旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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さんしんと私。その効果

2011-02-20 00:55:00 | ノンジャンル
 3月4日。琉球放送iラジオ主催・第19回「ゆかる日まさる日さんしんの日」開催まで、そう日数はない。
       

 かつて風は音を運んだ。
 東京・両国で打つ大相撲のやぐら太鼓が、千葉・木更津で聞こえたそうな。東京にも風の通る道あったのだろう。戦前の沖縄、またしかり。那覇・西武門の蓄音器店の店頭でかける蓄音器盤の舞踊曲「浜千鳥節」や、当時の師範学校生や中学生、女学生に好まれた「カッコウワルツ」が「私の住む泉崎<現・ハーバービューホテル>界隈まで聞こえた」とは、沖縄芸能史及び風俗史研究家崎間麗進氏<90歳>の証言だ。いま、騒音の中の那覇にも、風の通る道があったとみえる。
 蓄音機は、電蓄<電気蓄音機>からレコードプレイヤー・CDプレイヤーに昇格。78回転の蓄音機盤も、45回転の通称ドーナツ盤や33回転のLPを経てCD、DVDになった。機材も高性能を誇っているものの、騒音防止法のからみか、音の漏れない特定の場所でしか聞けず、風に乗らなくなった。けれども、3月4日の歌・三線は、電波に乗り、誰はばかることなく、ふるさとの空を飛び、インターネットで世界中に鳴り渡るのである。

 さて。
 私の三線歴はというと琉球放送に入社、報道部から制作部に異動した際、芸能担当を命じられたことに始まる。
 戦前、染物関係の家に生れた私の身近に三線はなかった。祖父は所有していたと聞いているが、引いている姿を見たことはない。長じて放送屋になり〔芸能番組を担当せよ〕の辞令が下りても、戸惑いが先立ったのは理解してもらえるだろう。正直、それは“悩み”に膨れ上がった。音楽と言えば学校で教わる歌曲や仲間内で好んで歌ったロシア、イタリア、ドイツ民謡。殊にアメリカがこの小さな島に持ち込んだカントリーソングそしてジャズがすべて。三線音楽なぞ〔老人のもの〕と決めてかかっていた。それが23歳になって〔芸能担当〕である。悩まずにおくものか。
 「三線はすべての琉球芸能の基調をなす。一応は慣れ親しんだほうがよい」
 これは上司、先輩のアドバイスだが、そんなきれいごとでは迷いは晴れない。私の悩みを聞いたおふくろはおふくろで言う。
 「他人の子が出来ることをワタシの子であるオマエが出来ないはずがない。仕事なのだから、まずは三線に触れてごらん。そして、どうせやるなら楽しくおやり」
 〔人ごとだと思って、なんと気楽なっ〕。おふくろの言に多少反発しながらも〔どうせやるなら楽しくおやり〕のひと言を妙に納得してしまい、会社の備品の三線を自己流で弾き始めた。師匠には事欠かない。昭和35、6年当時、放送を満たすほどの蓄音機盤、レコードも多くはなく古典音楽や島うたは、それをよくする歌者連をスタジオに招き、演奏を録音収録して放送素材としていた。したがって、待ち時間やリハーサルの間に間に、居並ぶ第1人者の方々に歌の内容をうかがったり、三線のチンダミ<調絃>の手解きを受け、時には一緒に歌わせてもらった。一方的自慢と自惚れで言わせてもらえば、私の師匠は興那覇政牛、幸地亀千代、喜友名朝仁、宮城嗣周、前川朝昭、糸数カメ、嘉手苅林昌、大浜安伴、山里勇吉、友利明令・・枚挙にいとまがない。おかげで古典音楽の端節、島うたの情節、遊び歌、八重山や宮古の節々を聞き覚えの三線に乗せて楽しむことを得た。
 沖縄の歌謡史はもちろんのこと、この方々が通ってきた時代やその経験談は〔生きた民俗史〕として学び、殊に個人的な裏ばなしは〔人に歴史あり、物に歴史あり〕で、青年の胸を熱くし、魅了するに十分だった。
 歌をひと節知ることは、時代の人と暮らしを知ることのように思える。例え流行りの歌であっても、いや、流行り歌だからこそ現実的かつ実生活感のある言葉が巧みに読み込まれて、イキイキと踊っている。このことにこそ私は大いに共鳴したことではあった。
 明治生まれの両親に生んでもらい、幼少年時は大正生れの先生方から日本語教育とアメリカ仕込みのデモクラシー教育を受けた私には、沖縄口を日常語とする素地はまるでなかったのだ。それが職業として芸能番組を担当することになって〔沖縄口〕を知らないではすまされない。
 沖縄語の習得を意識して〔うちなぁ歌〕をひと節ひと節、唇に乗せる。三線は拙いそれだが、言葉たちは乾いた大地が水を吸い込むが如く、私の全身をかけ巡る血に注入されていった。大げさなようだが、それが実感だったのは事実だ。このことは私の中では最大の〔さんしん効果〕と位置づけている。
 三線は情感・感性を高めてくれる。友人知人を増やしてくれる。世間を広くしてくれる。沖縄人の喜怒哀楽を伝えてくれる。沖縄をはっきり見せてくれる。
 それらを共有する「ゆかる日まさる日さんしんの日」は、ほんものの春をつれて、もうすぐやってくる。
       

さんしんの日・夢~念~実行

2011-02-10 22:48:00 | ノンジャンル
 3月4日は「さんしんの日」である。県下にある推定22万丁のさんしんが代表的な祝義歌「かじゃでぃ風節」を一斉に奏でる。琉球放送iラジオが生放送を企画・実施。2011年は19回目に当たる。
 メイン会場は読谷村立文化センター鳳ホール。ラジオ中継は午前11時45分に始まり、午後9時までの各時報音を合図に都合、8回の「かじゃでぃ風節」の競演となる。時間毎に趣向をこらし宮廷音楽として琉球王府時代から継承されてきた古典音楽、島々の庶民の中に生まれた島うた、季節毎に演じられる民俗芸能、そして舞踊曲などが9時間15分にわたってラジオから流れる。オンエアは県下にとどまらず、インターネットを通じて日本各地はもちろん、極端に言えば世界中で聴くことができる。
 「沖縄人の行くところ、さんしんあり」。ハワイ、ロンドン、ブラジル、上海、台湾等々からの時空を超えた生中継レポートは、ちょっと自画自賛になるが「圧巻」と言えなくもない。

 「かじゃでぃ風節を演奏できるまでに、どのくらいの日数を要するか」
 第1回目からこの問い合わせが「さんしんの日事務局」に寄せられる。仕掛け人としての私は、こう答える他に術をしらない。
 「あなたの“念入り=にん いり”がすべてでしょう。本気でさんしん音楽と向き合って修練すれば、自ずから習得することができる。日数にこだわらず、日々の稽古を継続することです。(念入り第一=にんいり でーいち)という沖縄の慣用句をあなたに進呈します」
 〔念〕とは何か。またぞろ辞典のお世話になる。

 念=おもう。おもい。いつももつ観念。一念・記念・残念・信念・念頭・念仏・念書・念力・・・・。仏教では、きわめて短い時間をも意味する。
 この〔念〕を用いた慣用句を三つばかり拾ってみよう。
 ※念が入る=注意が行き届いている。几帳面。非常に丁寧。用意周到であること。
 ※念が晴れる=心残りがなくなる。思いが晴れる。その逆は〔念が残る〕で文字通り〔残念〕であり、未練が残るということになる。
 ※念の過ぐるは無念=念入りもあまりに過ぎると、かえって大事なことに注意が行き届かない結果となる。過ぎたるは及ばざるが如し。
 その他にも※念には及ばぬ※念には念を入れよ※念のため※念も無い<分別が無い>※念を押す等々〔念〕は、われわれの暮らしのすぐそこで働いている。

 「さんしんの日に、かじゃでぃ風節を弾きこなせるには、どの程度の日数を要するか」
 「それは、あなたの念入りがすべて」
 そう答えるのは、この〔念〕をもって取り込んでほしいという念押しなのである。つまり、沖縄の慣用句のひとつ「念入り 第一」を伝えた。何を成すにも、その過程で念を意識・最優先する姿勢・観念が肝要と説いているのである。

 誰にも何かひとつ自分のものにしたい〔夢〕がある。
 南城市佐敷・富祖先の楚南幸明さんは、毎日のジョギングを欠かさない。長年、郵政業務に携わってきた人物。元々、スポーツが好きで1977年10月22日から〔走ること〕を日課とした。そこで楚南幸明さんは夢を見た。(3.35キロの同一コースを1万回走ろう)。それは実行に移された。そして、雨にも負けず風にも負けず走り続け、15年後の1992年2月26日には、3334回に到達。ついで1996年10月25日に5000回。2001年6月22日・6667回。そして今年2011年1月22日、遂に〔念願〕の1万回を達成している。全長延べ3万3500キロ。沖縄本島を南北直線にすると約140キロ。これを約120回往復したことになり、さらには那覇~東京間の直線距離の約1580キロを11回往復走破したわけだ。まさに「念入り第一」のなせる実績以外の何ものでもない。
 楚南幸明さんが所属する「さしき健走会」には、合い言葉というよりも〔夢〕を題する座右の銘がある。いわく。

【夢】

夢がある者には希望がある  希望がある者には目標がある
目標がある者には計画がある  計画がある者には行動がある
行動がある者には実績がある  実績がある者には反省がある
反省がある者には進歩がある  進歩がある者には夢がある

 夢と夢の間に希望・目標・計画・行動・実績・反省・進歩の位置づけをしたことには、素直に納得してしまった。これと言った夢を持ち合わせていない私だから・・・・。
 「かじゃでぃ風節」を自前で弾き歌うようになるにも、ジョギングを1万回するのも本人の夢に対する〔念入り〕ひとつと、あえて繰り返し記することになってしまった。夢の対象は何であろうとよい。さしあたり目の前には琉球音楽があり、それを楽しむための〔さんしん〕がある。そして、第19回「ゆかる日まさる日さんしんの日」を琉球放送iラジオを通して「さんしん文化を共有しませんか」と、お誘いする次第。

    


 ※編集者の手違いで、HPアップが遅れてしまい、「浮世真ん中」を楽しみにご覧になっている方には申し訳ございませんでした。
      

陰暦・火正月の話

2011-02-01 00:15:00 | ノンジャンル
 みぞれも降らず、まして雪なぞ降らない亜熱帯沖縄の四季は、旧暦で巡っている。したがって沖縄は、卯年を新暦2011年2月3日に迎える。
 新暦の正月を大和正月<やまとぅ そうぐぁち>、旧暦のそれを沖縄正月<うちなぁ そうぐぁち>と称しているのはそのためだ。馳走もまず、古酒泡盛の盃を回した後、豚肉を主に大根、豆腐などを煮込んだものをはじめ、酢の物、赤飯をいただき、1年を始めることになる。門口には門松を差し、床の間や仏壇、台所の火の元に祀った火ぬ神<ひぬかん>には、若木<ホルトの木。方言名ふちま>やチャーギの枝<イヌマキの小枝>、松、竹、大根の花で盛花をいける。株に仏壇、火ぬ神には赤・黄・白の色紙を重ねた上にミカンや橙、それに昆布で巻いた炭を乗せ水、塩、餅を添えて供える。色紙の赤は血<健康>黄は黄金<金銭>白は無垢<幸運>を表わし、それぞれが開けるようにと祈願するのである。お気づきのように和琉折衷の様式になっているが、これもいまではほとんど成されていず門松、注連縄、馳走等々大和風になっている。

写真:火ぬ神 
 沖縄の冬はこのころが最も寒く、かつては火鉢の登場を見た。それも4、5日程度の暖の取り方。それ以降は日に日に陽も長くなり、寒さも徐々に遠退いて行くのを実感することができる。昭和20年代の少年のころの楽しみのひとつに、火鉢を囲んで〔昔ばなしを聞く〕があった。おふくろに聞いた夜ばなしを紹介しよう。

【火正月=ひーそうぐぁち

 昔々ある所に、貧しくても仲よく暮らしている老夫婦がいた。今日は旧暦の正月というのに、ふたりの暮らし持ちでは馳走を作る余裕もなく〔どんなに長く厳しい冬でも、やってこない春はない。しばし、辛抱して居ようね〕そう話し合って、夏、秋の間にあがなって置いた薪、炭を火鉢にくべ、暖だけは十分にとり、白湯をのみながら正月の宵を過ごしていた。すると、外のニシカジ<北風>にまじって誰かが戸をたたく音がする。
 「ハーメー<婆前。婆>。この寒空にこんなあばら屋を訪ねるとは、どこのどなただろう。出てごらんよ」
 ウスメー<御主前。爺>に言われてハーメーが戸を開けてみると、そこにはフクター<ぼろ衣>を身に着け、白い髭を胸まで伸ばした老人が立っている。けれども、顔立ちには気品がある。
 「わしは旅の者。迷惑でなかったら一夜の宿を貸してはくれまいか」
 「さてさて。難儀なことで・・・・。この家には正月の馳走もないが寒さのしのぐ火鉢の火だけは十分にある。それでよければ、暖まっておいでなさい」
 「ありがたやっ」
 ウスメー、ハーメーに招き入れられた旅の老人は早速、火鉢にあたり、その夜は三人で四方山ばなしをしながら過ごし、そして就寝・・・・。
 翌朝。東の空が白みはじめたころ、ハーメーが目覚めてみると、旅の老人の姿が見えない。ウスメーを起こして家の内外を探しみても、その姿はない。
 「はて?朝餉もとらず、どこへ行ったのだろう」
 気にかけながらハーメーは、シム<下。台所>に下りて、老人の分まであたたかい芋粥を作っていると、ウスメーの声。
 「ハーメーようっ!これを見てごらんっ」
 何ごとかとハーメーは居間に上がって、ウスメーが指さした先を見ると、旅の老人が置いて行ったらしい大きめの麻袋がひとつ。開けてみると真っ白な米がいっぱい入っているではないか。そして、走り書きの手紙が添えてある。
 「お世話になった。正月のクァッチー<馳走>よりも暖かい火鉢の火と、それにまさるふたりの親切がありがたかった。いい〔火正月〕をさせてもらった。袋の中の米は、ただの米ではない。3粒を炊くと、10人で食するほどになる。しかも米は減ることはない。いつまでも長生きしてほしい」
 「あゝ。ハーメーっ!あの旅の老人は神様だったのだ。ありがたや!ウートートゥ」
 それからというものウスメーハーメーは、その不思議な米を自分たちと同じく、貧しくてもつつましやかに暮らしている隣人にも分け与えて、村中皆なで幸せに暮らしたということである。以来、何はなくても暖かい“火”さえあれば、新年は毎年迎えられることを知り、人の心の暖かさとともに“火正月”という言葉が、琉球中に広まったそうな。

 沖縄の昔ばなしに登場する白髪・白髭の老人はたいてい予告なしに現れるが、それは神様自身か、もしくは神の使者と心得てよい。この“火正月”の話が教えているのは何か。子どもたちとともに話し合ってみるのもいいのではないか。
      
       写真:旧正月風景 
 蛇足=新暦3月4日は、琉球放送主催第19回「ゆかる日まさる日さんしんの日」だ。    
 沖縄中に流れる「さんしんの音」が、ほんものの春を連れてやってくる。