こうして全区民、出身者の祝福を受けた時野ちゃんの父親比嘉貢野さんは、自ら三線を取り「めでたい節」「海ぬチンボーラー」を歌い返礼。大いに賑わった2018年4月21日の夜のフィナーレは、集まった約100人カウントダウンを合図に花火が打ち上げられ、那覇まつりや東京・両国の花火に勝るとも劣らない「命の花」を夜空に咲かせた。
高齢化、少子化などという硬い論議はこの際、お休みにして他所者の私も「時野ちゃん!ばんざい!」をさせてもらったしだい。
琉歌にこんなのがある。
♪親ぬ親までぃん 踊ゐ跳にすしや 子ぬ子ぬ産ちぇる 御祝えやてぃどぅ
《うやぬ うやまでぃん WUどぅゐはに すしや くぁぬ くぁなちぇる うゆえ やてぃどぅ》
自分の子が子を生んで初めて人は爺婆になれる。無事に出産をなした祝いを満産祝事(まんさんすうじ)と言い、親族が集まって内祝をする風習がある。当然、馳走や祝い酒も出る。やがて歌三線の座になり、座の者ひとりひとりが順繰りに立ち、祝意を表す即興舞い「一人なぁー舞うらしぇー」になる。そこで爺・婆も祝座の真中に出た。そして1首を披露。
歌意=私たちまで座の中央に出て、つたないカチャーシー舞いを披露するのは、我が子が、結婚をして子をもうけた御祝いだからです。どうぞ笑って許してごらんください。爺婆になった喜びの舞いには上手・下手はありません。
大宜味村白浜の大人たちは皆、同様の(想い)だったのではないか。
私事。
生来の不器用さが災いして、カチャーシー舞いを私は(めったに)舞ったことがない。いや、1度だけのそれを記憶している。長男の満産祝いの座だ。主催者が舞わなければ、座が盛り上がらない。残波岬から飛び降りる思いの決意をして舞った。それも20秒ほど・・・・他意はない。それ以上続けられなかったのだ。
読者のあなたにお願いがあります。沖縄芸能について蘊蓄を垂れている上原直彦は「カチャーシーさへ踊れない!」なぞと他言して下さいますな。今後のラジオ放送が説得力を失ってしまう・・・。
屋外は灰色の雲に抱きすくめられている。けれども気分は(ホッコリ)。大宜味村白浜の星、時野ちゃんの幼い笑顔が脳裏を占めているからだろう。
「47年ぶり!赤ちゃん誕生!区民揃って花火打ち上げ」のニュースに接したおかげだ。所は沖縄県北部・大宜味村白浜という小集落。
昨年9月。比嘉貢野さん(30歳)、茜さん(40歳)夫妻は長女通野ちゃん(5歳)、長男蝶朱クン(ちょうあ=3歳)とともに白浜に移住してきた。そして同10月、次女時野(もちの)ちゃんの誕生をみたのである。おかげで白浜区の人口は10世帯14人に増えた。
全区民(我がこと)のように喜んだのは言を待たない。そのメッセージを拾いながら(ことの経緯)を追ってみよう。
まず親川富成区長談=涙が出るほど嬉しい。白浜外部の関係者にも感謝している。「自分の孫が誕生した」と手放し。
白浜の歴史に詳しい宮城広美さん(73歳)によると終戦直後は18世帯130人ほどいた同区。その後、ほとんどの世帯が他市町村に流出したという。
白浜出身ながら縁あって区外に嫁いだ前田峰子さん(68歳)は、子どもがたくさん写った60年前の区民集合写真を見つめ「村の暮らしには子ども存在は夢をもたらす。時野ちゃんの誕生は本当に素晴らしい」と目を細める。
47年前に同区に生まれた江藤清美さんは現在、読谷村に居住しているが、朗報に接して(祝いの言葉を)と駆けつけた。自身も3人の子を持つ江藤さんは「子育てを終えたら必ず故郷白浜に戻る」と、望郷の念しきり。時野ちゃんを抱っこしながら「言葉を知らないほど嬉しい。こんな日を待ちに待っていた」と、頬ずりを繰り返す。それもそのはずで江藤さんの母親苗子さん(78歳)は現在、白浜で健在。「人口が減っていく寂しさを幾度も味わってきた。ひとりでも人が増えるのは、寂しさの百倍嬉しい」と、嬉し涙の笑顔を見せた。
那覇近郊白浜郷友会の会長を務める島袋雄成さん(62歳)は「新年会や那覇での運動会など年に4回は絆を深めている。白浜の1人の人口増は、他所の100人増に匹敵する」と感無量の態。
時野ちゃん誕生祝賀「花火打ち上げ」を企画・実施したのは、自らも白浜出身で宜野湾市在住の知念秀明さんを実行委員長とする、称して「白浜ファンクラブ」の面々。白浜ん人(しらはまんちゅ)に加えて、寒村ながら野趣溢れる村の佇まいに魅せられたメンバーなそうな。
実行委員長の知念秀明さんは「都会では、47年ぶりの新しい命の誕生なぞあり得ない。田舎の優しさに包まれて、健やかに育ってほしい」とエールをおくっている。
こうして全区民、出身者の祝福を受けた時野ちゃんの父親比嘉貢野さんは、自ら三線を取り「めでたい節」「海ぬチンボーラー」を歌い返礼。大いに賑わった2018年4月21日の夜のフィナーレは、集まった約100人カウントダウンを合図に花火が打ち上げられ、那覇まつりや東京・両国の花火に勝るとも劣らない「命の花」を夜空に咲かせた。
高齢化、少子化などという硬い論議はこの際、お休みにして他所者の私も「時野ちゃん!ばんざい!」をさせてもらったしだい。
琉歌にこんなのがある。
♪親ぬ親までぃん 踊ゐ跳にすしや 子ぬ子ぬ産ちぇる 御祝えやてぃどぅ
《うやぬ うやまでぃん WUどぅゐはに すしや くぁぬ くぁなちぇる うゆえ やてぃどぅ》
自分の子が子を生んで初めて人は爺婆になれる。無事に出産をなした祝いを満産祝事(まんさんすうじ)と言い、親族が集まって内祝をする風習がある。当然、馳走や祝い酒も出る。やがて歌三線の座になり、座の者ひとりひとりが順繰りに立ち、祝意を表す即興舞い「一人なぁー舞うらしぇー」になる。そこで爺・婆も祝座の真中に出た。そして1首を披露。
歌意=私たちまで座の中央に出て、つたないカチャーシー舞いを披露するのは、我が子が、結婚をして子をもうけた御祝いだからです。どうぞ笑って許してごらんください。爺婆になった喜びの舞いには上手・下手はありません。
大宜味村白浜の大人たちは皆、同様の(想い)だったのではないか。
私事。
生来の不器用さが災いして、カチャーシー舞いを私は(めったに)舞ったことがない。いや、1度だけのそれを記憶している。長男の満産祝いの座だ。主催者が舞わなければ、座が盛り上がらない。残波岬から飛び降りる思いの決意をして舞った。それも20秒ほど・・・・他意はない。それ以上続けられなかったのだ。
読者のあなたにお願いがあります。沖縄芸能について蘊蓄を垂れている上原直彦は「カチャーシーさへ踊れない!」なぞと他言して下さいますな。今後のラジオ放送が説得力を失ってしまう・・・。
屋外は灰色の雲に抱きすくめられている。けれども気分は(ホッコリ)。大宜味村白浜の星、時野ちゃんの幼い笑顔が脳裏を占めているからだろう。