旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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雑踊・加那よー・カナーよー

2019-10-20 00:10:00 | ノンジャンル
 ♪カナーよー
  面影ぬ立てぃば 宿に居らりらん でぃちゃよ押し連りてぃ 遊でぃ忘ら
 《うむかじぬ たてぃば やどぅにWUらりらん でぃちゃよ うしちりてぃ あしでぃわしら

 *でぃちゃよ=(誘い)の掛け言葉。「でぃっちゃ」「でぃちゃ」もある。
 歌意=愛する人よ。お前の面影がたてば・お前のことを想うと、宿(家)にじっとしてはおれない。さあ、連れ立って外に出て恋の苦しみを語り合って忘れよう。

 かつてならば秋の豊年祭、男女の社交場「毛遊び=もう あしび」、村遊びなどの演目には人気舞踊として組み入れられる演目。「カナ」は「愛しい人」の意。沖縄には「カナ」もしくは「カナー」の名前が男女問わずある。殊に女の子を「カナシー」とも言い、可愛がった。大方は「愛しい人」と理解した方が歌も、すんなりと情緒を伝える。

 踊りは村遊びなどで演じられた一人踊りを二人踊りにして「打組踊」と称する振付を大正12年ごろ役者・舞踊家の親泊興照(おやどまり こうしょう)、儀保松男(ぎぼ まつお)が舞台に乗せた。現在、演じられている「加那よー・天川」の原型とされている。
 この年、皇族方が来県した折り「おもてなしの宴」を催した。それまで、それぞれ単独の演目だった「加那よー節」に、これまた早弾きの「天川節」を組み合わせて披露したのが現在の「加那よー・天川」だという。
 前半の「加那よー」は、愛情の印として、ミンサー織りの帯と花染め手布じを交換し合い、後半の天川節では泉のほとりに遊ぶ男女を軽快に表現する。
 「天川節」は、

 ♪天川ぬ池や千尋どぅ立ちゅる うりやかん深く思てぃ給り
 《あまかわぬいちや しんぴるどぅ たちゅる うりやかん ふかく うむてぃ たぼり

 *千尋=長さの単位。
 歌意=天川の池が深いといっても、たかだか(千尋)ほどのもの。それよりも、もっと深く想ってくださいと、表現している。
 両節とも軽快なテンポだが、「天川節」に移ると三線演奏はさらに速くなり、開放的な愛の表現になる。したがって、踊り手と歌三線、鳴り物の呼吸が重要視される。
 「雑踊りながら、この演目を踊り、地謡をこなせたら一人前」と、折り紙が付くとされる。

 ♪加那よー
  情き呉るびけい 手布じ呉てぃ何すが ガマクくん締みるミンサ呉らな
 《なさきくぃる びけい てぃさじくぃてぃ ぬすが ガマクくんしみる ミンサ(メンサ)くいらな

 歌意=情愛のしるしに、花染めの手布をくれるというが、ボクはそれ以上の「キミのガマク(腰)を締めるミンサー織りの帯をあげよう。一心同体でいよう。

 ♪加那よー
  遊でぃ忘しららん 踊てぃ忘ららん 思み勝てぃいちゅさ ありが情
 《あしでぃ わしららん WUどぅてぃ わしららん うみまさてぃ いちゅさ ありがなさき

 歌意=夜のひと時、キミに逢って歌ったり踊ったりすれば、、気も晴れてしばらくの間はキミのことを忘れることができるだろう。仕事にも専念できると思ったことだが、どうしてどうして、思いは一層増すばかり。キミとボクとの愛は、一生モノと心得た。
 「アリ」は女性を指す。男性を指す場合は「アマ」と称する。
 女性は母屋の離れに「アサギ」という別棟があって「夜なべ仕事」に使用していた。そこには機織り機や裁縫道具が置かれていて「女としてのたしなみ」を身につけた。彼へのプレゼントの「花染み手布じ」もそこで織った。
 「カナ」に対する思い入れは、すべて手作り。お金で求めるいまどきのプレゼントもよいが、物のない時代のこと。「愛」はすべて手作り表現したというのが、なんとも嬉しい。
 ところで。
 創作舞踊「加那よー」は近代舞踊の草分けといわれる玉城盛重翁の振付に親泊興照、儀保松男がコンビを組んだ際、手を加えて現在に受け継がれているという。
 長月は「祭りの時」。沖縄中で大小の豊年祭や村遊びが催されている。いや、あとひと月ほどは賑わうであろう。そのいずれの「祭り」の余興にも「加那よー・天川」は、組み込まれているに違いない。この際「加那よー・天川」を観てまわるのも一興かも知れない。
 

空も長月~はじめころかや

2019-10-10 00:10:00 | ノンジャンル
 ♪空も長月 初めころかや 四方の景色を
  空も時雨に 濡れて男鹿の 鳴くもさびしき 折りに告げくる
 ♪雁の初音に 心浮かれて ともに打ち連れ
  出ずる野原の桔梗・刈萱 萩の錦を
 ♪来ても見よとや 招く尾花の袖の夕風
  吹くも身に染む 夕陽入り江の海士のこどもや
 ♪棹のしずくの袖を濡らして 波路はるかに
  沖に漕ぎ出で 月は東の山の木の間に いまぞほのめく~

 踊り付きの歌謡として親しまれる「秋の踊り」の歌詞。
 前節の下句をつぎの上句に繋げる連歌形式なのが特徴。
 因みに振付は往年の名優新垣松含(あらかき しょうがん。明治13年(1880)~昭和12年(1937))。親泊興照(おやどまり こうしょう。明治30年(1897)~昭和61年(1986))とされるが定かではないという。
 旋律は組踊「義臣物語」で地謡が歌う「道輪口説=みちわ くどぅち」に、後年歌詞を替えて「秋の踊り」とした。

 沖縄の(秋)は(台風)が連れてやってくる。
 梅雨明けとともに発生する台風は大小合わせて25、6号が沖縄を通過する。
 大抵は酷暑の折りの台風だが、9月後半のそれは、確かに(秋)を連れてやってくる。それまで17、18号の発生まで待たなければならない。
 今年は地球温暖化のせいか台風は宮古、八重山を直撃すること5度、6度。沖縄本島は3度か4度・・・・。ことに17号、18号は猛烈で本島を襲った。被害をこうむった地域の方々には申し訳なく、お見舞い申し上げるより他にすべを知らないが、日没は早くなり、夕風が涼しくなり、ことば通り「秋を連れてきた」。

 ところで。
 1年の月々には(和名)がある。
 9月は、秋の彼岸を境に「夜の時間が長くなる」ところから(長月)とはよくいったものだ。万葉集や日本書紀にも(月の和名)はすでにみえていて、四季の花鳥風月をめでる日本人の精神文化を感じる。
 語源には諸説ある。一般的な節を記してみる。

 ※月々の和名。
 ◇一月=睦月・むつき
 *一条兼良著「世諺問答」に、正月は年の始めの祝事を成し、知る人互いに往き交わし、いよいよ睦み親しむ月なりとある。

 ◇二月=如月・きさらぎ。
 *寒くて、さらに(衣=きぬ)を着る・衣更着(きさらぎ)ともいう。

 ◇三月=弥生・やよい。
 *草木いよいよ芽を出し、茂る月。

 ◇四月=卯月・うづき。
 *卯の花が咲くころ。

 ◇五月=皐月・さつき。
 *農耕の始まり。稲を植えるころ。早苗の転語。

 ◇六月=水無月・みなづき。
 *梅雨が明けて、水が枯れるころ。

 ◇七月=文月・ふづき。
 *七夕の短冊に願いの文を書く月。また、稲が穂をふくむ月から転じたともいう。
 
 ◇八月=葉月・はづき。
 *木の葉が色づく月。また、稲の穂が張る時候。

 ◇九月=長月・ながつき。
 *秋の夜長から・・・・。

 ◇十月=神無月・かんなづき。かみなつき。
 *諸々の神が皆、出雲に集まり、諸国に神がいなくなる。また、激しかった雷が遠退く「カミナリ無月」の文字もみえる。

 ◇十一月=霜月・しもつき。
 *霜が降りるころ。

 ◇十二月=師走・しわす。
 *一般に寺僧を迎えて「一年の締め」のお祓いをする風習があり、僧侶が走り、多忙を極める月。「年果たす。年極まる月」。

 10月13日は旧暦の9月15日。「後ぬ十五夜=あとぅぬ じゅうぐや」と称し、沖縄の月がもっとも冴え渡るとされている。
 「もう、台風は御勘弁!」と、神風に頼みたい。聞き届けてくださるか。


天まで上がれっ・増税

2019-10-01 00:10:00 | ノンジャンル
 6人いる孫の内、一番下の男児が来年の春、新一年生になる。
 「ランドセルを買ってくれ」。
 そうねだられたら。酷暑の8月のことだ。
 「いまで注文しなかったら、増税で10月以降は高くなる」という。爺には(否っ)の文字はない。
幸い「貯金の本」なるものがあって、1ページごとに500円硬貨がはめ込まれるようになっている10ページ分の厚さだ。
 これを埋めるのが楽しみで、煙草やジュースを買う折りには、わざわざ紙幣を出して(500円)のお釣りが出るようにして「貯金の本」を埋めているところだった。およそ1年がかりで「8万円余」になったところ。その「貯金の本」をまるごと渡した。
 ランドセルが注文通り届いたのは9月も25日のこと。自分の背中よりも大きいランドセルを背負ってはしゃぎまわる孫をみて「チリも積もれば山となる」とはこのことだと、悦に入ったしだい。
 ところで「いくらのランドセルを買ったのか?」。未だに確かめてはいない。
 まあ、孫のモノだ。いくらしようとも「センサクはすまい」。

 爺の小学校入学は遠い昔の昭和20年、終戦の年のこと。ランドセルなぞあろうはずもなく、風呂敷に筆記用具を包んで、野戦用のテント教室に通っていた。
 そのころの貨幣は、アメリカ軍政府が発行した軍票(通称B円)。それから米ドルの時代を経て、日本円を再び手にしたのは昭和47年(1972)日本復帰後のことである。切り替え相場は1ドル=365円。

 ところで。
 何時の時代にも「増税」はあるもの。
 昭和の何年かはさだかでないが「酒税」が高くなった時代。晩酌が唯一の楽しみであった御仁は、半ばやけくそで狂歌を詠んでウサばらしをしている。

 ♪上ゆらば上ぎり 天までぃん上ぎり 海ぬ底までぃん飲まい見しら
 《アギゆらばあぎり てぃんまでぃんあぎり うみぬすくまでぃん ぬまゐみしら

 歌意=またまた酒代を上げるというのか。よしよしっ!上げるなら上げよっ。何%と言わず、天まで上げよ。上げたからと言って、好きな酒がやめられようか。節酒ができようか。大海の潮ほどある酒だ。海の底までも、飲み干して見せようぞっ。

 大変な豪の者がいたものだ。しかし「物価高騰」に対する庶民の怒りが感じられないわけではない。いまどきだったらこの豪傑「酒税・値上げ反対」を訴えて同志を集め、国会に闇討ちをかけていたに違いない。そうもいかず・・・この豪の者、酒の代わりに涙を飲んだことだろう。

 一方では「長いモノには巻かれろ」ではなかろうが、諦めの狂歌もある。

 ♪物価てぃる物価 天までぃん上がてぃ 下がてぃ居るむぬや サナジびけい

 歌意=いまの政府はなにを考えているのか。またぞろ、物価という物価を天まで上げてよしとしている。下がっているものと言えば、自前の(金)を隠すフンドシだけではないかっ!
庶民感情としては悲痛な叫びと言わざるを得ない。

 子どもたちは社会の動きに敏感ですでに、次のようなクイズがでているそうな。

 問=上がるより下がる方がよいものは何?
 答=先生の(ゲンコツ)の手。
 問=下がるより上がる方がよいものは何?
 答=成績と凧。

 少し大人の知恵が入ったようなクイズだが、子どもたちも(増税)には気をもんでいるらしい・・・・。

 我が家では(増税)対策は成されているか?日頃は考えてみたこともないが、何やら変化はないか、家の中を見渡してみた。「あったっ」。トイレの中の棚には、無理して押し込んだと思われるロールペーパーぎっしり。おそらく家の者が9月末日ごろ「駆け込み買い」をしたものだろう。

 ボクはといえば、紙幣でジュースを買い、お釣りの500円硬貨を「貯金の本」に詰めるよう心掛けようと、強く決意するしだいである。
 そう思ったとたん、寂しさが身に沁みる。なぜだろうか。