旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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ウチナーグチ!まあかいが=沖縄語!何処へ

2014-09-20 00:10:00 | ノンジャンル
 ※刀自夫婦問答〈とぅじみーとぅ むんどぅ〉。
 この場合の問答は(夫婦喧嘩の意)。
 ◇Y子さんは生粋の江戸っ子。浅草生まれのチャキチャキだ。大学時代に知り合った沖縄男性と結婚、沖縄に暮らして7年になる。「郷に入らば郷に従へ」を実践して、日常会話の沖縄口は、離せないまでも5割は聞き取れるようになった。その程度でも、沖縄口を通して沖縄の風俗習慣や文化が見えるようになった。でもね・・・・と、Y子さんは楽しそうに語る。
 「でもね。困るのは夫婦喧嘩。大したことのないそれは、お互い共通語で丁々発止やっているが、共通語でやり合っている分には(いいストレス解消)と理解仕合っていても、いざ!話の決着がつきかねるようになると、主人は顔を真っ赤にして、沖縄口で攻めまくってくる。それは主人が本気で怒っている証拠。日常会話には出てこない言葉を次から次へと浴びせかけてくるのね。イミクジ〈意味故事〉が分からない。どうやらアタシの非をなじり、悪口を云っているようではある。こうなるとアタシは、ことの是非を問わず、誤ることにしている。どうやら人は、カッとなると(お国言葉で)本気を出すようだ。夫婦喧嘩を深刻化させないために、ひとまず謝る。ただ謝る。後日、主人の機嫌がいいおりに(ねぇ、あのとき何と云ったの?)と聞き返すと主人は(忘れた)の(うるさい)のと照れて答えてくれない。心理学的?には人間、カッとなる時間は6~10秒ですってね。主人の沖縄口攻撃も10秒待てば治まる。本気の怒りに本気で対応しては、離婚騒動にまで発展しかねない。それでは夫婦はやっておれない。損するのはこっちだもの!」。
 確かにそうだ。筆者自身、頭に血がのぼると沖縄口で相手を罵倒している。

 ※年をとったら・・・・。
 ◇祖父母から沖縄口を教わるようにと、アドバイスされた小学生。両親に云った。
 「どうしてお爺ちゃんお婆ちゃんにならないと、沖縄口が使えないの?ママもパパも沖縄口を使わないのは・・・・そうか!まだ若いからだね!それならボクも年取ったら話せるようになるから、いまは教わらなくてもいいね」。
 両親は目を白黒させるよりほかはなかった。そして考えた。
 「果たしてそうだろうか。共通語で十分に生活ができているから、沖縄口の必要性もなく
むしろ敬遠してきたが、子どもに指摘されると、そうも云っていられないね」。
 「沖縄口奨励“しまくとぅば条例”もできて、県民の関心が高くなっている。言葉は貯金と同じで、若い時から習い使い、コツコツと貯めておかなければ、年取ったから自然に使えるというものでもないものね。今日から(言葉の蓄え)をしましょうよ」。
 この家庭には、沖縄口が貯蓄されるに違いない。

 ※9月18日は「しまくとぅばの日」。
 9(く)10(とぅ)8(ば)と、語呂合わせた。平成18年3月31日。条例第35条として沖縄県議会で制定されている。
 ◇しまくとぅばに関する条例。
 *しまくとぅばに関する条例をここに公布する。
 *条例・趣旨。
 第1条=県内各地域において、世代を越えて受け継がれてきた(しまくとぅば)は、本県文化の基層であり、しまくとぅばを次の世代へ継承していくことが重要であることに鑑み、県民のしまくとぅばに対する関心と理解を深め、もって(しまくとぅば)の普及と促進を図るため(しまくとぅばの日)を設ける。
 第2条=しまくとぅばの日は、9月18日とする。
 (事業)
 第3条=1、県は、しまくとぅばの日の啓発に努めるとともに、その日を中心として、しまくとぅばの普及促進のための事業を行うものとする。
 2、県は、市町村及び団体に対し、しまくとぅば普及促進のための事業が行われるよう協力を求めるものとする。
 ◇附則=この条例は、公布の日から施行する。

 この条例施行から8年。
 各市町村の文化協会が主催し「しまくとぅば大会」が催され、代表が選出されて、中央大会が行われている。この間に「しまくとぅば連絡協議会」が結成されて成果をあげている。
 また、先日9月1日。同連絡協議会は県に対し、学校現場への「しまくとぅば指導条例」を制定するよう要請している。平和運動と同じく、その時代の活動、行動は、時代に継承され、実を結ぶであろう。いや、開花させて、ごく普通に共通語も西欧語もアジア語も、そして(しまくとぅば)も使われて、人類皆、コミニュケーションを維持することになろう。望ましい未来が見える。

 なるほど。前記の「言葉は貯金」の発想はいい。実にいい。慣用句に「くとぅば銭使えー=ジンじけー」とあるように、言葉もコツコツと備蓄し、有効に使って(利子)を増やしていく。この理屈を実践することが肝要と思われるがいかが。
 いま流行の「アイスバケツリレー」よろしく、今日モノにした沖縄語を3人に伝え、その3人が老若男女を問わない3人にそれぞれ伝える方式も採用したい。なにしろ「くとぅば忘しーねー 親ん忘しーん=自分たちの地域語を忘れると、親も忘れる」と云われるのだから、忘れまい!親もふるさとも。



人生・一炊の夢か

2014-09-10 00:10:00 | ノンジャンル
 どうやらこの二人。近々古馴染みが集まっての飲み会の幹事らしい。
 夜になりきるには、窓の外には明るさが残っている喫茶店の一隅。コーヒーを飲みながら、頭を突き合わせていたが、役目のめどがついたようで、合図をしたかのように、フーと息を吐いて顔を見合わせた。

 「ではそういうことで。15、6人はあつまるよ」。
 「3年ぶりかな・・・・。それにしても集まるたびに、ひとり欠けふたり欠けするのは切ないネ」。
 「仕方ないサ。お互い70半ばだから・・・・。老いを感じるのは、どんな時だい?」。
 「そうさなぁ。14、5年前までは街中で美人とすれ違うとときめきがあり、行き交うざま、遠慮なくふり返ってバックスタイルを確認したものだが、近頃は、あのときめきもなし。ふり返るのも面倒になっている自分に気付いた時だね・・・・」。
 「それはあるね。これまで、さまざまなことを経験、体験してきたのにね。殊に女性に関しては、敏感な反応を示してきたのに、このところ鈍くなってきたなぁ。気が萎えたのか、体力が衰えたのか。述懐すれば人生、一炊の夢に思える」。

 一炊の夢。
 人生夢のごとし。人間の栄枯盛衰ははかないことをたとえた、中国の詩歌から出たことばだそうな。
 修行の旅の途中、ある民家に一夜の宿を借りた男。旅の疲れが手伝って(夕食の飯が炊きあがるまでは)と、横になってまどろんだ。
 夢の中で彼は過去をつづった。
 故郷にいる時、日夜勉学に励み、それが認められて名家の娘をめとり、公的にもとんとん拍子の出世。都に召し出されて高位に就いた。人も羨む順風満帆である。
 しかし、好事魔多し。
 彼の出世を妬む周囲の者たちの事実無根の告げ口によって失脚に陥った。けれども、やがてそれが屈折した怨恨によることが証明されて、彼は再び陽のあたる場所を得たのである。幸不幸の道程は30年にも及んでいた。
 そこで彼は、夢から醒めた。
 身は旅の仮宿の1室にある。欠伸をひとつして掻き上げた鬢(びん)には白髪が混じっている。そこへ宿の者の声。
 「間もなく飯が炊き上がりますよ」。
 彼が見た己の夢は、実に(一炊)の間のことだった。

 件の男たちの会話は、まだ続いている。
 「すっかり敬老の日を抵抗なく受け入れているねボクは。これもなにかしら切ないね」。
 「法的には後期高齢者に組み入れられているのだから、素直に従っておこうよ。屈託を養っていては、精神衛生上よろしくない。だが毎年そうだが、旗日をいいことに、息子や娘たちはそれぞれの子たちと連れだって行楽地へ出かける。結局、老妻とボクは態のいい番犬サ」。
 「敬老の日か・・・・」。

 敬老の日。
 {多年にわたって社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日}とされている。
 その起こりは昭和26年(1951)につくられた「としよりの日」にある。9月15日から1週間を老人福祉週間と定めて、これを「としよりの日」と命名した。ところが、「としより」という決め付けは、いくらなんでも失礼ではないか。ひどすぎるという声が各界から出た。しからば!と関係省庁は、昭和38年(1963)、老人福祉法が制定されたのをきっかけに「老人の日」と呼称するようになった。しかし、しかしである。ここでも{老人}呼ばわりは老人からして(受ける感じがよくない)との反対意見があり、臭いモノには蓋をするのが得意な政府は有識者を集め、吟味した結果、昭和41年(1966)めでたく?「敬老の日」に落着した。

 「その年齢になって分かるが、長生きはしたいが(としより)とは呼ばれたくないものな」。
 「たしかに!若い人、殊に若い女性に(お元気で長生きして下さいね)と云われると、ありがとうとは返事するものの言下に(あなたには明日がない!せいぜい今日を大切に)という含みがあるようで心地よくない時がある」。
 「それは、としよりのヒガミというものだよ。そう声をかけてくれる女性がいるだけでも(ありがたい)としようよ」。
 「そうかも知れないな。一炊の夢を見ながら、今日、明日を楽しむことにするか。ところで、このあとのキミの予定は?」。
 「今日はキミと一炊の夢を語るため、山の神にも宣言してきた。行きつけのスナックのママにも告げてある。付き合えよ」。
 「むろん承知!そのママって美人かい!」。
 「キミ好みの松坂慶子似だ。60にはまだ、間があるだろう」。
 「いいね!いいね」。
 古馴染みふたりは、喫茶店を出て、すっかり暗くなった(いずこかへ)がフットワークよろしく肩を並べて歩を進めた。
 汗を入れるには丁度よい9月の風が吹いている。
 


沖縄・季節の祭り

2014-09-01 00:10:00 | ノンジャンル
 9月。梅雨明けと同時に威力を発揮した南の島の太陽は、萎えることを知らない。
 道行く人びとの眉間のシワも、まだ取れていない。それでも旧暦は8月上旬。各地で季節の祭りが厳かに、そして華やかに催されている。これらは10月、11月まで続くが{旧暦8月}に限ってその催事を拾ってみよう。まず、宮古島・多良間村。

 ※八月踊り。
 旧暦8月8日から10日の3日間行われる多良間島最大の祭り。八月御願(うぐぁん)ともいう。今年1年の実りに感謝し、来年の豊作を祈願する催事。仲筋、塩川2村落の拝所には特設舞台が設置されて、島独特の芸能を奉納し、村びと総出で披露される。祭りの20日前には、各担当組が結成されて稽古に入る。その(組・座)は次の通り。
 ◇端踊座(はWUどぅいざ)=若集踊り、女踊りの指導座。
 ◇組座=王朝時代に伝わった技能「組踊」の指導座。1番座ともいう。
 ◇獅子座=獅子舞と棒術の指導座。
 ◇笠座=二才踊り(若い男性の踊り)の指導座。
 ◇キョーギン座=狂言、雑踊(ぞうおどり・軽快な踊り)の指導座。
 ◇ズーニン座=歌三線、鳴り物担当座。
 ◇スタフ座=仕度担当。衣装、大小道具の係組。
 ◇幹人座(かんじんざ)=経理担当組。
 多良間の八月踊りは、400年余前、王府から課された過酷な人頭税(にんとうぜい)を完納した「皆納祝い」に始まったとされ、1日中続演される演目の豪華さは、人頭税から解放された島びとの歓喜のさま、そのものである。

 ※打花鼓=たーふぁーくー
 中城村伊集(なかぐすくそん いじゅ)に伝わる特異な芸能。旧暦8月15日に演じられる。出演者は11人の若者。歌三線の地謡3人。演者は中国風の衣装に化粧をしての行列舞である。演者は次の通り。
 ◇筑左事(ちくさし)=唐の高官を護衛する役人2人。六尺棒を持ち、行列の露払いの役。
 ◇ガクブラ組=中国渡来の笛の1種。奏者2人。
 ◇唐の按司=(高官)1人。
 ◇フジョウ持ち=按司の小物持ち1人。
 ◇御涼傘持ち(ウーリャンサン)=按司用の日傘持ち1人。
 ◇ワンシー係り=銅鑼鉦係1人。
 ◇ブイ係=拍子木係1人。
 ◇ハーチンガニ係=シンバル様の打楽器1人。
 ◇太鼓打ち=1人。
 一行は舞台、もしくは広場中央まで行列すると地謡の歌三線に合わせて踊る。中でもブイ、ハーチンガニ、太鼓打ちは飛び跳ねたり、腰を落として背中を反らせるなど、激しい身ぶりをする。したがってこの役回りは体力のある若者が選出されて担当する。
 もともとこの芸能は王府時代、中国から帰化した唐人によってもたらされたともいわれる。現在の那覇市久米に居住した唐人は学問、産業技術等々の指導、普及のため招聘された人びと。毎年、久米に設置された学問所の学事奨励会(学芸会)での演目のひとつだが、そこに奉公していた中城村の人が見聞したままを伊集に持ち帰り、いまに伝えている。
 行列音楽が中国旋律なら、地謡の歌う文句も中国語。中国と琉球の関わりを如実に実感させる芸能である。
 
 ※チョンダラー(京太郎)。
 17世紀。京都から琉球に渡ってきた門付芸人は、琉球各地を回り、念仏踊りをなして暮らしていた。「京都からきた人」というので「京太郎・チョンダラー」と呼称したものである。
 沖縄市泡瀬、宜野座村宜野座に継承される演目内容は、
 ◇馬舞さー=板で作った馬型を持って舞う芸。ンマメーサー
 ◇鳥刺し舞=トゥイサシメー。竹の先に鳥もちをつけて、小鳥を刺し取る所作をする舞い。
 ◇扇舞=オージメー。白扇を持って舞う。
 ◇早口説=ハヤクトゥチ。さまざまな事柄を音曲に合わせて歌い踊る。
 チョンダラーは、各地に現存するが、舞方はすべて男性。陣羽織、白ズボン、脚絆、白足袋の装束。この念仏踊りはのちに旧盆のエイサーへと変貌。さらに旧暦正月20日(二十日正月・ハチカ ソーグァチ)に、那覇の花街辻(チージ)のきれいどころによってなされる行列舞い「ジュリ馬」にも取り入れられている。

 旧暦8月のメインイベントは「十五夜遊び=ジュウグヤあしび」。各地で村芝居、村踊りが仕組まれて賑わうほか、八重山の結願祭(キツガン)や各地の獅子舞と、とかくこの時期は祀り・祭り一色。それが落ち着くころ、積乱雲は鰯雲に姿を替え、風も和らいでくる。
 琉歌に曰く。
 
 ♪夏ぬ山川に涼風ぬ立ちゅし むしか水上や秋やあらに
 〈なちぬ やまかわに しだかじぬ たちゅし むしか みなかみや あちやあらに

 歌意=夏の山川の水面に、心なしか涼風が漂っているような気がする。もしかすると、水上には秋が生まれているのではあるまいか。