♪カナーよー
面影ぬ立てぃば 宿に居らりらん でぃちゃよ押し連りてぃ 遊でぃ忘ら
《うむかじぬ たてぃば やどぅにWUらりらん でぃちゃよ うしちりてぃ あしでぃわしら》
*でぃちゃよ=(誘い)の掛け言葉。「でぃっちゃ」「でぃちゃ」もある。
歌意=愛する人よ。お前の面影がたてば・お前のことを想うと、宿(家)にじっとしてはおれない。さあ、連れ立って外に出て恋の苦しみを語り合って忘れよう。
かつてならば秋の豊年祭、男女の社交場「毛遊び=もう あしび」、村遊びなどの演目には人気舞踊として組み入れられる演目。「カナ」は「愛しい人」の意。沖縄には「カナ」もしくは「カナー」の名前が男女問わずある。殊に女の子を「カナシー」とも言い、可愛がった。大方は「愛しい人」と理解した方が歌も、すんなりと情緒を伝える。
踊りは村遊びなどで演じられた一人踊りを二人踊りにして「打組踊」と称する振付を大正12年ごろ役者・舞踊家の親泊興照(おやどまり こうしょう)、儀保松男(ぎぼ まつお)が舞台に乗せた。現在、演じられている「加那よー・天川」の原型とされている。
この年、皇族方が来県した折り「おもてなしの宴」を催した。それまで、それぞれ単独の演目だった「加那よー節」に、これまた早弾きの「天川節」を組み合わせて披露したのが現在の「加那よー・天川」だという。
前半の「加那よー」は、愛情の印として、ミンサー織りの帯と花染め手布じを交換し合い、後半の天川節では泉のほとりに遊ぶ男女を軽快に表現する。
「天川節」は、
♪天川ぬ池や千尋どぅ立ちゅる うりやかん深く思てぃ給り
《あまかわぬいちや しんぴるどぅ たちゅる うりやかん ふかく うむてぃ たぼり》
*千尋=長さの単位。
歌意=天川の池が深いといっても、たかだか(千尋)ほどのもの。それよりも、もっと深く想ってくださいと、表現している。
両節とも軽快なテンポだが、「天川節」に移ると三線演奏はさらに速くなり、開放的な愛の表現になる。したがって、踊り手と歌三線、鳴り物の呼吸が重要視される。
「雑踊りながら、この演目を踊り、地謡をこなせたら一人前」と、折り紙が付くとされる。
♪加那よー
情き呉るびけい 手布じ呉てぃ何すが ガマクくん締みるミンサ呉らな
《なさきくぃる びけい てぃさじくぃてぃ ぬすが ガマクくんしみる ミンサ(メンサ)くいらな》
歌意=情愛のしるしに、花染めの手布をくれるというが、ボクはそれ以上の「キミのガマク(腰)を締めるミンサー織りの帯をあげよう。一心同体でいよう。
♪加那よー
遊でぃ忘しららん 踊てぃ忘ららん 思み勝てぃいちゅさ ありが情
《あしでぃ わしららん WUどぅてぃ わしららん うみまさてぃ いちゅさ ありがなさき》
歌意=夜のひと時、キミに逢って歌ったり踊ったりすれば、、気も晴れてしばらくの間はキミのことを忘れることができるだろう。仕事にも専念できると思ったことだが、どうしてどうして、思いは一層増すばかり。キミとボクとの愛は、一生モノと心得た。
「アリ」は女性を指す。男性を指す場合は「アマ」と称する。
女性は母屋の離れに「アサギ」という別棟があって「夜なべ仕事」に使用していた。そこには機織り機や裁縫道具が置かれていて「女としてのたしなみ」を身につけた。彼へのプレゼントの「花染み手布じ」もそこで織った。
「カナ」に対する思い入れは、すべて手作り。お金で求めるいまどきのプレゼントもよいが、物のない時代のこと。「愛」はすべて手作り表現したというのが、なんとも嬉しい。
ところで。
創作舞踊「加那よー」は近代舞踊の草分けといわれる玉城盛重翁の振付に親泊興照、儀保松男がコンビを組んだ際、手を加えて現在に受け継がれているという。
長月は「祭りの時」。沖縄中で大小の豊年祭や村遊びが催されている。いや、あとひと月ほどは賑わうであろう。そのいずれの「祭り」の余興にも「加那よー・天川」は、組み込まれているに違いない。この際「加那よー・天川」を観てまわるのも一興かも知れない。
面影ぬ立てぃば 宿に居らりらん でぃちゃよ押し連りてぃ 遊でぃ忘ら
《うむかじぬ たてぃば やどぅにWUらりらん でぃちゃよ うしちりてぃ あしでぃわしら》
*でぃちゃよ=(誘い)の掛け言葉。「でぃっちゃ」「でぃちゃ」もある。
歌意=愛する人よ。お前の面影がたてば・お前のことを想うと、宿(家)にじっとしてはおれない。さあ、連れ立って外に出て恋の苦しみを語り合って忘れよう。
かつてならば秋の豊年祭、男女の社交場「毛遊び=もう あしび」、村遊びなどの演目には人気舞踊として組み入れられる演目。「カナ」は「愛しい人」の意。沖縄には「カナ」もしくは「カナー」の名前が男女問わずある。殊に女の子を「カナシー」とも言い、可愛がった。大方は「愛しい人」と理解した方が歌も、すんなりと情緒を伝える。
踊りは村遊びなどで演じられた一人踊りを二人踊りにして「打組踊」と称する振付を大正12年ごろ役者・舞踊家の親泊興照(おやどまり こうしょう)、儀保松男(ぎぼ まつお)が舞台に乗せた。現在、演じられている「加那よー・天川」の原型とされている。
この年、皇族方が来県した折り「おもてなしの宴」を催した。それまで、それぞれ単独の演目だった「加那よー節」に、これまた早弾きの「天川節」を組み合わせて披露したのが現在の「加那よー・天川」だという。
前半の「加那よー」は、愛情の印として、ミンサー織りの帯と花染め手布じを交換し合い、後半の天川節では泉のほとりに遊ぶ男女を軽快に表現する。
「天川節」は、
♪天川ぬ池や千尋どぅ立ちゅる うりやかん深く思てぃ給り
《あまかわぬいちや しんぴるどぅ たちゅる うりやかん ふかく うむてぃ たぼり》
*千尋=長さの単位。
歌意=天川の池が深いといっても、たかだか(千尋)ほどのもの。それよりも、もっと深く想ってくださいと、表現している。
両節とも軽快なテンポだが、「天川節」に移ると三線演奏はさらに速くなり、開放的な愛の表現になる。したがって、踊り手と歌三線、鳴り物の呼吸が重要視される。
「雑踊りながら、この演目を踊り、地謡をこなせたら一人前」と、折り紙が付くとされる。
♪加那よー
情き呉るびけい 手布じ呉てぃ何すが ガマクくん締みるミンサ呉らな
《なさきくぃる びけい てぃさじくぃてぃ ぬすが ガマクくんしみる ミンサ(メンサ)くいらな》
歌意=情愛のしるしに、花染めの手布をくれるというが、ボクはそれ以上の「キミのガマク(腰)を締めるミンサー織りの帯をあげよう。一心同体でいよう。
♪加那よー
遊でぃ忘しららん 踊てぃ忘ららん 思み勝てぃいちゅさ ありが情
《あしでぃ わしららん WUどぅてぃ わしららん うみまさてぃ いちゅさ ありがなさき》
歌意=夜のひと時、キミに逢って歌ったり踊ったりすれば、、気も晴れてしばらくの間はキミのことを忘れることができるだろう。仕事にも専念できると思ったことだが、どうしてどうして、思いは一層増すばかり。キミとボクとの愛は、一生モノと心得た。
「アリ」は女性を指す。男性を指す場合は「アマ」と称する。
女性は母屋の離れに「アサギ」という別棟があって「夜なべ仕事」に使用していた。そこには機織り機や裁縫道具が置かれていて「女としてのたしなみ」を身につけた。彼へのプレゼントの「花染み手布じ」もそこで織った。
「カナ」に対する思い入れは、すべて手作り。お金で求めるいまどきのプレゼントもよいが、物のない時代のこと。「愛」はすべて手作り表現したというのが、なんとも嬉しい。
ところで。
創作舞踊「加那よー」は近代舞踊の草分けといわれる玉城盛重翁の振付に親泊興照、儀保松男がコンビを組んだ際、手を加えて現在に受け継がれているという。
長月は「祭りの時」。沖縄中で大小の豊年祭や村遊びが催されている。いや、あとひと月ほどは賑わうであろう。そのいずれの「祭り」の余興にも「加那よー・天川」は、組み込まれているに違いない。この際「加那よー・天川」を観てまわるのも一興かも知れない。