旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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「小さな島の大きな絆」1月20日用

2013-01-20 02:00:00 | ノンジャンル
 ※双発機に乗る。
 那覇空港から東へ約400キロ。機上の人となって約60分。南大東島を経由して、さらに12キロの太平洋上に位置する北大東島に着く。サトウキビを主産業とする島の人口は、2012年12月現在、人口660名。行政的には「北大東村=きただいとうそん」。南大東村とともに「ウフアガリジマ」と呼んでいる。
 現行行政区は中野、港、南、ラサ。ただし、ラサは北大東島からさらに南へ150キロに位置する。かつては燐鉱石の採掘がなされていたが、1956年〈昭和32年〉以降、一時的中断はあったものの、米軍の射撃演習場に使用されていて、現在は無人。
 交通手段は、空路及び海路。乗客はもちろんのことだが、その運用のほとんどは生活物資の輸送にあてられる。

 ※毎年11月23日。
 北大東村は、言葉通り[島中が沸く]。
村立北大東小中学校は現在、小学生45名。中学生23名。職員は校長以下6名の温かい学校。ただ、高校がないため、進学する中学3年生は島を後にして本島や本土の学校を目指すことになる。
 「自立の第一歩」と言えば聞こえはいいが、なにしろ14,5歳の少年少女を手放すことは、父母にとって不安がある。そこで、激励の意を込めて父母が考え出したのは「相撲と腕相撲」である。
 男子は父と相撲、女子は母と腕くらべをする「大会」を催すのだ。9,10月の声を聞くころになると、親も子も大会へ向けての自主トレーニングを開始する。それも親子別々。密かに黙々と体力をつけ、筋力アップに精を出す。
 いよいよ大会の日。
 公民館広場に土俵と腕相撲台が特設され、島中の老若男女が結集。各取組に声援を送って大会を盛り上げる。当然、勝ち負けがつく。それぞれの親子の心の内は、さまざまな(想い)が去来する。
 息子に勝った親は「まだまだ自分を必要としている」と、決意を新たにする。これは母も同じだ。負けたら負けたで「これなら大丈夫」と少々、安堵する。
 親を倒した子はどうか。「親も年なのかなぁ。自分がしっかりしなければ」と決心を固め、負けた場合は「高校、大学を出、もっと強くなって親を越えよう」。このことを胸に刻み込むのである。
 当人たちの顔には、勝敗にかかわらず、親子ならではの感動と熱い涙が見られる。これがまた、観衆にも伝わり「親子の絆」の感動を共有する小さな島の大きな催事と言えよう。

 ※雷親父、肝っ玉かあさん。腕白小僧、お転婆娘。
 いま、これらの言葉はどこへ行ってしまったのだろう。意味さえ解さない少年少女が多くなったように思える。しかし、それらの言葉を超越して、今日でも様々な「親子大会」が行われていることは、人の世、そうそう捨てたものではない。
 「断絶」という社会現象で、人と人、親と子の「絆」をあきらめてはならないと思われるがどうか。
 古諺に「親寄し 子寄せうやゆし くゎゆし」がある。
 常に親は、子に心を寄せ、子またしかり、親に心を寄せるという昔びとの教えである。
 古めかしい教訓なのかも知れないが、北大東村の「相撲、腕相撲」の催事に接して、この言葉を思い出した。正月の年賀に来た息子や娘、婿や嫁に相撲や腕相撲を挑もうと思ったのだが、これは実施する前に勝負は見えている。しからばと、小中高生の孫、それぞれと「ハーエースーブー=走り勝負・駆けっこ」してみた。負けた。悔しさはなく、嬉しさが胸中を駆け巡った。

第6回 今帰仁グスク桜まつり ~世界遺産、今帰仁城跡と桜のライトアップ
 期間:1月20日~26日
 場所:今帰仁城跡

*カヌチャリゾート スターダストファンタジア
 期間:1月20日~26日
 場所:カヌチャリゾート {名護市}

はいさい市屋台村 in 美栄橋
 期間:2013年1月25日
 場所:ゆいレール美栄橋駅

第4回 久米島桜まつり
 期間:1月25日・26日
 場所:だるま山園地 [久米島]

*第51回 名護さくら祭り
期間:1月26日・27日
場所:名護中央公園

*オリックス・バファローズA組 宮古入り
 期間:1月26日
 場所:宮古島市民球場





おきなわ日々記[名言・迷言・いい話]

2013-01-10 01:25:00 | ノンジャンル
 ※【若年から・・・】
 新年の挨拶言葉に「若年から取みしぇーびたがやぁ=若い歳を選んで取りましたか」。
 もちろん、年配者に対する敬語である。
 「年齢は、重ねるにつれ、自分から好んで取るものではない。向こうから勝手に寄ってくるものだ。だから“年取りとは言わず、年寄り”というのだよ」。
 歌者登川誠仁の名言。

 ※【人それぞれ】
 歌者嘉手苅林昌曰く。
 「歳とぅカーギや、なあ前々」
 年齢と容貌は、人それぞれの持ち合わせ。他人のそれと比べることはない。一生付き合う固有財産であるというのだ。彼は「ワシの財産は、親からもらったこのカーギと、自分で重ねた年齢と歌と三線だけだ」と、付け加えた。

 ※【女房の肥満】
 *トゥジ=刀自。妻、女房、妻女の意=。
 「トゥジは、太っていた方がいい。他人は、楽をさせていると見てくれる。ヨーガリ〈やせているさま〉でいると、苦労させていると勘ぐる」
 そう言って納得している歌者山内昌徳の奥さんは見た目に肥満。

 ※【きれいだね】
 10代の子ならいざ知らず、20代の子には「かわいいね」よりも「きれいだね」の方が受けがいい。子ども扱いしてはもらいたくない心理が働いているらしい。スタジオ入りする際に、顔を合わせる若い女性スタッフには「今日もきれいだね。気合を入れて行こうぜ」と、声掛けをするようにしている。
 「きれいだね」が、50代以上の女性に同価値観で感受してもらえるかどうか、まだ実験したことはない。

 ※【元気ですか。大丈夫ですか】
 私事に過ぎるが、昨年5月9日から6月4日まで脊椎症性脊髄症の手術で入院をしていた。見舞いにきてくれた歌者山里ゆき、饒辺勝子の第一声。
 饒辺勝子「元気ですか」。
 「ありがとう」の後に心の中でつぶやく。〈元気でないから入院しているのだよ。勝ちゃん〉。
 山里ゆき「大丈夫ですか」。
 これにも無言で応える。「にふぇーどう=ありがとう=大丈夫でないから手術したんだがなあ」。
 ヘソがまっすぐではない小生だからそう思うのだろう。とかく見舞い言葉も難しい。

 ※【祝儀袋】
 これも見舞人のひとり。キャンパスレコード社長備瀬善勝の所業。
 見舞金が祝儀袋に入っていた。そして曰く。
 「おめでとう。お前さんは、ちょいと走り過ぎたから、神様が〈少し休め!〉と、特別休暇をくれたんだよ」。
 50余年来の古馴染みの照れ隠しのシャレが嬉しかった。

 ※【地方語の発音】
 琉球放送でニュースキャスターとして活躍し、いまはフリーアナウンサーの宮城麻理子女史。担当の音楽番組出だしの挨拶を沖縄口で語りたかったのだろう開口一番、自信を持って言った。
 「グソーよお。今日拝なびら=ちゅう うがなびら」。
 しかし、「グソー」は、後生=ごしょう=あの世のこと。「あの世の皆さん」では、放送にはならない。「皆様」の丁寧語は「グスーよお=御衆様」である。以来、彼女は沖縄語のマスターを真剣にしている。

 ※【人ごとではない!】
 小生にも覚えがある。民謡番組を担当し始めのころ。節名さえよく知らなかった。リクエストハガキに「白骨節」あるのをそのまま読んだ。「ハツコツぶし」。
 正しくは「シラクチぶし」。芝居歌謡のひと節。
 「知ったかぶりで放送するなっ!あやふやな事柄は、常にたしかめよっ!」。
 上司にこっぴどく叱責されたのは言うまでもない。

 かくして、多くの先輩後輩と交わりながら今年の日々をこなして行くことではある。

 1月後半の行事。
 ◇第35回 本部八重岳桜まつり
   期間:2013年1月19日(土)~2月3日(日)
   場所:八重岳桜の森公園(本部町)

 ◇第6回 今帰仁グスク桜まつり
   期間:2013年1月19日(土)~2月3日(日)
   場所:今帰仁城跡(今帰仁村)

 ◇第4回 美ら島オキナワセンチュリーラン2013
 開催日:1月20日(日)
 場所:恩納村コミュニティセンター (恩納村)

 ◇第51回 名護さくら祭り
   期間:2013年1月26日(土)~1月27日(日)
 場所:名護城 (名護市)
      



「おきなわ日々記」2013年1月1日

2013-01-01 00:00:00 | ノンジャンル
 【年の始めに】

 “同ぬ如に巡る 歳月どぅやしが 孵でぃ果報や勝る 今年巳年”
 〈いぬぐとぅにみぐる とぅしちちどぅやしが しでぃがふうやまさる くとぅしみどぅし〉

 年賀状に、そう書き添えた。
 (毎年、同じように巡る月日。ひと味異なる。旭日を浴び、辺りの風に触れてみれば、新しい“魂”のよみがえりを何時よりも強く感じる。これが今年巳年なのだ。このことを念頭に、巳年を過ごそう)

 孫たちが揃ってやってきた。
 歓談しながら、ふと己の幼少のころに思いを馳せる。
 なにしろ、昭和20年に小学校入学の小生には、その年の正月の記憶はない。すでに日米戦争は終盤。親たちは、家族だけでかたちばかりの正月はやっただろうが、小生にはその記憶がないのである。いや、そうした正月は、4,5年前から続いていたのだろう。兄や姉たちの話によれば、それでも日の丸の国旗は門前に掲げていたらしい。それは、日本国民としての“誇りと義務”だったそうな。
 正月を祝ったのは、その後2,3年後のことになろう。
 大晦日か元旦に、銭湯に出かける。大人、子ども、言葉通り『芋を洗う態』だった。夏場は、屋敷内の井戸端ですませ、冬でも家で沸かした熱湯に水を足して入っていた風呂も、正月前後には、銭湯に行って浴びる。なによりも湯船に入れるのが嬉しくて楽しかった。両手両足をバタつかせ、水泳ごっこをした。“やめろッ!”と、怒鳴る嫌な大人もいたが、大抵は、ニコニコして見ているいい大人が多かった。
 米軍から払い下げの洗顔用か洗濯用の固形石鹸。いずれでもお構いなしに、とにかくゴシゴシと洗う。殊に(正月だから)と、兄がバリカンで刈ってくれたイガグリ頭を洗う気分は、正月ならではのもの。正月に向けて刈る散髪を「ソーグヮチだんぱち=正月断髪」と言ったのも、あのころ、あのころ・・・・。
 孫たちの風呂上りの笑顔を見、女子高校2年生の孫のオーデコロンを使ったらしいほのかな香りに、少年のころの正月を思い出したことである。

 遅ればせながら近くの神社へ初詣に行くという。
 那覇市辻町の波之上宮か、奥武山の護国神社冲之宮か。それとも、首里の観音堂か。はたまた、中城村成田山か。沖縄市の泡瀬ビジュルか。行き先を問う間もなく、そそくさと出かけて行った。

 「神仏に何を祈願するのだろうね」
 婆は、意味ありげの笑顔。
 爺としては、先人が詠んだ琉歌を祈り言葉とする。

 “朝夕我が願えや くとぅぐとぅや思まん 命果報強さ あらち給ぼり”
 〈あさゆ わがにげや くとぅぐとぅやうまん ぬちがふうちゅうさ あらちたぼり〉
 (祝日のみならず、私が朝夕神仏に祈願するのは、多くのことではない。身内のものが常に健康で、強い生命力を持って日々を過ごせますように。ただ、このことひとつである)


 かつてこのことは、自分のためのそれではあったが、いまでは(せめて子や孫たちが、健やかな日々を送れるように)のそれになっている。
 自慢ではないが、銭金はなし。彼たちに残してやれるモノもさらになし。至極さっぱりとした人生を継続中の爺としては、この願望をこの際、神仏に頼むよりほかに術はないのである。
 ヘビは金運の象徴という。贅沢を欲するのでは決してないが、小生にもときたま孫たちに小遣いを渡せるくらいは稼げる健康をお願いしたい。日々好日を読者諸氏と共有したい。