旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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つれづれ・いろは歌留多 その4

2013-08-20 11:08:00 | ノンジャンル
「いろは食堂」「いろは湯」「いろは書店」「いろは通り」「いろは会」・・・。
 昭和時代は、そこいらの街中をあるくと「いろは××」の看板や文字を見掛けたものだ。いまでも地方へ行けば、ときたま目に止まりはするものの、都市地区では滅多に見られなくなり、ほとんどが横文字の看板が街を彩っている。
 沖縄市が「コザ」を名乗っているころ、米兵しか入れないAサインバーには「BAR IROHA」があった。夜はもちろん、昼間からベトナム戦帰りの米兵が出入りし、ジュークボックスをガンガン鳴らして、大騒ぎをしていた。パティー・ペイジーの「テネシーワルツ」は、その「BAR IROHA」のジュークボックスから漏れ聞こえる歌声で覚えた。
 さて、「いろは歌留多」も今回は「よ」から。

 ※「よ」
 *読み札=夜、昼、夕暮れ、また明日。
 *取り札=ゆる、ひる、ゆさんでぃ、またアチャやー。
 夜明け==ゆあき。朝=ふぃてぃみてぃ。昼=ひる。夕暮れ=ゆさんでぃ。夜=ゆうる。夕暮れは「ゆさんでぃ」のほかに「あこうくろう」とも言い「明るくも暗くもない時間帯で『明暗』の漢字を当てたりする。あこうくろうには、魔物が徘徊するそうで、日本の古語でも「逢魔ガ時」と言う。魔物は真夜中〈まゆなか〉より、アコークローの方が、勢いがあるらしい。

 ※「た」
 *読み札=田ぁまぶい!田畑ぬ番人。〈たぁまぶい たはたぬばんにん〉。
 *取り札=田んぼの案山子 田畑の守り。
 「まぶい」は魂の意。人形(ひとがた)の案山子にも、魂を入れた所に妙味がある。竹や棒を十字に固定し、ぼろ着物を着せ、菅笠を被せ、顔は「へのへのもへ」が定番だった。農業が近代化するにつれ、案山子(田まぶい)もお役御免になっているが、本土の地方農家では「案山子まつり」が催されていると聞く。しかし、子どもたちが作る案山子の顔形は「へのへのもへ」ではなく、仮面ライダー、ウルトラマンであり、キティーちゃん、リボン騎士などアニメや漫画のヒーロー、ヒロインになっているそうな。

 ※「れ」
 *読み札=レーファー リージ 夕飯〈ゆうばん〉。
 *取り札=すり鉢 すりこ木 夕飯支度。
 「れ」は、「り」に変化する語が多い。例はリィー。連理はリンリ。幽霊もユリー。「れ」から始まる言葉を集めて沖縄語から発音してみると面白い。
 昔は1日2食が普通。朝食を「フィティムン」。昼食は3時ごろ軽く摂り「ヒルマムン・マドゥヌムン」と言い、夕飯までの間食程度であった。俗に「アサバン」と言うのは、ひと汗流して後に食するモノであるところからの語とされる。一説には「汗飯=アサバン」の転語とされる。台所を上座に対する下座「シム」と言う。したがって、台所用具は「シムドーグ・下道具。食器なども含めて、これらを沖縄読みしてみるのも楽しい。もちろん、地方によって呼称が異なるものもあることを知っておかなければならない。

 ※「そ」
 *読み札=ソーミナー クラー チンチナー
 *取り札=めじろ すずめ ひばりだよ。
 どこでも見かける小鳥。めじろの語源は「目白・目が白い」ところからの呼称。ソーミナーは「寄り目気味」のさまによると言われる。クラーは、穀物蔵の近くに集まるところから「蔵の番」をするもの。また、チンチナーは、その鳴き声に由来すると言われる。
 *からす=がらし。がらさー。*鳩=ほうとぅ。*鶯=うぐゐし。その幼鳥(藪鶯)をチョッチョイ。*つばめ=マッテーラー。マッタラー

 ※「つ」
 *読み札=月夜の遊び 影踏みしましょう。
 *取り札=チチぬアシビ カーガー取えー
 沖縄語では「つ」は「ち」になる。もちろん、例外があることを承知しておかなければならない。月=ちち。土=ちち。もっとも土の場合、ンーチャが普通。地名の津堅はチキン。津嘉山はチカジャン
 カーガーは影。カジとも言う「月影=チチカジ」。
 夏の夜。近所の子どもたちが村の広場や道に出て、影踏みをして遊んだ。4,5人が揃うと、ジャンケンをして鬼を決める。「ひんぎれー=逃げろっ」の声とともに四方に散る。鬼はそれを追い、月の光でできた相手の影を踏むという単純な遊び、鬼に踏まれないためにはどうするか。その場に座り込むと影は映らないから踏まれることはない。また、大木の下や人家の軒下に駆け込み、影を消す手もあった。踏まれた者は、即座に鬼の役に回るが、踏まれまいと悲鳴や嬌声を上げながら、そこら中を走り回る。時には「かしまさぬっ。ふぇーくヤーんじニンだにっ=うるさいっ。早く家で寝ろっ」と、広場近くのグァンクータンメー=頑固爺さん=によく怒鳴られた。
 最近は、どこへ行っても街灯や自動車のヘッドライトが月の光を薄くしてしまい「影踏み」も出来なくなった。
 カーガー取えー(とぅえー)。影を踏むのではなく、影を取るとしたところが面白い。

 夏休み。
 青少年不良化防止月間とやらで、子ども達は夜遊びを禁じられている。世の中がこうも物騒がしになっては、それも仕方ない。しかし、夜間外出禁止、あるいは自粛を講じなくてもよい世間でなくてはならないと思うのは、懐古趣味に過ぎるのか。カーガー取えーは、なんとも楽しいものだが、いやはやこれも闇に葬られ「影踏み」は、言葉通り影も形もなくなった。

 ※8月下旬の催事
 
 *アンガマ(石垣島)
  開催日:8月19日(月)~21日(水)
  場所:石垣市

 *嘉手納町エイサー(嘉手納町)
  開催日:8月22日(水)予定
  場所:嘉手納町新町通り

 *第58回 沖縄全島エイサーまつり(沖縄市)
  開催日:8月30日(金)~9月1日(日)
  場所:コザ運動公園陸上競技場


写真集。“STAND!”国吉和夫

2013-08-10 00:15:00 | ノンジャンル
「大和に出かける。そして空路帰って来る。車に乗ってクジャー〈コザ・沖縄市の通称〉の自宅に向かう。那覇空港から国道58号線を北に走る。那覇軍港~山下町~那覇市街地~浦添市城間~宜野湾市大山。そこを右折して普天間に出、石平を経由しても、直進して伊佐浜~瑞慶覧を通っても、間断なく米軍基地と住宅地区を区切る(フェンス)を間近に見ることになる。その風景が旅の終わりを告げてくれてホッとするのですね僕は。大和では、一部地域を除いては見ることはできない。戦後この方、何の違和感もなく見慣れてきた(フェンスのある風景)とその内と外。基地のフェンスに愛着を覚えてホッとする自分・・・・。異常でしょうかね」。
 そう語るのは。古馴染みの写真家国吉和夫。1972年の日本復帰から40年を節目として写真集「STAND!」を出版した。
10代から撮り続けてきたモノクロ写真189枚。
 戦後を生き抜き、復帰運動の真っ只中に身を置いて行動した者には、1枚1枚が、己の青春群像そのもので私なぞ、幾度ページをめくっても目頭が熱くなる。単なる幾月を刻んできた日々の投影ではない。今日的な(沖縄のシーン)ばかりだ。つまり、終戦から現在まで(基地沖縄)は変わっていないことを実感する。
 
 国吉和夫。
 1946年.美里村〈現沖縄市〉泡瀬に生まれた。
 言葉通り(基地っ子)の彼は美里小学校、美東中学校、コザ高校を経て九州造形短期大学卒業後、1970年から2006年まで琉球新報社写真部に勤務。沖縄社会の裏表を撮り続けてきた。著書に「基地沖縄=ニライ社・1987」「世界遺産・琉球グスク群=琉球新報社・2000」などがある。

 国吉和夫を(写真)へと駆り立てたのは、どこを向いても米軍基地を中心に動いている沖縄社会を自分の目で切り取り、県民をして共有、確認しておきたいという思いが、沸々と高まってきたことにほかならない。その間、写真という写真は、ありとあらゆるものを見た。まとまった写真集はもちろん、映画、週刊誌、ヌード集、エロもの。撮るより見る方が多い時期もあった。

 彼は語る。
 「沖縄で報道カメラマンを張るのも只事ではなかった。なにしろ、復帰前は基地周辺をカメラを持って歩いただけで米軍に捕まり、ユースカー(USCAR=琉球列島米国民政府)の取り調べを受けた。それが本人だけではなく、身元調査は家族、親戚に及び「アカ」の烙印をと称して、復帰を切望していた本土への渡航パスポートが、取得できない例が多かった。だから米軍関係の写真を撮ることは、本人のリスクだけではすまさない苦難があった」。

 国吉和夫は、これからどんな写真を撮っていくのか。沖縄口混じりの、いや、大和口混じりの沖縄口でこう語る。
 「5年に1度、沖縄で開催される《世界のウチナーンチュ大会》に参加した海外で生きる沖縄人が、県内にいるわれわれ以上に沖縄語がうまかったのにはショックを受けた。「米軍基地と沖縄語」は、どちらが先になくなるのか。どうやら〈沖縄語〉の方が先なのかも知れない。すべてのことが標準語で回転しているのだから、仕方がないと言えば仕方がない。しかし、ワタクシ国吉和夫!あえて沖縄口で語り、物考げー〈ムヌカンゲー・思考〉をしたい。表現したい。その方がワタクシは自然で楽だから。シャッターを押す瞬間、角度がどうの、構図がどうのという(美しい写真)ではなく(島の匂い)を撮りたい」。

 国吉和夫写真集「STAND!」。
 米軍基地沖縄の中で、フェンスの内側に閉じ込められているのは沖縄県民で、その外側を自由の羽を伸ばしているのは駐留米軍人のようだ。彼らは沖縄人を動物園のフェンスの中にいる動物のように、楽しんでいるのではなかろうか。やはり、沖縄からは東京はよく見えるが、東京からは沖縄は見えないらしい。写真集は、そこいらを如実に捉え実証している。

 ※8月中旬の催事
 *南の島の星まつり2013〈石垣島〉
  開催日:8月13日(火)を含む前後1週間
  場所:石垣港新港地区サザンゲート広場

 *第28回国頭村まつり〈国頭村〉
  開催日:8月17日(土)~18日(日)
  場所:国頭中学校グランド

 *座間味島祭り〈座間味村〉
  開催日:8月17日(土)
  場所:座間味港ターミナル

 *アンガマ〈石垣島〉
  開催日:8月19日(月)~21日(水)


出てこいっ!キジムナー 

2013-08-01 03:27:00 | ノンジャンル
 きじむなあの話が 信じられるようになると
 世の中は平和だ
 アカジラー〈赤っ面〉で アカガンター〈赤毛〉で
 大抵妖精 きじむなあたちよ
 わがシマの上を 翔べ

 真夏になると、決まって本棚から出してページをめくる1冊「きじむなあ物語」の序詩である。作者は船越義彰〔1926~2007〕。第5回山之口獏賞受賞作品。

 キジムナーは、沖縄諸島に伝承される想像上の生きもの・妖精。
 「きじむなあ物語」では、自己紹介をこうしている。

 その丈三尺を超えることなし その体重 ときには盤石のごとく また 空気のごとく 推定するにすべなし 
 髪 あくまでも赤く 西の海の茜のごとし
 顔 あくまで愛らし 歳月はあれど その一生 優に人間歴の世紀を重ねて なお余りあり
 巨木岩木に棲み 黄昏時より夜明けまでの天地を
 わがものとして翔びまわるわれを 人間は木の精というなり
 さなり われは木の精 風と土とまぼろしの
 不思議なる融合をとげたるもの きじむなあなり
 古き遠き日 人間の自然へのおそれと 素朴なる祈りと生活の中のなかのユーモアが純粋なりし頃の 残像のひとひら きじむなあなり
 いまなお このシマのなかに生きつづけていると
 自らは確信しおる たしかなるまぼろしなり

 キジムナーを見た人は多い。もっとも、戦前生まれの人たちに多く、いまどきの人は、その存在さえ信じない。(たしかなるまぼろし。妖精)なのだから、信じてやればいいものの、現代人はロマンをどこかに置き忘れてしまったらしい。私はと言えば、存在を否定しながらも、幼い日に聞いたキジムナーばなしの不思議な魅力をいまもって払拭できず、孫たちには(いる)と、語り聞かせている。
 各地に伝わるキジムナーの容姿や行動は、微妙に異なっているが、共通しているのは、魚獲りが達者。ただし、魚の目玉だけを食し身肉は好まない。したがって、キジムナーと親しくなると(海の幸)には事欠かない。ただし、ティーヤーチ(手八つ・蛸)は苦手。からみつかれるのが気色悪いらしい。放屁を嫌う、キジムナーと魚獲りに行った者が、うっかり放屁してしまい、突き飛ばされて溺れたという話も聞いた。いまひとつキジムナーは、アカチチ ミーコーカー(暁の目ざめを告げる鶏)の羽音と声を恨む。夜をわがものとしているキジムナーには、夜明けが辛いからだろう。
 キジムナーは時折、寝ている人を金縛りにすることがある。それも人間と親しくしたい彼の愛情なのだが、人間はそれが理解できず、キジムナーを恐れるきらいがある。(たしかなるまぼろし)を、恐れるにはたりないと思われるが、それは私がキジムナーの金縛りにあったことがないからかも知れない。
 
 目がくりくりして、いかにもウーマク(やんちゃ坊主)をキジムナーに譬えることもあったが・・・・。

 T女史は昭和22年、占領軍の白人兵士と沖縄女性の間に生まれた。当時は、合いの子、アメリカーグァーと白眼視された。幼少のころは、自分の出生の経緯を知らず、普通に育ってきたが、学業に就くにしたがって、自分の容姿が学友とは異なることに気づきはじめる。学友たちも彼女を「キジムナー」「キジムナーグァ」とあだ名し、からかうようになってくる。
 「どうしてワタシの目は青いの?髪は赤いの?他の人より色が白いの?」
幾度問うても、母親の悲しい目は何も語ってはくれなかった。
 T女史が自分の運命を確信したのは、中学生になってからだった。中学には「クロンボー」と呼ばれる少年もいたし、同じく「キジムナー」とからかわれる少女もいた。宿命を同じくするものは自分ひとりではない。戦争は、何かをワタシに背負わせたのだ。そう思うようになって多少、気が楽になった。しかし、苦渋の日々をすべて振り切ったわけではなかった。
 T女史は今、東京で生活している。
 「日本はいい国よ。ハーフ大モテ時代。もっとキジムナーよ、出て来いっ!出て来いっ!。いやいや、これは冗談よっ。冗談!」。
T女史の強さに敬意を覚える。

 長い夏の夜ばなしに、キジムナーを登場させたいのだが・・・・。彼らの姿も声も、オスプレイの騒音にかき消されて、もう見えない。聞こえない。