旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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十二支シリーズ④ 午・馬

2010-02-25 00:20:00 | ノンジャンル
 世間さまからは「もう、いい歳」と目されながらも酒、ゴルフ、旅行など息抜きをする段になると、この40余年来、決まった顔ぶれになる。「馬ぁ馬じり 牛ぇ牛じりだな」と独白し、苦笑してしまう。
 似た者同士が一緒にいることを例えた「馬は馬連れ牛は牛連れ」の沖縄口が「んまぁ んまじり うしぇー うしじり」なのだ。このことは、たまには若い馬とも付き合いたいのだが、気を遣わなくていい分、どうしても「馬は馬連れ牛は牛連れ」になってしまう。

 ※うま【午・馬】十二支の第7。昔の「午の刻」は今の午前11時から午後1時の2時間。「午の刻」を中心として、その時点を「正午」。以前を「午前」、以後を「午後」。昼寝を「午睡」と言うのもここに由来する。方角は南。

 馬はアジア、ヨーロッパが原産。世界で乗馬、農耕、使役、軍用として飼育。沖縄では王府時代、中国王朝のひとつ明国=1368~1664=との交易に皇帝への貢ぎ物として加えられていた。上流士族の乗馬用はもちろん、庶民の娯楽の競馬用としても活躍している。大正初期の沖縄には、少数の改良馬のほか本島在来馬、宮古馬、与那国馬がいて、基幹産業のサトウキビの生産向上に大きな役割を果たしてきた。しかし、機械化がすすむにつれて、戦前4万余頭を数えた飼育頭数は激減。いまでは実数さえ明らかではない。
 大正11年当時、皇太子の昭和天皇は学習院高等科在学中、馬術大会で優勝するほどの腕前だった。初等科時代、馬術の修錬に登用されたのは宮古馬。ウルマ号・漲水号の2頭は、千葉県三里塚の御料牧場で去勢され後、宮内省馬寮において調練。なにしろ、皇太子殿下がお乗りになる馬である。「慎重に温和な馬に調教せよ」との命が下って調教師は苦心。歩行の他に3通りのことを仕込んだ。①手袋やハンカチを落とすと、即座に拾う。②面前にムチを立てると、前足を上げ後足で立つ。③面前で指を左、あるいは右を指すとその方向に馬首を向ける。
 宮古馬が皇太子殿下の乗馬練習用に選出されたのは、小型ながら性質が温和であることと、持久力があり、粗食でも飼育でき、林や丘陵を小回りよく駆けるのに適していることによるものだった。
 宮古在来馬の体高は115~125㎝。体長120~130㎝。毛色は糟毛〈かすげ〉が主だが、栗毛や鹿毛〈かげ〉もいる。現在、宮古馬で飼育されているのは改良型で体高140~150㎝。体長145~155㎝と、やや大きくなっているが頭数は少ない。
     

 闘牛はともかく、大型馬の闘馬? を見たことがおありだろうか。娯楽の少なかった昭和25、6年頃、うるま市石川の石川岳麓の広場で、闘牛とともに馬の蹴り合いを見たことがある。
 広場に2頭のオス馬が引き出された。異様にいきり立っているのは[発情している]のを知るのは後日のことである。間もなく、2頭の前に毛並みのいいメス馬が登場して2頭のオス馬と対面。言葉通り“お見合い”をする。すると、オス馬は本能のおもむくまま歯を剥き、いきなり、こともあろうに満場の見物衆の目もはばからず一物を露出。それは見る見る大きくなって、律動しながら己の腹を連打する勢いだ。ころあいを見計らって、メス馬を2頭のオス馬の前から引き離す。この[引き離すタイミングが肝要]なことも、後で知ることになる。たまらないのはオス馬だ。メス馬の思わせぶりだけではおさまりがつかない。目や歯や剥き、たて髪を逆立て、前足を上げて相打ち、巨体をひるがえして後足で蹴り合う。壮絶この上もない光景がそこにはあった。メス馬の奪い合いの対決だけに見物衆の声は、歓声というよりも奇声というべきもの。殊に女性たちのそれが、取り乱したように黄色だったのはなぜだったのだろうか。
 あれから60年近く。闘牛、闘鶏は都度見てきたが[闘馬?]については、開催の噂すらとんと聞かない。

 ※馬には乗って見よ 人には添うて見よ=馬は乗ってみなければ良馬か駄馬か善し悪しは分からない。人もまた、心を許し合うほど親交しなければ理解できない。何事も経験した上で判断せよと教えている。
 このことは、宮古の島うた「なりやまあやぐ」や本島の「新宮古節」にも詠み込まれている。
 ※馬を牛に乗り換える=よい方を捨てて、悪い方につくこと。目先ばかりを見て始終、定まらない生き方のさまを例えたのだろうが、では牛は馬に劣るかというと決してそうではない・[乗り換える]としている通り、乗りものとしては牛より馬が適しているところから出た慣用句だろう。

 馬の足は速い。
 「人も馬にあやかって、馬の糞を踏むと足が速くなる」という俗信がある。祖父の口から出た言葉を信じ、運動会の前日、わざわざ野良帰りの馬の後ろを歩み、落としたての馬糞を踏んで30m競争に挑んだ素直ないい子を知っている。効果は「まあまあ」だったそうな。


      


十二支シリーズ③ 辰・巳

2010-02-18 00:20:00 | ノンジャンル
 2月14日。沖縄人は「沖縄正月=うちなーそぉぐぁち」と言い切る陰暦の「正月」を祝った。陽暦にはあてはまらない季節感の中のアジア圏。しかも、南北に長い日本列島のさらに南に位置する沖縄では、大自然の移ろいに逆らわず陰暦陽暦が仲良く同居して諸行事を楽しんでいる。したがって、陰暦のこの日をもって沖縄は[亜熱帯の新年]を迎えたことになるが、今年は陽暦行事のバレンタインデーと重なって、一段と華やかな一日となった。
 では、十二支シリーズの先を急ごう。

 ※たつ【辰】十二支の第5。方言読み=たち。辰の刻は今の午前7時から9時までの2時間。
 辰・竜は伝説上の動物。大方は大蛇や大トカゲの胴体に翼や角、そして猛獣・猛禽の頭などがついた怪獣。口から火を吐く。一般に西洋の竜は悪の象徴だが東洋の竜は、吉兆を表すとともに生命力や強者を代表している。力量に格差がない・優劣つけがたい者同士を意味して、その両者が真剣勝負をすることを「竜虎相搏つ」と言い、竜はその一方で勇である。人名にも[辰・竜]は多く見ることができる。幕末の志士坂本竜馬をはじめ、時代劇のヒーロー江戸の町火消し・め組の辰五郎、歌舞伎の辰之助などなど男伊達を誇っている。
 仏教ではコブラを意味するし鳳・麟・亀とともに四霊のひとつの竜は、雲を呼び雨を呼ぶ霊力があるところから登竜門、独眼竜、飛竜などの言葉になって勢いがいい。首里城の守禮門脇の噴水「龍樋」は、権威と縁起を込めて命名されたという。
   
     「龍樋」

 ※竜の雲を得るが如し=英雄・豪傑が時機を得て活躍するさま。
 ※竜の髭を蟻が狙う=力量、才能もないのに及びもつかないことをしたり、強い者に反抗するたとえ。
 ※竜は一寸にして昇天の気あり=長じて優れているものは、幼少のころから非凡な素質を発揮していることのたとえ。

 友人Eの妻女は辰年生まれで辰子さん。
 「名は体を表すとはよく言ったものだ。鼠年生まれのオレでは、まるで歯が立たない」と、日毎嘆きのセレナーデを奏でているEではある。

 ※み【巳】十二支の第6。巳の刻は今の午前9時から11時。方角=ほぼ南々東。
 南寄りの風は[やふぁやふぁ=柔々」と吹く。中国や東南アジア諸国との交易で栄えた琉球国。そこからの帰還の際、帆船を推進したのは巳の風と午の方角から吹く真南風だった。季節的には3、4月ごろ。薩摩への官船も南風を動力としたのは言うまでもない。したがって、薩摩からの帰路や中国、東南アジアへの往路は9、10月ごろに吹き始めるニシカジ〈方風〉である。祝い歌「めでたい節」「祝い節」あるいは「安波節」にも、巳の刻は、午の刻とともに詠み込まれている。

 symbol7夜ぬ明きてぃ太陽や 上らわんゆたさ 巳・午時までぃぬ 御祝さびら
 〈ゆぬあきてぃ ティダや あがらわん ゆたさ ミ・ンマとぅち までぃぬ うゆえ さびら

 歌意=今日、盛大に開催したこの祝祭。1日限りでは、いかにも惜しい。これは皆の総意だ。さあ夜通し祝おう。夜が明けて陽が昇ってもいいではないか。巳の刻・午の刻までは祝いを続けよう。
 予想以上の豊作を得た豊年祭だったと思われる。数々の奉納芸能が披露され、神と人が一体となった神遊びは延々成されるに違いない。そして巳・午の方角からの風は、さらなる豊作を約束して“ふぁやふぁ=柔々”と吹いていただろう。
   

 さて、巳は蛇の意。[へみ]の略という。
 蛇はヘビ亜目に属する爬虫類の総称で世界の湿帯・熱帯に約2700種が分布しているそうな。奄美諸島・沖縄諸島などにいるハブもその1種。クサリヘビ科の毒ヘビ。ハブの呼称は、沖縄方言と思われがちだが[波布・飯・匙・倩]の文字で表す立派な和名があることは知られていない。ハブにとっては、大自然を生き抜く護身のために毒を有しているだけなのに、人間はどうして文字通り「蛇蝎」の如く嫌うのだろう。いまの世、ハブ以上の毒を持った人間のほうが多くなっているのではなかろうか。
 誰に聞いたのか「沖縄はそこら中、ハブだらけ」と思い込んでいる県外の人に「そうだよ。ボクんちの庭ではタロウ、ハナコ。その子のマイケル、リリーと名付けたハブをペットとして昔から飼っている」と話したら、何人か本気にしていた。そんなことなぞないのである。沖縄で生まれ育った筆者でさえ、野生のハブを直接見たのは2度ほどしかない。
 蛇は西洋では悪魔の使いらしいが、東洋では神仏に仕える生き物として神聖化されている。白蛇の夢を見ると金運がつくというのも、そこいらに由来するのだろう。蛇皮の財布を重宝するのもそのせいか。しかし、慣用句に登場する蛇は親しまれていない。蛇のような目つきの人は、冷たく何を考えているのか分からないし、執念深い・猜疑・陰険などにも蛇は引用される。ハブはどうか。蛇と同様ではあるが俗語に「ハブ獲やー=とぅやー」がある。
 本来の「ハブ獲やー」はハブ獲り名人を指すが一方で「色事師」のこと。誤るとハブの毒牙に掛かることなぞ一切恐れず、色の世界に長けた勇者・向こう見ずのやから者を形容している。私的には実際の行動は別として、女性に立ち向かう“勇気”だけは「ハブ獲やー」でありたいと、心密かに・・・・思う。
 

   
    

十二支シリーズ② 寅・卯

2010-02-11 00:20:00 | ノンジャンル
 ※とら【寅】十二支の第3。寅の刻は今の午前3時から5時。方角は東北東。
 虎はネコ科の動物食獣。ライオンとともにネコ類の中でも最も大きい。体長。1、8~2、5メートル。背面は黄褐色で腹面は白く黒い横縞がある。森林や藪地に単独で棲み、シカやイノシシなどを捕食。中国、インド、タイ、ベトナムなどに9亜種分布している。
   

 *虎に翼=威力ある者が、さらに威力を加えるたとえ。
 *虎は千里を往って千里還る=行動範囲が広いたとえ。勢いの盛んなことの形容。このかわいさに引かれているたとえ。親の情愛の深いたとえ。
 *虎の子=(虎は子どもを非常に大切にするところから)大切にして手放さない物。金銭。へそくり。
 *虎の巻=兵法の秘伝書。源義経が鬼一法眼〈きいちほうげん〉から取得したという伝話がある。中国の兵法書をも示すが、これから転じて秘伝、秘事を記した巻物。さらに近年になって、学生用の教科書に則して簡単な解説をした参考書。あんちょこ。
 などなど。言葉の中に虎は身近にいるが、寅年早々気になるニュースを耳にした。
 『タイなどのメコン川流域5カ国に、現在生息する野生のトラの個体数は、前回の寅年だった1998年に比べて、7割以上も激減したことが分かった。これはWWF=世界自然保護基金が発表したもので現在、野生のトラはタイやベトナム、それにラオスなどの5カ国にわずか350頭しかおらず、保護対策が強化されなければ、次の寅年の2022年までに絶滅に恐れがあると警告している。トラの個体数が減っている背景には、生息地なっている森林の破壊や、毛皮や骨などを狙った密猟が後を絶たないことがあるそうだ。
 中国文化の影響が強いアジア圏では今年の寅年、トラの保護活動に注目が集まっていて自然保護団体だけでなく、政治的取り組みも活発化している。メコン川流域5カ国など13カ国は1月下旬、トラの生息地になっている森林保護などについて話し合う初めての閣僚級の会合をタイで開催した。トラの個体数は世界的にも減少傾向にあり、12年前は5000頭から7000頭いたが、現在は3200頭まで減っているという』
 人は自分の名誉が死後に残ることを考えて、ふだんから心掛けをよくしなければならないことを教訓して【虎は死して皮を留め 人は死して名を残す】としているが、虎は皮を残したばかりに絶滅の危機に追いやられている。人間の身勝手な所業以外の何ものでもない。
 
 symbol7寄ゆる歳忘してぃ虎に羽付きてぃ 駆ち巡ぐてぃにゃびら今日ん明日ん
 〈ゆゆる とぅし わしてぃ とぅらに はにちきてぃ かちみぐてぃ にゃびら きゆん あちゃん

 歌意=(73歳の生れ年を迎えたが)寄ってくる年波は沖に押しやり、年齢を気にせず一切忘れ、虎に翼の慣用語を習い、勢いよく浮世を駆けめぐってみましょう。今日もそして「明日も。
 *「にゃびら」は、何々をする「なびら」に対する丁寧語。
 今年。生れ年を迎えた友人から年賀状にしたためられていた1首。

 ※う【卯】十二支の第4。卯の刻は、いまの午前5時から7時。方角は東。
 「う=兎・兔」はウサギの古名。普通に言うノウサギ・アナウサギ・カイウサギを家畜化したもので、ほぼ世界的に分布。日本白兎種・ベルジアン種・チンチラ種・ロップイヤー種・ダッチ種など種類も多いようだ。
 得意の分野で実力を発揮する。条件に恵まれると物事がはかどることを【兎の上り坂】と言うが、これは兎の前足は後ろ足よりも短く、坂を登るのに適していることからの例え言葉だろう。逆に兎は前足が短い分、坂を下るのは苦手のようだ。
 “待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと野良仕事 そこへウサギが飛んで出て ころりころげた 木の根っこ”
 北原白秋作詞、山田耕筰作曲の唱歌「待ちぼうけ」に登場するウサギは、山から人里へ下りようとしたが短い前足ではブレーキがうまく利かず、遂には野良端の木の根っこにぶつかり、目をまわしたのだろう。
    

 昭和24、5年に少年だったころ、ウサギを飼っていた。少年たちは皆、そうしていて学校帰りには、カバンの中に常に携帯していた米軍野戦用ナイフを器用に使って、ウサギのエサになる草刈りを欠かさなかった。時には、通り道の芋畑に立ち寄り、収穫間もない芋を掘りだし、ついでにカンダバー〈芋の葉〉をウサギの1食2食分だけ無断収穫していたが、その現場を畑の主に押さえられて折檻されたこと幾たびか。
 ある日、学校から帰ってみると飼っていた3羽のウサギの内の1羽が見えない。親や兄妹に問うても行方がわからない。気にしながらも、その日は暮れて一家団らんの食卓についた。久しぶりの肉汁が出ておいしく食したことだが、いつもの団らんとは雰囲気が異なって親も兄も姉も、ただ黙って箸を口に運んでいた。それから4、5日後、おふくろの告白で知ったことだが、食した肉はボクが飼っていたウサギの肉の1羽だった。[行方不明]ではなく、ウサギの行方はボクと家族の胃の中だったのである。いまになって納得することだが当時、ウサギの飼育は、不足していた動物性蛋白質の補給源のひとつだったようだ。
 60余年前のこの体験を戦後ばなしとして孫たちに語った。すると、聞き終えた5歳の孫娘は涙声で言った。
 「爺・・・・もうウサギさんは食べないでネ」。


    

十二支シリーズ① 鼠と牛

2010-02-04 00:20:00 | ノンジャンル
 古代中国の思想で万物を生成するとされる五つの元素、木、火、土、金、水を指している五行〈ごぎょう〉を甲=きのえ・乙=きのと・丙=ひのえ・丁=ひのと・=つちのえ・己=つちのと・庚=かのえ・辛=かのと・壬=みずのえ・癸=みずのと・戊=の十干〈じっかん〉に、十二支を配し、60通りの組合わせを作って年月日・時刻・方位を表すのに用いたものを「干支=えと」と言い「え」は兄、「と」は弟を意味するそうな。
 また、十二支は12ヶ月の月数を順に表し、中国では子=し・丑=ちゅう・寅=いん・卯=ぼう・辰=しん・巳=し・午=ご・未=び・申=しん・酉=ゆう・戍=じゅ・亥=がい=の漢字を当てたが後に、一般庶民にもこれを浸透させるため鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪の動物名にしたとされる。他にインドの神仏を祀る12宮をそれぞれ守護する動物名とする説もある。
 さて。それらを踏まえて、十二支に配された動物や俗話、慣用語、琉歌などを抜き出してシリーズにしてみよう。
    

 ね【子】十二支の第一。昔の時刻の呼称[子の刻]は、今の夜の11時から1時までの2時間。一刻・いっときは2時間。
 したがって「いっとき待ってね=いっとぅち まてぃ」「一刻も早く=いっくくん ふぇーく」は、いずれも「2時間待って」「2時間は早く」ということになる。時間がゆったりと流れる中で昔びとは暮らしていたのだろう。今のわれわれは時間に追い回されて半時〈1時間〉も四半時〈半時間〉の辛抱もできない生き方をしているようだ。代表的な琉歌にも方位としての[子]が読み込まれている。

 symbol7夜走らす舟や 子ぬ方星目当てぃ 我身産ちぇる親や 我身どぅ目当てぃ
 〈ゆる はらす ふにや にぬふぁぶし みあてぃ わん なちぇる うやや わんどぅ みあてぃ
 
 *子ぬ方星は北極星のこと。
 カラハーイ〈唐針・羅針盤〉を携帯しない海ん人〈うみんちゅ。漁師〉は、昼間ならば太陽の移動や島影を目安に舟を操ったが、視野の利かない夜間は北極星の動きを確認して、目的地を誤ることなく航行した。それと同じようにわが親は、子である私が〈心身ともに健全に育つよう〉ただそれだけに人生のすべてを掛けていると詠んでいる。老後の面倒を目当てにしているのでは決してない。親にとって子は、北極星的存在で自分の人生の指針なのだ。
 筆者の場合。子ぬ方星どころか、ユバン マンジャー〈一番星〉にもなれず、親の期待に応えられなかった。“孝行したいときには親はなし”。
 一番星を「ユウバン マンジャー」とは、よく言ったものだ。ユウバンは夕飯。マンジュンは、物欲しそうにしているさま。したがってマンジャーは、そうしている者を指している。宵の明星〈金星〉・一番星は、西の空にいち早くひときわ輝いてはいるものの、それだけに〈ひとりぼっち〉をかこっている。人びとはその時刻は、一家揃って食卓につく。「一番星もわが家族と一緒に夕食をしたいのだろう」と、命名されたユウバン マンジャーである。星にも情愛を掛ける沖縄人のこのやさしさ・・・・。自画自賛。

   

 ※うし【丑】十二支の第二。丑の刻は今の深夜1時から3時までの2時間。草木も眠ると言われる。方位は北北東。
 牛は農耕の労力として9世紀頃から沖縄でも飼育され、財産並の家畜だった。雨の少ない沖縄では牛に田を耕させるというよりも、水が地下に漏れないように田踏みをさせることと、木の枝にサンゴ礁片を括りつけて、田の表面を引き回して田の土と水をよく混ぜる重要な役割をさせた。また、沖縄では馬肉はほとんど食さないが、牛肉は好んで食されたようだ。獣肉の沖縄語は、日本の古語そのままシシ
 *シシが付く・シシ置きがよい=体に肉が付く・太るの意。逆に体の肉付きが悪い・痩せることを*シシが減るという慣用語はいまも使われている。しかし沖縄ではシシの他に「アッタミ」の古語もあり、角があることから牛の肉を「角〈ちぬアッタミ」。豚肉を「山アッタミ」と称した。豚の場合、飼育した豚と山猪〈やましし・イノシシ〉を同一視した呼称と思われるが、ほとんど死語になった。いまは豚肉は「ウァーぬシシ・ウァージシ」、牛肉を「ウシぬシシー」と言っている。
 戦前、神戸牛として高名を馳せた牛種は、大半は沖縄から輸出したものだったと記録にある。さらに牛は、畜産奨励のためのイベントで各地に登場。つまり闘牛としてスターの地位にあった。それは現在に続き畜産及び観光立県を担って活躍していることは周知の通りである。

 symbol7牛や鼻ふがち 馬やムゲーはきてぃ 哀りてやベーベー小 真首括んち
 〈うしや はな ふがち んまや ムゲーはきてぃ あわりてや べーべーぐゎ まくび くんち

 *ムゲー=くつわ。*ベーベー=山羊〈ふぃーじゃー〉の幼児語。
 歌意=牛は鼻に穴を開けられ手綱を通して引かれ、馬はくつわを噛まされて引かれる。それにつけてもかわいそうなのは山羊さん。首を縄で括られて小屋に繋がれている。あゝ、なんと哀れなことか。
 遊び唄の1首である。