★連載NO.355
「沖縄の人は、蝉を食べるんですってネ」「ハブを食べるって、ほんとうですか」
夏も盛りになり、そこら中の木立を舞台に、暑さをさらに煽る蝉が大合唱をするころになると毎年、他府県人に問われる。
私でよければ、経験者としてお答えしましょう。
昭和24、5年。いまのように遊び道具や施設がなかった少年のころ、確かにジージャー(蝉)を口にした。そこいらの山や川は少年たちの“自由の天地”。中でもジージャー採りは一人ひとりが[名人]を自負していた。芭蕉の葉っぱやクバの葉〈棕櫚の葉〉を丸めて筒を作り、松や栴檀の幹や枝で羽根をふるわせ“わが世の夏”を謳歌しているジージャーを筒に落とし入れて採っていた。面白いように採れる。そのジージャーの異様な面体を不思議がって観察したり、頭部を糸で括り飛ばして遊んでいた。
ここまでは[普通の子]の遊び。[いい子]は「蝉は地中に7,8年もいて、地上に生きるのは7日から10日間。はかない生涯だと先生が言っていた。かわいそう・・・・」と、せっかく捕獲したジージャーを逃がしていた。こうした[いい子]のディキヤーフーナー〈優等生ぶった〉の言動が許せない我ら[わるい子]は「逃がすくらいなら、始めから採るなッ」を理念に[いい子]どもを仲間から外して、採ったジージャーとは最後まで付き合った。しかし、[わるい子]との遊びには、さすがにジージャーもバテてしまう。それでも[わるい子]は、彼らを解放しない。それどころか彼らの胴体を竹や小枝を用いて、お尻からダンゴ刺しにして焼く。火種はといえば、近くの畑小屋にはたいてい有ったマッチを使用。焼き方は炭火焼きならぬ、掻き集めた木の葉での枯葉焼き。
まず、羽根が焼け落ち、表面に火が通った頃合いには、生肉の焼ける香ばしい匂いがする。このタイミングをはずさずサッと取り出し、火の粉やススを払って口にする。でも実際には、食べるに値するほどの身肉はない。内蔵はすでに焼け過ぎていて妙なニガ味しかなく、頭部もほどよく焼けてはいても殻がガードしていて歯の間に刺さるばかりだから、2,3度噛んで吐き捨てた。結果、蝉の[枯葉焼き]は、胸部と肩肉がメインディシュというわけだ。それも米粒ひとつふたつほどの焼肉。
そんな遊びの話が他府県にも伝わり[沖縄人は蝉を食べる]になったのだろう。食べるとは[常食]を指すのが普通であって、子どもの遊びのそれを沖縄の食生活の位置に上げては、短絡に過ぎるし沖縄を誤解しかねない。
[わるい子]は殺生ばかりしたのではない。なるほど捕獲することで蝉の死期をちょっと早めはしたが、その死は決して無駄にはしなかった。大木や岩かげに居を構えたアイコー[蟻。アイとも言う]の巣穴前にそっと蝉の亡骸を置く。そこは夏の働きもののアイコーのこと、すぐに冬の食料を嗅ぎつけて寄ってくる。[わるい子]は、それらアイコーの命の営みをよくよく観察。いまでいう夏休みの[自由研究]を先生に言われなくても、しっかりと成していたのである。
世界には約1600種。日本に32種の蝉が分布。その内の沖縄の夏の主人公たちに登場願おう。
◇ジージャー=和名・くろいわにいにい。体長2㎝前後。4月に鳴き始め10月ごろまで見られる。ジージーグァとも言い那覇や南部、中部一円では清明祭のころ登場するところから、シーミーグァと呼称。他の蝉も同様、地域によって方言名は異なる。
◇ナービカチカチー=和名・あぶらぜみ。6月中旬から10月。鍋釜の底のススを包丁など金属で擦り落とすときの音に似ているところから、この名が付いたとされる。
◇サンサナー=和名・くまぜみ7月中旬から8月中旬は彼の世界。栴檀やホルトノキを好み、太陽が顔を出すのとほとんど同時にうるさく鳴き出す。丁度、夏休み期間のため、子どもたちの格好の遊び相手。枯葉焼きになったのも彼らがほとんど。琉歌には、アササーの名で詠まれている。
◇ジーワー=和名・くろいわつくつく。8月上旬から11月まで鳴き、長く暑かった夏の終わりを告げてくれる。ジ~ワと、なんとも切なく物悲しい鳴き声を聞くと「ワタシたち、蝉の季節もここまで・・・・」という終焉のメッセージに思えて、こちらまでメランコリックになる。そのころ、どこからか時折、涼感を覚える風が吹く。
ジーワーによく似たものに「ケーンケーン」と鳴くオオシマゼミがいる。これは山地でしか見られないが、沖縄本島中部、北部にも生息。北部ではネンネングァ、ケンケンアササーと呼ばれている。
これらの種類、地域名などについては屋比久壮実著「沖縄の方言で楽しむ生きもの・いちむし」〈アクアコーラル企画発行〉を著者の了解を得て引用した。
おっとッ!
「ハブを食べるって、ほんとうですか」に答えよう。
食べようと思えば食べられる。私も八重瀬町具志頭の青年たちに招待されて、ハブを食したことがある。想像するに難しくはないだろうが、ハブは全体が脊髄。それが皮をかぶった生きものだ。身肉はほとんどなく、皮を剥ぎ、頭部を除く胴体を10㎝ほどに切って塩味か味噌味のスープにする。味は濃厚な鰹節汁に思えた。骨の間にあるわずかな肉は、取り出し困難で結局、青年たちの指導を仰ぎハーモニカを吹くのではなく吸う要領で食したが、私の筆では表現できない臭みがあった。
これも[ゲテモノ食い]をしているのであって、沖縄人が[常食]しているのではないことを特記しておく。しかし、精がつくのは確かなようで夏バテ気味の今日このごろ、ゲテモノ食いの開催を呼びかけてみよう・・・かな。
次号は2008年9月4日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
「沖縄の人は、蝉を食べるんですってネ」「ハブを食べるって、ほんとうですか」
夏も盛りになり、そこら中の木立を舞台に、暑さをさらに煽る蝉が大合唱をするころになると毎年、他府県人に問われる。
私でよければ、経験者としてお答えしましょう。
昭和24、5年。いまのように遊び道具や施設がなかった少年のころ、確かにジージャー(蝉)を口にした。そこいらの山や川は少年たちの“自由の天地”。中でもジージャー採りは一人ひとりが[名人]を自負していた。芭蕉の葉っぱやクバの葉〈棕櫚の葉〉を丸めて筒を作り、松や栴檀の幹や枝で羽根をふるわせ“わが世の夏”を謳歌しているジージャーを筒に落とし入れて採っていた。面白いように採れる。そのジージャーの異様な面体を不思議がって観察したり、頭部を糸で括り飛ばして遊んでいた。
ここまでは[普通の子]の遊び。[いい子]は「蝉は地中に7,8年もいて、地上に生きるのは7日から10日間。はかない生涯だと先生が言っていた。かわいそう・・・・」と、せっかく捕獲したジージャーを逃がしていた。こうした[いい子]のディキヤーフーナー〈優等生ぶった〉の言動が許せない我ら[わるい子]は「逃がすくらいなら、始めから採るなッ」を理念に[いい子]どもを仲間から外して、採ったジージャーとは最後まで付き合った。しかし、[わるい子]との遊びには、さすがにジージャーもバテてしまう。それでも[わるい子]は、彼らを解放しない。それどころか彼らの胴体を竹や小枝を用いて、お尻からダンゴ刺しにして焼く。火種はといえば、近くの畑小屋にはたいてい有ったマッチを使用。焼き方は炭火焼きならぬ、掻き集めた木の葉での枯葉焼き。
まず、羽根が焼け落ち、表面に火が通った頃合いには、生肉の焼ける香ばしい匂いがする。このタイミングをはずさずサッと取り出し、火の粉やススを払って口にする。でも実際には、食べるに値するほどの身肉はない。内蔵はすでに焼け過ぎていて妙なニガ味しかなく、頭部もほどよく焼けてはいても殻がガードしていて歯の間に刺さるばかりだから、2,3度噛んで吐き捨てた。結果、蝉の[枯葉焼き]は、胸部と肩肉がメインディシュというわけだ。それも米粒ひとつふたつほどの焼肉。
そんな遊びの話が他府県にも伝わり[沖縄人は蝉を食べる]になったのだろう。食べるとは[常食]を指すのが普通であって、子どもの遊びのそれを沖縄の食生活の位置に上げては、短絡に過ぎるし沖縄を誤解しかねない。
[わるい子]は殺生ばかりしたのではない。なるほど捕獲することで蝉の死期をちょっと早めはしたが、その死は決して無駄にはしなかった。大木や岩かげに居を構えたアイコー[蟻。アイとも言う]の巣穴前にそっと蝉の亡骸を置く。そこは夏の働きもののアイコーのこと、すぐに冬の食料を嗅ぎつけて寄ってくる。[わるい子]は、それらアイコーの命の営みをよくよく観察。いまでいう夏休みの[自由研究]を先生に言われなくても、しっかりと成していたのである。
世界には約1600種。日本に32種の蝉が分布。その内の沖縄の夏の主人公たちに登場願おう。
◇ジージャー=和名・くろいわにいにい。体長2㎝前後。4月に鳴き始め10月ごろまで見られる。ジージーグァとも言い那覇や南部、中部一円では清明祭のころ登場するところから、シーミーグァと呼称。他の蝉も同様、地域によって方言名は異なる。
◇ナービカチカチー=和名・あぶらぜみ。6月中旬から10月。鍋釜の底のススを包丁など金属で擦り落とすときの音に似ているところから、この名が付いたとされる。
◇サンサナー=和名・くまぜみ7月中旬から8月中旬は彼の世界。栴檀やホルトノキを好み、太陽が顔を出すのとほとんど同時にうるさく鳴き出す。丁度、夏休み期間のため、子どもたちの格好の遊び相手。枯葉焼きになったのも彼らがほとんど。琉歌には、アササーの名で詠まれている。
◇ジーワー=和名・くろいわつくつく。8月上旬から11月まで鳴き、長く暑かった夏の終わりを告げてくれる。ジ~ワと、なんとも切なく物悲しい鳴き声を聞くと「ワタシたち、蝉の季節もここまで・・・・」という終焉のメッセージに思えて、こちらまでメランコリックになる。そのころ、どこからか時折、涼感を覚える風が吹く。
ジーワーによく似たものに「ケーンケーン」と鳴くオオシマゼミがいる。これは山地でしか見られないが、沖縄本島中部、北部にも生息。北部ではネンネングァ、ケンケンアササーと呼ばれている。
これらの種類、地域名などについては屋比久壮実著「沖縄の方言で楽しむ生きもの・いちむし」〈アクアコーラル企画発行〉を著者の了解を得て引用した。
おっとッ!
「ハブを食べるって、ほんとうですか」に答えよう。
食べようと思えば食べられる。私も八重瀬町具志頭の青年たちに招待されて、ハブを食したことがある。想像するに難しくはないだろうが、ハブは全体が脊髄。それが皮をかぶった生きものだ。身肉はほとんどなく、皮を剥ぎ、頭部を除く胴体を10㎝ほどに切って塩味か味噌味のスープにする。味は濃厚な鰹節汁に思えた。骨の間にあるわずかな肉は、取り出し困難で結局、青年たちの指導を仰ぎハーモニカを吹くのではなく吸う要領で食したが、私の筆では表現できない臭みがあった。
これも[ゲテモノ食い]をしているのであって、沖縄人が[常食]しているのではないことを特記しておく。しかし、精がつくのは確かなようで夏バテ気味の今日このごろ、ゲテモノ食いの開催を呼びかけてみよう・・・かな。
次号は2008年9月4日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com